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出張もあるんですね

世界に必要とされていないと感じたのは、ずっと昔のことだった。

三人きょうだいの少し離れた末子として生まれた私は、なんでも出来るように見せるのが上手な、思いのほか何も出来ない子供だった。

長兄は、機械いじりの知識がすごかった。特にパソコンに関しては、小学生にしてそこらのエンジニアくらい扱えていて、プログラミング的なこともしていた気がする。長男だからか行動力もあって、親に頼らずなんでも自分でこなして早々に家を出てしまい、その後はあまり交流がなかったが。

姉は、頭が良かった。学力の面では家族で一番だったし、難関と言われる学校を受験しては合格し、一流と言われる会社にも就職した。穏やかで人当りも良く常に人に囲まれていた記憶がある。

その二人に比べ、私には特技とも長所ともいえるものは何一つ持っていなかった。

勉強は出来た。けれど秀才というほどではなかった。

運動も出来た。けれど万能とは程遠かった。

友だちはいた。それでも、一生の友と呼べる存在はいなかった。

得意なことは?と聞かれても何も浮かばないし、面接などでの自己アピールが何より苦手だった。

何者でもないことを知っているから、何者かになりたかった。たった一人の特別な誰かに。


『主…主…』

「…んー?」

『いい加減、起きないとコユキ様に叱られますよ。』

「…あと、ごふん。」

『いつも五分では済まないでしょう。』

開きたくはないのにぼんやりと開く瞼の隙間から、今日も絶好調らしい太陽光が容赦なく差し込む。

「あとごふんでおきるから…じかん、とめておいて。」

『…そうやって、毎日我を目覚ましの代わりにするのはやめていただきたいとお話ししたはずですが?』

「…。」

『…はぁ…。』

夢見が悪いのでもう一度目を閉じると、時間の神であるクロミ―…クロノスの溜息が聞こえた。文句を言うくせに、毎日ちゃんと起こしてくれるのだからそろそろ小言を諦めてほしい。

『イフリートとリヴァイアサンに、あまり甘やかさないよう言っておかねば…。』

意識を手放す寸前に放たれた不吉な言葉は、聞こえないふりをした。


「おはよう。」

「…おはようございます。」

結局(クロミ―が言うには)半日ほど時間を止めてもらい、ようやく一日を始めるため店に下りる。それでもまだ眠いのだが、いい加減にしないと永遠に今日が始まらないので仕方ない。

「おはよう。」

「今日も阿保面ね。」

当たり前というべきか、そこにはすでに同居人二人が揃っていた。何年見ても、装飾品であるはずの剣を磨く店長と、コーヒー片手に読書に勤しむコユキの姿はゲームのスチルにしか思えない。

「開口一番当たりが強くないかい。」

「通常運転。」

「まじか。」

何を今更、みたいな目でコユキが鼻を鳴らす。

「今日も仲良しなようで何より。」

「…店長、今のどこを見聞きしてその判断を…」

「さぁ、今日もお仕事頑張りましょうね。」

「はーい。」

店長のキレイな手打ち音が室内に響くと、コユキも読んでいた本を閉じて食器をキッチンに片付けに立ち上がってしまった。これ以上は疑問に答えてくれそうにないので、私も目の前の食事に手を付ける。ほのかに温かなそれは、可もなく不可もなく早々に腹の中へと収まった。


異世界と言えば、毎日何かしら事件が起こるものだと思っていた。しかし現実はそう簡単ではない。

「タクさーん、お待たせしましたー。完了報告お願いしますー。」

「おう、いまコユキちゃんと話してるからもう少し待ってくれ。」

「じゃあコユキでいいんで報告してください。」

「えー!オレもコユキちゃんに報告したいー!!」

「ワシもー!」

「色ボケじじいどもが。」

「心の声漏れてるから。」

毎日起こることと言ったら、常連たちとのこの不毛なやり取りくらいだ。コユキの発言にもひやひやしていたのは最初だけで、今ではそれにめげない彼らへ応援の意味も込めて全てをスルーすることにしている。

「うちの可愛い子たちを困らせないでくれる?」

「マリ!待ってたよー!」

「あ、店長、おかえりなさい。」

「はい、ただいま。」

「君がいなくて淋しかったよー!」

これも、日常。週一で行われるギルドの店長会議から戻った店長が営業スマイルを振りまく。

「進んでる?」

「ぼちぼちです。」

「いつも通りってことね。」

「回転率が悪いんですよ。さっさと報告して、さっさと次のクエスト受注して、さっさと出て行ってくれればいいのに。」

「今日も最高につれない!」

「そこがまたいい!」

…この人たち、うちを変な店と勘違いしてないよな…?

