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愛を織る

作者: 彩戸ゆめ

 ナランツェが親指ほどの大きさの自分の蜘蛛を見つけて村に戻ると、そこは業火に包まれていた。


 燃え盛る炎がまるで滝を上る蛇のようにうねり、空へとむかう。


「村が……」


 ごうごうと音を立てて炎が村の全てを包みこむ。


 頬をなぶる風の熱さに我に返ったナランツェは、慌ててどこかから村に入れないかと周囲を見回す。


 だがどこもかしこも炎の渦で村の中には入れそうにない。


 それにこれだけの火事だというのに、逃げ出した村人が一人もいないというのはおかしい。


 ナランツェは咄嗟に近くの茂みに身を隠した。

 まだ十歳と小さい体であればすっかり隠れる。


 そこへ遠くから話し声がした。


「どうだ、蜘蛛はいたか?」

「いや、どこにも見つからない」


「くそっ、王妃になんて説明すればいいんだ」

「蜘蛛が手に入らないと分かればまた癇癪を起すぞ。俺たちの首だけならともかく、家族まで殺されてしまう」


「なぜ陛下はあの毒婦の言いなりになってしまわれたのか」

「おい、口を慎め。隊長に聞かれたら殺されるぞ」


「どっちにしても殺されるなら別に構うもんか」


 ガチャガチャと金属がこすれ合う重い音に混じって男たちの会話が聞こえる。


 ナランツェは見つからないように、小さな蜘蛛を抱いて息を潜めた。


「蜘蛛はいたか」


 しばらくすると、震えるほどに重厚で低い声が響いた。


 年の頃は分からない。

 若いようであり、年寄りのようでもある。


 ただ修羅場をくぐって生き抜いてきた者特有の覇気が声に乗っている。


「いえ。どこにも見当たりません」

「まさか村人を殺すと蜘蛛も死ぬとはな」


 それを聞いたナランツェの心臓が大きく跳ねる。


 ナランツェの村は、魔物の一種ではあるが臆病で力の弱い蜘蛛と心を通わせて、その身を守る代わりに綺麗な糸を紡いでもらうのを生業としていた。


 その糸から織られた布は、光の加減によって青にも赤にも見える不思議な色彩を持ち、その希少性からも一部の王侯貴族だけが手に入れられる特別な布となっている。


 だが蜘蛛は神経質で村の者以外に慣れることはなく、心を通わせた人間が死ぬと一緒に死んでしまうので、生産性は低かった。


 それでも良かったのだ。


 村人たちは蜘蛛と共存しながら機織りの音を鳴らし、のんびり暮らすのを望んでいたから。


「仕方がない。技術を独占したがった欲深な村長が、村に火をつけたとでも言っておこう。どうせ死人に口なしだ。我々は蜘蛛を探しに森に入るぞ」


 村長というのはナランツェの父親の事だ。

 では、父は殺されてしまったのか。


 あの業火の中に父が……そして母や姉たちがいる。


 ナランツェは今すぐにでも家族の安否を確かめたかった。


 あの炎の中で生きている者はいないかもしれない。


 それでももしかしたら、ひどい怪我をしていたとしても、一人くらいは生き伸びているかもしれない。


 ここで見つからないようにじっとしていれば、男たちが去った後にすぐ手当てすることができる。


 たった一人でも生きていれば――。


 ナランツェは絶望の中で、(いち)()の希望をいだいた。


 自然に震えそうになる体を必死にこらえる。


 きっとここで見つかってしまえば、ナランツェの命もあっけなく狩られてしまうだろう。


 男たちの声と足音がすっかり聞こえなくなるまで、ナランツェは手の中の小さな蜘蛛だけを心の頼りにしながら忍んだ。


 永遠にも思える時間が過ぎてから、ナランツェは辺りをうかがいながら茂みから這い出る。


 すると、そこには。

 何もかもが燃えつくされ、すっかり変わってしまった村の姿があった。









「ナラ、レース編みの調子はどう?」


 ナランツェが十歳の誕生日に、契約の蜘蛛を探しにいったあの日から六年が経った。


 幸いにも村を燃やした男たちは、蜘蛛を探しに行った後、その場に戻ってこなかった。


