選ぶ時のマナー
私の日常を書きました。
私は結構優柔不断だ。食べ物や服、化粧品など、何にしても決断が下せない。とはいえ、五つ選択肢があったら五つのすべてに迷うというわけではなく、二択まで絞って、そこから選ぶのが難しいといった感じである。なんなら、絞り込むのは他の人より早いくらいで、肝心な最後の決定ができないだけなのだ。
ではこういう時、私はどうやって決めているのかというと、「どちらにしようかな」で決めている。そう、あの「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり」でお馴染みの数え歌である。あの神様だ。私が悩みに悩んで出した答えよりも、きっと神様の選んだ方のが良い選択だろう。
と、言いたいのだが、私は、神様が選択してくれた方ではない方を最終的に選択している。これを聞いたあなたは「なんて失礼なんだ。」と思うに違いない。わざわざ選んでもらっておいて、取るのは神様の方ではないのかと。しかし、考えてみてほしい。なにかを選択したときに、「ああ、あっちのほうが良かったかも。」なんて後悔したことはないだろうか。私はある。もし、あなたが神様と同じ立場で、二択を迫られたとしたらどうする。とても緊張するだろう。沢山の選択肢の中から選ばれた、いわば選りすぐりの二つ。この二つから選ぶという、重大な決断を下さなければならないこの状況で、ミスは許されない。おまけに「神様なら。」というプレッシャー付きだ。こうして、決死の判断で選んだ選択が、「こっちじゃないほうが良かったかも。」なんて言われたら、ショックで立ち直れないだろう。優柔不断な私だからこそ、選ぶ大変さも、自分の選択が間違っていた時のショックも痛いほどわかる。だから神様が選んでないほうを選ぶ。そうして、じゃない方を選んで後悔する私を見た神様はきっとホッとするだろう。私の体裁は保たれたと。私に信仰している宗教はない。しかし、選択という、本来自分でやるべき重大な局面を神様にやってもらっているのだ。ある程度の敬意というものは必要じゃないだろうか。だから私は、何かを選択するときのお作法として、神様の選ばなかった方を選ぶようにしているのだ。
勿論、じゃない方を選んでうまくいく日もある。しかし、それは失敗をしなかったというだけで、もしかしたら神様が選んだ方のがより優れている可能性もないとは言い切れない。それこそ、「神のみぞ知る」である。