第3話:魔女
「生まれ持った血に、穢土の障りへ耐性がある人間は稀にいます。ですから貴方はすぐに転化しなかった」
魔女めいた格好の女性は、何処か楽し気に語り掛けてくる。
僕の顔を覗き込みながら、形の良い唇の端が緩やかに吊っていた。
彼女が何者なのかは分からない。しかし、どうやらこの状況に心当たりはあるようだ。
未だ周囲に村民の気配は尽きず、唸り声も続いている。だというのに彼女へ恐れ戦く素振りはない。
悠然とした佇まいは、そこはかとない威厳と気品を漂わせてもいた。
狂乱の村民が襲い掛かってくる様子も今はまだない。
「不思議そうな顔をしていますね。ワタクシは魔術を嗜んでいますから、穢土に侵されたモノから身を隠すことなど造作もありません。彼等にはワタクシの姿が見えていない。この装いは伊達で設えているわけではないのですよ」
彼女は特に誇るでもなく、然も当然という口振りだった。
魔術を使えると宣言し、事実として変わってしまった村民に襲われていない。
恰好だけではなく、本物の魔女らしい。
理解の追いつかない異常事態に見舞われた後だからか、疑いなく受け入れることができる。
ここで僕に嘘を吐く意味もないのだし。
「改めて言いますが、貴方は運が良いですね。穢土の耐性を持っていることもそう。もう一つ、その血の匂いがワタクシの好みと合致しています。だからワタクシの興味を惹き、此処へ足を運ばせました」
口唇を先よりも深く吊り、黒衣の魔女は僕に顔を近付けてきた。
腰を屈めて、上体を前に出し、更にこちらへ寄ってくる。
僕の血がなんだというのは、いったいどういうことなのか。
身動きできない僕のことなど意に介さず、彼女はすぐ傍で鼻をひくつかせた。
「近くで嗅ぐと、実に香しい血臭ですね。好みに合う血と出会えることは稀有ですから、これが穢土に澱むのは惜しいと感じてしまいます」
僕を見下ろすまま、魔女は艶然と微笑んだ。
そうかと思えば真紅の双眸が瞬き、鮮烈な赤光を宿す。
眩くも冷厳な瞳の輝き。燃えるような赤い光は、感覚が遠退いて尚、腹の底から僕を冷やした。
頭ではなく体の芯が、畏怖を抱き怯えている。
「ワタクシのために、貴方を助けてあげましょう。これから貴方の口へ、ワタクシの血を一滴落とします。それを飲み込み、受け入れなさい。ワタクシの下僕となり、永劫に渡って隷属するという誓い。主従の契約が、それで成り立ちます」
煌びやかだが冷めきった眼光が、僕を射貫いていた。
彼女が示したのは、圧倒的に優位な立場から申し付ける一方的な話。
昔話に語られる魔女との取引は、まずもって良い結果にはならない。
外法の類として扱われ、人間は一時の欲望を満たすために、大きすぎる代償を支払うこととなる。
彼女は僕の血が好みだと言った。大人しく奴隷になれば、僕は血を奪われ続けるのではないか。