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悪役令嬢は推しの夢を見るか?

作者: Y子

挿絵(By みてみん)


 私が悪役令嬢(マリア)になったのは今から約一年前のこと。




 鏡に写った私は私ではなかった。

 この世界での私の記憶はそこからはじまる。

 

 長く美しい銀髪、くっきりとした二重に吊り上がった目、そして形の良いぷっくりとした唇。

 その鏡に映った顔を私はよく知っていた。



 それはプレイしていた乙女ゲームに登場するキャラクターで、ヒロインであるプレイヤーに嫉妬し嫌がらせをする存在。

 つまり悪役令嬢である。


 その事に気が付いた時には軽く絶望したし、ここから逃げ出したくて仕方がなかった。

 もちろん世間知らずのお嬢様であるマリアがここではないどこかへ行ける訳もなく、そして元の世界に帰ることもできない。

 だから私はマリアが死なないルートでこの世界(ゲーム)をクリアする決意をした。


 ゲームなんだからクリアしたら元の世界に戻れるでしょ、なんていう安易な考えで行動したことを今では後悔している。


 学園でありとあらゆる手を使ってヒロイン(リリー)と攻略対象者達をくっつけようとしたけれど全ては失敗に終わってしまった。

 騎士団長令息(リオン)とも幼馴染の伯爵令息(ノア)とも宰相令息(私の弟)ともただのお友達の関係。

 その結果、悪役令嬢(マリア)は婚約破棄されることも死ぬこともなくゲームのエンディング直前の二月を迎えてしまった。

 ゲームのどのエンディングとも違う結末。


 これ、クリアしたことにならないよね……?

 さすがに違いが多すぎてもうここがゲームの世界だとは思っていないけれど、クリアしたら元の世界に帰れるんじゃないかという小さな希望が消えるのはなんだか悲しい。







 盛大にため息を付き、目の前の本のページを捲る。

 文字を目で追うが何も頭に入ってこない。

 これではもう意味が無いだろう。

 私は本を閉じて周囲を見回した。


 今私たちが居るのは学園の図書館の最奥。禁書と呼ばれる一般人が目にしてはならない書物が保管されているエリアだ。

 当然そこに入ることのできる人は限られていて、その権限を持つうちの一人は今私の隣にいる。

 だから今この学園内で私たち以外にここに入ることの出来る人はいない。

 わかっていても確認して安心を得たかった。


「そこまで警戒しなくても人は来ないよ」

「ええ、でもどうしても気になってしまって……」


 隣にいる金髪の皇太子(フランツ殿下)にこたえて笑みを返す。


「大丈夫。何があっても僕が守るから。それより何か手がかりは見つかった?」

「何も……。魂を取り出して別の人間の身体に入れた、との記述はありますが……どのようにしてそれを成したのかは書かれていません」

「困ったね。ここにある全ての本を全て確認するわけにもいかないし……。僕も手伝えたらよかったんだけど……これって何語で書かれているかわかる?」

「わかりません……。私も理解して読んでいるわけではなく、文字を見ると意味がわかるだけですので……」

「そっか。辞書を確認しながらでも読めたらと思ったんだけど……。そういえば会話も何語を話しているかわからないんだっけ?」


 申し訳なく思いつつ小さく頷く。

 私の耳に入ってくる言葉は全て日本語だし、私の話す言葉もまた日本語だ。

 けれど実際にはこの国の言葉を話しているらしい。そして別の国の言葉で話しかけられればそれに対応した言葉で話せるようだ。


 たぶん転生者特典のようなものなのだろう。私は転生していないけれど。


 殿下は眉間に皺を寄せ小さくため息をついた。


「困ったね。卒業まであと一ヶ月半ほどしかない。それまでに全てを解決できなければ、僕達は結婚しなければならなくなる」


 彼の言葉に少しだけ胸が痛んだ。


 目の前にいる殿下はマリアの幼い頃からの婚約者だ。

 そして私の“推し”でもある。

 ゲームの中の彼はプレイヤーであるヒロインに恋をする。

 そしてそれを嫉んだ悪役令嬢(マリア)は二人を害そうとして失敗し、処刑されてしまう。


 彼のルートに入ればマリアの未来はない。

 そう思って必死に彼に好かれようと努力した結果、私が彼を好きになってしまった。

 そして彼も私を好きになってくれたのだけれど……。


「もう一度確認したいんだけど……君は異世界から来たマリアとは別の人間で、その身体にはマリアと君の二人分の魂が入っている。マリアの意識は表に出ることはなく、おおまかな感情を感じ取ることはできるけれど意思疎通をはかることはできない」

