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現状維持は後退であるという言葉が、どうだ美しいだろうという顔で大通りを歩いている。パレードよろしく行進する彼の後ろには、名言のようなものがぼぞぼぞと続く。言葉はそこに居るだけ、あるだけであるが、存在がどうしてもうっとうしいということは、よくある。たいして実害もないのであるが。
裏通りにはあまたなる言葉が座っていた。うす暗い、小汚い狭いみち。そこになみなみならぬ興味がわいた。わたしは、いつもどおり、言葉をかけることで物語をはじめてみることにした。
最初にであったのは、どうせという者であった。顔のあるべき高さに、足がはえていて、指が数本たりない。わたしのあいさつにも、どうやら耳をかたむけてはいないようだ。さて、口のない者になにを応えられようか、別の言葉に向かおうとした矢先、彼はつぶやくのだった。
「どうせ、喋れないとでもおもったのだろう」
「うむ」
おどろく。
「卑屈をこねることは、後退じゃないんだ、ご老人。前進することのために、口からへどろを出して目前の腐敗を片付けるのさ。それに、結果は一緒だ」
「わたしは、口からへどろでなく、きれいな花を吐く者のほうが、すきだが」
「糞尿で育てた花も、聖地で育った花も、見た目は一緒だ」
そうかい。ひとこと、ぽてりと落としてからわたしは歩いた。彼のあたまから、妙な、どろどろした液体が流れだしたことには、触れるべきでもないだろう。
つぎに、わたしは、どうでもいいという者にであった。さて、一見ふつうである。わたしのあいさつにも逡巡なくこたえ、むしろ彼からわたしに話をふった。
「この世は、どうでもいいことに満ち満ちていると思わないですか」
「そうかい、しかし、良いみちに進むべきことがらの方がおおい。どちらかといえば、このままではまずい事柄しか、ないようにわたしは思うが」
そうですよね、と彼は切り返し、わたしから一歩ひいた。
「ううん、まあ、そうですね、そうですね」
彼はおおよそ、自分がないようである。みれば、どうでもいいという言葉が、色濃くなっていく。
「では、ここで」
わたしがまともな会話を成り立たせることは難しいのかもしれない。ここまできて、わたしはそんなことをふと思った。
もわりと視線を感じた。どうやら大通りのほうらしい。わたしを一心に見つめる彼には現状維持は後退が刻まれていた。彼は、大きな声でわたしにあいさつを投げ、わたしもそれに呼応した。
「こんな掃きだめでなにをされているのですか、ささ、こちらへ」
彼は裏路地の言葉たちにつばを吐き、わたしを大通りへつれだした。
「強引なものだ。なにが君をそこまでさせる」
「そ、そ、それはですね。え、あ、あ、あんな糞どもを相手にしていれば、あー、こ、後退につながってしまいますからですね」
「ふうん、大層なことじゃないか。前進しかできないというのは」
彼はまゆをひそめる。
「べ、別にわるい意味合いじゃ、ないんですけどね。ほら、あんな、幸せでもない、楽しくもなさそうな、は、敗者は毒ってことですからですね」
しかし、妙である。あんなに自信げに歩いていたのに、話してみれば吃音と、きぶんのわるいごたくを並べる。
「そうかい。わたしは、たいして気にもとめていない。行進に戻ったらどうだい」
「え、ええ、はい」
「今日」は厚塗りされていく。かれの背中に見える、勝てないという言葉も、また色濃くなっていく。
「わたしは、なんだ。意味ない、か」
腹部に刻まれた言葉をさすって、わたしは今日を終えることにする。
完治