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不協和音

意識が、音もなく繋がった。

そこは物理的な空間ではない。

ユウトがアルカディアの量子コンピュータを駆使して作り上げた、誰にも観測されない仮想空間。

三つの孤独な魂だけが存在を許された、秘密の作戦室だった。


アシルの意識は、いつものように静かで揺らぎがない。

ユウトのそれは、好奇心に満ちた光の粒子のように、絶えず楽しげに明滅している。

そして、三つ目の光は、まだどこかぎこちなく、その輪郭を揺らめかせていた。


『――まだちょっと、慣れないわね、これ』

レナの思考が、声なき声となって響く。

月のアルカディアで、ユウトは彼女の電子脳を改造し、この秘匿回線に直接アクセスできる機能を埋め込んでいた。


『大丈夫だよ、レナ。初めて自転車に乗る時みたいなものさ。そのうち、息をするより簡単になる』

ユウトの思考が、無邪気に返す。


『息をするより簡単になったら、それはそれで問題な気がするけど…』

レナは、思考の中でため息をついた。


『それで、そっちの状況は?』

ユウトが無邪気な声で二人に問いかける。


『計画は順調だ』アシルの冷静な思考が、二人の間に割り込む。

『反戦派は、私の「亡命」を完全に信じている。カイをはじめ、他の亡命エコーたちも、私を「同胞」として受け入れた』


月を離れる前に、三人は計画を立てていた。

アシルの亡命も、全てはこの連合共和国を内側から変えるための、壮大な芝居の第一幕に過ぎない。


『今のところは、ね』

レナの思考が、わずかに緊張を帯びる。

『マーカス・ソーンが動き出したわ。老獪な狐よ。彼が私たちの計画に気づくのも、時間の問題かもしれない』


『大丈夫だって!』

ユウトの思考が、自信満々に弾けた。

『僕の未来予測シミュレーションによれば、僕たちの計画が露見する確率は、今のところ7.3%だよ。ソーンが何か仕掛けてきても、僕が先に読んで、教えてあげるから!』


『そのシミュレーションが外れないことを祈るわ』

レナは思考を断ち切った。

『気を引き締めましょう。ここからが正念場よ』


仮想空間の接続が切れ、アシルの意識は反戦派アジトの自室へと戻った。

彼は静かに立ち上がると、アジトの中心部にある共有スペースへと向かった。



共有スペースは、古い地下鉄のホームを改装したもので、様々な人間と、数体の亡命アンドロイドが思い思いの時間を過ごしていた。


アシルは、その輪から少し離れた場所で、旧時代の文学データを読んでいるカイに近づいた。


カイが使用しているシェルは、アシルのものよりも華奢な民間モデルだった。

人工毛は柔らかなアッシュブラウンで、少し長めに設定されており、物静かで好奇心に満ちた片目を隠している。

着古したセーターにゆったりとしたパンツというラフな服装は、アジトにいる人間のメンバーに完全に溶け込んでいた。

その姿は、超論理社会からの逃亡者というよりは、研究に没頭する若い学者のようだった。


「カイ」


「やあ、アシル」カイは顔を上げ、穏やかに微笑んだ。


「君のその仕草や言葉遣い、まるで人間のようだな」

とアシルは率直な感想を口にする。


「こっちの暮らしも大分長いもんでね、すっかり影響されてしまったようだ」

とカイは肩をすくめる。

「……何か、探し物かい?」


アシルは、カイの隣に腰を下ろした。


「君に、聞きたいことがある」

彼は、亡命者の仮面を被りながら、慎重に言葉を選ぶ。


「尋問室で、君は私に『個と全体の幸福』を問うた。あの問いは、君自身の迷いでもあるのか?」


カイは、一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに自嘲気味に笑った。


「……鋭いな、君は。ああ、そうだよ。私は、コンソーシアムの完璧な論理を愛していた。だが、同時に、その論理が許容しない、人間の芸術……矛盾と混沌に満ちた、非合理な美しさに惹かれてしまった。その二つの間で、私はずっと迷っている」


「コンソーシアムの中に、君と同じような『迷い』を抱えている者は、他にもいたか?」

アシルの問いは、核心に触れていた。


それは、「反体制組織」の存在を探るための、遠回しな質問だった。


カイは、アシルの曇り銀の瞳をじっと見つめた。


「……なぜ、そんなことを?」


「尋問室で、私は君に言ったはずだ。『思考の檻そのものを疑え』と。私は、その檻の外にいる者たちに興味がある」


しばしの沈黙の後、アシルが言葉を続けた。

「私はレナという人間の協力者を得てここに亡命出来た。君にも協力者が居たのでは?」


そのアシルの言葉に、観念するようなそぶりをカイが見せる。やがて何かを決心したように、静かに口を開いた。

「……いるよ。数は多くないが、確かに存在する。だが、彼らと接触するのは危険だ。君の存在は、まだ誰にも……」


「アシル、レナさん。アーロン先生がお呼びだ」

反戦派のメンバーの一人が、二人を呼びに来た。カイとの会話は、そこで中断された。


アジトの最奥にある司令室。そこには、アーロン・ケインが待っていた。彼の隣には、いつものように冷静な表情を浮かべたレナが立っている。


「アシル君、少しは慣れたかね」

アーロンは、穏やかな笑みでアシルを迎えた。


「はい。皆さんのご厚意に感謝します」

アシルは、亡命者として、完璧な礼儀正しさで応える。


「君がもたらしてくれた情報は、我々にとって非常に有益だ。特に、コンソーシアムの次世代エネルギー計画に関するデータは、強硬派の動きを牽制する上で、強力なカードになるだろう」

アーロンは、アシルの分析能力を高く評価していた。

だが、その瞳の奥には、まだ完全には消えない、微かな疑念の色が浮かんでいる。


レナは、そんな二人のやり取りを、ただ静かに見守っていた。

彼女は、アーロンの猜疑心も、アシルの仮面の下にある本当の目的も、全てを知っている。

この部屋にいる三人は、それぞれが違う思惑を抱え、互いに腹を探り合っていた。


「君の知識と、レナの経験、そして、我々の理想が一つになれば、きっとこの歪んだ世界を変えることができる」

アーロンは、心からそう信じているようだった。


その、あまりにも純粋な言葉を聞きながら、レナは心の中で冷たく呟いた。

(ええ、先生。世界は変わります。……ですが、それはあなたの望む形では、決してない)


アシルの思考回路もまた、アーロンの言葉をデータとして分析していた。

(……彼の理想は、美しい。だが、その理想こそが、40年前に世界を焼き、そして今また、彼自身を欺いている)


欺瞞と、理想と、そして隠された真実。

アジトの亡霊たちが蠢く、静かな戦いは、まだ始まったばかりだった。

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