第18話:急襲
開かれた魔術の穴を、大剣片手にルルナウルルが潜ろうとする。
だがその時、僕のうなじ毛が一斉に逆立った。突発的な危険を感じた際の反射反応だ。
「危ない!」
「およよー」
咄嗟に両手を伸ばし、ルルナウルルの腰を抱えて横へ跳ぶ。
半瞬後、彼女の立っていた場所へ巨大な影が落ちてきた。
それが崖上に落着し、振動と衝撃が一帯を揺さぶる。
間一髪、『空剣の魔女』が押し潰されることは避けられた。
「おわー、大ピンチだったよー。ありがとねー『誉血啜りの瞳』君」
場違いなのんびり声に、思わず苦笑が漏れる。
落ちた影から離れた所でルルナウルルを下ろしつつ、相手の姿を確認した。
全長が3mほどもある巨体。膨張した筋肉で覆われ、表面部は肌色と紫の歪な斑模様が占めている。
長い両腕と、その半分ほどの長さしかない脚。
頭部には目や鼻や口がなく、スライムめいた粘性の流体が丸い形を作っているだけ。
辛うじて人型に見えなくもないが、かなり異様な全体像だ。尋常な生き物ではない。
「穢土の障りが生物を侵して、ここまでの怪物にしてしまうなんて」
異形と対峙しながら横目で見ると、ルルナウルルの開いた穴は閉じて消えている。
彼女から魔力が伝わらなくなって、空間の亀裂自体が塞がったのだろう。
これで少なくとも奴がプリムラ様の館に向かうことはなくなった。
一方で怪物は顔がないのに僕達を見ている。流体の頭部に視線はないけれど、明確な敵意がこちらを捉えて放さない。
「魔力に反応したのか、それとも梁に近付いたからか。どちらにせよ面倒なことになった」
「逃げちゃった方がいいんだよー」
「そうだね。このまま下がっていこうか」
ルルナウルルが僕の袖を引っ張る。
彼女の提言に頷きを返し、異形からは目を逸らさない。
ルルナウルルを背中に庇う形で、少しずつ後退を始めた。
怪物は動かないが、僕達に体を向けたまま。大きな動きを見せれば即座に反応してきそうだ。
じりじりと後ろへ下がりながら見詰めていると、新しい気付きがある。
異形の太い右腕、その手に中指だけがない。人差し指と薬指の合間が不自然に開いていた。対して左手は5本指。
根元から中指だけが消えている。あの傷には覚えがあった。
「コイツ、9年前に仕留め損なった故郷の仇だ」
あの欠損部は僕が黒山羊で削り取ったものだ。間違いない。
以前はまだ右腕以外は人の姿だったけれど。それが今では見る影もない。
穢土の痕跡を辿る旅で、あの後はついぞ出会わなかったが。ここに来て、これほどまで変貌したコイツと再会することになろうとは。
「知り合いだよー?」
「僕が魔女の『瞳』になったキッカケなんだ。故郷の村に穢土の障りを持ち込んだ。以前にも戦って、逃げられている」
「おーなんていうか、因縁の相手だよー」
僕の背後から顔を覗かせ、ルルナウルルは怪物を見た。
その時、彼女の視線へ反応したように巨体が震える。
自己の奥で本能が危険に対する警鐘を鳴らした。
考えるより先、僕は反転するとルルナウルルを抱き上げ、全速で駆け出す。
登ってきた大地を蹴って逆走し、聳える梁と怪物からとにかく離れることへ注力した。後ろを振り返る余裕はない。
「ほへー」
状況の変速についていけないのか、ルルナウルルは左目を瞬いていた。
前だけを見て走りながらも、僕の目端には彼女の様子が映る。
暴れたり逃げ出そうとしたりせず、大人しく腕の中に収まってくれているのは有り難い。ただ固まっているだけかもしれないけど。
「転がってくるよー」
ルルナウルルは抱えられた状態から首を伸ばし、僕の肩越しに後ろを見た。
移動に専念する僕に代わって、今起こっていることを教えてくれる。
確かに後方で巨大な存在感が激しく動き、こちらを追ってくる気配はしていた。
その手段が自分自身を回しながらというのは、ちょっと予想外。