「ただでさえ狭い店がさらに狭くなる。」

「そのことなんだけど、急で悪いんだけど明日から休業するわよ。」

「え。」

店長が帰ってきたことで2倍になった仕事を片手間に二人の話を聞いていたからか、思わず声が出た。だが、驚いたのは私だけではなかったらしく、あれほど騒いでいたのんだくれ…もとい、常連たちも示し合せたかのように一斉に口を閉じた。この店内で野鳥のさえずりなぞ初めて聴いた。

「突然ですね。」

「ちょっと前にトミーとキヨにシャワー室を直してほしいって話したでしょ。あの後、他にも直したいところがないか再確認したら結構見つけちゃって。ちょうど中央会議もあったからついでに相談してみたら、今期の予算がまだ余っているから店ごと改装してくれるって話になったの。」

「…その会議って、ギルドのお偉方が一堂に会するという…?通称“天上会”という…?」

「耄碌ジジイの集まりね。」

「さすがにその言い方はストップでござる。」

「は?」

いかん。テンパり過ぎて語尾が壊れた。

「期間は、早くて3週間。」

「さ。3週間…?!」

「そんなに長期間も俺たちの女神に会えないなんて!!」

「この世の終わりだ…!」

「これから何を目標に頑張れば…。」

さっきまでEランク5つだのCランク2つだの発注アピールのすごかったおやじたちも、一転してお通夜モードに突入してしまった。というか、冒険者ならばSSランクの勇者職を目標にしてくれよ。

「良かったじゃん。好かれてる。」

「うん、喧嘩売っているのかな。」

「それって私たちもお休みってことですよね。上が勝手に決めたことなんだから強制有休使用じゃなく給料でますよね。」

「誰かこの子に遠回しの話し方を教えてあげてー。」

「残念ながらお休みにはならないわよ。」

「ち。」

「うちは使えなくなるから、代わりに二人には出張してもらいます。」

「出張?」

「王都中央区の大型ギルドにお手伝いよ。西と東と、どっちがいい?」

「一緒じゃ駄目なんですか?」

「おや、寂しいのかい。」

「私の仕事が増える。」

「ですよねー。」

本当にぶれないな、コイツ。

「じゃあ、西で。」

しかも早々に楽な方を選びやがる。

「コユキちゃんは西ね。あなたはそれでいい?」

「姫様の望むままに。」

「よきにはからえ。」

「嫌味なんだけど。」

「辞書で意味を調べて出直せ。」

「遠回しに“バカ”って言いたいのかなこんちくしょう。」

「はいはいそこまで。仲の良さは十分に伝わってるからそろそろ仕事に戻ってくれる?それぞれのギルドにはアタシから伝えておくわ。」

「店長…だからどこを見聞きしたらその結論に…。」

朝と同じく、それ以上の反論は聞き入れてもらえず、二人は早々に仕事に戻って…と言っても、クエスト受注による書類仕事は全くやってくれないので、仕方なく私も仕事に戻るしかなかった。しょぼくれていたはずの常連たちも、女神が一声かければ元気なのんだくれに戻って、店内はまた日常に戻っていった。

「……。」

腹の底からこみ上げる溜息を隠すことなく吐き出して、軽く白ばんでいく世界に目を閉じた。


そういえば、コユキと長時間離れるのはこれが初めてになるかもしれない。施設ではもちろん、就職してからも同じところに住んでいて同じ職場で働いて、いつも隣にいるのが当たり前だった。

「お世話になります。」

3人しかいない辺境とは違って、見えるだけでも10人はいるらしい従業員たちの前で簡単に自己紹介をさせられる。まばらな拍手は、歓迎なのかお情けなのか。

王都の中央区東部ギルド…4大ギルドと称される1つであるここは、その4つの中でも1,2を争う店舗の広さと従業員数を誇る。さらには、大きさに比例するように一日のクエスト受注数が多い。しかもうちでは扱わないA~S級が次から次へと流れていくものだから、施設でも選抜されたエリートしか派遣されていない。

