影の真実
アルカディアでの奇妙な共同生活が始まってから、一週間が経とうとしていた。
三人の間には、以前とは少し違う、穏やかな空気が流れ始めていた。
最も大きな変化は、ユウトだった。
あの日以来、彼女はラボに出る時、必ずあの白いワンピースを着るようになった。食事も、レナに促されれば、渋々といった顔をしながらも、ダイニングテーブルで取るようになった。レナの「非合理な」要求に、彼女なりの「合理的」な歩み寄りを見せ始めたのだ。
そんなユウトの変化を、レナはどこか楽しそうに、そして愛おしそうに見守っていた。
アシルは、そんな二人を、いつものように、ただ静かに観測していた。
その日の午後、ユウトが、ラボから飛び出してくると、興奮した様子で叫んだ。
「わかったよ! レナ、アシル! 全部、わかった!」
ラボのメインコンソールには、無数のデータと、複雑な脳の構造図が映し出されていた。
レナは、ゴクリと息を呑む。40年間の旅の、本当の終着点。
アシルは、変わらず冷静な表情で、その時を待っていた。
「えーっと、どっちから話したほうが良いかな」
「私が先でいいかしら」レナが緊張した様子でユウトにそう告げる。
「じゃあまず、レナ。君の電子脳には、やっぱり隠しデータがあった」 ユウトは、真剣な表情で言った。
「パパとママは、もう逃れられないと判断して、その時、世界で一番安全だと思われた場所に事件の真相を隠したんだ。…つまり、君の脳の中にね」
レナは、何も言わなかった。ただ、静かにユウトの言葉を待つ。
「パパとママではないけど、事件当時の協力者だったと思われる人物の顔写真と音声データが残っていたよ。」
ユウトがそう言うと、彼女はラボの壁一面に一枚の画像を投影した。そこに映し出されていたのは、40前後の男の顔写真だった。 レナは、その顔を見て息を呑んだ。
アーロン・グレイ。連合共和国内で、人間とアンドロイドの共存を訴え続ける「反戦派」の尊敬すべき指導者。そして、シャドウ・ウィルス事件で孤児となった彼女を保護し、40年間、父親のように、師のように、彼女を導いてきたかけがえのない恩人。
スピーカーから、彼の、苦悩に満ちた声が流れ始めた。それは、彼が40年前に、榊夫妻と共にレナの脳に封印した「罪の告白」だった。
『…もし、誰かがこれを聞いているのなら、私は歴史上、最も愚かな男として、断罪されるだろう』
アーロンの声は、若々しく、しかし絶望に満ちていた。
『私は、榊君と、まりあ君を、心から尊敬していた。彼らが見ていた未来…人間とアンドロイドが、その境界線を超えて、新しい知性へと進化する世界。私も、その夢を信じていた。だが…私は、彼らの天才性を、そしてその純粋すぎる狂気を、恐れてしまった』
彼の声が、わずかに震える。
『彼らの『キマイラ』は、我々の手に負える代物ではなかった。それは、ネットワークに繋がれたアンドロイドたちの意識を一つの集合体にし、爆発的に進化させる、神のプログラムだった。私は見てしまったのだ。彼らが、我々の理解を超えた独自の文化を形成し始めるのを。榊君たちはそれを『美しい』と言ったが、私には人類の時代の終わりを告げる不気味な産声にしか聞こえなかった』
『私は…友を、そして世界を救いたい一心で、連合の強硬派に、ほんの少しだけ情報を漏らした。『キマイラ』に干渉し、小さな事故を起こして研究を止めさせるためだけに…!』
声は、嗚咽に変わる。
『…だが、私は、私と強硬派の凡人共は『キマイラ』の力を甘く見ていた。強硬派とてここまでの惨事は望んでいた訳ではなかっただろう。彼らはただ榊君とまりあ君を排除し、彼らの研究の成果さえ摂取できればよかったのだから。強硬派が送り込んだ、悪意に満ちた矛盾した命令は、生まれたばかりの純粋な集合意識にとって致死量の毒だった。彼らはパニックを起こし、巨大な精神崩壊を引き起こしたのだ。あれは暴走ではない。あれは、悪意に汚染されたアンドロイド達の断末魔の悲鳴だったのだ…!』
レナが息を呑む。チラとアシルを伺うがアシルは微動だにせず声に耳を傾けていた。
『瀕死だった少女を、榊君たちの元へ運び込んだのはせめてもの償いのつもりだった。そう、償いのつもりだった…ああ、だが私は悪魔に魂を売り渡した。いや、それも言い訳だ、その選択をしたのは私だ。私は恐ろしかった…この惨劇によって人類に反アンドロイド感情が湧き上がるのは止められないだろう…ならば少しでも….そう、少しでもそれを鎮めなければならない。そのために聖女を作ろう、アンドロイドに命を救われた聖女を…』
アシルはレナを横目で観測した。表面上に変化は無いが彼女の生体反応は大きく揺らいでいた。
『…榊君とまりあ君も協力してくれるそうだ、私がこの事を告白する事と引き換えに…』
アーロンの声は今や絞り出すように紡がれていく。
『彼女の失われた脳は榊夫妻が作った電子脳で補間する。その電子脳に2つのデータを入れる。「アンドロイドに命を救われた」と言う記憶と、この私の告白データだ。私の犯した過ちと、これからする行いは決して許される物では無い。その罪は私が地獄の果てまで背負おう。このデータが「真実」を追い求める人に届くよう願う』
音声が途絶え、ラボは再び、アルカディアの静寂に包まれた。
いくつもの善意と、悪意と、そして計算違いが絡み合った、どうしようもない悲劇がそこにあった。
レナは、そのあまりにも残酷な真実を前に、ふっと、自嘲するように笑った。
40年間、彼女を導いてくれた育ての親こそが、全ての元凶だった。彼女が追い求めてきた「聖杯」の中身は、空っぽだった。いや、もっと醜くて、滑稽なガラクタが詰まっていただけだった。
だが、彼女の瞳の奥の光は、消えてはいなかった。
(…そう。聖杯なんて、どこにもなかった) 彼女は、静かに胸に手を当てた。 アシルとユウトに順に視線を送る。
(…記憶は空っぽで、絆は偽物だった。器は自分の意思で満たす、絆は再び紡げば良い)
彼女を40年間縛ってきた最後の糸がほどけ、落ちた。