 だからナランツェは二日間、村の前で座りこんでいた。


 焼き尽くされた村の前で呆然自失の状態だったナランツェを見つけたのは、いつも取引をしている隊商だった。


 隊長の長男のところへはナランツェの姉が嫁いでいて、保護されたナランツェは姉によって看病され、少しずつ癒されたのだ。


 発見された時には弱っていた契約の蜘蛛も、ナランツェの回復とともに育っていった。


 今では手の平と同じくらいの大きさがある。


 だが傷を負ったままのナランツェの心を映しているのか、吐き出す糸は細いままだった。


「あんまり……」


 うつむくナランツェの頭を姉のウルチェはそっと撫でた。

 ウルチェの指に銀色の美しい髪がからむ。


 なぜかは分からないが、この髪を持つ者だけが、天上の布とも呼ばれる光り輝く布を織るための糸を蜘蛛から得ることができる。


 ウルチェの髪は薄い金色なので、契約の蜘蛛は白い糸しか吐かない。


 今ではナランツェだけが、たった一人の織り人となってしまった。


「無理して編まなくてもいいのよ? あなたのやりたい事をなさい」


 母のようにナランツェを愛し育ててくれている優しい姉の言葉に、ナランツェの胸が温かくなる。


 だがその言葉に甘えてはいけない。


 ウルチェが嫁いだのは大きな商家だが、天上の布を扱うことで大きくなったようなものだ。


 その最大の売り物が入手できなくなって、婚家の商売はじわりじわりと落ち込んでいる。


 ナランツェは、ウルチェの夫が妻からナランツェなら天上の布を織れるようになると聞いて、まだかまだかと催促をしているのを知っていた。


 だから姉の為にも天上の布を織りたいのだが、契約の蜘蛛の糸はレース編みにしか使えないほど、細く頼りない。


「ごめんね、お姉ちゃん」

「ナランツェ」


 もう今ではナランツェの名前をちゃんと呼んでくれる人はこの姉だけだ。


 ナランツェの名前は一族によくある名前だったから、あの村を焼いた王妃が生きている限り、もう二度と名乗ることはできない。


 あの日、村を焼いたのはこの国の王妃だった。


 森で狩りをしていた国王と出会った美しい流民の娘は、瞬く間に国王の寵愛を受けた。


 それまで賢王と名高かった王は寵姫に溺れ、ついには長年連れ添った王妃を廃し、新たにその娘を王妃とした。


 やがて王妃となった娘は玉のような男の子を産んだ。


 ちょうどその頃廃王妃との間に生まれた王太子が反逆を起したが、すぐに捕らえられ処刑された。


 失意の国王は、すぐに生まれたばかりの赤子を新たな王太子に定めた。

 老王は一層、若く美しい王妃に溺れ、言いなりになった。


 すると王妃は今までのしおらしい態度を脱ぎ捨て、贅沢を好み残虐性を現した。


 平民が十年は暮らしていけるドレスを毎日のように新しく仕立て、気に入らない侍女は折檻して追い出した。


 特に美貌で知られた侍女の一人は、国王の愛人でもあった事から、その顔を焼かれて着の身着のまま追い出されたという。


 その王妃が特に気に入っていたのが、結婚式で着た天上の布で作られたドレスだ。


 王国の端にある森で暮らす一族にしか織れない特別な布は、青い空の下では青く、森の中では新緑に、そしてきらびやかなシャンデリアの下では金色に輝いた。


 この美しいドレスを着ることができるのは、王国で最も高い地位にいる王妃だけでなくてはならない。


 そう考えた王妃は、天上の布を自分だけが独占できるように、村を焼き蜘蛛を捕まえた。


 だが魔物でありながら村人と共存してきた蜘蛛は、環境の変化に耐えられずすぐに死んでしまった。


 生き残ったのはナランツェとウルチェ姉妹の契約の蜘蛛の二匹だけだ。


 幸い雄と雌だったので番えれば増えるだろうが、ナランツェの蜘蛛は繁殖できるほど育っていない。


 ウルチェは「あなたもまだ子供だし、仕方がないわね」と笑っていた。


 だがナランツェの蜘蛛が育ったとして、天上の布を織っても王妃に献上するしかないだろう。


 家を、森を焼いたあの火を、ナランツェは決して忘れない。