「はい、その通りです」


 私が頷くと彼は小さくため息をついた。


「異世界からやって来たなんて、まるでおとぎ話のようだね。別の世界から勇者がやって来る話はいくつかあるけれど……もしかして、君はこの世界を救うために神が遣わせた勇者だったりするのかな?」

「それは有り得ないと思います。私、魔王討伐の旅に出ても三日で行き倒れてしまう自信がありますから」

「はは、そうかもしれないね」


 殿下は力無く笑った。


「けれどもし本当に私が勇者だったら……ありとあらゆる手を尽くしてフランツ様をお守りしますね」

「……なんで僕?」

「勇者は姫を守るものですから」

「僕は姫じゃないよ」

「私が勇者なら守る姫は異性である男性、つまり王子になるでしょう?」


 だから安心してください、と自信満々に言ったら彼は堪えきれずに吹き出してしまった。

 そんなに変なことを言ったつもりはないのに心外だ。






 殿下から私がマリアではないことに気付いていると告げられたのは一週間前のこと。

 いくつもの証拠と彼の思い詰めた表情に観念して全てを打ち明けた。

 私の事とリリーが聖女で協力者であること、そして私の気持ちが偽りではないこと。



 そして彼から返ってきたのは『わからない』というなんとも中途半端な答えだった。


「あれからよく考えたんだけど……やっぱりわからないんだ。僕は確かに君が好きだ。けど、それは君がマリアだと思っていたから好きになったのか、それとも君だから好きになったのか……僕にはわからない」


