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ついさっきまで――
黒瀬くんと、まるで夢みたいな時間を過ごしていた。
優しくて、甘くて、近くて。
ちょっと触れたら壊れてしまいそうな、奇跡みたいな時間。
なのに。
私が変に拗ねたせいで、あの天国の時間はあっさり終了。
「嫌い」なんて、冗談でも言うんじゃなかった。
言った瞬間に、空気がぱたりと静かになった。
家を出て、駅へ向かう道。
並んで歩いているのに、どちらも無言。
電車に乗っても、話さない。
近くにいるのに、心だけ少し遠くに感じる。
――しん、としてる。
信じられないくらい会話がない。
…私が悪いの?
いや、違う。
たぶん、いや絶対に、黒瀬くんが悪い。
私が怒ってるって気づいてるのに、全然慌てない。
むしろ、あの人――どこか楽しそうにしてた。
悔しくて、情けなくて、苦しい。
駅に着くにつれて、浴衣を着た女の子たちが増えていく。
色とりどりの帯、しゃらんと揺れる髪飾り、白い素肌。
みんな、まるで夏の主役みたいに、キラキラしてた。
本当は私だって、着たかった。
浴衣。可愛くして、黒瀬くんに見てもらいたかった。
でも、花火大会に一緒に行けるってわかった時、
それだけで嬉しくて、他の望みなんて口にしなかった。
それ以上を求めるのは贅沢すぎる。
そんなことしたら、神様に怒られそうで。
だけど、今は――
神様、ちょっとくらいわがまま言っても許してよ。
そんなことを考えてるうちに、
駅に着く頃には集合時間ギリギリになってた。
改札を抜けると、目に飛び込んできたのは――
西園寺先輩と、紗夜の姿。
思わず、黒瀬くんの存在を忘れてダッシュした。
「わ!きた!」
「せんぱーいっ!」
「誘ったやつが遅刻かよ!」
「遅刻してないです! ギリセーフです!」
そのテンポ、声の調子、全部が懐かしくて心地いい。
――先輩。
なんだろう、落ち着く。
甘いものを食べ過ぎたあとに、
しょっぱいポテトが食べたくなるみたいな。
「……初めて西園寺先輩に会いたいって思いました」
「は? 何言ってんの?」
眉間にしわ寄せて、全力で引いてる西園寺先輩が、
なんだか妙に愛しかった。
「2人、同時タイミング? 同じ電車だったの?」
「一緒に来た」
黒瀬くんが平然と言って、
その言葉に紗夜がふしぎそうに首をかしげた。
「……西園寺先輩。行きましょう」
「は? お前、黒瀬と――」
「先輩! わたし今、黒瀬くん嫌いなので!」
声が少し震えたのは、気のせいじゃない。
先輩の腕を掴んで、強引に歩き出す。
「掴むな!」って文句を言ってる先輩の声も無視して。
今日は決めたの。
黒瀬くん大好きを、封印するって。
代わりに、先輩のお守り係になる。
騒いで、笑って、はしゃいで――
本当はそうでもしないと、泣いてしまいそうだったから。
馬鹿みたいに笑ってないと、
心の中がぽろぽろ、音を立てて崩れそうだったから。