 もしかしたら契約の蜘蛛は、天上の布を王妃に渡したくないナランツェの気持ちを分かっていて、銀の糸を吐かないのかもしれない。


 ナランツェは、姉と義兄の力にはなりたい、でも……という相反する気持ちに悩んでいた。









「うーん。それは難しいね」

「やっぱり?」


 ナランツェの相談に、クリスは少し考えてから断言する。


「だってこの商会が瀬戸際なのは事実だろ」


 歯に衣着せぬ物言いをするわりには洗練されたしぐさで、クリスはローストしたピスタチオをひょいとつまんだ。


 口に運んで白い歯でかむと、カリリと小気味良い音が鳴る。


 クリスが持ってきてくれるピスタチオは、いつも食べる物より上等で、ほんのり甘い。


 クリスは布を扱う商会の見習いらしいが、それにしては身なりがいい。


 もしかしたら貴族の血縁かもしれないが、ナランツェには関係ないので三年ほど前から普通に友達付き合いをしている。


 こんなに頻繁にナランツェのところへ顔を出すのだから、貴族といっても商売をしている男爵家あたりの、後を継ぐことのない気楽な次男か三男だろう。


 それならば成人すれば、騎士になって騎士爵をもらうのでなければ、家を出て平民になる。


 平民になれば、その身分はナランツェと変わらない。


「売り物だった天上の布に代わる商品が開発できてればいいけど、あんまりうまくいってないみたいだし」

「うん……」


 しょんぼりと下を向くナランツェの頬を、クリスの綺麗な指が軽くつつく。


 顔を上げると、口の中にピスタチオが放りこまれた。


 クリスのようにカリッとした音は立てられないが、もぐもぐとかみ砕く。

 香ばしい味が口の中に広がった。


「他の商会と提携するっていう話が出てるの、知ってる?」

「初めて聞いた! そんなのがあるの?」


「うん。次男のマッテオさんとその商会の娘が縁組する事になったんだけど、問題が起きて」


「問題?」

「ここに挨拶に来た時に、娘の方がダリオさんに一目ぼれしちゃったみたいでさ……」

「でももうお姉ちゃんと結婚してるよ」


 それを聞いてナランツェはちょっと安心した。


 確かにダリオは中々の美形だが、姉のウルチェ一筋だ。

 仲は良好だし、二人の間には跡取り息子もいる。


「商会長もそう言って断ったんだけど、向こうはダリオさんとの結婚じゃないと提携しないって言いだしたんだ」

「そんな……ひどい。でもお義兄さんはちゃんと断ってるんでしょ?」


 ダリオはウルチェを大事にしているし、とても子煩悩だ。

 娘が生まれた時などは、絶対に嫁にやらないと宣言していた。


「もちろん。ただ、このまま商会の仕事が良くならないと、断り切れないかもしれない」

「でもお姉ちゃんはどうなるの?」


「それは分からないけど、ウルチェさんのレース編みは人気だから商会には残そうとするんじゃないかな。それに他に行く当てもないだろうし……」


 確かにクリスの言う通りだ。ウルチェとナランツェの故郷は、あの森の奥で灰になって消えてしまった。


 ナランツェはどうしたらいいか分からずに口を結ぶ。


 そうすると契約の蜘蛛が天井から降りて、寄り添うようにナランツェの肩の上に乗った。


「でも、ナラが天上の布を織れるようになるっていうのも危険だと思う」

「クリスもそう思う?」


「うん。王妃陛下はあの布で作ったドレスにとても執着しているからね」


 一国の王妃ともなれば、一度着たドレスをそのまま着まわすなどという事はない。


 たとえお気に入りであっても、どこかしら手直しをするのが普通だ。


 だがもう二度と天上の布を使ったドレスが作れないと知った王妃は、特別な時だけそのドレスを身にまとった。


 六年間着続けても色あせずに輝くドレスを王妃はとても大事にしていたが、つい先日、侍女の一人が汚してしまったらしい。


 王妃は、それはそれは怒り狂って、侍女だけではなくその一族までも処刑してしまった。


 そんなところに天上の布を織れる者が現れたらどうなるか。

 おそらく一生、王妃に飼い殺しにされてしまうだろう。


