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キミ想ウ花束  作者: 桜美 咲蘭
欲望、
85/107

3

注文したときは、すごく美味しそうに見えたカルボナーラ。

濃厚でクリーミーな香りが漂って、空腹だったはずの私の心をくすぐった。


……のに。


「あ、白川さん! おひとりですか?」


その声とともに、反射的に背筋が凍った。

笑顔を浮かべながら、何の躊躇もなく私の向かいに座る七瀬さん。

その瞬間、食欲なんて一瞬で消え去った。


黒瀬くんに「大嫌い」と言ってしまった、あの日。

それ以来、七瀬さんとこうして対面するのは初めてだった。


冷や汗が、じわりと背中をつたう。

彼女は可愛らしい笑顔の奥に、

私の持っていない「攻め」の武器を持っている。


そして、それ以上に恐ろしいのは――

嘘を、真実に変えてしまう力があること。


「一緒にいいですか?」

「……あ、え、はい……」


断りたかった。

でも、どう断ればいいかわからなかった。

下手に拒めば、何を言われるか、

何を広められるか――そんな不安ばかりが頭を支配する。


「暑いですよね〜」「カルボナーラ、美味しそうですね!」


当たり障りのない世間話。

私は必死に相槌を打つけれど、心ここにあらず。

フォークを持つ手が震えて、麺がまったく減らない。


早く、この空間から逃げ出したい――

でも、彼女の存在が私をテーブルに縛りつけていた。


「白川さんって、湊先輩の同期なんですよね?」

「……うん」

「あと、湊先輩のこと、好きですよね?」


――っ。


一瞬で空気が変わった。

まるで甘い声に包まれた毒針。

七瀬さんの目が、ほんの少しだけ細くなったのを見逃さなかった。


小動物系なんて言われてるけど、それはきっと、表の顔。

2人きりになるときにだけ見せる“本性”が、そこにはあった。


「知ってます? 湊先輩、好きな人がいるんですよ」


言葉が、胸の奥に重たくのしかかる。


「……その好きな人、私、知ってて」


ドクン、と心臓が不規則に跳ねた。

何を知ってるの? 黒瀬くんは、何を言ったの?

次に何が来るのか分からなくて、体がこわばる。


「白川さん」


間を置いたその名前が、余計に不安をあおる。


「――に、そっくりな人なんですよね」


視界がふっと暗くなる。

“そっくり”――その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


「名前も一緒で。深いに、青で、“深青みお”さん」


……えっと。あの……。


混乱した言葉を口にする前に、彼女は畳みかけるように話し続けた。


「湊先輩って、優しいから。勘違いされやすい人だなぁって思って」

「……」

「その深青さんと、湊先輩。大学のときに知り合って、付き合ってたみたいですよ?」


――ガン。


まるで、鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。


言葉が、理解できない。

意味を追いかける前に、どんどん心の中に侵食してくる。


「でも、仕事が忙しくなって、自然消滅したみたいで。結婚も視野に入れてたとか。でも、どうしても忘れられない人らしくて」


……忘れられない人?


「湊先輩が白川さんと、つい絡みたくなるのも……なんか、納得っていうか」


それでも、七瀬さんはにこりと微笑んだ。

無垢な顔をして、冷酷な刃物のような言葉を投げつけてくる。



「……黒瀬くんに、聞いてみようかな……?」


ようやく声を振り絞ったけれど、口から出たのは自分でも意味が分からない返しだった。


「聞いてどうするんですか?」


すぐに返ってきたその言葉は、まるで冷水を浴びせられたようだった。


「……え?」

「同じことを、湊先輩から言われたら――耐えられますか?」

「……いや、でも……」

「近くにいる“私”だから聞けた話で。白川さんが深く傷つかないようにと思って、教えてあげたんですけど」

「……」

「私は、湊先輩が“本当に”好きな人とお付き合いしてほしいだけなので。そのお手伝いができれば、と思って」


そして最後に、鋭く、確実に突き刺す一言。


「先輩が“誰かの代わり”でもいいなら……止めませんけど」


笑顔はすっと消えて、彼女は立ち上がった。

「では」と一言だけ残して、去っていく。


私は、そこに取り残された。


“似てる人”“好きな人”“忘れられない人”

どれが嘘で、どれが本当?

全部が嘘?それとも、全部が真実?


……見抜く自信も、立ち向かう勇気も、私にはなかった。


ただ、突きつけられた言葉のすべてを――

逃げ場もなく、受け止めるしかない自分が。


悔しくて、情けなくて、どうしようもなく惨めだった。

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