事件編《前編》
根坂 優喜
1
根坂優喜は午前8時ちょうどに駅の改札を出た。
この日、日曜日の朝の駅は、休みだというのに人が多かった。それも平日のラッシュアワーとは少し雰囲気が違う。スーツを着ている者は少なく、代わりに学ランやブレザー、セーラー服に身を包んだ若年の男女が駅構内を支配していたのだ。
みどりの窓口やキヨスクなどの目印になりやすい場所ほど人がたむろっていて、楽しそうにお喋りをしていた。また、携帯電話で引っ切り無しに電話をしている者、地べたに座り込んで化粧を直している者、誰かと待ち合わせをしているのか、キョロキョロと辺りを見渡して落ち着きのない男、本を片手に突っ立っている女がいた。
とる行動は千差万別だが、ファッションセンスは数えるほどだった。黒の学ラン、ブレザーをきっちりと着こなしている男。ヒザを隠してショートソックスを履いている女。上2つのボタンを外し、ネクタイをだらしなく緩めて髪を茶色に染めている男。太ももを見せてルーズソックスを履いている茶色の髪の女。大きく分けるとこの4パターンしか見当たらなかった。
根坂はこのうちの3パターン目に当てはまった。別にそれが流行りだからではない。ネクタイは首を締め付けるので緩めているだけだ。髪は黒より茶でないと似合わないので染めているだけだ。自分の意志がないわけではない。
高校生で賑わう駅構内を根坂は横目で流して外へ出た。
空気は冷たいが空は快晴だった。まだ暖房に頼る生活はやめられないが、もうしばらく辛抱すればこのコートも要らなくなることだろう。
外へ出たせいもあり、根坂はポケットから目薬を取り出した。空気が盛んに動いていると目薬が手放せない。今日はここに来るまでに3回はさしている。
瞳に溜まった雫をパチパチさせながらこれから行く道を眺めると、まるで白蟻のように高校生の連なる列が伸びている。これから根坂も白蟻の1匹となる。だから、地図など持たなくても彼らの後をついて行けば目的地へ連れて行ってくれる。
黒のカバンを肩に提げ、ポケットに手を突っ込んでゆっくりと歩いた。時折、顎の辺りがむず痒くなってぽりぽりと掻く。カバンの中には筆記用具しか入っていない。それ以外の物を持ってくるなんて重たいだけだ。無駄なあがきはしたくない。
やがて、デパートのビルの外壁に設置された大時計が見えてきた。この時計は仕掛け時計になっている。時間がジャストになると音楽が鳴り出して、ディズニーキャラクターが時計の羅針盤の小窓から現れるという仕掛けがあった。だが、そのイベントが発生するのは、ここのデパートが営業している間だけであって、8時ジャストのイベントは発生していなかった。恐らく、騒音問題を考慮しているのだろう。また、その2つ隣のビルには大型ハイビジョンテレビが設置されている。これもまだこのビルが営業時間ではない為、今は真っ黒の画面しか映し出していないが、後1時間もすれば、ここら近辺を歩く人々は見上げて歩くことになるだろう。
駅の周辺は賑やかで何とも都会的だった。しかし、郊外へ向けて15分も歩けば、打って変わって閑静な住宅街が現れる。これから向かう所もその住宅街の中にひっそりと佇んでいた。
根坂は周りの流れに乗って歩いていたので、前の人を追い越すことも後ろの人に追い越されることもなかった。
途中に公園があり、大きな桜の木があった。桜の木は公園の一角に生えていて、その長い枝は歩道にまではみ出している。今はまだ桜に花は咲いていないが、もう少し経てば桜のトンネルができそうだ。
しばらく歩くと、小さなコンビニが現れた。そこは既に高校生の溜まり場と化していた。コンビニの駐車場の隅では何人かが座り込んでいる。何をしているのかと思えば、みんなでカップラーメンをすすっている。おそらく、それが朝食になるのだろう。
根坂は昼食と飲料水を購入していなかったのでそこに立ち寄ることにした。店内はほとんど高校生で埋め尽くされていた。漫画や雑誌のコーナーは立ち読み客で満員、店内のトイレには短い行列ができている。普段は簡単にすれ違うことができそうな通路も今は「すみません」と声をかけないと通れなさそうだ。
