第五話 夜光邂逅
「おおおおりゃあああああああ!」
怒号とともに巨大な鉈が一閃される。
圧倒的な暴力によって振るわれたそれは、衝撃波すら伴い、押し寄せる妖怪の一団を薙ぎ散らした。
悲鳴を上げ総崩れになる敵勢を睥睨しつつ大鉈を肩に担いだのは、一人の女性だ。
蜜色金髪をなびかせつつ、紅瞳を好戦的に光らせたその女性は、大胆に胸元を開いたボロボロの尼僧衣を纏っていた。
艶やかながらも凶暴。
そのを表現するには、そうした言葉が相応しい。
頬に散った返り血もそのままに牙を剥き出しにし、尼僧…南寿(古庫裏婆)は哄笑した。
「ははははは!弱ぇ、弱ぇな、オイ!これが“魔王”の軍勢たぁ笑わせるぜ!」
全身から凄まじい妖気を立ち昇らせ、血に飢えた魔媼は足元に転がる妖怪を踏みつけた。
「あー、殺り足りねぇ、喰い足りねぇ!もっと歯応えのある奴ぁいねぇのかよ!?」
「前に出過ぎだ、南寿殿」
その傍らに一つの影が下りる。
見ればそれは石塔だった。
奇怪にも宙に浮かんだその石塔には、一人の僧侶が乗っていた。
網み笠の下は眉目秀麗な顔がある。
長い黒髪を戦場の風になびかせ、錫杖を手にしたその美僧…西心(石塔飛行)は両目を閉ざしていたが、まるで見えているかのように南寿へ顔を向けた。
「見れば正門はあらかた片付いた様子。某たちの戦いは守戦が基本なれば、必要以上の深追いは禁物かと」
「おう、西心か。西門はどうだった?」
尋ねる南寿に、西心は軽く編み笠を押さえた。
「安心召されよ。既に殲滅済み故」
その報告に魔媼はヒュウと口笛を吹いた。
「相変わらず仕事が早いねぇ」
「代わりに東門に残軍集結の気配がある」
西心がそう言うと、
「馬鹿が」
と、南寿が意地悪く笑った。
「東門にゃ東水がいる。一番固い魔所だ。奴らめ、まんまと北杜の策にハマったな」
ドォーーーーーーーーーーーーン!
南寿が言い終わらないうちに、彼方…東門の方角で巨大な水柱が立ち昇った。
見れば背後の山から流れ落ちる滝が鳴動、瀑布からの生じた水流が東門へと伸びている。
その様を見やってから、南寿が西心へとニヤリと笑う。
「…どうする?今から助けに行くか?」
「いや、あの様子なら無用でござろう」
編み笠を深く被りながら、西心が息を吐く。
東水はこの場所を守る妖怪の中でも「最強」とされる存在だ。
彼女が本気を出せば、西心たち二人が退けた軍勢の数を合わせても一瞬で殲滅できるだろう。
「へっ、あっという間にお役御免になっちまったな」
肩を竦める南寿。
と、その鼻先を鞭のような何かかすめた。
南寿が向けた視線の先に、鎧をまとった一人の若武者が仁王立ちになっていた。
「暇ならば、俺の相手を願おうか!」
橙色の飾り紐で縁どられ黒光りするその鎧は、まるで百足のようだ。
若者はその眼に怒りの炎を灯しつつ、その手甲から伸びた黒い手甲鞭を手元へと戻す。
南寿が蠱惑的に笑った。
「おや、まだイキがいいのが残ってるじゃないか。ま、随分と尻が青そうだけどねぇ」
「ぬかせ、悪食ババアが!」
小馬鹿にしたような南寿の態度に激昂する若者。
「俺はお館様直属の部下にしてこの軍を預かる将!ただの若僧と侮れば、痛い目を見ることになるぞ!」
担いだ大鉈を片手で一閃し、南寿は若武者に向き直った。
「ほざいたな、小僧…おい、手出し無用だぞ、西心」
「承知」
南寿は一歩踏み出し、西心が後ろに控える。
若者と対峙した南寿は、大鉈をゆっくり構えた。
「…小僧、名前は?」
呼応するように若者も身構える。
「“大百足”の七重。覚えておけ。そして地獄の閻魔に聞かせてやれ。自分の首を取った男の名をな…!」
戦場を一陣の風が吹く。
二体の妖怪はそれに乗り、激しくぶつかり合った。
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異界寺院「夜光院」
それは此方と彼岸の境に存在するという異界「幽世」に在り、踏み込む者すべてを拒むという謎に包まれた寺院である。
その鉄壁の守りは数世紀も破られたことはない。
何しろ幽世へと足を踏み入れること自体が極めて困難である。
