4:湖畔にて
空が青い。
静まり返った湖面にさざ波ひとつ立たない、シュタイン湖も青かった。岸辺の緑が美しく映えている。
素晴らしい景色なのだが、もう3日も見ていれば飽きる。
城で姫に勝利宣言をしたアレフに巻き込まれる形でシュタイン湖の畔にやってきてから、まる二日は経過していた。野宿の準備をしてきてよかった。
傍らで、鍋で謎の草を煮込んでいるアレフに向けて呟く。
「なあ、待っても黒騎士現れないし、こっちから探した方がいいんじゃないか?」
「それはだめだ。今まで待った甲斐が無くなる」
きっぱりと返され、首を捻る。
「どういうことだ?」
「僕は運が悪いんだ。ここを離れたら、その間に黒騎士が来るだろうね」
ドヤ顔で言い切った。
たった二日だが、のんびりと一緒に過ごしていたおかげか(?)、こいつの事が少しわかったと思う。
運が悪いというのは本当だろう。よく転ぶし(そして飲食物等をぶちまける)、虫に刺されるし、湖に財布を落とすし、まだ黒騎士に遭遇できていない。
そんなんでも、今までソロで冒険者をできていたという。
鈍いわけではないのだが、素早さと器用さを得意とする武闘家という職にどうもしっくりこなくて、尋ねてみた。
「本当は剣を振る方が得意だよ。でも僕はね、魔物といえど懸命に生きている生き物だと思ってる。できるだけ命を奪いたくないんだ。だから、棍で追い払う程度にしてる」
その言葉通り、弱い魔物が襲ってきた時でもこちらから逃げ出そうとする方が多かった。
「パーティを組もうとしたこともあるけどね。僕の考え方は中々に受け入れられなくて・・・自分の経験にもならないし非効率だから当たり前なんだけど。だから久しぶりに今、誰かと行動できて嬉しいよ」
そうか、とだけ答えた。
ほとんどの冒険者は、魔物との戦闘を自分の成長のための踏み台だと捉えている。動物は生き物だが魔物は違うと考える者の方が圧倒的に多い。それゆえアレフも異端視されてきたのだろう。
「……人間・鳥・獣・魚は神がお作りになられたが、魔物はそうじゃない。生きてはいるが、命の輪廻の理から外れた存在だ。だから――言い方は悪いが、尊ぶ必要のない命、神に背くイレギュラーだと捉える者が多いのもわかる」
そう言うと、アレフはまじまじと俺を見た。
「なんだ?」
「いや、なんか…ええと、意外だと思って」
「?」
「今の君の言い方だと、神を敬い信じているのに、魔物を嫌ってはいないように聞こえたから。ジルの故郷がそういう考え方なのかな?」
「・・・まあ。そう教えられたことに違いはないな」
鋭い。
曖昧に頷くと、アレフはキラッと瞳を光らせた。
「どの辺りなんだい? この近辺やダーマ地方ではないよね。南東の大陸でも聞いたことがない。すると――謎が多い南西の大陸?」
「いや、えーっと…違う。遠く…はあるな。たぶん聞いたことないだろう…高い…うん、標高は高い」
「そうか。山岳少数民族だと、僕も知らないだろうなぁ…残念」
無念そうに笑った素直な彼に、罪悪感が湧く。すまんな…
そのまま穏やかに時間が流れ、夜になった。
焚火をつついているとふと視線を感じて、顔を上げる。周りを見たが、丁度アレフは水を汲みに行っているところで近くには居ないはずだった。
「・・・」
視界の隅で何かが動いた。
出たばかりの満月を背にし、丘の上に黒い騎士の影があった。
――おおおおお!
