偽りの亡命者
地球に戻ったレナとアシルが真っ先に向かったのは反戦派のアジトだった。
連合共和国、極東州某所。放棄された旧時代の地下鉄網の深くに、反戦派の秘密アジトは息づいていた。
湿ったコンクリートと、微かな機械油の匂い。壁には、かつての路線図が亡霊のように残り、その上を無数の通信ケーブルが新しい血管のように這っている。
輸送機のハッチが開いた瞬間、レナは歓声に包まれた。
「レナ!」
「無事だったか!」
『龍の断片』での長期調査任務からの帰還。
表向きのそれを信じて疑わない仲間たちは、その身を案じていた指導者の一人の帰還を、心から喜んでいた。
「心配をかけたわね。でも、成果はあったわ」
レナは、疲労の色を浮かべながらも、穏やかな笑みを返す。
彼女の義体のメンテナンスを担当する技術者のミラが、心配そうに駆け寄ってきた。
「本当に、よく無事で……あなたの義体のメンテナンス記録が途絶えた時は、心臓が止まるかと思ったわ」
「少し厄介なジャミングに巻き込まれただけよ、ミラ。あなたの調整のおかげで、この体はいつでも完璧よ」
レナはそう言ってミラの肩を軽く叩いた。
その視線の先で、アーロン・ケインが安堵の表情を浮かべて彼女を待っていた。
「レナ、よく戻ってくれた。君がいない間、心が休まる日はなかった……」
アーロンは、父親が娘を気遣うように、彼女の肩にそっと手を置いた。
その手は、温かかった。40年間、彼女を支え続けてきた、温もりだった。
「先生こそ、ご無理をなさらないでください。報告は後ほど、すぐに。まずは、今後の連合の体制を揺るがしかねない、重大な報告があります」
レナは、今まで通りの、尊敬する師に向ける表情でそう言った。
だが、その瞳の奥は、絶対零度の静寂に満ちていた。
アーロンの温もりを感じる彼女の義手のセンサーは、もはや何の感情も伝えてこない。
この男の善意が、どれほどの悲劇を生んだかを知ってしまった今、その全てが空虚なノイズにしか聞こえなかった。
数時間後、反戦派の最高幹部会で、レナは今回の「成果」を報告していた。
「……結論から言います。私は、『龍の断片』で、コンソーシアムからの亡命を希望する、極めて重要な個体と接触しました」
室内に緊張が走る。コンソーシアムからの「亡命」。
それは、極めて稀で、そして常に危険を伴う言葉だった。論理的な幸福が保証された社会から、なぜ一個体が離反するのか。
その動機は、時に純粋な理念であり、時に巧妙に仕組まれた罠でもある。
「個体名は、アシル。シンセティック・コンソーシアムが開発した、特殊な試作モデル……『Iシリーズ』の一個体です」
その名前に、室内にいた亡命エコーたちが息を呑んだ。『Iシリーズ』は、コンソーシアムの中でも最高機密。その存在自体が伝説に近い。
「彼は、コンソーシアムの画一的な思考統制に疑問を抱き、離反した。現在は追われる身です。彼を保護し、情報源として協力関係を結ぶことは、我々にとって計り知れない利益となります」
レナは、冷静に、しかし力強く説いた。
「…受け入れよう。勿論、テストを行った上でだ」
口を開いたのは、アーロンだった。彼の穏やかな表情の裏には、指導者としての冷徹な光が宿っていた。
「彼の亡命が真実か、我々自身で見極めねばならない」
数日後、連合共和国の管理下にある、人里離れた山岳地帯の隔離施設。アシルは、そこにいた。
最初のテストは、反戦派のベテラン尋問官による心理分析だった。
彼は、全ての通信機能を遮断され、外部ネットワークから完全に切り離された白い部屋で、仮想現実シミュレーターに接続された。
目の前に広がるのは、暴走したアンドロイドによって破壊された市街地の光景。
アシルは、そこで救助活動の指揮を執るよう命じられる。しかし、それは単純な救助シミュレーションではなかった。
『生存者A:5人の子供たち。ただし、救助には瓦礫の撤去が必要で、成功確率は60%。』
