転職しました。
前世の記憶を持っている人って、この世界にどのくらいいるのだろうか?
「おはよー」
「…」
少なくとも、私は25年+αのこの人生、会ったことがない。
「なに、天井になにか面白いもんでもある?」
何か懐かしい気分で目覚めた余韻に浸る、いつも通りの朝。年季の入った木目をぼんやりと眺めていると、その視界に美少女の顔がのぞく。
「…んー。」
「その、無表情で返事するのやめって言わなかったっけ?」
「努力する。」
「ってか、起きてるんだったら早くご飯食べてよ。食器が片付かないから。」
「母親か。」
「こんな子供願い下げ。」
おなじみの挨拶を終えて、彼女…コユキは「伝えたからね」と部屋を出ていく。気分は二度寝する気満々だったが、後が怖いことは知っているので泣く泣くベッドから起き上がる。未だ慣れないソレは、私の重みを知らせるように悲鳴を上げた。
話を冒頭に戻すと、私には前世の、この世界のように魔法ではなく科学が進んだ社会の記憶がある。
私はそこで、兄1人、姉1人の三人兄弟の末っ子として生を受け、教師を職にしたお堅い両親に育てられながらも、上に二人いたおかげか割に自由にやらせてもらいつつ成長。
平均的な学校で平均的な成績を保ち、運動も人並みで、良くも悪くも目立つことのない日陰の人生をそれなりに楽しんでいた。しかし、その報いと言わんばかりに就職活動は全くうまくいかず、ようやっと受かった1社は残業お泊り当たり前のブラック企業と呼ばれる会社だった。地獄の方がまだマシの毎日は約3年続き…今思うとよく3年もやっていけたなと我ながら感心するが…まぁとにかく、当然転職もうまくいくはずなくて、上司に相談しても“暖簾に腕押し”状態が続いたので、いっそのこと人生ごと転職することに決めた、という約25年の人生の記憶が。
正直、飛び降りした時の浮遊感と、地面に落ちたであろう瞬間の激痛と地面の冷たさは今でも覚えている。そして、この世界に生を受けてからの、この25年のことも。
「おはよう。」
「おはようございます。」
「あ、やっときた。開店時間ギリギリなんですけど。」
「すまん。」
「誠意がない。」
「正解。」
「あ?」
「まぁまぁ。どうせお客って言ってもいつものおっさんたちなんだから、そんなにきっちりしなくてもいーんじゃない?」
「店長がそんな態度だから、コレがつけあがるんですよ。」
「いーじゃない。なんか甘やかしたくなっちゃうんだから。」
「あざす。」
この世界での一番古い記憶は、記録的吹雪が荒れる早朝に二人の女性が私の顔を覗き込んでいたところから始まる。何故だか、それ以前の、両親の記憶も、どうやってソコに来たかも覚えてはいない。
『この子は、もしかして…』
後から知ったことだが、ソコはいわゆる孤児施設だった。身寄りのない子供を集めて学習させ、施設の母体である会社…この世界では“ギルド”と呼ばれる、依頼書…街のちょっとした困りごとから魔物討伐までの依頼ごとを一括で受けては、勇者を夢見る冒険者チーム(ティ)に売りさばく仕事をしているのだが、そこで働かせる人材を育てる…学校?のようなものだ。
ちなみに冒険者にはランクがあって、初心者必ずEランクから始まり、最高ランクは魔王討伐任務を請け負えるSSランクとされている。彼らは2通りのタイプがあり、1つは、自分にあったランククエストを受けながら力をつけていく堅実家タイプ。高額な報酬は得られないが、死ぬことも失敗することも少ないので安心である。
もう1つは、一気にレベルを上げるために上級クエストを狙って受注するギャンブラータイプ。
危険なだけ報酬も経験値もヤバイので、ランクアップにはもってこいだが、死亡確率もすさまじい。
現在ギルドに登録されている最高ランクはその1つ下のSランクで、聞くところによると王族のお抱え護衛としてかなり儲けているらしい。
体は子供、だが中身はアラサー前の大人と、どこぞの名探偵のような状態だったからか、ありえないこの状況でも、転職成功と割り切ることにした。伊達に3年、人生を諦めていたことはある。
