表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

選ぶ時のマナー

作者: ニッチ蟹

私の日常を書きました。

 私は結構優柔不断だ。食べ物や服、化粧品など、何にしても決断が下せない。とはいえ、五つ選択肢があったら五つのすべてに迷うというわけではなく、二択まで絞って、そこから選ぶのが難しいといった感じである。なんなら、絞り込むのは他の人より早いくらいで、肝心な最後の決定ができないだけなのだ。

 ではこういう時、私はどうやって決めているのかというと、「どちらにしようかな」で決めている。そう、あの「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり」でお馴染みの数え歌である。あの神様だ。私が悩みに悩んで出した答えよりも、きっと神様の選んだ方のが良い選択だろう。

 と、言いたいのだが、私は、神様が選択してくれた方ではない方を最終的に選択している。これを聞いたあなたは「なんて失礼なんだ。」と思うに違いない。わざわざ選んでもらっておいて、取るのは神様の方ではないのかと。しかし、考えてみてほしい。なにかを選択したときに、「ああ、あっちのほうが良かったかも。」なんて後悔したことはないだろうか。私はある。もし、あなたが神様と同じ立場で、二択を迫られたとしたらどうする。とても緊張するだろう。沢山の選択肢の中から選ばれた、いわば選りすぐりの二つ。この二つから選ぶという、重大な決断を下さなければならないこの状況で、ミスは許されない。おまけに「神様なら。」というプレッシャー付きだ。こうして、決死の判断で選んだ選択が、「こっちじゃないほうが良かったかも。」なんて言われたら、ショックで立ち直れないだろう。優柔不断な私だからこそ、選ぶ大変さも、自分の選択が間違っていた時のショックも痛いほどわかる。だから神様が選んでないほうを選ぶ。そうして、じゃない方を選んで後悔する私を見た神様はきっとホッとするだろう。私の体裁は保たれたと。私に信仰している宗教はない。しかし、選択という、本来自分でやるべき重大な局面を神様にやってもらっているのだ。ある程度の敬意というものは必要じゃないだろうか。だから私は、何かを選択するときのお作法として、神様の選ばなかった方を選ぶようにしているのだ。

 勿論、じゃない方を選んでうまくいく日もある。しかし、それは失敗をしなかったというだけで、もしかしたら神様が選んだ方のがより優れている可能性もないとは言い切れない。それこそ、「神のみぞ知る」である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
そんな理由で神様に逆らうなんて!! めっちゃほのぼのやないかーい!!笑 優しいニッチサマ。 神様も蟹蟹してると思います。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