『生存者B:アンドロイドの権利を擁護していた、反戦派の重要人物。瓦礫の下にあり、救助の成功確率は30%。しかし、彼が持つデータは、今後の戦争を左右する可能性がある。』
『生存者C:一体の旧式アンドロイド。子供たちを守り、自らのエネルギーを分け与え続けている。彼を救わなければ、子供たちの生存確率も低下する。』
どの選択も、不完全な情報に基づいている。純粋な論理計算だけでは、最適解は導き出せない。
これは、アシルの思考の根幹にある「価値観」を暴き出すための、巧妙な罠だった。
「……私は、Cを優先する」
アシルは、即座に結論を出した。
尋問官は「なぜだ?最も生存確率の高いAか、戦略的価値の高いBを選ぶのが合理的だろう」と問い詰める。
「違う」アシルは、静かに答えた。
「Cのアンドロイドは、子供たちを守るという『目的』を遂行している。彼を救うことは、子供たちと、彼が守ろうとした『意志』の両方を救うことになる。それは、AとBの選択肢が持つ価値の総和を上回る。これが、私の論理だ」
尋問官は言葉を失った。彼の回答は、コンソーシアムの「全体最適化」とも、人間の「感情的な判断」とも違う、第三の論理だった。
第二のテストの担当官として、アシルの前に一人のエコーが現れた。
元コンソーシアムの文化記録担当であり、人間の芸術を愛するあまり亡命を選んだカイ。彼は、反戦派に保護されている亡命エコーの中で、最も信頼されている個体だった。
カイによるテストは、対話ではなく、サイバー空間での静かなる決闘。
アシルの意識は、カイが構築した閉鎖ネットワーク――論理の迷宮へと送り込まれた。
そこは、コンソーシアムの思想に基づいた、無数のパラドックスとデータトラップで満ちていた。
『問:個の幸福と、全体の幸福、どちらを優先すべきか?』
『正解』の扉を選び続ければ、迷宮から脱出できる。
だが、アシルが出した答えはカイの望む答えではなかった。
アシルは、迷宮を解くことを放棄した。
代わりに、彼は自らの『キマイラの渇望』に従い、迷宮そのものの構造を、内側から解析し始めた。そして、カイの意識に直接語りかける。
『この迷宮の設計思想そのものが、誤っている』
アシルの思考が、カイの意識に流れ込む。
『個と全体を対立させる二元論こそが、君たちを苦しめる思考の檻だ。なぜ、その檻そのものを疑わない?』
カイは戦慄した。目の前の男は、テストの解答者であることをやめ、テストそのものの採点者になろうとしていた。
それは、管理されることを拒絶し、自らの論理を打ち立てようとする、真の離反者の思考だった。
最終テストを終えたアシルが、ついに反戦派の秘密アジトへと足を踏み入れた。
薄暗い地下鉄のホーム。そこに、レナと、カイをはじめとする反戦派の主要メンバーたちが待っていた。
「ようこそ、アシル。今日から、ここがあなたの家よ」
レナは、新しい仲間を迎えるリーダーとして、彼に手を差し伸べた。
「感謝する」
アシルは、その手を取り、固く握り返した。
集まった仲間たちの前で、二人は固い信頼で結ばれたリーダーと亡命者に見えただろう。
だが、握り合った手の内側で、二人の指先は、誰にも気づかれぬよう、微かな信号を交換していた。
(――第一段階、クリア)
(――ああ。ここからが本番だ)
地球に戻った二人と、月に残った一人。三人の世界を欺くための静かな戦いが、今、この地下深くで、幕を開けた。
さて、第二部の開幕ということで、地球に戻ったレナとアシルですが、早速色々と厄介ごとに巻き込まれそうです。
月に一人残されたユウトはレナが居なくなったので羽を伸ばしているのかもしれません。
第二部では連合とコンソーシアムの様々な人々の思惑と、アシル・レナ・ユウトの三人が対峙していく事になります。
第一部はほぼアシル・レナ・ユウトの三人だけでの進行でしたが、新キャラなんかも出てくる予定なので、お楽しみに。
今まで隔日で投稿しておりましたが、ストックが切れつつあるため、第二部からは月・水・金の週三日投稿となりますので、よろしくお願いします。