そして、奇跡的に夜光院にたどり着いたとしても、そこには“四卿”と呼ばれる四体の大妖をはじめ、古豪とされる妖怪たちが守護者として立ちはだかり、どんな相手も蹴散らし、追い返してきた。
しかし、それでも夜光院を目指す人妖は絶えなかった。
それはある一つの伝承に端を発していた。
旧き伝承に曰く「夜光院には得難き至宝がある」
それが絶え間なき侵略者の襲撃を引き起こしていた。
「…そろそろ片付いたか?」
奥の院を揺るがす地響きに、瞑想していた北杜(野寺坊)は目を開いた。
この地響きは、おそらく東水の妖力によるものだろう。
彼女の妖力は大量の水を召喚し、洪水によって相手を押し流す大災害級の威力を有する。
空でも飛ばない限り、大軍でも一瞬で壊滅してしまうだろう。
東水に限らず、門外で戦う“四卿”はいずれも屈強ぞろいだ。
南寿は並みはずれた怪力と俊敏性、タフネスさを誇り、何よりも大軍を前にしても衰えない闘争心の持ち主だ。
西心は冷静沈着で、相手の戦術を見定め的確に弱点を攻め崩す切れ者で、一騎打ちから多対一まで何でもこなす技巧を持つ。
数百年ぶりにどこぞの軍勢がこの夜光院に攻めて来たようだが、彼らの相手ではないだろう。
「さあて、皆は無難に役目を果たしてくれたようだな。残るは俺か」
そう呟くと、夜光院の宗主は足を崩して胡坐をかき、無精ひげを撫でまわした。
「…そろそろ出て来なよ。いい加減、面を突き合わせて話そうや」
(そうか?なら、お言葉に甘えるとするか)
渋い男の声が奥の院に響き渡る。
同時に畳上に落ちた蝋燭の火影が波打ち、そこから一人の男が浮上してきた。
黒い裃姿で、長い髪を後ろで結った四十代頃の細身の男だ。
左眼を縦に走る傷跡が迫力を放っている。
その顔を見て、北杜は無精ひげを撫でまわしていた手を止めた。
「…こいつは驚いた。まさか攻め手が“魔王”の軍だったとはな」
「よう、手下ともども邪魔してるぜ」
そう言いながらニカッと笑ったのは山本五郎左衛門だ。
怪異譚「稲生物怪録」に登場する妖怪たちの長にして“魔王”の異名を持つ大物中の大物妖怪である。
山本は何もない奥の院を見回した。
「随分と殺風景な部屋だな。それに寺なのに仏像の一つも無ぇのか」
「おや“魔王”様はわざわざ夜光院に拝観にいらっしゃったのかい?」
おどけてそう尋ねる北杜。
が、北杜の内心は真逆だった。
現在、夜光院は外部からの敵と戦闘中であり、それに合わせて北杜は自らの妖力【武経僧都】を展開。
夜光院そのもを形成している【武経僧都】により、夜光院の内部は北杜の領域と化し、内部を迷宮にしたり、寺の施設そのものを武器とすることも可能だ。
つまり、何者も北杜のいる奥の院まで簡単に入り込むことはできない。
しかし、目の前の“魔王”は容易に北杜の目の前に現れたのである。
山本は薄く笑った。
「いや、仏もいない寺に一体何が大事に仕舞われているのか、気になってな」
北杜の眼が細くなった。
山本は明らかに夜光院に秘された何かについて知っている。
カマをかけるような言い方にそれがにじみ出ていた。
北杜は肩を竦めた。
「さすが“魔王”様、隠しごとは無理ってか」
「…いやにあっさり認めたな」
「まあ、下手に隠して力でゴリ押しなんざごめんなんでね」
そう言うと、北杜は指を鳴らした。
すると、一枚の座布団がシュルシュルと宙を飛び、北杜の前に着陸する。
それを手で示しながら、北杜は笑って言った。
「ま、立ち話も何だ。そこに座んなよ、ゴローちゃん」
「…お前にそう呼ばれるのも久し振りだな」
ゆっくりと座布団に腰を下ろすと、山本は北杜を見やった。
「さて、お前相手に余計な腹芸をするつもりはないし、したくもない。洗いざいらい吐いちまいな」
そう言いながら、懐から煙管を取り出し、指先に浮かべた炎で火を点けようとする山本。
しかし、再び北杜が指を鳴らすと、炎は一瞬で消えた。
ジロリと睨む山本に、北杜が片眉を上げて笑う。
「悪いが館内禁煙だ」
「チッ…けちめ」
渋々と煙管を懐に戻す山本。
それに北杜が薄く笑う。
「ゴローちゃんのそういう物分かりのいいとこは好きだぜ?神野の奴だとそうはいかねぇからな」
再び無精ひげを撫でまわす北杜。
「そういやぁ、奴さんとの勝負はケリが着いたのかよ?」
「いいや、まだだ」
肩を竦めて見せる山本。