「だったら、どうすれば……」


「一番いいのはさ」

「うん」


「君が僕のお嫁さんになる事なんだけど、どう?」


 ナランツェはびっくりしてクリスを見た。


 冗談を言っているのかと思ったが、青い瞳は真剣な色をたたえている。

 本気だと分かって、ナランツェの頬がじわじわと赤く染まる。


「あの……それって、さ」

「うん」


 私のことが好きなの、と、聞きたいけれど言葉が出ない。


 あ、とか、う、とか口ごもっていると、クリスが耐え切れないように笑った。


「クリス、ひどい。からかったのね!」


 ナランツェが涙目で抗議すると、クリスは慌てて否定する。


「からかってなんてない、本気だよ」


 立ち上がって逃げようとするナランツェの腕をつかんだクリスは、その衝動のままに抱きしめる。


「君が好きなんだ」


 突然の告白だが嫌なわけではない。むしろ嬉しい。


 姉の屋敷に住んでいるナランツェは、この六年間、ほとんど外に出たことがない。


 自分の部屋と中庭と、中庭が見えるこのテラスだけがナランツェの世界の全てだった。


 森の中で生きてきたナランツェにとってそれはとても窮屈だったが、外は危険だと言われれば、納得するしかなかった。


 木の焦げる匂い、風に舞う火の粉、そして……肉の焦げるにおい……。


 焼き尽くされた故郷の記憶は、ナランツェの足を止めるのには十分だった。


 そんなナランツェの前に現れた、自分よりも少し年上の少年。


 最初は普通に話をするだけだったけれど、使用人ですら気味悪がる契約の蜘蛛を「よく見たら可愛い」と言ってくれたクリスは、いつしかとても大事な人になった。


 だが姉には、好きにならない方がいいと忠告されていた。

 好きになっても、辛くなるだけだから、と。


 それでも好きになる気持ちは止められなかった。


 たとえ想いを返されなくても、ナランツェがクリスを想う気持ちは、誰にも邪魔できない。


 このままずっと独りだったとしても。

 一生をこの小さな箱庭の中だけで過ごすのだとしても。


 空を飛ぶ鳥のように、心は自由だ。


 そう思っていたけれど、クリスも同じ想いを返してくれた。

 ナランツェの心が歓喜に震える。


 その瞬間、契約の蜘蛛が小さく震え、糸を吐き出した。


 細くとも内側から輝きを放つ銀の糸。

 それは確かに天上の布を織るための糸と同じ色をしていた。


「ナラ、蜘蛛が……」


 抱きしめた細い肩の上に乗る蜘蛛の変化を見たクリスは、驚いて動きを止める。


 ナランツェも身をよじって肩の上の蜘蛛を見た。


「糸……」


 輝く糸を見たナランツェは顔をほころばせる。

 これでやっと天上の布を織れるようになるかもしれない。


 だが同じように喜んでくれると思ったクリスは浮かない顔だ。


 そういえばついさっき、王妃が危険だという話をしたばかりだった。


 だがナランツェは一族の一人として、天上の布を織れるのならば織ってみたい。


 あの自ら輝くような二つとない布を、この手で造り出してみたいのだ。


「ねえ、ナラ。返事は?」

「え?」


「僕と結婚してくれる?」

「あのね、クリス」


 すぐには返事をせず、体を離すナランツェにクリスの顔が強張る。


「私の本当の名前は、ナラじゃなくてナランツェなの。だからナランツェにプロポーズして」


 顔を真っ赤にするナランツェに、クリスは破顔する。


「もちろんだよ、ナランツェ。僕は君が好きだ。どうか結婚してください」

「私も大好き!」


 別に天上の布を世に出さなければならないという訳ではない。

 ならば、クリスとの結婚式のヴェールを織ろう。


 ナランツェはそう決心すると、弾けるような笑顔を浮かべてクリスに飛びついた。









 ナランツェからクリスとの結婚の話を聞いたウルチェは、それはもう驚いた。


 だがナランツェの契約の蜘蛛が輝く銀糸を吐き出せるようになった事を聞くと、深いため息をつきながら、二人の結婚を祝福してくれた。


