たとえ婚約破棄されたとしても大喜びは禁物です
「カテリーナ、今日この場限りで貴様との婚約は破棄するっ!!」
豪華絢爛に彩られたホール内、侯爵令嬢であるカテリーナに眉を大きく顰めて声を荒げる者が現れた。
王族の一人第一王子であるデビットだ、カテリーナの婚約者でもあり王位継承権第一位である。
声をかけられたというのに、カテリーナはそんなこと気にもせず周りをぼんやりと見つめて「みんな元気ねぇ~」とのどかにしていた。
カテリーナはいつでもどこでもぼんやりとしている事が多く周りからは何を考えているか分からない不思議な令嬢だと噂された。
言動全てにおいてゆったりとしていて話している相手がもどかしくして急かしてくる事もしばしば。
ボブヘアーの蜜柑色の髪は果物の蜜柑の様にさっぱりとしていて、空色の瞳は青空に広がる空模様のように明るく透き通っていた。
「おいっ! カテリーナ聞いているのかっ!?」
カテリーナは心ここに在らずといった風情で目の前で怒るデビットをぼんやりと眺めた。
「あら、まだ右の鼻に黒子があるわ、あれはもしかして黒子じゃなくてニキビなのかしら?」とにっこり笑いながら考えを募らせる。
「っち! これだから能天気女はムカつくんだっ!」
また大きく声を荒げ怒り狂うデビットを冷静に見つめる。
喩えどのようなことを相手からされようが言われようが、カテリーナの心は川の水のように穏やかに流れている。
その様子を見ていられないと思った令嬢がカテリーナの肩をトントンと叩いて知らせてくれた。
「カテリーナさん、デビット様が一生懸命にお話なさっていますよ」
「あら? そうでしたの? ごめんなさいデビット様、わたくしに何か御用かしら?」
首をこてんと傾げながら目をじっと見つめ尋ねた。
そのカテリーナが癪に触ったのかデビットは赤顔になりながら周りの目も呉れず憤慨した。
「何か御用だと!? 馬鹿にするのも大概にしろっ! 僕の話を聞いていなかったのか!?」
「ええ、何も。ですからもう一度おっしゃって頂けますか?」
「どこまでこの僕を苛立たせるつもりだ……!!」
「あらあら、そんなに怒ると血圧が上がって早死にしてしまいますよ。まだお若いのに」
けろっとしながらそう言って退ける、決して悪気はない。
それに不機嫌な人というものは考えを改めた方が良い。
不機嫌な人と上機嫌な人だったら絶対に後者を選ぶはずだ、悪い方へ足を運ぶなんて自ら地獄へ飛び込むようなもの。
カテリーナこそまさに“上機嫌な人”の良い例だ。
性格はだいぶおっとりとしているが常日頃からニコニコと笑顔は絶やさなかった、それは叔母から幼い頃に教えられたことだからだ。
「いいかい? カテリーナ人生決して良いことばかりじゃない、でもね嫌なことがあったってそんなものは笑い飛ばしてやりなさい。笑顔はね人を幸せにしてくれるものなのよ」
笑顔は人を幸せにしてくれる、その言葉が幼い頃のカテリーナの胸に深く深く染み込んだ。
だからカテリーナは今日も今日とて喩え何があろうとにこにこと笑顔で幸せに過ごす。
「早死にだと……!? どこまで僕を愚弄するつもりだ! やはり貴様のようなお気楽で能天気女ではなくこのユリアンヌの方が僕に見合った女性だなっ!!」
デビットは隣に佇んでいた男爵令嬢のユリアンヌの腰をグイッと手で引き寄せた。
身体つきが女性らしさを醸し出している、見せびらかすような開いた胸元に腰はキュッと引き締まりスラリと長く細い手足。
小さく華奢なカテリーナとは似ても似つかない容姿でそのうえ見るからに性格も真反対そうだった。
ユリアンヌは勝ち誇った顔をしてくすくすと嘲笑う。