 殿下は言葉を止め、少しだけ苦しそうな表情をした。


「でもこれだけはわかるんだ。今の君のことを愛しているからといって、マリアの魂を閉じ込めたままでいてはいけない。だから…………どうにかしないといけないと思ってる」

「ふふ、そうですね。私も同じ気持ちです」


 やっぱり半端な答えの彼に思わず笑ってしまう。


 言葉を濁す理由はわかっている。


 身体と魂は決して切り離せない存在なのだと聞いた。

 もしマリアの身体から私の魂を抜き取ることが出来たとしても、魂を入れる身体がなければ私は消滅してしまうだろう。

 そしてその身体を用意する術はない。

 魔法という不思議な力があるこの世界でも人間の身体を作り出すことは不可能なのだ。




 私とマリアのどちらかを選ぶことのできない彼は皇太子として決断力に欠けるのかもしれない。


 けれどその優しさを私は愛おしいと思う。

 私にとってもマリアは大切な存在なのだ。

 だから彼女を救おうとする彼を好きになるのは当然の成り行きといえる。


「大丈夫、なんとかなりますよ。なんといっても聖女であるリリーが味方なのですから。確か神の使者なんですよね。いざとなったら神様にお願いしましょう」


 ゲームにはヒロインが聖なる力を持つ聖女という設定があったことは確かに覚えている。

 けれど神の言葉を人々に伝える使者なんて設定はなかったはずだけど。

 でもこの世界ではそうなっているらしい。

 こんなの突っ込むだけ野暮だ。


「はは、個人的な理由で奏上するなんて…………いや、でもそうか……」


 殿下は難しい顔をして黙り込んでしまった。


「えっと、私はまた何か変なことを言ってしまったのでしょうか……?」

「……いや、そうではないよ。君の言う通り神様にお願いをしに行こう」


 つい先程個人的な理由でお願いするのは駄目だと言っていたのにどうして意見を変えたのだろうか。

 不思議に思ったけれど聞くことはしなかった。

 彼がそうすると決めたのなら従えばいい。


 それにその方法自体は私も考えていたことだ。

 もっとギリギリまで自力で粘るつもりだったけど、どうしようもなくなったらダメ元で神に会いに行くつもりだったから。


「じゃあ僕が手続きをしておくから……君は何も気にせずいつも通り過ごすといい」


 殿下の綺麗な翠眼が僅かに細められた。



◇◇◇◇◇◇◇



 そうしてリリーとの謁見が許可されたのが二月四日。

 私がこの世界にやってきたのは一年前のこの日だった。

 教会に向かう馬車の中でその事を話すと、殿下は少し寂しげに笑った。


「では聖女(リリー)との謁見が無事済んだら君の誕生日を祝おう」

「確かに二月四日は私がここに来た日ですけど、本来の誕生日は夏なんですよ」

「そうなんだ。じゃあ夏にも祝えばいい」

「そうすると一年で二回も歳をとっちゃうみたい。誕生日は一年に一度だから特別なのに」

「そう? 誕生日は何度あってもいいと思うんだけど」


 彼はたまに変わったことを言う。

 やっぱり皇太子だから平民とは考え方やものの見方が違うのだろうか。

 いや、これは本来の私の年齢が年齢だからそう感じるのかも。ある程度の年齢を過ぎたらもう誕生日なんて嬉しくもなんともないし。


 この話題は私が切なくなるから違う話をしよう。


「そういえば私も今の状況について考えてみたんです。それで……人がその人たりえるのは記憶と経験があるからだと思うのです」

「記憶と経験?」

「ええ。例え同じ魂だとしても違う環境で別の経験をすればきっとそれはもう別人だと思うんです」


 例え彼が日本にいたときの私に会ったとしても、私を好きになってくれるとは思えない。

 そして私も彼を好きになることはないだろう。


「私はこの身体に入ってマリアの記憶と経験を得ました。だから家族のことを愛していますし幸せになってほしいと願っています」


 私は他人だからこそ彼らがいかにマリアを愛していたのかを知ることができた。

 そしてマリアになったからこそ彼らを大切だと感じた。


 だからマリア()の大切な人のもとにマリアを返したい。

 そしてこれからもマリアを愛してほしい。


「きっとマリアも同じだと思います。私の魂を通して私の記憶と経験を得ているでしょう。そして私がここで体験したことも……」

「そうすると君がもう一人増えるわけだ。それは少し困るな。君一人のときでさえ大変だったのに二人となると……」

「えっ、私そんなにフランツ様に迷惑掛けてましたか!?」

「……それよりリリーには君のことをいつ話したんだい?」


 露骨に話を逸らされた。

 そんなに私は彼に迷惑をかけてしまっていたのか。ショックだ。


 確かに屋敷を抜け出そうとしたり魔法を使って色んな実験をしてみたりしたけど……。そしてそれらの後始末は主に弟と殿下がやってくれたわけで……うん、どう考えても迷惑かけたな。

 後から謝罪とお礼をしたほうがよさそうだ。


「リリーには夏休みに入る前に話しました。彼女が聖女だということは知っていたので、その聖なる力でどうにかできないかと思って……。そのときに私の身体の中にマリアの魂も残っていることを知りました」

「そんな前から……。もう少し僕が早く君の存在に気付いていれば未来は変わっただろうか」

「どうでしょう。……ああ、着きましたね。リリーに会いに行きましょう」


 馬車から降りると出迎えてくれたのは教皇とピンク髪の聖女(リリー)の二人だけだった。


「お待ちしておりました。本日は聖女と友人としてお会いになりたいとのことですが……」

「ああ。彼女とマリアはクラスメイトなんだ。卒業すれば友人として気軽に会うことは難しくなるからね。もちろん他意はない。聖女は我が国にとっても敬うべき御方なのだから」

「……お二人の身の安全のために部屋の前に騎士を立たせておきます。何かありましたらすぐにお声かけください」




 そうして通されたのは小さな告解室だった。


「まさかここに案内されるなんて。聖女に許しを乞うために来たと思われているのかな」

「申し訳ありません。さすがにそのようなことは考えてないとは思いますが……」

「まあいいさ。そう変わらないわけだし。……リリー、彼女の身体のことで君に協力してほしいことがあるんだ」


 殿下はリリーに神との対話を要請した。

 リリーは突然のそれに顔色一つ変えることなく頷く。


「えっ、そんないきなりお願いして出来るものなの!?」

「本来は無理だよ。こちら側から呼びかけることなんて出来ないから。でも今は特別なの。その理由は……マリアが直接聞くといいよ」

「? ええ、わかったわ」


 リリーは私の手をとって優しく握ってくれた。

 彼女の手は温かくて、これまで口に出すことの出来なかった不安がゆっくりと溶けていくような気がした。


「目を瞑って……ゆっくり深呼吸して」


 リリーの指示に従って目を瞑り、ゆっくりと息を吸う。


 聖女はその身に神を降ろし神託を得るという。

 だから集中して精神統一するのは私ではなくリリーのはずなんだけど、なんで私がこんなことをしているのだろう。

 よくわからなかったけど言い出せる雰囲気じゃなかったからとりあえず従っておく。


 後からこっそり聞いてみようかな。

 教皇の態度的にそんな時間もらえるかはわからないけど……。


「目を開けて」


 リリーの指示に従い、ゆっくりと目を開ける。


 

 目の前にはいつも通りのリリー。

 そしてその後ろはだだっ広い真っ白な空間が広がっていた。



「???? え、ここどこ? フランツ様は??」


 周囲を見回しても白い空間があるだけで隣にいたはずの殿下はどこにもいない。

 もしかして手品か何か?