やっとのことで弁当コーナーに辿り着いた根坂は、顎を掻きながら、もう選択の余地のない棚の状態を見て、ご飯は諦めてパンにすることにした。多めに買っておけば、とりあえず今日は、夕方までは腹の虫は鳴かずにすむだろう。ところが、パンコーナーは女子高生達が壁を作っていて何が残っているのか見えなかった。根坂は右往左往しながら茶色い髪の間から覗き込むと、まだパンは結構残っているのが確認できた。どうやら彼女らは壁の向こうで、物を選ぶことよりも何が美味しいのかをペチャクチャと講釈し合っているようだ。
「メロンパンはここのが一番おいしいよ」
「このメープル入りのパンね、最近出たんだよ。新発売だって」
「ここのアップルパイ、買わない方がいい。アップルがまずいんだよ」
そんな彼女らを尻目に、根坂は彼らの隙間から手を伸ばした。痴漢と思われてもおかしくない小刻みに震えた手でパンを掴み取った。彼らはその手に気が付いたようで、痴漢を見るような目付きで根坂を一視すると、ソロソロと根坂の為に間を開けた。根坂は彼らの対応に少し腹を立てると、急いでパンを引っ手繰って彼らの選択範囲を狭めてやった。
そして、冷たいペットボトルのお茶を選ぶとレジに並んだ。うんざりしてしまうほど行列していた。朝が早いからか店員が2人しかおらず、2台のレジを開けていてもお客を処理し切れていなかった。せっかく8時に駅に着いても、ここで手間取ってしまっては元も子もない。9時までには行かねばならないのだ。ここに並んでいる高校生とて根坂と同じだ。後ろに並んでいる者ほどイライラ感は募っていた。現在8時半。もし、9時に間に合いそうになかったら、このパンは諦めて店を出ようと思っていた。
「申し訳御座いませんが、ご自身を証明する証明書をお持ちですか?」
根坂がふと前を覗くと、私服を来た若い男がレジの先頭にいた。その男はポケット中を探し回っていた。
「証明できる物が御座いませんと、お酒のご購入はちょっと……」
こんな緊急時に何をやっているのだろうか。最初から証明書くらい用意しとけ。でも、あの男の気持ちはよく分かる。きっと、気が動転して探すに探せないに違いない。こういうときに人の性格が現れる。彼がもし気の強い人間なら、こんな状況下でも証明書を探し続けることだろう。その逆ならば、レジの行列から一旦身を引いて、探してから改めて並び直すことだろう。この店もこの店だ。こんな状況でも20歳を超えているかどうかをチェックするなんて。決して間違ってはいないが、別にチェックなんて……。いや、やはりあの男の方が悪いな。
ついに誰かが怒鳴り出すんじゃないかというところまで来たとき、その男は証明書が見つかったようで急いで店員に提示した。
「はい、すみません。どうもありがとうございました」
ようやく1人が処理された。並んでいる全員から安堵の息が漏れてきそうだ。
午前中にして、弁当、おにぎり、パンがほぼ完売となり、そのコンビニは久し振りに大盛況だったが、午後は営業にならないのが気の毒である。午後から入りになっているアルバイトがいるとするなら、その人は今日1日楽できそうだ。
根坂がレジを終えたとき、既に時間は8時45分を回っていた。彼は急ぎ足でコンビニを出た。目的地はコンビニから2分と歩かずに辿り着けた。門を潜り抜けると、カバンから顔写真を貼り付けた受験票を取り出した。昨日、写真のことをすっかり忘れていて、夜中に慌てて近所のインスタント証明写真ボックスに駆け込んで撮ったものだ。写真を撮られるのはどうも苦手で、撮る瞬間になると身体に力が入ってしまう。だから、よく見ると顔が引きつって映っていた。
受験票と校舎の入口に貼ってある教室の案内図とを照らし合わせた。確認すると急いで階段を駆け上がる。自分の試験会場はその校舎の3階にあった。教室に着く頃にはちょうど試験開始10分前だった。早く家を出てみるものである。もし、9時10分前に着くように家を出ていたら、昼食は買えなかったことだろう。
暖房と人の熱気でムッとしている教室は、ほぼ全ての座席が埋まっていた。まるでお葬式のように受験生達が静かに座っている。既に試験官も教室に2名待機して、これから問題用紙を配ろうとしていた。
