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アニムス・プロトコル  作者: 雨音環
Chapter1. 目覚め
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04. 『非』同期者

 裏路地の闇を抜け、俺たちが転がり込んだのは、下層区画の雑多なマーケットだった。

 色褪せたネオンの看板、様々な言語が入り乱れるホログラム広告、そして、スパイスと機械油と雨が混じり合った、独特の匂い。一瞬、追手を振り切れたかと錯覚するほどの喧騒が、俺たちを包んだ。

 だが、その幻想はすぐに打ち砕かれる。


「ガシャアン!」


 俺たちが駆け抜けたばかりの屋台が、背後で金属の悲鳴を上げて吹き飛んだ。アレス社の警備ロボットだ。蜘蛛のように壁を駆け上がり、障害物をものともせずに、最短距離で俺たちとの距離を詰めてくる。その赤いモノアイは、獲物だけを捉え、他の全てを破壊し、蹂躙することに何の躊躇もない。


「こっちだ、急げ!」

 ノアの手を引き、人混みを縫うように走る。都市そのものが、俺たちを拒絶しているかのようだった。行く手、行く手に、まるで意思があるかのように人々が壁を作り、俺たちの足を鈍らせる。


 このままではジリ貧だ。俺は、一か八かの賭けに出ることにした。

「プラザに出る!」

 マーケットを抜け、下層区画で最も開けた場所、セントラルプラザへ。隠れる場所のないそこは、自殺行為にも等しい。だが、ここを突破できれば、上層へと繋がるヘルメス・ゲートのステーションがあるはずだった。


 プラザに飛び出した、その瞬間。

 世界中の視線が、俺たちに突き刺さった。


 周囲を取り囲む超高層ビルの壁面。空を遊弋する広告ドローン。道端の清掃ロボットの小さなディスプレイ。この広場に存在する、ありとあらゆるスクリーンが、一斉に、俺とノアの顔写真を大写しにした。

 そして、その上に、血のように赤い巨大なゴシック体が表示される。


『警告:非同期者(アシンク)を捕捉。周辺の市民は速やかに離隔せよ』


 ヘルメス社の追跡網が、俺たちを社会的な「異物」として確定させたのだ。

 広場にいた市民たちが、俺たちを一瞥する。その目に、恐怖や同情の色はない。彼らは、まるで迷惑な害虫でも見るかのように顔をしかめ、静かに距離を取るだけ。何人かは、手元の端末で俺たちの写真を撮り始めた。ヘラ社に通報すれば、僅かだが市民スコアが加算されるからだ。

 俺たちは、彼らにとっては災害か、あるいは珍しい虫か何かだ。誰も、俺たちを“人間”として見ていない。


 プラザの四方八方から、アレス社の増援部隊が現れ、完璧な包囲網が完成する。無数のレーザーサイトが、雨粒を赤く染めながら、俺とノアの身体を捉えた。

『降伏せよ、非同期者。抵抗は、システムの混乱を招くだけの無意味な行為である』

 拡声器から響く、感情のない最後通告。

 俺はノアを背後にかばい、固く拳を握りしめた。これが、終わりか。


 発砲命令が下される寸前の、張り詰めた静寂。

 全ての音が消えた世界で、雨音だけがやけに大きく聞こえた。


 その静寂を破ったのは、銃声ではなかった。

 周囲のビジョンに映し出されていた俺たちの顔と警告文が、一斉に、ノイズもなく、静かな天秤の紋章へと切り替わったのだ。

 それと、同時だった。

 俺たちを包囲していたアレス社のロボットたちの赤いモノアイが、一斉にその光を失い、システムを強制的に上書きされたことを示す、冷たい青い光へと変わった。全てのロボットが、命令系統を断たれたブリキの兵隊のように、その場で動きを止める。


 どこからともなく、抑揚のない合成音声が、広場全体に静かに、だが絶対的な力を持って響き渡った。


「アレス社に通達。対象追跡における規定外の武力行使を確認。これは都市協定、第七条項に抵触する」


 その声は、まるで世界のルールそのものが語りかけているかのように、一切の感情を排していた。


「よって、独立監査規定に基づき、当該事案の証拠物件として、対象2名の身柄を我々ネメシスが保全する。全部隊は、武装を解除し、速やかに撤退せよ」

 その一方的な宣告に、アレス社のロボットたちはプログラムに逆らうことなどありえないというように、機械的に踵を返すと、一糸乱れぬ動きで撤退していった。まるで、上位存在の命令に怯えるように。


 あっという間に、広場には静寂が戻った。巨大なビジョンに映し出された、静かな天秤の紋章だけが、雨の中で俺たちを見下ろしている。


 助かった……のだろうか。


 いや、違う。

 胸に込み上げてきたのは、安堵などではなかった。

 これは救済などではない。ただ、一つの檻から、別の、もっと得体の知れない檻へと、移されただけだ。

 その確信だけが、冷たい雨と共に、俺の心を支配していた。

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