 あまりにも突然のことで何も理解できない。


「ようこそ、私の部屋へ。君が望んだから連れてきたんだよ」


 そう言ってリリーは綺麗に笑った。

 その喋り方も表情も、私のよく知っている彼女とは全くの別人のようだった。


「…………貴方が神様?」

「そうだね。君たちは私のことをそう呼んでいる」

「フランツ様……私の隣にいた男性は今どこに居るの?」

「元の場所にいるよ。向こうの時間は進んでいないから心配しなくていい。彼は君と私が話していることさえ気付かないだろう」


 とりあえず彼は安全な場所にいるし私たちが突然消えて混乱するなんてこともないらしい。

 少し安心した。


「そう。なら本題に入るわね。私は日本に帰りたいの。そして今の身体の持ち主を元に戻してあげたい。神様なんだからどうにかできないかしら?」


 望みは元に戻すこと。

 私の存在によって歪んでしまったものを可能な限り元に戻したい。

 完全に無かったことにはできないだろう。けれど元の状態に近付けることはできるはずだ。


「…………毎回思うんだが、君は神に対して敬意を払うつもりはないのか?」


 リリーの姿をした神は不満げに言った。


「だって貴方は私の世界の神様じゃないもの。それに貴方はこの世界の神なんだから全てに責任があるでしょう? 私がこうやって困ってる状況も、要するに貴方のせいじゃない。そんな貴方に下手(したて)に出るのはとっても癪だわ」

「恐怖心を麻痺させたのは確かに私だけれど、さすがにその理論は想定外だな」


 神は楽しそうに笑った。


「とりあえず立ち話もなんだから座ろう。そのソファーに腰掛けるといい」


 神が指さした方を見ると、真っ白なソファーがあった。

 これさっきまであったっけ????

 真っ白で周囲に馴染みすぎて見逃してしまっただけだろうか。


 …………まあいいか。

 私は神の指定通りソファーに座った。


「さて、まずは全てを説明してあげよう」


 神もいつの間にか向かい側にあらわれていたソファーに腰掛けて脚を組んだ。


「ここは君が生きてきた世界とは別の世界で」

「ストップ。そういうわかりきった説明は要らないので簡潔にお願いします。理由とかどうでもいいから私の目的が達成できるかどうかを教えてほしいの」 

「…………私は神なんだが」

「ええ、知ってるわよ」

「………………まあいい。君の要望に応えよう。……君の目的を叶えることは不可能だ」

「なんでよ。神様なんでしょう? 不可能を可能にする力くらい持ってるんじゃないの?」

「神だからって何でもできるわけではないよ」


 神は軽く笑った。


「簡単に説明してあげよう」


 神が左手をかざすと、空中にホログラムのような球体が現れた。

 ファンタジーな世界の神なのにずいぶんとハイテクだ。


「私達は世界間で魂の交換をしている。魂の多様性のためにね。その際に魂が迷子にならないよう道を示す必要があるんだ。これまでは異世界の記憶を持った魂がその役割を果たしてくれていたのだが……最近は元の世界に未練のない魂が多くてね」


 もう一つ球体があらわれ、二つを繋ぐ橋のようなものが出てきた。

 それが少しづつ細くなる。

 これが神の言う魂が迷子にならないための道なのかな。


「道が途切れてしまっては困るから色々と試してはみたんだが……厳しい環境に放り込めば元の世界を強く求めるがすぐに精神が壊れてしまう。良い環境だったり特異な能力を与えればすぐに元の世界を求めなくなる。なかなか上手くいかなかったんだ」


