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ぐるぐると、ぐるぐると、
色んなことが頭の中を駆け巡っていた。
感情が複雑に絡まり合って、
怒りと悲しみと、情けなさと、愛しさと……
どれを優先していいのか分からなくなって、
思考が、ぷつんと止まった。
ああ、これが――
「思考回路が停止する」ってやつなんだ。
気づけば、私は颯先輩の家にいた。
びしょ濡れのまま脱衣所で立ち尽くしていた。
現実感がなかった。
でも、少しずつ冷静さが戻るにつれて、
体の芯から冷えていることに気づいた。
寒くて、痛くて、温もりが欲しくて。
無意識にシャワーを浴びていた。
お風呂を出ると、バスタオルのそばに
きれいに畳まれた颯先輩の服が置かれていた。
その服に袖を通した瞬間、
肌に触れる生地のぬくもりより先に、
ふわっと、颯先輩の匂いがした。
途端に、涙がまたにじみそうになった。
優しさに触れるたび、自分の弱さが浮き彫りになる。
リビングに向かうと、
眉を八の字にして笑う颯先輩と――
なぜかそこに、西園寺先輩がいた。
「……え、なんで西園寺先輩いるんですか?」
「呼ばれた」
「ううん。呼んでない。勝手に来た」
「……来なくていいのに」
「は?!“ありがとうございます”だろ!」
「喧嘩しなーい」
そのやりとりを聞いて、思わず笑いそうになった。
なんか、安心した。
西園寺先輩がそこにいるだけで、
沸騰してた感情が、いつもの自分に戻っていく気がした。
「コーヒー飲む?」
「コイツ、飲めないよ」
「牛乳とお砂糖入れたら飲める?」
「……はい」
お砂糖、って“お”つけるんだ。
なんか……やさしい人だな、この人。
2人の優しさと、温かいコーヒーの香りに、
さっきまで凍えていた心がじんわり溶けていく。
「黒瀬と、なんかあった?」
「陽〜、唐突〜」
「眠いんだよ」
「じゃあ、家で寝てたらいいのに」
「お前が呼んだんだろ」
「え?ねえ、これ呼んだって思う?」
「な!お前見せんな!!」
颯先輩が私にスマホの画面を見せようとするのを、
西園寺先輩が全力で阻止する。
もう、何この2人。
傷心してる後輩の前でコントでも始める気?
でも……
その“いつも通り”が、ありがたかった。
私が闇に落ちないように。
そうしてくれてるんだと思う。多分だけど。
「……男の人って、好きな人に似た人を、抱くんですか?」
静寂が落ちた。
さっきまで笑っていた時間が、音を立てて割れた。
まるで氷の上にヒビが入るみたいに、
パキンと日常に亀裂が走った。
西園寺先輩も、颯先輩も、動きを止めた。
「……え?」
「紗夜に似た人、抱きます?」
「いや? 本人抱く。え? これ合ってる?」
颯先輩が首を傾げて笑う。
西園寺先輩の答えは合っているのに
颯先輩が首を傾げるから西園寺先輩がプチパニックになってる。
「黒瀬くんの味方をするわけじゃないけど、
その気持ち、分からないことはないかな〜」
「……え?」
「好きな女、抱きたくても抱けないときってさ。
つい、似た人に手を出しちゃうっていうか……
なんとなく、そっちに流れる男、いると思うよ」
「……体験談ですか?」
「ん? ただの想像」
「体験談だろ」
バシッ!
颯先輩の手が、西園寺先輩の頭を思いっきり叩いた。
かわいそう。いや、自業自得か。
哀しみと怒りと優しさが、心の中でぐちゃぐちゃになって。
それでも、私は少しずつ、自分を取り戻していく気がした。