「クリスは貴族の出だから、苦労するかもしれないわよ」


 貴族と聞いて、ナランツェは「ああやっぱり」と思った。


 ただの平民にしては着ている服の仕立てが良いし、何よりも肌が美しい。


 ウルチェがいかに肌に気を遣っているかを考えると、手の平に固さはあるものの、爪の先まで手入れされているクリスが労働者の階級であるはずがなかった。


「もしかして、爵位を持ってるとか?」

「それはないわ」

「だったら良かった」


 ナランツェはほっと胸をなでおろした。

 貴族と結婚というだけでも大変なのに、嫡男となったらそれはもう大変だ。


 だが家を継ぐ必要のない男ならば、独立して他に家を構えるだろう。


 小さな家に、クリスと契約の蜘蛛と暮らす。

 そしていつかは家族が増えて……。


 思わず先の事まで考えたナランツェは、妄想を吹き消すようにぷるぷると顔を振る。


 火照った頬は、手を当てても冷めそうになかった。


「本当なら結婚の前にあちらの家に挨拶に行かなくちゃいけないんだけど、今はちょっと都合が悪いわ」


 最近は前にも増して、ナランツェの行動は制限されていた。護衛のような人たちも増えた気がする。


 契約の蜘蛛が輝く糸を吐けるようになったものの、まだ細い糸では天上の布は織れない。


 その代わりにレースを編んでヴェールを作っていた。


 繊細な編み目で複雑な模様を描くヴェールは、中庭の木と見上げた先の空を映して、鮮やかなブルーグリーンに染まっている。


 ウルチェは編み掛けのヴェールを手に取り、懐かしそうに目を細めた。


「またこの色を見れるとは思わなかった」

「ヴェールを編み終わったら、お姉ちゃんのも編むね」


 ナランツェの提案に、ウルチェは嬉しそうにヴェールの細かい模様を指で辿る。


「昔、母さんが言ってたんだけど、輝く銀糸を吐く蜘蛛は契約者が愛を知らないと成長しないんだって」

「愛を?」


 初めて聞く話に、ナランツェは思わずウルチェと自分の契約の蜘蛛を交互に見る。


 少し育った契約の蜘蛛だが、まだ姉の蜘蛛より一回り小さい。


「私の髪は銀じゃないから詳しい事は知らないんだけど、前にそんな話を聞いたの。ナランツェのプレッシャーになるかもしれないと思って、今まで黙っていてごめんね」


「ううん。逆に知らなくて良かった」


 もし知っていたら、蜘蛛を成長させるために、無理やり誰かを愛そうとしていたかもしれない。


 でもそれは義務になってしまって、心の奥底から湧き出る思いなのかどうか、ずっと疑う事になってしまう。


 ナランツェのクリスへの気持ちは純粋だ。

 笑う顔も、拗ねた顔も、全部全部いとおしい。


「実はね、商会もクリス様のところに移転する予定なの」

「え、じゃあ、お姉ちゃんとずっと一緒にいられるの?」

「ええ。楽しみね」

「うん!」


 どこへ行くのか。

 そもそもクリスの実家はどんな家なのか。


 ナランツェは知らない。


 だが知らないほうが幸せなのだという事を知っている。

 姉が、クリスが、ナランツェを不幸にするはずがない。


 たとえ騙されているのだとしても、もうナランツェにはこの二人しか大切だと思える人はいないのだ。


 その二人がナランツェをいらないと言うのなら、もういっそ、そのまま果ててしまいたい。


 ナランツェの心の一部はまだあの燃え盛る村の中に置き去りにされている。


 灰になって燃え尽きて。

 それでもいいと思っている。


 だから黙って針を動かす。


 ヴェールはそろそろ完成に近づいていた。










 婚礼の行列は、長く長く、続いていた。


 古代王家の末裔が住むと言われていた村の末姫の婚礼という事もあって、結納品を積む馬車もそれを護衛する者たちも、まるで国を落としに行くかのような物々しい一団となっていた。


 守られるように中央に位置する花嫁の乗る白い馬車は本来であれば外から見えるように屋根のないものを使うのが一般的だが、優美な曲線を描く車体はしっかりと四方を囲んでいて、窓に揺れる白いカーテンに隠された中の様子はうかがえない。