「うふっ、デビット様嫌ですわぁ~。カテリーナさんが可哀想ではありませんこと」
「可哀想なことあるかっ!! 次代国王となるこの僕を侮辱したんだぞ」
「まぁまぁ。脳のないカテリーナさんがおっしゃったことですわ、気にするだけ無駄と言うもの」
見せつけるように目の前でイチャイチャとされるがカテリーナはユリアンヌの胸元の黒子をマジマジと見つめた。
「あんなところにも人間って黒子が出来るのね、はぁ~、凄い」とそんなどうでもいい考えにうつつを抜かしていた。
またしても何の反応もないカテリーナへデビットは痺れを切らして指をずいっと突きつけて高らかに声を張り上げた。
「僕は今日を以て貴様と婚約を破棄してこのユリアンヌと婚約を結ぶことにした! 彼女の方がよほどこの僕を愛してくれるからな」
「婚約、破棄……? 誰と誰がですの?」
「貴様と僕がだよっ!!」
するとカテリーナの目はキラキラと宝石のように輝かせてドレスの裾をつまみあげ二人へ膝を曲げて弾んだ口調でこう言った。
「婚約破棄快くお受け致しますわ。デビット様ユリアンヌ様どうかお幸せになってくださいね」
「なっ……!!」
「それではわたくしはこれで失礼致します」
カテリーナが快く婚約破棄を受け入れるとは思っていなかったのだろう、二人して唖然としていた。
そんな二人を他所にカテリーナは晴れやかな気分であった。
デビットの前ではいつも以上にぼんやりとして婚約破棄して貰えるように敢えて仕組んだのだ。
カテリーナは「はぁ~~。幸せ! ようやく美味しいお菓子を毎日食べて美味しいお紅茶を毎日飲む至福の時間が味わえますわ」とほくそ笑む。
カテリーナは嬉しい思いのままその場を去ろうとしたらデビットにギュッと力強く手首を握られてしまう。
「まだ何か御用かしら? わたくしとは婚約破棄なされるのでしょう?」
「貴様はこの僕に謝罪の言葉も無くこの場を去るつもりか!?」
「え? ええ、そうですけど?」
「~~っ!!」
デビットがもう片方の手をあげてカテリーナの頬をめがけて振りかざそうとしたが、その手を掴んで守ってくれた者がいた。
その者を見たデビットは抑えきれない怒りを相手へぶつける。
「ノア!! 何のつもりだ!!」
名を呼ばれた男はデビットの弟であり第二王子であるノアだった。
金色の髪を持つデビットとは反対にノアは漆黒の髪に赤色の瞳の容姿で周りの人間からは死神の様に気持ちの悪い容姿だと距離を置かれている。
デビットを見据えるノアの赤い瞳は煮えたぎる怒りを露わにしていた。
「何をと言われましても。貴方が彼女に手をあげようとしたからですよ」
「っ!!!」
カテリーナは揉め合う二人を微笑みながらぼんやりと眺めてみた。
兄弟といっても性格もほぼ真反対に近しい、短気で遊び人なデビットと真面目で堅実なノアは犬猿の仲といってもいいだろう。
カテリーナは「はぁ~、眼福ですノア様。今日も変わらずお肌がお美しい! そのうえルビーのように麗しい赤い瞳がなんとも素敵ですわっ!」とパッと花びらが舞うような笑顔をノアへ向ける。
「カテリーナさん、いつも俺のこと褒めてくれてありがとう」
嬉しそうにくしゃっと笑いそう言われた。
その時カテリーナはふと疑問に思った、ノアと顔を合わしてから何も言葉を発していないのにどうして思っていることが分かったのだろうかと。
まるでカテリーナの心の内が聞こえているような素振りだ。
するともう一人カテリーナ達の元へ姿を現した人がいた。
「カテリーナ嬢この度は我が愚息、デビットの無礼な行い心からお詫び申し上げる」
この国を統治する偉大な国王陛下がカテリーナに対し申し訳なさそうな表情をしてそう言った。