やっと見つけた! 現れてくれた!! まじ感謝。
歓声をあげて駆け寄りたいくらいに待ちわびた存在だったが、ここで逃がしては元も子もない。
慎重にいかねば。落ち着け、俺。
深呼吸をしてから、努めて穏やかで明るい声を出す。
「あの、突然失礼いたします。セントシュタインにいらっしゃった騎士様でお間違いないでしょうか? 俺はジルと申します、貴方をお待ちしておりましたゆえ、ささ、よろしければどうぞこちらに…ご安心ください、何も罠などは無いことはおわかりになると思いますが」
一礼し、どうぞどうぞと恭しく手招き、急いで焚火の横に木箱をひっくり返し置く。
相手は最初戸惑ったように動かなかったが、俺に敵意が無いことがわかったのか、ゆっくりと近づいてきた。
兜の下の顔はまったく見えない。黒騎士は騎乗したまま問うてきた。
「…私に何の用だ」
「まずですね、なにゆえ姫君を狙われるのかについてお聞きしたく」
「――狙うだと? 何を言っている。ただ、姫をルディアノに連れ帰ろうと――…」
黒騎士が言葉を切った直後、ガサッと音がしてアレフが姿を現した。
彼は突然の来訪者に驚いたのか、重いバケツを持っていたせいか、足元の石に躓いて…コケた。
「あ」
バケツの水を、盛大に黒騎士の方へぶちまけながら。
「ヒヒィ――ン!!」
当然、馬が驚いて棹立つ。
これには黒騎士も不意打ちだったのだろう、兜が上へズレて、中の白い顔がちらりと見えた。いや――…
白過ぎた。それは皮膚ではなく、
「骨…魔物!?」
思わず身構えてしまった。
だがこれは仕方ないだろう、今まで生きた人間だと思っていた相手がそうでないとしたら。特に知性のある魔物は非常に危険だからだ。
それがいけなかったのか、黒騎士の方からも不穏な空気が漂う。
「魔物だと? さっきから一体何を言っているのだ。なぜ、城の兵士たちも私に剣を向ける? ルディアノとセントシュタインは同盟国ではないか」
ルディアノという言葉に聞き慣れなくて、のそのそと起き上がってきたアレフに目で問う。
「僕も知らないな、その国は。それで、ルディアノという同盟国があったとして。どうして、そこの騎士さんがセントシュタインの姫を連れて行こうとしているのかな?」
彼の落ち着いた、敵意を感じさせない雰囲気に、黒騎士も会話を続けてくれる気になったらしい。
「セントシュタインの姫…だと? メリア姫はルディアノの姫だぞ…私の婚約者だ」
アレフと俺は顔を見合わせた。
なんか会話が嚙み合っていないような。
「メリアって名前だっけ? 姫様。確か、フィオなんとかだった気がするんだが」
「うん、フィオーネ姫だよ。メリア姫じゃない」
黒騎士がピクリと動いた。
「なんだと? あれほど似ていて――違う姫だったというのか。…そうか・・・」
騎士は馬首を回し、背を向ける。
「城の姫や兵士に、すまなかったと伝えてくれ・・・私はもう近寄らない、とも」
「――と。そういうわけで、自称ルディアノの騎士は、婚約者であるメリア姫とフィオーネ姫様を間違えて、国に連れ帰ろうとしていた模様です。ここにはもう来ないそうなので、安心してよいかと」
セントシュタイン城に帰ってご報告。
ジャン兵士長は、顎に手を当てた。
「なるほど。だが…ルディアノという国は聞いたことがない。黒騎士の中身は骨だったと言ったな?」
「はい」
「果たして人でない者の言葉を信じてよいものか。油断させておいて、また襲ってこないと良いのだが…」
隣に居た姫が、ハッとしたように顔を上げた。
「思い出しました、ルディアノ…わたくし聞いたことがありますわ。昔、ばあやが聞かせてくれたわらべ歌の中に出てきました。確かその歌は――黒薔薇の騎士が魔物討伐に向かったものの力及ばず、北に行く鳥に結果を知らせるように伝えるような内容だったかと…」
「わらべ歌…となると、あながち架空の国名でもなく、実在した地名でしょうか」
「きっとそうですわ。しかし、どうして黒騎士は・・・」
沈黙が降りた。
とても黒騎士問題解決じゃウェーイ良かったね~と言い出せる雰囲気ではない。
姫が、祈るようにこちらを見る。
「お願いですわ、ジル様、アレフ様。わたくしを北の地に…」
「姫さまっ!」
「わっかりました! 行って確かめて参りますゆえ、姫はどうぞお待ちください!」