表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アニムス・プロトコル  作者: 雨音環
Chapter1. 目覚め
2/28

02. 違和感

 居住区画B-7の無機質な廊下を抜け、ヘルメス・ゲートのステーションへと向かう。道中、何人かの住民とすれ違ったが、誰も互いに視線を合わせようとはしない。挨拶も、会釈もない。ここでは、他者への無関心が、自らの平穏を守るための最適解だった。


 ステーションでは、人々が白いラインに沿って整然と列をなし、次々とゲートに吸い込まれていく。いわゆるテレポート技術だが、量子分解の瞬間、身体が光の粒子に変わるあの感覚を嫌う者は多い。列に並ぶ人々の顔にも、僅かな緊張と不快感が滲んでいた。

 だが、俺にはその感覚がよく分からなかった。ゲートを通過する時、俺の身体はまるで、最初からそうなることを知っていたかのように、何の抵抗もなく分解され、再結合される。

 俺の身体は、どうやらこの世界の乗り物に、妙に馴染みすぎているらしい。


 ゲートが俺を吐き出した先は、下層の工業区画。上層を彩るアポロン社の華やかなAR広告は少なく、代わりにヘパイストス社の無骨なロゴを掲げた工場や、アレス社の治安ドローンが飛び交う、機能的だが殺伐とした風景が広がっていた。


 通りを行く人々の姿も、上層とは少し違う。誰も彼もが、ほとんど同じデザインの装置を装着している。ヘパイストス社製の、最もコスト効率の良い標準モデルだ。「個性は非効率の極み」だと、かの偉大なAI様は仰ったらしい。おかげで、この街は没個性的なマネキンのような人間で溢れかえっている。


 公共ベンチに、一組のカップルが座っていた。完璧なアルゴリズムによって結ばれた、アフロディーテ社お墨付きのパートナー同士だろう。

「愛しているわ、あなた」

「ああ、私もだ。こうしていられることが嬉しいよ」

 その会話に、感情の温度は少しも感じ取れなかった。俺は人間ではなく、二体のチャットボットが会話しているかのような寒々しさを覚えた。


 ふと見上げた巨大な広告塔には、昨夜行われたVRコンバットゲーム「アリーナ」の試合結果が、派手なエフェクトと共に映し出されていた。絶叫する観衆、爆発するエネミー。監視を務めるアレス社が提供する、大規模な娯楽だ。その横には、ヘラ社が管理する市民スコアの週間ランキングが、冷徹なゴシック体で表示されている。この世界の「パンとサーカス」は、今日も正常に機能していた。

 俺のCマイナスというスコアが、あのランキングの遥か下、圏外にいることを思い出し、自嘲の笑みが漏れた。


 情報管理局の、くすんだ灰色のビルが見えてくる。俺が毎日、世界の「ゴミ」を掃除している職場だ。

 ビルを見上げた、その瞬間だった。


 ズズッ……!


 壁面に投影されていた、アポロン社所属の人気アイドルの完璧な笑顔が、一瞬だけ、テレビの砂嵐のように激しく乱れた。

 ノイズが消えた後、アイドルの顔は元に戻っていた。いや、違う。ほんのコンマ一秒、その笑顔は、まるで泣いているかのように、悲痛に歪んで見えた。


「……またか」


 俺は目をこすった。あの忌々しいコールドスリープの後遺症か、たまにARで補正された視界にバグが起きるらしい。

 きっと気のせいだろう。俺は小さく首を振ると、思考を振り払うように管理局のゲートをくぐった。


 さあ、今日もゴミ掃除の時間だ。

 この世界の完璧さを維持するために、システムが吐き出した無数のエラーを、ただひたすら消し続ける。

 それが、最底辺の俺に与えられた仕事だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