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俺オリンピック

作者: 雉白書屋

「……では、この挨拶をもちまして、『俺オリンピック』の開催決定を宣言します。さあ、選手! 立って!」


「……は?」


 朝目覚めると、俺は驚愕した。いや、正確にはこいつに叩き起こされたと言うべきか。しかし、どうやって部屋に入った? いや、もはや侵入経路などどうでもいい。

 問題は目の前のこの男。白のワイシャツにズボン、黄色いネクタイ、水色のジャケットを身にまとい、頭には真っ白なシルクハットをかぶっている。そして驚くべきは、その顔は俺に瓜二つだった。


「さあ、立って! 競技はもう始まってますよ!」


「い、いや、あんた、誰なんだよ? それに、何言っているんだ……け、警察を呼ぶぞ……」


 この男の正体が俺の考えているとおりなら、警察など無意味だ。それでも、動揺を抑えるためにそう口にした。


「私は運営委員です。最初の種目は朝の身支度トライアスロン! ほら、早く! 早く! もう出遅れてますよ!」


 男の真剣な表情に押されて、俺は仕方なく洗面所へ向かった。


「さあ、まずは顔洗いから。蛇口をひねって水を……出したー!」


「うるさいな。お前、運営委員じゃなかったのかよ。なんで実況してるんだ」


 その後も男は張り付いてきた。俺が歯を磨けば「ああ、フォームが」、シャツを着替えれば「ああ! 着衣スピードが遅い!」といちいちうるさい。俺は無視して朝食と身支度を済ませた。昨夜は同僚と飲みに行って帰りが遅くなり、寝坊したせいで、時間に余裕がない。ある意味、それが救いだった。


「さあ、家を出て、ここからは通勤電車乗り込みマラソンです! 位置について、よーい……あ、ちょっとフライングですよ!」


 俺は男を置き去りにするつもりで駅へと急いだ。だが、男はぴったりとついてくる。俺が足を止めれば、「おーっと苦悶の表情!」「腹を痛めたかー!」などと実況を続けた。

 駅にたどり着いたものの、結局予定の電車に乗り遅れ、次の電車へ。車内でも男は『席取り競争』や『男子吊り輪』など、勝手に競技を設定しては開始の合図を出してきた。


「さあ、会社の最寄り駅に到着しました! 次の種目は八百メートル走です!」


「なんで八百メートル、ああ、会社までの距離か……」


 ぶん殴ってやりたい気持ちが湧いたが、それはできなかった。俺はもうわかっていた。認めたくはないが、周囲の誰もこの男を認識していない。つまり、こいつは俺の脳が生み出した幻覚だ。

 原因はなんだろう。まあ、考えてもストレスしか思い浮かばないが。

 会社に着くと、案の定男は俺についてきた。

 そして、どうやら『俺オリンピック』とは、俺一人だけが参加する競技会らしい。競技種目には、ランチタイムダッシュやメール処理スピード競争、アーティスティックプレゼンテーション、電話応対ハードル、挨拶の声量比べ、上司の呼び出し応答速さ競争、無駄話を聞き流す集中力維持競技など、日常生活が対象のようだ。

 ああ、あまりにもくだらない。だが、男は一向に消えないので、俺は仕方なく競技をこなしていった。


「……退社準備競争は部長が最速か。ふふっ」


「ん、どうした?」


「え、いや、なんでも」


「そうか、今日も飲みに行くよな? いい店があるんだ」


「……いや、それは競技種目にないらしいから行かない。打ち上げにはまだ早いしな」


「は?」


「お疲れ!」


 同僚の誘いを断り、俺は帰宅ラッシュ競争へ。電車では吊革を掴まずにバランス競技をこなした。そして、家に帰った俺は、ある結論に達した。


「……毎日の生活そのものが競技であり、俺たちはみんな選手なんだ。そして、大事なのは競うことじゃなく、やりきること。みんなが勝者。みんな偉い。生きているだけで優勝。金メダル」


 今日一日という日をやり切った俺は、妙な満足感に包まれていた。行動のひとつひとつを意識し、全力で挑むことの楽しさに気づいた。日々というのは、ただ送るだけでは駄目なのだ。参加すること、それが人生。


「なあ、そうなんだろ?」


 振り返ると、男はにっこりと笑った。


「偉くないです。残念ですが、あなたのパフォーマンスは基準を満たしていません。他の並行世界の『俺』たちと比べて、かなり劣っています。よって予選敗退です」


「……は?」


「お疲れさまでした」


 男はそう言い残し、スーッと消えた。


 まだ、オリンピックは始まってすらいなかったのだ。これは、他の俺たちとの競争であり、そして予選敗退とは、まさか俺の存在そのものが――

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