11
トイレから戻ると、そこには黒瀬くんしかいなかった。
「……あれ? 西園寺先輩と紗夜は?」
屋台の光に照らされたその顔は、普段通りのクールさ。
「さあ?」
そっけない返事。
しばらくの沈黙が落ちて、浴衣の下の背中にじわりと汗が滲んだ。
夜風は涼しいはずなのに、なぜか変な汗が止まらない。
「……2人になりたいから気を遣えって、怒られた」
「え?」
「西園寺先輩ばっか相手しないで、俺も相手してよ」
その声のトーンに驚く間もなく、
黒瀬くんの手が私の手をとった。
指先からじんわりと熱が広がっていく。
そのまま、繋いだ手を離さずに歩き出した。
「ちょ、ちょっと……手……」
「白川のことだから、どうせはぐれるでしょ」
人の波の中、手を繋いでいるのはたしかに安心だけど、
心臓がうるさくて、それどころじゃない。
「どうせつまんないことで怒ってんだろ?
もう、怒るの終わり。……せっかく可愛い格好してんだから」
早口で、けれどちゃんと聞こえる声で、黒瀬くんが言った。
視線は前のまま、私の顔は見ない。
……ちょっと怒ってる?
でも、それよりも今のひと言が頭から離れない。
可愛い格好って、今……言った?
いつも通りに聞き流せばいいのに、
素直に嬉しくて、口元が緩みそうになる。
「……黒瀬くん」
「ん?」
「……ちょっと、歩くの早い」
人混みに揉まれて、肩が何度も誰かにぶつかる。
私の言葉に黒瀬くんがやっとこっちを見て、
困ったような顔をして、小さく「ごめん」と言った。
その瞬間から、引っ張られていた歩幅が変わった。
私にちゃんと合わせてくれる。
「大丈夫? 疲れてない?」
その言葉に、思わず胸がふるえた。
そんなときだった。
「あ……」
視線の先、軒先に並んだ出店。
カラフルな小物が並んでいて、無意識に足を止めた。
手を離そうとした瞬間、黒瀬くんがぎゅっと握り返す。
「ん?」
「……可愛いのがあって」
「どれ?」
「……あ、花火、間に合うかな」
「いいよ。気にしなくて」
そのひと言が、どうしようもなく優しかった。
「……ありがとう」
お祭りの魔法だって、わかってる。
似たようなアクセサリーは、街中で半額くらいで買える。
でも、ここで見つけたというだけで、
なぜだか特別に見えるのが、夏の夜の不思議。
「……やっぱり、いいや。行こう!」
私がそう言うと、黒瀬くんが少しだけ表情を動かした。
「白川」
「ん?」
「ちょっと買い物していい?」
「あ、うん」
「ちょっと待ってて」
手が離れて、黒瀬くんがひとりで店に向かう。
離れた手が、少しだけ寂しかった。
黒瀬くんは迷いなく何かを手に取って、会計を済ませて戻ってきた。
「西園寺先輩にあげようかなって思って」
「……あ、先輩に?」
「今日のお礼。頑張ってたし」
「……喜んでくれるといいね!」
アクセサリーの袋を見つめながら、
胸の中にじわっと何かが広がる。
私のために、気を遣って言ってくれたのかもしれない。
そう思ったら、「嫌い」なんて言ったこと、今すぐ消したくなった。
そしてまた繋がれる手。
さっきより少し、自然な手の温度。
人混みを抜けて、少し開けた場所にたどり着くと――
黒瀬くんが、無言で上着を脱いだ。
「ここ、座って」
「えっ、いいよ! そんなの申し訳ないし……!」
「いいから」
少し強引に腰を下ろさせられる。
そして、隣に腰を下ろす黒瀬くん。
肩と肩が、ぎりぎり触れそうな距離。
周囲の喧騒が遠くなる。
空気が一瞬、凪いだ。
やがて――
ドンッ。
夜空に、最初の花火が打ち上がった。
ぱあっと弾ける音と、光の花。
その一瞬、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
隣にいるのは黒瀬くんで、
手を繋いでるのも黒瀬くんで――
それが、嬉しくて、
少しだけ、怖かった。




