3.進化した自爆魔法
げげっと心が唸った。
シリルはいきなり眼前に出現したハサイヒメを見て慌ててその場を飛び退る。
一瞬反応が遅れたエミリアは、ダンジョンに降りるということもあって分厚い丈夫な綿製品のズボンに長袖のシャツ、その上からフードを被っていて。
それを後ろから引かれたものだからぐぇっと情けない悲鳴を漏らす。
引いたのはもちろんシリルだった。
「何してるのさっさと立ちなさい」
「げほっ」
後ろにひかれた勢いでそのまま尻餅をついたエミリアに冷たく言い放つシリルはどこまでも優しくない先輩だ。
もっと優しくしてください。
思わずそう叫びたくなるエミリアだった。
喉を押さえて咳き込みながら言われるがままにノロノロとその場に立ち上がる。
意外にも昨日のようにエミリアを盾にせずその前に魔法使いの杖を手にして庇う先輩はどこかカッコいい。そう思ってみたら違った。
「自分の身は自分で守ってね」
「え、はあ? そんなっ」
「魔法使いでしょ。当たり前のこと言わせないで」
「えー……」
自力で防御結界を張れということだとエミリアは受け取り、新人ながらそれなりに効果を発揮する防御結界の気道呪文を唱えていた。
彼女が身の回りに紫色の光を纏ったとき、シリルはそれよりもさらに強力な結界を二人の周り張り巡らす。
相手はハサイヒメだ。
どんな威力なのかもまだ実感していない。
ここが気が抜けない瞬間だった。
「こんにちはー」
「え?」
気の抜けるおっとりとしたその声は、昨日の緊迫感をどこかに置き忘れてきたように思えた。チョークをもらったことがよほど嬉しかったのか、ハサイヒメはにひひっと変な笑い声を立ててとても幸せそうな笑顔を見せてくる。
何か別の種族に出会ったような気になってしまい、先輩と後輩は互いに顔を見合わせた。
「だ……だれ?」
「だれ? 私ですが」
「私って……だからだれ?」
「ですから私です」
「だからぁ」
と禅問答のような奇妙な会話がシリルとハサイヒメの間で始まり、それを見てエミリアはモンスターにも人格というものが生まれる? なんてありえなさそうなことを考えてみた。
モンスターと言っても、一口に危険度のある存在というわけでもなく。
ある意味、魔族のシリルだってエミリアからすればモンスターと呼んでもおかしくない。
魔獣。
もしくは人や獣人以外の魔法を使う危険な存在。
それがこの世界におけるモンスターの定義だから、魔族だってモンスターになり得るわけで。
魔獣と魔獣が会話をしているとエミリアが感じたとしてもそれは異常じゃなかった。
「私は私です。ハサイヒメの私です」
「……個体名は分かっているのに個人名は持っていないの?」
「個人名? 人ではありませんから意味は分かりません」
「あー……つまり、ハサイヒメと名付けられた種族の中のあなただけの名前はないの?」
「私だけの呼び名、ということでしょうか?」
「そうそう」
なんだか昨日よりもいきなり現れたモンスターの受け答えがはっきりしている。
もしかして知能指数が上がってる?
……というよりもこの短時間で目まぐるしい進化を遂げていたりしてして。
戻ってくる返事の内容によっては、この場でハサイヒメという種族ごと抹殺する必要を感じて、シリルはエミリアを振り返り、合図をする。
それはモンスターにチョークを与えてから追い払った後に決めたことで。
もう一度あれがやってきたらどうやって消滅させればいいのか。
二度と再生することがないようにするためにはどんな方法が的確なのか。
魔族と人間の魔女たちは、お互いのもつ知識を出し合って対策を決めていた。
「えーと……ですね。ああ、そうそう。ダンジョンコアからは、ナターシャと。そう呼ばれているかもしれません」
「ナターシャ? なんで人間の名前……」
「さあ? 生まれた時にそう名付けられましたから、それだけです」
「生まれた時っていつのことよ」
チョークを与えて追い払ったあの個体とはまた別のハサイヒメ?
それならそれでまた別の対応を講じなければならない。
先日の個体は単なる雑兵で、今ここに現れたこいつはもしかしたら集団をまとめる頭のか何かの可能性もあるわけで。
しかし帰ってきた返事はかなり歪なものだった。
「生まれたのは昨日ですね」
「昨日?」
「そうです。あなた達からこれを頂いて」
「あー……」
そう言ってナターシャはチョークの箱を差し出してきた。
庶務六課の印がついたその箱は確かにシリルが与えたものだ。
そうなるとやはり急激な進化を遂げたのか。
いやいやもしかしたらあの個体を吸収することによってまた新しいの誰かが生まれたのかもしれないし。
十五階層ではなく、二十階層にハサイヒメが出現した報告はこれまで辞令がない。
やっぱり新種なのか。それとも異変を起こした変異体なのか。
シリルが判断に迷っていたら、ナターシャと名乗った個体はエミリアを指さして言ったのだ。
「あ、あなた。約束通りスキルをくださいな」
「ええっ、と……私ですか」
「はい、あなたです。約束しましたよね」
「それは確かにしたけど……代わりに何をくれるの?」
「エミリア!」
この馬鹿、相手に調子を合わせてどうするの、とシリルが警告を発する。
ナターシャはあっけらかんとして言った。
二人のダンジョンにやってきた裏ギルド嬢たちが驚くことを。
「むーそうですね。私のスキルではどうでしょうか。とは言っても爆発して消滅するのはちょっと悲しいので。何かに向かって放つことができる爆破魔法では」
「うそっ」
「いえいえ、本当ですよ」
自爆じゃなくて指向性の破壊魔法。
そんなもの扱えるようになっていることが、何よりもエミリアとシリルの恐怖を煽った。