「マリア様から聞いている。いつもはクエストの受注処理をやっているそうだね。」

従業員たちが解散していくと、さっそく東部の店長に声を掛けられる。“様”とは、この男、マリア店長のファンか。

「そういえば、コユキさんとは同期なんだってね。主席で修了した彼女には学ぶことが多いだろう。」

「…はぁ。」

「彼女くらい優秀ならば、うちみたいな大きいギルドに派遣されるものだと思っていたのに、マリア様直属とはいえあんな辺境に行くなんて。」

「…えぇ。」

「だから今回の出張でうちの良さを知ってもらって異動してくれることを期待していたんだけどね…。」

隠そうとしない嫌味は出来るだけスルーするに限る。こういうとき前世で経験値を積んでいて良かったと思う。

コユキの選んだ西方ギルドは、4大ギルドの中でも小規模かつ比較的中級者向けを得意としている。中級者は初心者より伝えることも少ないし上級者ほど難しい注文が少ないので扱いやすいのだ。それを分かっていて即答した時の彼女の顔を思い出して眉間に皺が寄る。

「まぁ、とにかく君にはDからC級クエストのカウンターを任せるよ。あいにくとE級は扱っていないんだが、いつもやっている業務に近い方がやりやすいだろう。」

「はい。」

右の口端だけを上げていかにも意味深に微笑む東部店長。その“意味”をなんとなく理解しつつも、特に深く考えることはしなかった。言いたいことだけ言って去っていくデブハゲの背中に短く息を吐く。

「ちょっと。」

開店まで時間もないので私もカウンターに向かおうとするが、再び、今度は背後から呼び止められる。五分前行動を基本とする私としては立ち止まる義理などないのだけれど、昔の癖なのかなんなのか脊髄反射で律儀に振り返ってしまった。

「久し振りですね。」

「…どうも。」

「まだこの仕事していたなんて驚きました。コユキ様の腰巾着のくせに。」

「はぁ。」

困った。今度はコユキのファンに捕まってしまったらしい。しかも相手は私を知っているようだが、こちらはどうにも名前が出てこない。目尻は強めに上がっていて、身長のせいかかなり威圧している印象をもつこの女子がうちのような場末の酒場もどきに来るわけないし、そうすると施設の学校で顔を合わせている可能性があるのだが前世から一貫して人の顔を覚えるのが超絶苦手なのでこれは詰んだ。無理ゲー確定案件乙。

「そもそもあなたみたいな凡人がコユキ様と一緒にいること自体おかしいのですよ。どうせ今の職場でだって彼女がいなければ何もできないんでしょう。」

「…。」

「周りに迷惑をかけているのが分からないのでしょうか?大体…」

「そのくらいにしておかないと、もう開店時間だぞ。」

脳内で現実逃避が激しくなるその前に、もう一人、ガタイの良い糸目の巨人が近づいてきた。片手をあげて挨拶されたが会釈を返しておこう。

「止めないでくださいタドルカ。間違ったことは言っていません。」

「落ち着け、リリィ。相変わらずコユキさんのことになるとお前は周りが見えなくなるな。」

「様です!コユキ“様”!!」

「はいはい。」

「ちょっと!いつもいつも軽く流さないでください!」

「うんうん。あっちで話聞くな。店長こっち見てるから。」

巨人はこちらに軽く目配せをして、コユキの素晴らしさを語り始めるお嬢(命名)を連れ上級クエスト受付カウンターの方へと消えていった。何だか分からないが、巨人は私を助けてくれたらしい。ありがとう優しい巨人。

「…。」

某クロエ女氏を思い出しながらも、子ども(クソガキ)に絡まれたとでも思って気持ちを切り替える。長い1日が始まる予感に腹の底からため息がこみ上げた。


マリア派店長の“笑み”の通り、店の入り口正面の上級受付カウンターが賑わっているのを横目に、申し訳程度に構えられた初級受付カウンター…つまり私の担当場所は狙っているのかと思うくらい閑散としていた。心なし鳥の鳴き声が聞こえる。

「うわー…このクエスト行きたくないわー…。」

とはいえ、暇なことは大歓迎である。整理と称してクエストを読み漁ったり、今日のお昼ご飯のための買い出しリストを作ったり、普段だったらコユキに給料泥棒だと罵られるところだが、この店舗の従業員は客のいないところには一切興味が無いらしく誰も近づいてこない。なのでバレない。

