8:カンラ
「んぅぅ~! ……やっぱり来てよかった~~~!!」
列車が発進してから約四時間後、パンフレットにあるスタッフのタイムラインを確認すると、ちょうど三時を迎えるこの時間ではガイドのクインがレストランに待機しており、欲しい人にはスイーツを提供するという事になっていた。
何かしら楽しいことが欲しいマリナはビクビクしながらレストランに向かい、クインから今日のおやつである特製タルトケーキが振る舞われた。しっかりとしたタルト生地の中にはクリームがいっぱいに敷かれており、その上にスポンジ、クリームとみずみずしいイチゴが取り入れられ、上部のスポンジには生クリームが可愛らしく最上段のイチゴを支えている。タルト部分のケーキ自体は甘さ控えめながら、舌に乗せると溶けてしまうような生クリームがイチゴの持つ甘さを引き立たせ、何個でも食べてしまえるような味の極上スイーツを作り出していた。
その上列車の広い窓の向こうには青々しい大地が広がっている。パンフレットによればここは一万年近く前、かつての機械国と魔法国が争った際の最も大きな戦場の一つであると書かれており、風景に目を向けるセイにも未だ地面に突き刺さったようになっている巨大な機械のアーティファクトなども見受けられる。それがこれほど青々しく回復し機械と自然が融合した大地は見応えたっぷりというものだった。
というわけではあるが、マリナは景色など見ないで落ちそうになる頬を押さえながら満面の笑みでそのスイーツを味わっており、発車前にあったゴタゴタなど忘れてこの四泊の間、毎日このようにスイーツにありつける事に恍惚としている。
「そんなに美味しい?」
セイも同じように食べながらも、マリナの食べっぷりに呆れ半分でそう尋ねる。
「おおばかもん! 美味しいに決まってる! これがなかったら私は来なかった……んん~~~! もう一個貰えないかな……」
そわそわとまだ食べ終わる前から二個目を欲しがるマリナ。セイは苦笑しながらその様子を見ている。普段からスイーツを食べてきたタイプでもないセイにしてみれば「甘くて美味しいものは単に”美味しいものグループ”の一つで、お腹に入れば一緒」という考えしか無い。
「俺のも食べる? ちょっと食べちゃってるけど」
だからマリナにあげてもいいかなという気持ちで皿を差し出すように見せるセイだったが、マリナは一瞬目を輝かせながらも食べ跡を見てから自重するように一度口を閉じてから言った。
「いや、いい……か、間接キスになっちゃうから……」
実はセイは提案する前にこういう事を言うんじゃないかなと見当を付けていた。ただ頬の一つでも赤らめて言ってくれたら可愛いのに、なんて考えながら机の脇にあるナイフを一つ持つ。
「ほら、こっちの方は触ってないし、こっちの方だけあげるからさ」
セイは自分のフォークをつけた部分を少し大きめに空けてナイフを入れ、タルトの一番美味しいところをマリナの方へ差し出した。これならたしかに間接キスにはならないだろう、マリナも十分納得したのか、よだれが溢れそうな口を開けた。
「いいのか……? 超美味しいところなのに?」
「いいよ、言ったろ、恩返ししたくて連れてきたんだからさ、なんなら俺は砂糖なめてるだけでも満足だしな」
「そうか……! じゃあ貰っちゃおうかな……あ、言っておくけどこんなんで私の信頼は買えないからな! ……やったやったやった~……!」
セイは苦笑いしつつ、ケーキを持っていくマリナが心底喜んでいる様子を見ている。マリナは自分のを食べるよりも先に、後で返せと言われないようになのかすぐにセイのケーキをパクっとかぶりついて「んふふふ~~~!」とケーキの味に舌鼓を打っていた。
マリナがケーキの味を引き立てるような甘みの抑えられた紅茶と一緒にタルトケーキをじっくり味わい、ようやく残りあと三口というくらいまで食べた頃、レストラン車両の扉の前方側、後方側が開いて、前方向の扉(マリナ達の部屋である碧空がある方向)からは問題カップルが、そして後方の扉からは聖火院の三人組が現れた。