さらに、学習の内容はほとんど前世と同じだったため、特に頑張らなくてもそこそこの成績で、それ以外も特に不自由なく、イージーモードの人生を歩んできた。
「さ、今日も元気に始めましょうか。」
「「うぃーす。」」
そして現在、王宮のおひざ元である中央都市の外れにあるギルドにて、同僚のコユキと店長のマリア・ジェルリスさんと共同生活をしながら働いている。スタッフが少なく上級クエストも滅多に来ない弱小ギルドだが、一点を除いて、この生活が気に入っていた。
「マリア、今日も可愛いね!」
「あら、ありがとう。」
「マリー!俺の相手もしてくれよ!」
「そんなこと言って、また奥さんに叱られちゃうわよ。」
「コユキちゃーん!こっち頼むよー!」
「少々お待ちください。」
「つれないところも美しい!」
公言通り、常連のスケベじじいどもしか来ないいつもの開店時間。店長とコユキに熱烈ラブコールが飛ぶ中、私は1人、ソイツらが良いカッコしようと登録してくるクエストの処理をしていた。パソコンなんて上等なものは無いので、1つ1つ手作業で用紙にまとめていく。誰も手伝ってくれないって、知ってる。
「今日の昼食何にするの?」
「さっき朝ごはん食べたばっかりでしょ。」
「あんたわね。」
「そうだった。」
「と言っても、コユキちゃんも食べたのはつい30分前くらいだけどね。」
「記憶にございません。」
「どこの政治家だよ。」
前世では絶対に考えられなかった、上司同僚との実のない話。このまま、単純作業だけが続いていくことで一日が終わればいいなんて、のんきなことをぼんやりと考えていた。
「いらっしゃい…あら、珍しい。」
30件目のクエスト登録を終えた時、入り口のカウベルが景気良い音を鳴らす。店長が何やら気になる含み笑いを浮かべたので、嫌な予感がしつつその方向に顔を向ける。
「なに、このしけたギルドは。」
「でもでも、可愛い子は揃ってるよー」
「キサマの脳みそは一度医者に診てもらえ。」
「脳みそが筋肉のやつに言われたくないね。」
「恥ずかしいから騒がないで。」
街行く男の8割が振り返るであろう黒長髪美少女女子が1名と、茶色短髪にがっちりむっちり、襟足長めの金髪で片耳ピアス、そして全身を薄汚れた白のフードで隠した男子が3名。年齢は同い年か少し下だろうか。
「いらっしゃいませ。」
「美しい人、お名前は?」
「…コユキです。」
「名前まで美しいなんて、もはや罪だね。これからボクとお茶しない?」
「クエスト登録しないならお引き取りを。こちとら暇ではないので。」
「つれないところを素敵だね。」
「…。」
あ、コユキがイラついている。どうしよう、ざまぁ。
「あんた後で覚えとけ。」
「心読まないでもらっていいですか。」
冗談はさておき、こいつらはたしか、最近ギルド内でも話題になっている新進気鋭のパーティではなかろうか。
数カ月前に颯爽と現れ、そして次々と上級クエストをこなしランクを上げているらしい。
「ほんとしけてる。しかも低レベルの凡人しかいないじゃない。」
漫画で言えばツンデレ女氏ポジションだろう、彼女が常連さんたちを一瞥して鼻を鳴らす。しかし、さすが店長とコユキを相手しているだけあり、彼らは全く気にせず美少女に賛辞を送っている。もはや図太いのか単純にバカなのか分からない。
「不愉快極まりないんだけど。外れはやっぱりハズレね。」
「中央地区のギルドに入れないんだから文句言わないの。」
「あんたたちのファンが所かまわず騒ぐのせいでしょ。」
「そっちこそ、人の事言えないよ。大半が奴隷希望者だったけど。」
「汚いものはいらない。」
あ、この女氏、私が苦手なやつだ。
「どうせ大したクエストもないんでしょうけど、一応、どんなのがあるか教えなさいよ。」
「こら、それが人にものを頼む態度か?」
「うるさい。」
「コレのことは気にしなくていいから、このギルドで一番ランクが高いクエストを受注したいんだけど。」
憤慨が止まらない美少女を、短髪マッチョと金髪チャラ男がいさめる。そしてフードのやつはここまで一言も発していない。
「そうね…うちは都市の中でも初心者向けしか扱っていなくて、一番高ランクだと…アレ、かしら?」
「アレ、しかないですね。」
「…アレ?」