「疲れただろう。店長が、休憩に入っていいそうだ。」

いや、来たか。この機会に、シャスから借りたまま積んでいた本でも処理してしまおうかと荷物に手を伸ばした時、先程の優しい巨人がやってきた。

「あ、ありがとうございます。」

「…。」

「?」

正直仕事は何もしていないが、休憩をもらえるならありがたい。荷物を簡単にまとめて立ち上が…ろうとしたが、巨人に見られている気がして動きを止めてしまった。

「…ナニカ。」

「いや…コユキさんは元気か?」

「アンタもか。」

「?」

あのお嬢を止めてくれたからお前だけは違うと信じていたのに。まぁ、お嬢が呼び捨てにしていたということは同期…つまり私たちとも同期だろうということで予測できないことはなかったのかもしれない、まる。

「なんでも。コユキさんね、元気ですよ。今日の朝は出向しないといけないって知って機嫌悪かったですけど。」

否、機嫌が悪いのはいつものことか。

「そうか。」

「あ、そういえば出掛けにマリア店長から、トミュエルさんとキヨナガさんと視察に行くから、と聞いて少しうきうきしてましたね。」

「…。」

「?」

「…3人は、もしかしてこちらにも来るのか?」

「聞いてないですけど、おそらくは。」

人様に迷惑かけないか見に行く、とか言っていたが、あの人たちは私たちをまだ幼い子供だと思っているのだろうか。思っているんだろうな。

「そうか。」

思わず遠い目になってしまう私に気づかず、独り言のように巨人は呟いた。気のせいか、もともとゆるキャラのクマみたいな顔がさらにゆるくなった。なるほど、コユキではなく“伝説”の信者か。

「…じゃあ、お昼いただきます。」

「あぁ。」

とはいえ、誰が誰の信者か知っても特に問題はない。すでに脳内を食材買い出しリストに切り替えて、体を再起動させる。自分の世界から戻ったらしく再び片手をあげられたので、再び会釈を返しておいた。


「なるほどねぇ…。」

買い出しを済ませて、ロナ姉さんに送ってもらいシャス君のおうちにやってきた。彼らと関わることがないと分かっているからついつい愚痴気味になってしまう私の話を、料理をしながら時々相槌を交え聞いていた彼は、話がひと息ついたところでぽつりとそうこぼした。

「さっきも言ったけど、別に思うところは何もないわけよ。店長やコユキの信者なんぞうちの常連たちで見慣れているわけだし、トミュエルさんとキヨナガさんのファンだって、トギさん含めその辺にゴロゴロいること分かっているし。」

じゃあなんで、こんな話をしてしまっているのか、って話なんだけど。

「…すまんね。」

「突然だね。どうしたの?」

「君にはもっと楽しい話をしてあげたいし、もっと君の話を聞きたいのに、こんなつまらんどうでもいい話しかできんで。」

「とっても面白いよ。」

「嘘だぁ。」

「君って時々子供っぽいよね。」

「永遠の17歳。」

「人間も歳をとるんでしょ?永遠に同じ年ではいられないはずだよ?」

しまった。前世ネタは通じないことをまた忘れていた。

「心の年齢のお話しさ。」

「そうなの?」

「そうなの。」

不思議そうに首を傾げられたものの、それ以上突っ込むことはしてこない。物分かりがいいのか、私のあしらい方に慣れてきたのか、どっちだ。

「でも、ボクも会ってみたいなぁ。」

「はい?」

「君がよく話してくれるコユキやテンチョウに、さ。」

「店長はともかく、コユキはガルガの集団より扱いにくいよ。」

「そうなの?」

「そうなの。」

「でも、だって、そう言う割にその人間の話をする時はいつも楽しそうだよ。」

「…嘘だぁ。」

楽しんだ覚えは爪の先程もないのだが。眉をしかめてみせる私に、シャス君は特に気にした様子もなく。

「はい、出来たよ。」

「…はーい。」

だが、美味しい料理に罪はない。

「お父さんは、人間は怖いものだっていつも言っていたけど、君の話に出てくる人間は怖いっていうより興味の方が強く感じるんだ。個々がある分だけ考え方があって、想いがあって、それはボクにも当てはまることなんじゃないかって。」