「平太郎っつう肝の座った餓鬼にぶち当たっちまってな。おかげで今までのスコアがパァだ」
山本は好敵手である“妖王”神野悪五郎と妖怪の頭の座をかけ「勇気ある少年を100人驚かせる」という賭けをしていた。
が、それは一人の勇気ある少年によって阻まれてしまった。
おかげでそれまでに山本が稼いだ人数は0になり、神野に大きく水を開けられてしまったのである。
「…暇だねぇ、おたくら」
膝に頬杖をつく北杜。
山本はジロリとそれを見やった。
「お前がそれを言うか、引き籠り坊主が。どうせ酒かっくらってぐうたらしてるクチだろ」
「ところがこれでも割と忙しいんだよ。最近は勝負の憂さ晴らしに、手下を連れて殴り込んでくる“魔王”なんかもいるんでな」
ニヤニヤと笑う北杜に、山本は咳払いをした。
「そいつは災難だな…んじゃあ、その災難を俺がチャラにしてやろう」
そう言うと、山本は右手を突き出し、手のひらを広げた。
「ここにあるっていう『宝』を出しな」
北杜の目が細まる。
山本の目は笑っていない。
それどころか、普通だったその瞳は血のような真紅の目に変化し、その中で大小数多の黒瞳が蠢き、一斉に視線で北杜を射抜く。
それはまさしく異形の瞳。
万魔を統べる“魔王”の片鱗だった。
しかし、対する北杜は顔色一つ変えず、大きく溜息を吐いた。
「…おいおい、お前さんまでそうなのか」
「…何?」
「『宝』なんて俗っぽいもんを後生大事に守っていると思うのか?この俺が」
耳の穴を小指でほじり、付いた垢を吹いて飛ばす北杜。
「長い付き合いだが、本気でそう思ってるなら、心底呆れるぜ?山本の」
北杜が鋭い眼光で山本を見返した。
「…」
それを真っ向から受け止める山本。
奥の院に沈黙が下りた。
そのまま、両者は十分以上も睨み合う。
やがて、
「…一つ聞きたい」
“魔王”が異形の瞳のまま尋ねた。
「お前たちは何のために『それ』を守る…?」
山本は北杜たちが守るものをもはや「宝」とは呼ばなかった。
この“魔王”なりに、何かを察したのかもしれない。
宗主は鋭い眼光のまま答えた。
「つまらない人間どもの世を、これ以上つまらなくしないために、だ」
両者の視線が、互いに探り合うように絡まり合う。
何刻そうしていただろう。
やがて、山本が静かに目を閉じた。
「それで満足なのか?お前らは」
「おうよ」
不意に北杜がニカッと笑う。
「退屈しねぇし、何より人間どもに貸しが作れる」
「もう一つ質問だ」
閉じていた目を開く山本。
異業の目は普通のそれに戻っていた。
「一生守るつもりか『それ』を」
「いいや」
北杜が遠くを見るようにして言った。
「…いつかは誰ぞにくれてやってもいいと思ってる」
「ほう…一体どんな奴にくれてやるつもりだ?」
山本の問いに、北杜は屈託なく笑った。
「そうだな…俺たち妖怪と人間の間に立って、どちらとも肩を並べられるような…そんな大馬鹿がいたらくれてやるさ」
一瞬呆気にとられたような顔になる山本。
だが、遥か未来を見詰めるような北杜の目に浮かぶ色を思い出し、静かに笑った。
「成程、確かにそいつは大馬鹿だ。そして、平太郎以上の大物になるだろうさ。それこそ、俺の手下どもと仲良くなっちまうほどにな」
そう言うと、山本は立ち上がった。
「さあて、そろそろお暇するか」
それを見上げ、北杜は目を瞬かせた。
「おや、もう帰るのか?」
「ああ。話は済んだし、ぼやぼやしてたら、うちの若いのが半殺しになっちまう」
そう言うと、現れた時と同様に、山本の身体が足元の影に沈み始めた。
「…そうそう、一つ文句がある」
山本を見送っていた北杜はキョトンとなった。
「文句?」
「ああ」
消えゆく間際に“魔王”は意地悪く笑った。
「次は茶くらい出せ。けち坊主」
そして、山本はその姿を消した。
しばらくして、外から聞こえていた戦場の音が途絶える。
北杜は山本とその一軍が退いたことを察した。
夜光院の難攻不落の伝説が、また一つ刻まれたのだ、
「お茶か」
“魔王”が座っていた座布団を見やり、北杜はフッと笑った。
「次は俺自らお茶を点ててやるさ“魔王”」
それから遥かな未来。
夜光院に秘せられていた「それ」は、妖怪好きで凡庸な一人の若者に託されることになる。