嫌な予感再び。
「もったいぶらずにさっさと出しなさい。」
「コユキちゃん一押しなら、是非。」
「一押しですよ。もはや最押しですよ。」
店長とアイコンタクトののち、コユキがカウンターに1枚のクエスト書を出した。
「Cランククエスト、スルカの森でウェイバン10体討伐。」
「…あー。」
「ウェイバン討伐、しかもたった10体?それがここの最高ランククエストなの?」
「ええ。」
「話にならないわね。ウェイバンなんて今まで何度も倒してきたし、弱すぎてランク上げの助けにもならないわよ。」
「まぁまぁ。早めに倒せれば、それだけ俺とコユキちゃんがデートする時間もできるってことでしょ?」
「残念。私、今日はお掃除の当番なので外出禁止なんです。」
「断り方がナナメ上なところも好きだよ。」
「どうも。」
「当番、全然代わるけどね。」
「掃除嫌いでしょ。」
「確かに。」
「煩悩の塊の考えはさておき、しかし、確かに我々Bランクにとって、Cランククエストは少々簡単すぎるかもしれないな。」
うちのとっておきを、こうもあっさり“やれる”と豪語できるあたり、自信の大きさがうかがえる。しかし、そこに漬け込むのが我らが店長の得意技なのだ。
「…あら、その言い方だと、スルカの森に入るのは初めてかしら。」
「?」
「バカにしないで。クエストで何度も入ったことあるから。」
「西側?東側?」
「東側、だけど…。」
「なるほど。よくいるのよね、東だけでスルカを知ったと思い込むやつ。」
「な!」
そして、そこにアシストしていくのがコユキの得意技である。
「東側はほぼ探索が進んでいる場所ばっかりですから、真に勇者を目指す者なら西側を知っておかないといけません。」
「別に勇者なんか目指してないけど…。」
「これは失礼。東で満足しているなら、そりゃ勇者など目指しているはずありませんよね。」
「はぁ?!」
「仕方ないわね。じゃあ、もう少しランクを下げたクエストを…」
「ああもうやるわよ!東だろうが西だろうが、私にかかれば同じなんだから!」
はい、毎度あり。店長の心の声が聴こえた気がした。
「無理しなくてもいいんですよ?」
「そっちこそ、今更そのカスクエストが惜しくなったんじゃないの?」
「いや、売れれば儲けになるからこっちとしてはありがたいよね。」
「いきなりの正論ね。」
「さっさと登録しなさいよ。秒で終わらせてくるから。」
「承知しましたー。」
何はともあれ、ひと段落ついて良かった。ため息ついでに、登録用紙を取り出す。
「では、西側討伐が初めて、ということで、うちから彼女を案内役として派遣させていただきます。」
「…はい?」
いや、段落してなかった。
「彼女って…。」
それまで完全に空気だったのに、店長の一言で彼らの視線が一気に私に集中する。注目されると上手に息ができなくなるので速やかにやめてほしい。
「うち自慢の助っ人要員です。」
「仕返し、ここでせんでもええやん。」
「テンパるとどこぞの言語使うのが特徴です。」
「…どこまでもなめてるってわけね。」
「助っ人なら、コユキちゃんがいいんだけどな?」
「仕事があるので。」
「私が仕事しないみたいに言うのやめろ。」
「無駄遣いもしたくないし、俺たちだけでも充分だけどなぁ。」
「コレ雇ってくれたらデートを考えてもいいかもしれないです。」
「登録お願いします。」
「まじか。」
チャラ男、瞬殺だった。美少女と短髪にやんや言われているが、すでにコユキとどこに行こうかと(一方的に)話している。
「じゃ、よろしく。」
「しっかりね。」
「…はい。」
左肩に店長、右肩にコユキの手の重みを受けて、それ以上の反論がすべて無意味であることを知る。常連たちの指笛と、未だチャラ男に詰め寄る美少女とマッチョの罵声をBGMに、見慣れたはずの見慣れない天井を仰ぐのであった。
拝啓、前世の父上様、母上様。
お元気しておりますでしょうか?私は元気です。
あなたたちにもらった命を粗末にしてごめんなさい。
苦節3年、なんとか転職には成功しましたが、どうやら今回も、真っ黒い会社に転職してしまったようです。
削除してしまったため、再度。
前髪切りすぎました。