だからとっても面白いよ。シャス君が笑うと少しだけ胸のあたりが痛くなる。

「…とと様は、勇者を知っていたからね。」

無意識に、手がそこに重なる。まだとと様が存在していた頃、人間を嫌っていた理由を、聞いたことがあった。

とと様の父親…先々代の魔王を殺すために遠路はるばるやってきた勇者一行。施設では、その頃に冒険者というものがおらず、勇者は自然発生した正義感の塊の人間が、その特殊スキル故に魔物に怯える人間を守るため立ち上がったと習っていたが、とと様から聞いたのは、その強さはまるでゲームのレベル上げのようになされて得たものだったということだった。

そんな人間が、自分の大切な家であるこの場所で、父や自分を慕ってくれた部下たちを倒していく。しかし、当時は力が弱く助けることができなかった。シャス君の父親だけあり優しさの権化だった彼には、そのことに歯がゆさもあっただろう。そして、最終的には、目の前で父親を殺されてしまった。

だから彼は勇者を、人間を恨んだ。いや、恨んでいたかったのかもしれない。そしてたった1人の息子にはそんな目に遭ってほしくはないと、人間は怖いものだと教え続けた。幼いシャス君はあまりに無知だったから。

「だから、いつか人間に会ってみたいな。」

「…そう言うけど、ここにも人間おるんじゃけど。」

「え。」

「え。」

本当に不思議そうな顔をするシャス君に、思い出していたせいか、とと様の顔が重なる。

「えへへ。」

出会った頃より身長は伸びても、幼いその表情は変わらない。それはとても眩しくて、ほんの少し後ろめたくて、目の前の料理が冷めないうちにと言い訳をつけ、手を合わせる振りで目を逸らした。


ちょっとだけノスタルジックな気分に浸ってしまった昼を過ぎ…というか、出向してから数日が過ぎた。初日から対応は全く変更ないが、むしろ私にはこっちの方が合っているらしい。あくせく働いている従業員を横目に、今日も人気のない低ランク受付にぼんやりと鎮座する。店内を見回せば、さすが大型ギルドだけあって、高額な装備品や装飾品をつけている冒険者が多く、昼間から飲んだくれている者は滅多にいない。

「ちびー!こっちに酒追加なー!」

「同じものをお願いします。」

「料理も忘れないでね。」

「待たせるんじゃないわよ。」

そう、“滅多に”いない。

「…ただいまー。」

給仕担当ではないはずなのだが、これだけ大声で呼ばれて動かないわけにもいかない。固まってしまった腰をなんとか上げて、カウンターを出る。今まで透明人間だったはずなのに、これまでになく人の視線が突き刺さってきた。

「てか、昼間からなにしてるんですか。」

「見ればわかるでしょ。」

「分かんないから聞いてるんだよ。」

「ふふ。ちゃんとやれているか、視察よ。」

「そうそう!なにか困ったことないかー?!」

「いま、この状況に困っていますがなにか。」

「元気そうでなによりですね。」

「文脈ちゃんと読み取ってくださいよ。」

注文通りの品物を両手に抱えて、見知った顔しかいないテーブルに近づく。珍獣かと問いたくなるくらい見物客が多いこの人たちは、それでも全く気にしている様子はない。

「店長とトミュエルさん、キヨナガさんは分かるけど、トギさんとコユキは何してるのさ。特にコユキは仕事のお時間でしょ。」

「今日非番。」

「息をするように嘘をつくね。」

この職業に非番なんて概念は存在しない。365日働けますか?を地で言っている組織なのだ。有休は存在しているが、病欠以外で使う者はまずいない。

「こっちに来る前にコユキちゃんのところに寄って、ワタシたちが誘ったのよ。」

「そうそう。こいつ、お前がいないと淋しがってさー。」

「息をするように嘘をつくってのはこういうのでしょ。」

「間違いない。」

「こういう時だけ結託が早いですね。」

「仲良しなのは良いことだな。」

「トミーさんの前向き思考は尊敬します。」

「おう!ありがとうな!」

「褒めてないと思いますけど…」

「とにかく、ちゃんとやっているみたいで安心したわ。」

「…まぁ、一応。」

仕事らしい仕事をしていないことは、配置換えさせられたら大変なので黙っておこう。

「で、コユキは分かりましたけど、トギさんは?」

「あぁ、あなたに用があるって言うから、声を掛けたの。」

「…なるほど?」

ちらりと彼を見ると、トミュエルさん、キヨナガさんに挟まれて冷や汗まみれになっていた。かわいそうだから声を掛けずにおこうと思ったら勢いよく顔を上げるので逸らす間もなく目が合った。

