第四話 コサメ小女郎
昔々。
紀州日高郡龍神村(現・和歌山県田辺市)に“コサメ小女郎”という妖怪が出た。
この妖怪は村にある「オエガウラ淵」という淵に棲んでおり、何百年という歳月を経たコサメ(魚)が妖怪と化したものだとされた。
この“コサメ小女郎”は、よく美女に化けて相手を誘惑し、淵の中に誘い込んで食い殺していたという。
さて、村には巡という一人の若者がいた。
誰にでも優しく人の好い正直なこの若者は、ある時、山仕事に行く途中で一人の娘に出会った。
「あああああの、こ、こんにちはは…!」
その娘は、木の影から顔を覗かせると、緊張にどもりながら巡に声を掛けた。
見れば、小柄でおとなしそうな娘であり、おどおどしながら巡を覗き見ている。
一瞬驚いた巡だったが、娘があまりにも心細そうにしているので「迷子かも知れない」と思い、優しく挨拶を返した。
「こんにちは、娘さん。このような山の中でいかがなされましたか?」
「あああの…その…私は水愛と申しますっ!」
水愛の様子から訳ありなのがバレバレである。
怯えた子ウサギのように木の幹にしがみついている水愛に、巡は再度尋ねかけた。
「僕は巡です。それで、水愛さんは何かお困りなのでしょうか?」
すると、
「あ、いえ…そうではなくて…ええと、そのぅ…きょ、今日はいい天気ですねっ!」
空を見上げる巡。
どんより曇った空から水愛に目を移すと、巡は少し困ったように笑った。
「そ、そうですね。カンカン照りよりは山仕事が捗りそうだし…いい天気、なのかな?」
「で、ですよね!?こんないい天気の日は、お外でピクニックとか最高ですよね…!?」
「…はあ…まあ…」
「で、ですので!ちょっとオエガウラ淵まで行ってみませんか!?」
水愛は顔を真っ赤にしつつ言葉を振り絞るように続けた。
「ふ、ふふふ二人きりでッ!」
「…」
繰り返すが、巡は人の良い性格である。
なので時折、悪い人間に騙されてしまうこともあった。
が、そんな彼でも今回ばかりは察することができた。
目の前の娘が、かの悪名高い“コサメ小女郎”であることに。
「…あの、一ついいでしょうか?」
巡がそう切り出すと。水愛は目を見開いて興奮したように何度も頷いた。
「は、はい!何でしょう!?」
「もし『お断りします』って言ったら…どうなるんでしょう?」
それを聞いた瞬間、水愛は絶望のどん底に叩き落されたような表情になった。
「……そ、その時は…私は……サクっと死にます…割と本気で…」
膝から崩れ落ち、さめざめと泣き伏す水愛。
その合間を縫って、彼女から「くぅくぅ」とお腹の虫が鳴くのが聞こえる。
どうやら獲物の人間がなかなか釣れず、ひどく空腹なようである。
(しかし困ったな…可哀想だけど食べられてあげるわけにはいかないし。このまま見捨てるっていうのもなぁ…)
と、巡が考え込んでいると、一人の男が通りかかった。
巡と同じ村の若者で、名前を雄二という。
多少お調子者でスケベだが、陽気で求心力がある巡の幼馴染み兼悪友だった。
「よう、巡じゃん。こんなところで何してんだ?」
「雄二か。実はかくかくしかじか、云々早々…という訳なんだけど…」
そこで巡は雄二を少し離れた場所に連れていき、ヒソヒソと話した。
(どうやらあの娘は“コサメ小女郎”らしいんだ)
(ふーん)
(自分から食べられてしまうのは論外だし、かと言って放っておくのも可哀想だし…)
「成程。よし、なら俺が一緒に行って来る」
雄二のその一言に、巡は仰天した。
「正気か、お前!?相手は人食いの化け物だぞ!?」
すると、雄二はニヤリと笑った。
「何だよ、いつもの『妖怪、皆兄弟』はどうしたんだよ?」
「そ、それは」
「いいから任せろって!」
そう言うと、雄二は水愛へにこやかに笑いかけた。
「どもども、水愛ちゃんっていうんだっけ?」
急に声を掛けてきた雄二に、泣き伏していた水愛は顔を上げた。
「あ、あなたは?」
「俺、雄二!巡のダチでーす!」
「雄二、さん?」
「巡から聞いたんだけど淵までのピクニック相手を探してるんだって?俺でよければ一緒に行くよ?」
雄二がそう言うと、水愛はキョトンとした顔になった。
「え…あの…いいん、ですか…?」
「うん!」
「え、ええと…あの…もしかしたら、帰って来れなかったり…するかも知れませんよ…?」
恐る恐るそう言う水愛に、雄二はニカッと笑った。
「OK、よゆーよゆー!何とかするって!任せてよ!」
陽気に断言する雄二に、水愛はポッと顔を赤らめる。
雄二は巡に片手を上げると、
「んじゃ、ちょっと行って来る♪」
水愛の肩を抱きながら、雄二はそう言って森の奥へと消えて行った。
「大丈夫かな、あいつ…」
一人取り残された巡は不安そうに呟いた。
その後。
巡の元に一通の手紙と写真が届いた。
写真には、白無垢姿の水愛の横でVサインをきめる袴姿の雄二の姿が映っていた。
手紙には、
『いろいろあって結婚しました』
とだけ書かれていた。
巡は激しく脱力した。
「まるで人を食ったような結末だ…」
と、一人呟いた。
陽キャの行動力、あなおそろしきことなり