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アニムス・プロトコル  作者: 雨音環
Chapter1. 目覚め
5/28

05. ネメシス

 広場を支配していた絶対的な静寂の中、音もなく一台の黒い車両が俺たちの前に滑り込んできた。天秤の紋章が、濡れたアスファルトに鈍い光を反射している。ドアが開き、中から現れたのは、感情の読めない能面のような顔をした職員たちだった。


「こちらへ」

 その声に、抗う術も、意志もなかった。俺とノアは、まるで巨大なクジラに飲み込まれる小魚のように、その黒い車体の中へと促される。

 車内は、外の喧騒が嘘のような完全な無音空間だった。窓の外を、雨に濡れた都市のネオンが、意味のない光の帯となって後方へと流れていく。隣に座るノアは、固く唇を結び、一点を見つめている。俺は、彼女に何か言葉をかけようとして、結局、無力に口を閉ざした。どんな慰めも、この状況では空々しい嘘にしか聞こえないだろう。


 やがて車両は、旧時代の司法府を思わせる、荘厳で、冷え冷えとした巨大な建造物の前で停止した。ネメシス社本部。その威容は、グレイシアのどの企業よりも、静かな、だが底知れない権威を放っていた。


 大理石の床に、俺たちの足音だけが虚しく響く。高い天井、並ぶ円柱、そして、すれ違う職員たちの無感動な視線。全てが、個人の感情というものを拒絶していた。

 ホールの中心で、俺とノアは別々の職員に引き渡された。

「レイ…!」

 不安げに俺の名を呼ぶノアの声。

「心配するな。また会える」

 何の根拠もない言葉を、俺は絞り出すのが精一杯だった。彼女は、何かを言いかけたが、そのまま別の廊下へと連れて行かれる。その小さな背中が闇に消えるまで、俺はただ、見送ることしかできなかった。


 俺が通されたのは、壁も、床も、天井も、全てが真っ白な立方体の部屋だった。部屋の中央に、黒い椅子が一つ。それ以外には、何もない。

 やがて、音もなく壁の一部がスライドし、監査官シビラと名乗る女性が入ってきた。


「さて、始めましょうか、対象レイ」

 彼女は、俺の正面に立つと、その感情のない瞳で、俺というエラーのサンプルを観察するように言った。

「あなたは、いつから世界の“ノイズ”を認識していましたか? あのノアという個体とは、以前からの接触が? あなたのコールドスリープ前の記録ログには、何一つ異常は見られない。この深刻な逸脱ディバージェンスは、どこから来たものですか?」


 立て続けの質問に、俺はうまく答えられなかった。自分の記憶すら信じられない今、何が真実なのか、俺自身にも分からない。

「……後遺症だ。コールドスリープの…」

「その回答は、あなたの初期診断ですでに棄却されています」

 シビラは、俺の言葉をばっさりと切り捨てた。

「勘違いしないでください。我々は、あなたを助けるためにここにいるのではありません。我々の目的は、システムの調和を乱すバグの特定と、その修正。あなたは、そのための貴重なサンプルにすぎない」


 彼女の言葉が、この組織の本質を物語っていた。俺は、人間としてではなく、解析すべきデータとして扱われているのだ。


 シビラは、手元の端末を数秒間見つめた後、結論を下した。

「尋問は無意味と判断します。あなたの思考パターンそのものに、深刻なエラーが潜在している。原因を探るより、直接修正する方が合理的です」


「待て…」

「これより、あなたには、社会への再同期を目的とした『更生プログラム』を受けていただきます」


 俺は、椅子から立ち上がろうとした。だが、シビラの次の言葉が、見えない鎖となって俺の身体を縛り付けた。


「あなたの協力姿勢は、もう一人の対象、ノアの処遇にも影響することを、お忘れなく」


 ノアが、人質。

 俺は、奥歯を強く噛み締めた。拳を握りしめ、無力な怒りに震える。

 シビラは、そんな俺の様子を満足げに一瞥すると、部屋の出口へと向かった。

「最初の教程は『歴史』です。あなたの認識の基盤となっている、その歪んだ過去から、正していきましょう」


 壁が再びスライドし、隣の部屋が現れる。そこには、忌まわしいリクライニングチェアが、まるで俺を待っていたかのように、静かに鎮座していた。

「さあ、こちらへ。授業の時間ですよ」

 その声は、悪夢への招待状のように、静まり返った白い部屋に響き渡った。

2025/5/9修正 ep5とep6が逆になっていました

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