 もはやただの愚痴だ。

 それを私に言ってどうする、なんて思ったけど私にはどうでもいい事だから黙っておくことにした。


「だから魂の性質を重要視することにした。元の世界を強く求める魂を、ね」

「それで私が選ばれたのね」


 私はこの世界に来た時から元の世界に帰りたいと思っていた。

 他人の人生を生きることに抵抗があったし、なにより向こうには私の大切な家族も友人もいる。

 私の居場所は向こうにあるのだとずっと感じていた。


「もちろんそれだけではない。君は飛び抜けて精神が強いんだ。どんな状況でも折れない性質を持っている。それに私が魂を弄っても自我を保つ事ができている。これはかなり稀有な特性だ」

「魂を弄るって……それはさっき言ってた恐怖心を麻痺させたって話かしら?」

「ああ。それだけではない。本来の君の魂の半分は元いた世界に残っているんだ。魂が半分の状態で特定の記憶の保持と隠蔽改変、そして複製も。君が言うその身体の持ち主とは君の魂をコピーした君だ」

「マリアが……私のコピー……?」

「そう。他人の記憶や感情を読み取ることは少し難しいからね」


 つまりマリアはもとから存在しないということなのだろうか。

 だとしたら殿下との婚約はどのようにして結ばれたのだろうか。もしかしてマリアでは無い別の女の子がいたのだろうか。

 もしそうなら私はその子の居場所を奪ってしまっていた……?



「君が先程までいた世界は、君の記憶を元に私が作った世界なんだ。夢のような……いや、君に馴染みのある言葉を使うとしたら、あの世界はシミュレーションの世界なんだよ。実体のない世界だ」 


 神の言葉をすぐに理解することはできなかった。


「不思議に思ったことはなかった? どうして二次元の存在を三次元の人間として違和感なく認識できるのか」


 言われてみれば確かにそうだ。

 二次元のキャラクターと現実の人間を混同することなんて有り得ない。

 でも確かに私は彼等をゲームの登場人物だと信じて疑わなかった。

 いや、疑えなかった。


「特定の人物をそう認識するよう君の認知を歪めていたんだ。もちろんそれだけじゃ世界を作るのに足りなかったからこっちの世界の要素を付加してる。この聖女のようにね。おかげで現実の世界と君の世界に大きな差異はなくなった」

「どうしてそんなことを……?」

「理由は話しただろう。君の魂を道標にするためだよ」


 理解ができない。


 というより、理解することを拒んでいるという方が正しかった。

 これを受け入れることは、この一年間の全てを否定するということだ。

 けれど……。


「今回のこれらは世界を繋ぐ経路を安定させるための実験のようなものだった。けれど思いのほか結果が芳しくなくてね。君以外の魂はことごとく壊れていったんだよ」


 神の話を聞いていくうちに、じわじわと現実が頭に染み込んでいった。


 シミュレーションの世界。

 だから乙女ゲームと同じ名前の、身分の、設定の人物が存在した。

 ゲームの世界のキャラに憑依するなんて有り得ないと思っていたけれど、本当に有り得ない世界だったのか。


 信じたくないと思う反面、神の説明に納得してしまう自分がいる。

 胸が苦しい。

 この一年の全ては虚構だった。

 築いてきた絆も、楽しかった思い出も、愛した人さえも……。


「以上が私から君にできる全ての説明だ。さて、何か質問は?」

「……この世界の話は理解したわ。私が日本に帰れないというのはどうして?」

「君の片割れを管理しているのは私ではない。向こうの神だ。だから君を返してあげたとしても、君の言う『日本』に帰るという保証はできない」


 でも元の世界に帰ることは可能なのか。

 向こうが今どんな生活を送っているのかはわからないけれど、少なくともその人生は私のもので、決して他人の人生などではない。


「私が関わっていた人達は……全員幻なの?」


 答えは分かっていたけれど、聞かずにはいられなかった。


「それは違う。いくら私でもあの数の人間を動かすのは骨が折れるんだ。しかも複数世界同時にそれをやるのは難しい。だからまだ生まれていない人間の魂を使っていた」

「じゃあフランツ様も……」

「いや、君が言う『攻略対象者』達は全て私が作った人形だ。でないとゲーム通りの存在にならないだろう?」


 喜びは一瞬にして絶望に変わった。

 ああ、やっぱり彼は存在しない人なのか。

 あの時の言葉も温もりも、全てが偽物だったのか。


「もし君が全てを拒否して元の世界に帰る選択をした場合、それらは消滅する。もちろん他の魂はこちらの世界で生まれ、また新たな生命として生きていくことになるから安心していい」


