7
これ以上――
黒瀬くんとこの部屋にいたら。
もう、私はダメかもしれない。
心拍数はずっと上がりっぱなしで、
呼吸も浅くなるばかり。
頬は熱くて、何を見ても彼しか視界に入らない。
このままだと、本当に溶けてしまいそうだ。
危険を察知して、私は勢いよく立ち上がった。
「……も、もう家出る!」
「早くね?」
黒瀬くんが目を瞬かせる。
いつも通りの、少し気の抜けた低音。
「早くない! 今出たらちょうどいいくらいだもん!」
強引にそう言い切ると、彼は眉をひそめながらも、
諦めたように立ち上がった。
靴を探す音、バッグを肩にかける仕草、
そんな慌ただしい準備の最中――
ふいに、彼の足が止まる。
「……ひまわり」
ぽつりと、つぶやくように言った黒瀬くんの視線が、部屋の壁際に向く。
「え?」
思わず振り返った私の目に映ったのは、
あの日、彼にもらった向日葵のドライフラワー。
大人になった今、黒瀬くんとの思い出には
ひまわりがどこかに添えられていて
でも――じわじわと湧いてきた疑問が、喉元までせり上がる。
「……あの、ちょっと疑問があって」
「なに?」
「その……私が向日葵好きって、なんで知ってるんだろうって」
黒瀬くんは、ごく自然に答えた。
「言ってたじゃん」
「……え? いつ?」
その瞬間、頭の中が真っ白になる。
彼と交わした言葉は、どれもちゃんと覚えてるつもり。
全部、宝物みたいに心の引き出しにしまってる。
でも――どうしても思い出せない。
そんな会話、したっけ……?
胸の奥に、ちくりと刺すような違和感。
「……他の人と間違えてない?」
その言葉が口をついて出たとき、
自分でも驚くくらい、声が尖っていた。
嫉妬。
……きっと、そう。
黒瀬くんが誰か他の女の子との会話を、
私とのものと勘違いしていたらって思ったら。
喉が苦しくなる。
そんな私に、彼はふっと笑ったような声で返す。
「なんか白川って、俺のことどうしても遊び人にしたがるよな」
「……だって。向日葵好きって……黒瀬くんに言うようなタイプじゃないし、私……」
素直になれない私。
伝えるべきだった言葉も、過去の想いも、ぜんぶ胸の奥に閉じ込めたままだった。
「……え? 怒ってる?」
「怒ってる! もうなんかちょっと黒瀬くんのこと嫌い!」
本当は――
好き、なのに。
好きで、好きで仕方ないのに。
勢いに任せたその一言が、取り返しのつかないように空気に溶けていく。
「……嫌われた」
なのに、黒瀬くんは笑ってる。
なんで――そんな顔、するの?
“嫌い”って言ったのに。
そんなの、冗談じゃ済まされないかもしれないのに。
「早く行くよ! 出る準備!!」
「はいはい」
なんでもないように返すその声が、
ちょっと悔しいくらい、平然としている。
私はずっと振り回されてばっかりなのに。
どうして黒瀬くんは、こんなに余裕なの。
一度でいい。
私も、彼の心を揺らしてみたい。
ギャフン、って言わせてみたい。
……でも、今の私は全然足りてない。
私の大事な思い出が、
もし他の誰かとの会話だったとしたら。
そんなの……悲しすぎるよ。




