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「な、な、な……」
「ごめんね♡」
ようやく脳が情報処理を終えた頃には、もうパニックだった。
現実の受け入れが間に合ってない。
「会って間もない人とキスするのが趣味なんですか!?」
「どういう趣味?」
「こっちが聞きたいです!!」
こっちは本気で怒ってるのに、
どこ吹く風で「まあまあ落ち着いて」となだめてくる。
その空気が妙に冷静で、私が悪者みたいに思えてくるのが、余計に腹立たしい。
「ちょっと作戦会議しようよ」
「しません!」
「いいから」
気づけば、公園のベンチに座らされていた。
朝比奈先輩は、悪びれる気配もなく軽いトーンで「ごめんね」と呟く。
謝罪って、その軽さで成立するんですか。
「……あの女の子、強敵だね」
「……」
「澪ちゃんの中で、こう……ドロドロした感情が見えそうだったから」
「だからって」
「可愛い顔が、台無しだったよ」
「可愛くないです」
「可愛いよ」
「……かわいい。」
真正面から、真っすぐに。
冗談かと思っても笑ってないその顔に、鼓動が跳ねた。
まるで、朝比奈先輩が張った蜘蛛の巣に、自分から引っかかりに行った気分になる。
「嫉妬とかさ。そういう感情でぐるぐるして、
“嫌な女”になるくらいならさ。
俺への怒りに変換して、“可愛い子”でいようよ」
ああ、もうほんとに甘い。
その場しのぎのくせに、心の奥まで響いてくる。
「俺が澪ちゃんって呼んだら、黒瀬くんはどう思うかな?」
「……どうって」
「澪ちゃんが俺のこと“颯先輩”って呼んだら、黒瀬くんはどう思うかな?」
「……そんな、試すなんて…」
「駆け引きだよ。
ずっとぬくぬく初恋にしがみついてるだけじゃ、前に進めない。
ね?俺と契約しようよ」
「……黒瀬くんが、それであの子を選んだら……
私の初恋、終わっちゃう」
それでも。
黒瀬くんが選んだ相手なら、仕方ないって――
少し前の私は、そう思ってた。
“推しの幸せが、私の幸せ”。
本気で、そう思ってた。
でも――
(あの子には譲りたくない)
あの子のこと、何も知らない。
でも、なんか……いやだ。
そんな私の胸の奥の黒い感情を、
まるで見透かしたように、朝比奈先輩が言った。
「――俺がいるよ」
黒瀬くんという扉の隣に、
“朝比奈颯”と書かれた新しい扉が、ふわりと現れる。
「2択ある。澪ちゃんは、選べる」
そんなの。
選べるわけない。選びたくない。
初恋は、ひとつしかないのに。
「……朝比奈先輩は?」
「ん?」
「選ばれないですよ?」
「なんでだよ。早いな。もっと考えろよ、バカ」
「……暴言」
「俺は俺で頑張るの。
澪ちゃんが俺を選ぶ未来だって、ちゃんと考えてるの」
「今日はなくても、来週にはあるかもしれない。
1年後かもしれない。もっと先かもしれない」
「……颯、先輩……」
不意に名前を呼んでしまった瞬間、
朝比奈先輩の目が柔らかく細まった。
「うん。よし。契約成立」
いたずらっぽく笑って、手を差し出してくる。
「よろしくね?澪ちゃん」
その手を取った瞬間、
私の春が、もっとややこしくなる気がしてならなかった。