 だとしたら、お父様や屋敷の使用人達、それにゲームに出てこなかった親族や友人はようやく本来の人生を生きられるのか。


「私の望みは、君が元の世界に未練を残したままこの世界に留まること。けれど拒否するならそれでも構わない」


 神は微笑んだ。


「元の世界に戻った君はこの世界での出来事をすぐに忘れるだろう。悲しい思い出も愛しい人も、全てが朧気になる。……君は長い夢を見ていた。そうしてここでの全てを忘れてしまうのもひとつの選択だ」


 私が元の世界に戻るということは、彼を消滅させるということ。

 いや、もともと人間ではなかったのだ。

 本来は存在しないはずの人。

 それが消えたところで世界は何も変わらない。

 全てが元に戻るだけだ。


 それは私が望んでいたことでもある。


「もう一つ聞かせて……。フランツ様は……貴方が作った人形は、貴方が動かしていたの……?」

「私は動かしていないよ。そこまで暇じゃないからね」

「だとしたら彼が自ら考えて動いていたの?」

「そうだね。そこは間違いないよ」

「感情は……彼に感情はあるの?」

「どうだろう。少なくとも私が作った時にはなかったけれど……それを決めるのはあれ自身だ」


 この一年間の彼と過ごした日々を思い出す。

 一緒に歩いた美しい庭園、勉強をした図書館、二人で見た果てなく広がる美しい海。

 彼はいつも私を気にかけてくれていた。寄り添ってくれていた。

 そんな彼が作り物だなんて到底信じられない。

 信じたくない。


 けれど目の前にいるのは神だ。

 彼女の存在も言葉も偽りでは無いということはなんとなく理解出来ていた。


 だから本当に彼には魂がないのだろう。




 私も他の人も、あの世界に身体はなく、魂だけの存在だ。

 彼との違いは魂の有無だけ。

 じゃあ魂とはなんなのか。

 魂、それはつまり心……なのだろうか。

 漠然とした疑問がぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 魂が心だとしたら、作り物の彼には魂がないから心がない?

 いや、そんなことはない。


 いつだって彼は他者に寄り添っていた。共感し、時には感情を露わにすることだってあった。

 私には彼に心も感情もあるように思える。


 彼に感情が、心があるとしたら、私と彼の違いは何なのか。



 ゆっくりと息を吐き出す。




 こんなことを悩んでも結論なんて出ない。

 他者のことはいくら考えてもわからないのだ。それが人間であろうとそうでなかろうと変わらない。


 それでも一つだけ確かなことがある。



 私は彼の事を愛している。

 例え彼がどのような存在であってもこの気持ちは決して揺るがない。


 ならやるべき事はひとつだ。

 