「ひ、久し振りだな。あの一件以来か。」

「…あー、そうですね。」

目が合ってしまった以上は話さないわけにもいかなく、適当に相槌をうっておく。

「それで、私に御用とのことですが?」

「…。」

「?」

「…まだ、礼を言っていなかったと思って、な。」

「…何の、ですか?」

「あいつの、ことだ。」

「?」

あいつ、とは。共通の知り合いも限られているが礼を言われるような心当たりはない。

「この間の暴走を止められなかったこと、すまなかった。」

対象を絞ろうと何人か思い浮かべているうちに、彼が立ち上がったかと思うと勢いよく頭を下げた。ピッカピカのタンクトップアーマーの筋肉男が一介のギルド職員にするものだから、ギャラリーは案の定騒がしくなる。

「俺たちは、あいつが目の前で両親を…大切なものを失くしたことを知っているから、どこか甘やかしていたのかもしれない。」

…あぁ、その“あいつ”ね。

「あいつの言葉が、行動が、間違っているとは思わない。けれど、それは自分の考えを他人に押し付けてまで突き通すものではないと思う。」

コユキも店長も、トミュエルさんもキヨナガさんも、何も言わない。王都が襲撃されたわけだから多少なり報告は聞いていても、この人たちと私に何があったかまでは話していないから突っ込まれるかとも思ったけど、ここで茶々を入れるほど空気が読めない人たちではなかったか。

「もし、俺たちではなく、君があいつの傍にいてくれたら…」

「…あの時も言いましたが、私には経験がないので同情することしかできません。だから、もし私があなたの立場だったとしても、彼女は同じように育ったと思います。」

「…そうかもしれない。しかし、それでも、あの時の君の言葉であいつが…俺が、救われたことは事実だ。」

「救われた…ですか?」

「魔物は悪いものだとずっと憎むことしかできなかった。そう思っていないとあいつの両親の死が意味のないものになってしまう気がしたから。どうして殺されなければならなかったのかを考えて、あいつが壊れてしまう気がしたから。」

「…。」

「もちろん俺たちは今でも魔物は憎い。だが、君がまっすぐに想いを伝えてくれたから、俺たちは…少なくとも俺は、君の言う“理想論”も信じてみたいと思ってしまうんだ。」

「…それが、救われたことになるんですか。」

「何かを恨みながら生きることは暗闇を進んでいるようなものだ。けれど、薄らとでも希望を持ちながら生きることは青空のような晴れやかさがあるんだ。君が、その“希望”を教えてくれた。」

ありがとう。そう、上げた顔に少年の笑みを浮かべるトギさんには、前世で幼いころに数回しか見たことのない兄のソレを何故か思い出させた。

「ちゃんと仲直りできていたみたいね。」

「…だから、もともと喧嘩してませんって。」

「で?あんたが偉そうに語ったっていう“理想論”とやらを、アタシたちもぜひ聞いてみたいんだけど?」

「それは僕たちも大いに興味がありますね。」

「ほらほら~恥ずかしがらずに力説してみたまえよ~。」

「もう酔いやがりましたか。」

感傷に浸る間もなく、この人たちはようやく茶々を入れてきた。普段だったら黙っていてほしいところだが、何故だかそれ以上の言葉が出てこなかった。

「確かに、トミーが酔うと面倒になるわよね。」

「見ている分には面白いですけど。」

「それほどでも!」

「さすが戦将様!」

「トギくん、トミをあまり甘やかさないでください。」

「調子に乗るとさらに面倒になるのよね。」

「ワタシは好きですよ。」

「コユキは本当に良い子だなぁ!」

近くにいるはずのコユキたちの話が、隣の部屋から聞こえてくるテレビの音みたいにぼんやりしている。楽しそうなのに、泣きたくなるのはどうしてだろう。


何者でもないことを知っているから、何者かになりたかった。たった一人の特別な誰かに。

でも、そんなもの望んだところで無理だと知っていたから。

自分の人生でさえ、主人公になれないことを知っているから。

どんなにすごい力を持っていても、私はずっと無力なんだ。



動物を飼いたい。

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