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鉄屑の神話

『予測時間は約5分』


ユウトの無邪気な警告が、アシルの思考回路の中で冷たく反響する。窓の外で急速に近づいてくる、複数の飛行ドローンの甲高い駆動音。それは、コンソーシアムの最新鋭の追跡・攻撃ドローン、『マンティス』の音だった。


「…まずいわね」

レナが、40年の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、冷静な声で呟く。


アシルはすでに動いていた。

「レナ、床に伏せろ。窓から離れろ」

彼は、アナリスト「サイラス・グレイ」の仮面を完全に脱ぎ捨て、コンソーシアムの諜報員としての、本来の機能を取り戻していた。


彼は部屋の隅にあった、旧式の通信端末を掴むと、その筐体を素手で引き裂いた。中から強力なマグネトロン(マイクロ波発生装置)を取り出すと、それを部屋の電源に直結させる。

「3秒後に強力なEMPを発生させる。君の義体にも影響が出るかもしれない。シールドを」


レナがコートの裏地から電磁シールドシートを取り出し、自らの義手と義足に巻き付けるのと、アシルが電源をショートさせ、部屋全体に強力な電磁パルスを放ったのは、ほぼ同時だった。

部屋の照明が爆ぜ、窓の外で飛行していたドローン群が、火花を散らして次々と地面に墜落していく。


「…行くぞ」

アシルは、停電で真っ暗になった安宿の廊下を、レナの手を引いて駆け出した。彼の視界は、赤外線モードに切り替わり、人間の目には見えないはずの、敵の配置と逃走ルートを正確に捉えていた。


数日後。

アシルとレナは、『龍の断片』のさらに奥深く、無法地帯の心臓部、『鉄の皇帝』の城塞都市にいた。

そこは、都市というよりは、巨大な機械の墓場だった。旧世界の戦闘アンドロイドの残骸が門番として立ち、街のあちこちから、錆びた鉄と、オイルの匂いが漂ってくる。


二人は、再び商人として、街に紛れ込んでいた。

ユウトが遺した「最後の贈り物」。それは、この狂気の王国の、どこに眠っているのか。


安宿の一室。二人は、この数日間、街の裏社会で集めた情報をテーブルの上に広げていた。

「…厄介なことになったわね」

レナが、情報の海の中から、一つの結論を導き出す。

「『鉄の皇帝』は、今、一つのコレクションに執着している。40年以上前に数体だけが製造された、伝説の戦闘用アンドロイド…『リュイ・ブー』。彼は、その最後の生き残りを探しているわ」


「記録にない機体だ」

アシルの意識は、この混沌の地の分厚い電波妨害(ジャミング)の雲を突き抜け、はるか上空の衛星へと、一本の細い糸のような指向性通信を放った。数秒後、返ってきた答えは、彼の予測通り、そして最悪のものだった。

()()()()()()()」。

いや、正確には違う。この場所からの脆弱な回線では、コンソーシアムの広大なデータベースの、表層レベルにしかアクセスできないのだ。本当に重要な記録が眠る、深層の凍結されたアーカイブに潜ることは、この電波の嵐の中では不可能だった。


「ええ、公式記録からは全て抹消されているから。でも、この無法地帯では、神話として語り継がれているのよ。一体で一個師団を壊滅させた、最強の戦闘マシンとしてね」

レナは、アシルの曇り銀の瞳を、まっすぐに見つめた。

「…だから、私たちが彼に会う方法は、一つしかない」


アシルの思考回路が、彼女の意図を正確に予測した。

「…私が、その『リュイ・ブー』になる、と?」


「その通りよ」

レナは、悪戯っぽく微笑んだ。

「あなたは、ただのアンドロイドではない。あなたの身体は、コンソーシアムの最新技術の結晶。どんな機体にも、擬態できるはずよ」


それは、あまりにも無謀で、そして悪魔的な作戦だった。

アシルは、街の闇市場で手に入れた、旧世界の戦闘アンドロイドのジャンクパーツを、自らの身体に組み込み始めた。錆びついた装甲板、傷だらけのアクチュエーター。彼のユーティリティ・スウォームが、それらのガラクタを、彼の身体とナノレベルで融合させていく。


数時間後、そこに立っていたのは、もはやアシルの面影はなかった。


街のガラクタだったはずの錆びついた装甲板は、京劇の武将が纏う絢爛な鎧のように、彼の身体の上で再構成されていた。

赤と黒を基調とした威圧的なフォルム。背中から伸びる複数の補助アームは、まるで伝説の武将の背に差された旗指物のように、静かな威厳を放っている。

そして、その顔を覆うように形成されたマスクは、京劇の隈取を思わせる深紅のラインが走る、無機質な能面のようだった。

その奥で、赤い光学センサーが、地の底から響くような光を灯していた。40年の眠りから覚めた、傷だらけの伝説の鬼神。


「…完璧ね」

レナは、自らが作り出した「神話」の姿に、満足げに頷いた。彼女は、この錆びついた神を見つけ出した、しがない「修理屋」の役を演じるのだ。


その夜、二人は街のゴロツキたちが集まる、地下の闘技場にいた。

レナが「掘り出し物」として、機能停止した状態のアシルを披露すると、周囲からは嘲笑が漏れた。

「おいおい、ただの鉄クズじゃねえか!」


その時、闘技場のオーナーが仕掛けた他のアンドロイドたちが、二人を取り囲んだ。

「よそ者が、俺たちのシマで商売か? いい度胸だ」


レナが合図を送る。

その瞬間、鉄クズのはずだったアシルの赤い光学センサーが、光を灯した。

彼は、雷のような速さで立ち上がると、襲いかかってきたアンドロイドたちを、文字通り「解体」していく。それは、戦闘というよりは、精密な外科手術に近かった。


だが、彼は数体を倒したところで、わざと動きを止め、火花を散らして膝をついた。40年の眠りから覚めたばかりで、まだシステムが不安定だという「演技」だった。


闘技場は、完全な沈黙に支配されていた。

その沈黙を破って、一人の男が、観客席の闇の中から姿を現した。

「…素晴らしい」

男の瞳は、アシルの姿に釘付けになっていた。

「その機体、ぜひ我が主にご覧に入れたい。…ご足労願えるかな?」


男の服には、『鉄の皇帝』の紋章が刻まれていた。

レナは、アシルの隣で静かに頷いた。作戦は、最終段階へと移行した。


二人は男に導かれ、闘技場の地下通路を抜けて、一台の装甲車両に乗り込んだ。車両は、城塞都市の中心にそびえ立つ、巨大な製鉄工場を改造した要塞へと向かう。

やがて、車両は巨大な城門の前で停止した。高さ50メートルはあろうかという、錆びついた鉄の門。その表面には、無数の戦闘アンドロイドの残骸が、まるで戦利品のように溶接されている。


ギィィィ…という、地獄の底から響くような軋みを立てて、巨大な門が、ゆっくりと内側へと開かれていく。

門の向こう側は、薄暗い闇に包まれ、何も見えない。ただ、溶鉱炉から漏れ出る熱風と、無数の機械が立てる不協和音だけが、二人を出迎えていた。

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