ホール内には国王陛下の姿はなかった、まるでこの出来事があるのを予め知っていたかのようなご登場だ。
「父上っ!! 僕が何をしたと言うのですか!! 元はと言えばそこにいるカテリーナがいけないのですっ!! この僕を蔑む偉そうなその態度が重罪に値する!」
声を張り上げて自分は無罪ですと主張するその様は見ていて目を逸らしたくなるほどだ。
公の場で婚約破棄を申し込んだ上に詫び入れる事もなく、堂々と浮気するその姿を快く見ていた者なんてこのホール内には誰一人としていない。
一人、また一人と軽蔑の眼差しをデビットへ向ける。
「最低。カテリーナさんが可哀想よ」
「そうだっ! 彼女が何をしたって言うんだ」
「カテリーナさんがデビット様に対してその様な態度をなさった所わたくし見たことも聞いたこともありません!」
みんなカテリーナを庇うようにして声を上げていく。
それが気に入らなかったデビットは縋るような思いで国王陛下へ歩み寄る。
「ち、父上……! カテリーナ含めここにいる者たち諸共重罪だっ!!」
「黙れっ! まだこれ以上王家に泥を塗るつもりか。目障りだ、早く連れて行け」
兵士達にデビットとユリアンヌは拘束され連行された。
嵐が去った後のように、しんと静まり返ったホール内に一番に声をあげたのは国王陛下だった。
「この度の騒動どうお詫びを申せばいいか……。誠に我が愚息がご迷惑をおかけ致しました」
「いえ、国王陛下が頭をお下げになることはございません。わたくし、なんとも思っていませんからお気になさらず」
ふわっと溶けた雪のように笑みをこぼした。
今しがた辛い思いをしたはずだろうに皆を心配させまいと笑顔になるその態度に心打たれる。
実際そんな辛い思いとは裏腹に「お家に帰ったらチョコとプリンと、それとタルトも食べましょうっ! うふふ! 幸せっ!」とるんるんの気分であった。
その場を去ろうとしたカテリーナの手をノアがぎゅっと握りしめた。
「ノア様? わたくしに何か御用かしら?」
「カテリーナさんさえ宜しければ、今からご一緒にお茶しませんか? チョコにプリンにタルトと、それとマカロンもご用意しますよ」
「あらっ! わたくしが食べたいと思っていたところでしたわ! ノア様ったら相変わらず勘が鋭いのですね」
「カテリーナさんのことならなんでもわかりますから。それじゃあ行こうか?」
「ええ、喜んでっ!」
この時のカテリーナはまだ知らなかった、ノアには人の心が聞こえる不思議な力を宿していたことを。
デビットはと言えば国王陛下から王族籍剥奪を下されてユリアンヌと共に貧窮の生活を生涯送ることとなった。
子供同士のお茶会の場ではじめてノアとカテリーナは顔を合わした。
容姿を快く思っていない人間の言葉ばかりがノアの耳にこだました。
そんな時のんびりとした声が聞こえた「はぁ~~! どのお菓子も美味しいっ! 少しぐらい持って帰っても構いませんわよね」とお菓子を頬張るカテリーナを見つけた。
ぱちっと目と目が合いノアは、嫌なことを思われるかと身構えたが「まぁっ、なんて綺麗なお方なのかしら! 肌には出来物ひとつなく、それでいて宝石みたいに輝く赤い瞳っ! 真っ黒い髪は落ち着いた彼の雰囲気にばっちりだわ! まさに眼福物ねっ!」とカテリーナは花が咲き誇ったようにふわっと微笑んだ。
「お隣宜しいですか?」
「ええ、どうぞお座りになって。わたくしカテリーナと申しますわ。貴方は?」
「俺はノア、これから宜しくお願いしますね。カテリーナさん」
はじめてノアは人の笑顔に癒されて幸せな思いをした。
ーーノアから婚約を申し込まれたカテリーナは快く了承し、二人は笑顔にあふれたあたたかい幸せな生活を末永く過ごした。