 それでも大きな商会の威信をかけた花嫁行列とあって、街道には見物する人々が押し寄せた。


 だが王都を過ぎれば人の姿もまばらになる。

 そして一番の難所となる渓谷でそれは起こった。


「襲撃です!」

「素性は分かるか」

「顔を隠していますが、ただの賊ではありません」


 賊にしては統率の取れた動きをしている。

 それにリーダーらしき男の動きは、訓練された兵士の物だ。


「手筈通りに」

「承知しました!」


 指揮を執るのは、ナランツェを迎えに来たクリスだ。


 ただの飾りだと思われた背中の大剣を抜くと、襲撃してきた賊を迎え撃って斬り捨てる。


 数で勝る賊は、最初は優位に立っていたはずが、いつの間にかその数を減らしていた。


「こいつら強いぞ」

「ただの商家じゃないのか」


 倒れる仲間を見ながら、それでも逃げないのは、やはり普通の賊ではないという事だ。


 彼らは自分たちの不利を察すると、目的だけは達しようと白い馬車へと殺到した。


 固く閉じられた扉を蹴破る。

 そこには花嫁がいるはずだった。


「誰もいない!」

「謀られたか」

「撤退するぞ!」


 計画が失敗して逃げる賊たちを、護衛たちが追いかける。


 いや、ただの護衛にしては腕が立つ。

 それもそのはず。彼らは最前線で魔物と戦う、辺境伯軍の精鋭たちだった。


「リーダーは殺すな、生け捕れ!」

「四、五人残しておくだけでいいぞー」


 殺気立つ護衛とは別にのんびりとしているのは、辺境伯その人だ。

 彼にしか扱えない大剣を軽々と振り回し、縦横無尽の活躍をする。


「うちの嫁を狙うとはとんでもない奴らだ。二度とそんな気を起せないように、徹底的に叩くぞ」

「父上、ちゃんと僕の分の獲物も残しておいてくださいよ」


 ナランツェの前では穏やかな姿しか見せていないクリスが、細身にも関わらず父に劣らぬ大剣を振り回している。


 嫡男ではないので爵位を継ぐ事はないが、いずれは辺境伯家の騎士団長になるだろうと期待されているのだ。


「お前こそ、全滅させぬよう気をつけるのだぞ」

「もちろん。黒幕はあぶりだしたいですからね」


 辺境伯親子の勢いは凄まじく、賊たちはすぐに制圧された。


 わずかに残ったリーダーらしき男に剣を突きつけながら、クリスは返り血を浴びた姿で凄みのある笑みを浮かべる。


「まさか王妃の親衛隊がやってくるとは……手間が省けた」

「王妃陛下は関係ない」


「この状況でそれが通じるとでも?」

「……くそっ。織り人の噂も罠だったのか」


 どうしても天上の布で作ったドレスが欲しい王妃は、さすがに正規軍を動かす事はできなかったが、選りすぐった親衛隊を使って織り人を奪おうと企んだ。


 親衛隊といえども王家の軍に違いはない。


 始めに攻撃したのが王家である以上、これから両者の間に戦いが起こるとしても大義名分は辺境伯にある。


「信じないかもしれないけど、偶然だよ。だからこそ、これは天命だと思った」


 最初は織り人がいるという噂を聞いて近づいただけだった。


 だが共に時間を過ごすうちに、繊細なガラス細工のように美しく、けれどその外見にはそぐわぬしなやかな強さを持つナランツェに惹かれていった。


 その上、ナランツェを手に入れる過程で、王国に巣くう女禍を排除する絶好の機会が訪れる。


 クリスは父に結婚の意思を伝え、反王妃派と共に計画を練った。


 さりげなくナランツェの編む輝く銀糸のレース編みを市中に放出し、それが王妃の耳に届くのを待った。


 王妃が天上の布に執着しているのは有名な話だ。

 後は敵が罠にかかるのを待てばいい。


 そうして王妃が商会を手中に収めようと画策しはじめた頃を見計らって、計画を実行したのだ。


 安全の為、ナランツェや姉の姉妹は一足先に辺境伯家で匿っている。


「やっと王国に夜明けが来そうだ」


 感慨深く呟く辺境伯の言葉に、クリスも深く頷く。

 まだ完全な夜明けには遠く、これから王国は戦乱を迎えるだろう。


 それでも明けぬ夜はない。


 クリスは心配しているであろう花嫁の待つ辺境伯領への道を急いだ。

 天上の布を織る、愛しい人の元へ。


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