根坂は受験票と黒板に書かれた座席表を照らし合わせた。幸か不幸か、彼の席は教室の廊下側の1番前だった。速やかに移動して自分の座席に座る。机の上には、ペンと消しゴムのみを置いて筆箱はしまう。カンニングペーパーなどの不正行為を防止する為、たいていの試験会場はそれ以外は机の上に置いてはいけないはずだ。荷物を隣りの座席に置き、受験票を通路側に置いて試験官が容易に覗き込めるようにする。
これで全ての準備が終わった。いや、まだだ。目薬をさしたい。目がしばしばする。暖房で空気が動いているのが目で感じられた。体液が少ないのか、瞬きをしても目の潤いが戻らない。またすぐに渇いてくるのが分かる。目薬だけは机の上に置いておくことにした。これくらいはここに置いてあっても許されるだろう。これくらいで注意されるなら、この大学を訴えてやる。
そんな勝手な妄想をしながら、目薬の雫が零れ落ちないようにパチパチして瞳に染み込ませる。視界に潤いが戻ったとき、最初の鮮明な映像は花柄模様の黒のストッキングに包まれた長い太ももだった。そこから上方へ視線をシフトさせると、引き締まったウェストの黒のミニスカートが映った。更に上方は襟を立てて上2つのボタンを外している黒のブラウスが映った。ブラウスの膨らみから、バストのトップとアンダーにかなりの差があるようだ。ブラウスの隙間から胸の谷間が見えるのがそれを証明している。更に視界の奥に際立って映ったのは真っ赤な口紅だった。その唇は異様にキラキラと輝いていた。恐らく、グロスを塗っているのだろう。
その女性は真剣な表情で問題用紙と回答用紙を根坂の机に1枚ずつ置くと、いい匂いのする香水を残り香にして後ろの席へと移っていった。
どこかで見たことがある女性だった。初対面な気がしない。だが、記憶の糸を手繰り寄せてもその先に何が結ばれているのか見えなかった。どうやら相当、頭の奥底にしまってあるようで、ちょっとやそっとじゃ取り出せないようだ。
根坂は、必死に思い出さなくても大した支障はないと直感したので、回答用紙の受験番号と氏名の欄に記入することにした。
5分後。全ての受験生に用紙を配り終えた記憶の彼方の女性が壇上の教卓の前に立ち、注意事項を読み始めた。
「机の上には鉛筆、シャープペン、消しゴム以外は置かないで下さい」
彼女の声は滑舌のハッキリとした甘い美声だった。
その声で記憶の糸がまた少し手繰り寄った。やはり、どこかで聞いたことのある声だ。
「試験時間は90分です。途中退出はできません。試験問題に関する質問には一切お答えできません。また、鉛筆や消しゴムを床に落としたなど、何かありましたら静かに手を上げて下さい」
黒のハイヒールを履いているせいもあってか、その女性は見事なほどに真っ直ぐと背筋を伸ばして立っていた。光沢で輝いた艶のある漆黒のロングヘアーも負けじと真っ直ぐに腰の辺りまで垂れている。スタイルが良く見えるのは頭の先からつま先まで全身黒で統一しているからだ、と言い切ってしまうのは随分と浅はかである。あのスタイルを保つのに相当な努力をしているのには間違いないだろう。それにしても、ちょっとスカートの丈が短すぎはしないか。太ももの4分の3は露出しているではないか。長い脚を自慢したいのは分かるが、受験生を前に何もそんなに主張しなくても。
「試験時間はわたしの時計で計ります」
彼女は左手首の腕時計を覗きこんだ。黒一色の隙間から現れた手首と右足首のシルバーのアンクレットがやけに白く映えていた。
「それでは、始めて下さい」
その合図で根坂はすぐさま心を切り替えた。
*
1つ目の試験が終わった。
今日のスケジュールは、この後15分間の休憩を挟み、引き続き午前中にもう1科目試験を行う。12時過ぎに試験が終わって昼食となり、午後は1時半から最後の1科目をやるので、全部で3科目の大学入試だ。
今のテストは楽勝だった。まずは第1関門突破というところだろうか。やはり、過去問題集に目を通しておいて正解だった。同じ問題がいくつか出ていたからだ。試験勉強において、過去問題を解くというのは最も無難な勉強方法だ。
根坂は席を立つと廊下に出た。廊下は非常に寒かった。そこは日差しが差し込まない北側に位置していたので余計だ。彼は、とある衝動に駆られて廊下を早歩きで歩いた。さっきの試験会場の案内図によると、1階で試験を行っている教室はない。しかも、休憩時間は15分しかないから、1階に降りてくる者などいないだろう。