「取引をしましょう」


 神は私の提案を楽しげに聞いた後、嬉しそうに笑って頷いた。





◇◇◇◇◇◇◇◇



 色とりどりの花が咲く皇宮の庭園は美しく、見るものの心を潤してくれる。

 春は特に花が美しい季節だ。

 華やかな香りに包まれ気分も高揚する。


 私はゆっくりと息を吐いた。


 明日、私は結婚する。

 だから今日が独身最後の日だ。といっても幼い頃から婚約者がいたから独身というのもちょっと違う気がするけど。


「マリア。こんなところに居たんだね。そんな薄着だと風邪を引いてしまうよ」


 少し離れた場所から声をかけられた。

 その声の主はもちろん殿下だ。


「もう春ですから風邪なんてひきません」

「だとしても明日は大切な日なんだ。今日は部屋でゆっくりした方がいい」

「過保護すぎます。疲れてもいませんし寒くもないのですから大丈夫ですよ」


 それでも彼は納得できないようで、私の隣に来て優しく手を繋いでくれた。


「こんなところ、誰かに見られたら怒られますよ?」

「構わない。どうせ明日には夫婦になるんだから」


 殿下は笑って私を抱き寄せた。


「それにこうやってちゃんと見張ってないと君はどこかへ行ってしまうかもしれないから」

「二ヶ月前からずっとそう言っていますね。そろそろ信用してくれてもいいんじゃないですか?」

「無理だよ。僕はきっと一生君の傍に居ないと駄目なんだ」


 殿下は私を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。



 神との対話が終わった後、私は気を失っていたようで、気が付くと教会のベッドに横になっていた。

 私の事情は神のお告げという形で殿下に知らされたようだ。

 なんでも、私の魂は神の使者としてこの世界に呼び出され、その器として選ばれたのがマリアだった、ということになっていた。

 魂は徐々に融合してひとつになるため、私はマリアでもあるのだと神が言ったらしい。


 殿下がそれで本当に納得したのかはわからない。

 けれどそれ以来、彼はまた私を『マリア』と呼ぶようになった。


「私は二度と貴方の傍を離れません。それに約束したでしょう? ありとあらゆる手を尽くしてフランツ様を守ると」

「……そうだったね。マリアは……本当にこれで幸せかい?」


 それは私ではなく、私の中に居るマリアに聞いているのだと思った。


 目を閉じ、私の片割れに集中する。

 マリアの魂は私のコピーだけれど、私とは別の人生を歩んだ別の存在だ。

 私の魂がなければ消滅してしまう脆い存在。だから私はマリアとして生きる必要があった。


 片割れからは負の感情は感じられない。


「幸せです。私も……マリアも」


 いずれこの片割れは私の魂に統合される。

 役目を終えたからだ。


「これから先はフランツ様のために生きていくと誓ったのです。ですから私はこれからずっと幸せです」

「ちょっと大袈裟だよ。君は君のためだけに生きるべきだ」

「もちろん全ては私のためですよ? 私が私の意思で選択したのです。誰に強要されることもなく、私のために選んだ未来ですから」


 殿下は苦笑している。

 ちょっと重かったのかもしれない。


 それでもこれは全て本当のことだった。



 神との取引で、私は千年間この世界の道標となることを請け負った。

 その見返りとして実体のないこの世界を現実の世界に移すことを要求した。

 もちろん魂を持たない攻略対象キャラ達もだ。


 魂がない状態だと輪廻の輪に入ることが出来ないとかなんとか言われたから、そこは必死に頼み込んで普通の人と同じ存在になれるよう改造してもらった。

 その内容は一応聞いてみたけどよくわからなかった。ちょっと疑わしいけど神が大丈夫というのだから大丈夫なのだろう。

 それにしてもこんな魔法のあるファンタジーな世界で輪廻って言葉使うんだな。



 お願いをすぐさま快諾してくれたのを見るに、神はこうなることを最初からわかっていたのかもしれない。

 手のひらの上で転がされていることを癪だとは思うけれど、だからといってこの結末を否定するつもりはない。


 私はただ彼が幸せになってくれればそれでよかったのだ。


 まあ彼と過ごす数十年のために千年もあの神に仕えるのはなんだか騙されているような気がしなくもないけれど。


「この先何があってもこの道を選んだことを後悔することはありません。あとはフランツ様が幸せになればめでたしめでたしです」

「めでたしって……」

「私は我儘で自分本位な酷い人間ですから。見ず知らずの人の人生より大切な人の幸福を優先するのです。そして……フランツ様が幸そうにしているのを見るのが私の幸せです」


 殿下は困ったような表情をした。


「僕も確かに君が幸せそうにしているのを見ると嬉しくなるけど……でもやっぱり一緒に幸せになる方がいいと思うんだ」

「? 私も幸せですよ?」

「うん。でも人は一人では生きていけないから、皆で幸せになるのを目指す方がより幸せになれるよ」


 彼が言わんとしていることは理解出来る。

 けれど他人の運命を無理やり変えた私にそれは許されない気がした。

 

「大丈夫。君が出来ないことは全て僕がやるよ」

「それは困りますね。そうなったら私は何もやらなくなってしまいます。何しろ私が出来ることなんて片手で数えられる程しかありませんから」


 不満を顔に出して見上げると、殿下は楽しそうに笑ってくれた。


 きっとこれから色んなことがあるだろう。

 喧嘩だってするかもしれない。

 それでも彼と一緒に過ごせる日々はきっと幸せでかけがえのないものになる。


「愛しています。誰よりも幸せにするのでずっと隣に居てください」


 私のプロポーズじみた台詞に彼は嬉しそうに頷いた後、それは僕の台詞なのに、と不満を零した。



ここまで読んでいただきありがとうございます。


あらすじとにも書いていますが、現在連載している同名タイトルの短編版ですが別物です。

二年前に書き始めたときに考えていた設定なのですが、何十万字も書いて最後にキャラが人間ではなかった、というオチはさすがに酷いなと思ってボツにしました。

なので短編としてこちらを書きました。


タイトル通り某SF小説から着想を得て書いてます。

(といっても原作は未読で、映画版と原作との差異を調べていて思いつきました)


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