案の定、1階は静まり返っている。玄関ホール以外は蛍光灯がついていない。今日は入試の為に学校を開けているので必要な場所以外は電気を落としているのだ。外から漏れてくる光だけで十分なのだろう。
そんな中、根坂は不審者に間違えられてもおかしくないほど、キョロキョロと辺りを探し回った。ほどなく廊下の中ほどにあった目的物を目で捕らえると、今度は辺りを警戒するように見渡した。誰もいないことを確認すると、恐る恐るそこへ歩み寄った。それを目の前にしても誰もやってくる気配はなかった。
根坂は静かに学ランの内ポケットから煙草を取り出した。大学には灰皿が当たり前のように置いてある。なんとも有り難いことだ。ここが小中高とは異なることだ。
煙草の煙を乾いた空気に吹きかける。この瞬間が快感だ。大人の気分だ。これで次の試験もきっと楽勝だ。
と、突然、ヒール音がしたと思ったら、その廊下を横切った者がいた。
根坂はいきなり現れた通行人に慌てふためき、揉み消す前に煙草を廊下に落としてしまった。それから彼は身動きをしなかった。自分がこの廊下に存在していることを他人に知られてはまずかったからだ。
じっと耳を傾けた。さっきのヒールの音は既に聞こえない。階上から高校生の声が聞こえてくるだけだ。
根坂は警戒を一部解いた。そして、煙草を拾おうと屈み込んだとき、誰かの視線を感じた。ハッとして見上げると、真っ暗な空間に真っ白な目玉が2つ浮かんでいるのが見えた。廊下の角から顔だけを覗かせた髪の長い女がこっちをじっと見ていたのだ。
「うわっ!」
小さな叫び声を上げた根坂は驚いて腰を抜かしてしまった。冷たい床に尻餅を着いた。尻で感じた冷たい温度が体中に伝導し、一気に体温が下がった。体温を逃がすまいと根坂の体中の毛穴が口を蕾めた。
「ちょっと、そんなお化けを見たような顔しないでくれる?」
廊下の角から全身を現した女は、さっき根坂の教室で試験官を務めていた髪の長い女だった。
「わたしの方こそビックリしたんだから」
女は人懐っこい笑みを浮かべながら近付いてきた。静かな廊下にヒールの音がやけに響く。
ここまで近付いて来られてはもう煙草を拾うことなどできなかった。
「で、こんな所で何やってるのかなぁ?」
女はもう何もかもお見通しのようで、からかうように尋ねてきた。床に落ちている煙草を見ながら言っている。
下から彼女を見上げていた根坂は、綺麗に伸びた太ももを目の前に目のやり場に困った。
「いや、そのぅ」
「ああ、なんだろ、これ?」
女は髪を耳にかけながらしゃがみ込み、わざとらしく煙草を拾って根坂に見せた。
根坂はこの後どんなことが起こるのか不安だった。面倒なことにならなければいいが。
「ダメでしょ、こんなことしてたら。タバコは20歳になってから」
拾った吸殻を灰皿に捨てると、女は根坂の肩に手をやった。
根坂は肩を強張らせた。今度は何をしようというのか。
女の手は肩から胸の辺りまで移動すると胸ポケットに手を入れた。そして、タバコの箱を摘み出す。
「これも没収」
「ああ、ちょ、ちょっと待って下さい」
根坂は慌てて立ち上がった。まるで担任の先生のように振舞う目の前の女に些か驚いた。何も没収までしなくてもいいだろう。大学の先生ならまだしも、多分ここの学生だろう。ただの学生に注意などされたくない。それに、それがなかったら午後の試験はどうすればいいのだろうか。落ち着いてテストなど受けられない。
だが、そんな根坂の心の叫びは当然その女には聞こえなかった。
「結構、重たいの吸ってるのね。今からこんなの吸ってたら体壊しちゃうよ」
間近で見るとその女は左右対称で整った顔立ちをしているのがよく分かった。綺麗に形の整った眉、大きな瞳に長いまつげ、歯並びの良い真っ白な歯。瞼には薄っすらとピンクのアイシャドウ、そしてあの真っ赤な口紅。化粧と呼べるのはそれくらいでわりと薄化粧だ。タバコの箱を摘んでいる細くて長い指の先にはピンクのマニキュアを塗っている。
大人の女が漂う妖しい試験官は根坂の煙草の箱を自分のブラウスのポケットに入れてしまった。
「試験が終わったら返すから、それまでの辛抱ね」
「は、はあ」
煙草を没収されたのは納得できないが、最悪の事態に発展しなくて良かった。煙草が見つかって試験自体が無効になってしまうのではないかと冷や冷やしていたからだ。どうやら、この女はそこまではするつもりはないようだ。根坂はとりあえずこの女に対する警戒態勢を全面解除した。
「あなた、わたしが試験監督する教室で試験受けてたでしょ? 1番前に座ってた」
根坂は心の中で唸った。顔を憶えられていたとは。そんなに自分の顔は憶えやすい特徴のある顔なのだろうか。一昔前ならこの髪の色で十分目立っているところだろうが、今となっては憶えやすい要素にはならないだろう。
こうしてあれこれと推測してみたが、実は彼女は顔の特徴で覚えていたわけではなかった。
「テスト中に何回か目薬さしていたから憶えてたの。どうしたの? ドライアイなの?」
そういうことか。テスト中に7、8回もさしていれば憶えられても仕方がない。
「そうなんです。今、コンタクトしてるんですけど、コンタクトにするとドライアイがひどくて」
「やっぱりそうだったんだ。大変だね、目が悪いと。わたしはね、両目とも1.2だから、今のところメガネもコンタクトも必要ないみたい」
2人は同じ教室へ向かって歩き出した。
彼女は片手に問題用紙の束を持っていた。こんな状態で受験生と肩を並べて歩いていいのだろうか。
「これね、次のテスト問題。見る?」
「なに言ってるんですか」
彼女のボケに思わずツッコミを入れてしまった。煙草はダメだと言っておいてそれはないだろう。
2人は笑い合った。
「さっきのテストは難しかった?」
「まあまあでしたね」
「すごいじゃん。じゃあ、受かっちゃうかな? わたしもテスト中に、余った問題を借りてやってみたんだけど、意外とできちゃった。卒業したらもう1回入学できるって確信したね」
「いや、だって先輩はここの学生ですよね? 自分ところの入学問題くらいできないとまずいんじゃないですか?」
痛いところを突かれたのか、彼女は頭をかきながら言った。
「そうなんだけどさ、大学に入っちゃうとみんな遊んじゃって勉強なんてしなくなるのよ。だから、意外とできちゃったわたしをもうちょっと褒めてくれてもいいんじゃない?」
「あっ、そういうことですか。それなら先輩はすごいすごい」
「なーんか、わざとらしいなぁ」
彼女は細い目をして根坂を見つめた。
彼女に煙草が見つかったのは幸運だったかもしれない。ざっくばらんで人当たりが良い人だ。この人をどこかで見たことがある、かすかな記憶は依然残ってはいたが、煙草の件は2人の中だけで揉み消してくれそうだ。
「わたし、水咲。名探偵研究会っていうサークルの会長やってるの。最近なったんだけどね。もしも、あなたがここに入学することになったらよろしくね。いつでも歓迎するから」
彼女が自己紹介をしたとき、また記憶の糸が引っ張られた。彼女の名字はやはりどこかで聞き覚えがある。もうちょっとで思い出しそうだ。
「僕、根坂と言います。そのときはよろしくお願いします」
2人は階段を登った。水咲が1段1段登るたびに太ももが視界に入り込んで気になった。
やがて、自分達の教室のフロアへ登りつく。
「根坂くんはどこに住んでるの?」
「えーっと、多分名前を言っても分からないと思うんで、ここから電車で約1時間の所ですね」
「結構あるね。今通っている高校は家からどれくらいかかるの?」
「高校は一駅なんで、歩く時間を入れると30分くらいですね。それがどうしました?」
水咲は宙を見つめて考えながら言った。
「あんまり通学時間がかかっちゃったら、サークルに入るのは無理かなぁって」
もう僕が名探偵研究会に入るつもりでいると思っているのだろうか。まぁ、ここで強く拒否するつもりはないが。
根坂はとりあえず水咲と話を合わせた。
「通学時間が1時間くらいならどうってことないですよ」
「ほんとに? じゃあ、入れるかもしれないね」
水咲は嬉しそうに笑っていたので根坂も無理矢理笑顔を作った。まさに苦笑いだ。
2人は自分達の教室までやってきた。
「それじゃ、頑張ってねー」
水咲は手を振って先に教室に入った。根坂は笑顔で水咲を送り、少し間を開けてから教室に入った。
第10話 黒い休日~事件編《前編》【完】