どうやら二つのグループもここのスイーツを食べに来たようで、セイとマリナはもちろん、別の席でマリナらと同じようにスイーツを食べていた熟年夫婦らもカップルの方をちらりと見ていた。
先程マリナを押し出したカンラは再び威圧するようにマリナを睨むと、遠目の席にクトリクを引っ張って先に座らせ、ガイドのクインにスイーツを要求しにいったようだ。そこでカンラは念入りにそのケーキがクインの手作りなのかとか、何か変なものは入れていないかなんて事を訊いている。
その質問に一つずつ丁寧に答えたクインに納得したカンラがケーキを持って席に戻ろうという時、聖火院のアスルが自分たちのケーキを貰おうとカンラの後ろに並んでいて、美味しそうなタルトに目を奪われているようなアスルに、カンラはキッと睨みつけるように「見てんじゃねぇ」と呟いてクトリクの方へ向かう。
だがそこでクトリクの横の道をキワが通りがかっていた。キワは車両のラウンジ車側にあるお手洗いに行こうとしていて、ラウンジ車側近くにある席に座っていたクトリクの横を通らざるを得ない状況だったのだ。もちろんキワにはクトリクに声をかけようという意図など微塵もなかったのだが、カンラはそうは思わなかったようだ。
「ちょっとあんた!」
カンラはクトリクの元へ駆け寄ってケーキを机に置くと、キワに掴みかからんとする勢いで彼女に迫る。
「は、え?」
キワは予想にもしないカンラの声音に目を丸くしていた。
「あんた、クトリクに何しようとしたの? 私知ってんだからね、さっきクトリクを見てた事。言っとくけどクトリクはお前みたいなの相手にしないかんね、おい」
「は、はぁ? あんたおかしいんじゃ……」
マリナの時よりも強気に、キワは反論しようと声を上げる。クインも「あの、カンラ様……?」と初めて見るカンラの様子にビクビクしながら声をかけているのだが、全く届いていない。
「おかしいのはオメェだろうが!」
カンラは車両に響き渡るような叫び声でその場の全員をビクつかせ、マリナはフォークを落として、そこに載っていたタルトの最後の欠片を落としてしまって「ぁあっ!」と泣きそうな声を上げた。
「おい、いい加減にしろよ、さっきから突っかかってよぉ。キワはラウンジにある手洗いに行くってそっち行っただけだろうが。マリナちゃんにも暴力してよぉ、彼氏さんもそいつ止めろよ、ぜってぇおかしいだろ」
そう言ったのはブロウドだった。クトリクは落ち込んだような表情で「すいません……」と小さく謝るが、キワも理不尽に怒鳴られたことに怒りのボルテージが上がってクトリクとカンラ両方に言うようにこう言った。
「そうだよ! 通りがかっただけで過剰反応……わ!」
キワがそう言葉を途切れさせたのは、カンラが手元にあったタルトケーキの一つをキワの顔面に投げつけたからだ。
「おいてめぇ!」
それを見たブロウドがいよいよ席を立って一触即発の空気が流れ始める。
「カンラ! やめろ!」
ブロウドとほぼ同時に声をあげたクトリクがいい加減にと席を立ってカンラの腕を取る。キワは「嘘でしょぉ……」と顔についたタルトケーキを拭っているが、投げられた新品のタルトケーキの破片がちょうどマリナの皿に飛んできて、マリナは驚いた表情を一瞬浮かべ、次に喜んだ顔を、そしてこれは食べてもいいのだろうかという苦悩の表情に変えるのだが、さっき落とした分が戻ってきてラッキー、と誰も見ていなかったので最速の動きをして一口で食べた。
「だってクトリクっ、こいつクトリクの事悪く言ったんだよ!? 許せない! 放して!」
「戻るよカンラ! 部屋で食べよう、な? ケーキ持って、一緒に食べよう! ほらっ!」
男のクトリクが精一杯の力でカンラを引っ張っても力は五分というところなのか動かなかったが、やっとカンラが諦めたことで二人は自室の方へ残った一つのケーキを持って去っていく。クトリクは声には出さずにキワに何度も口パクの形で謝罪をしていた。
「なにあいつ……ホント信じらんない!」
クインが駆け寄って「大丈夫ですかぁ?」と布巾で優しくキワの顔を拭きながら流し台に連れて行った。
「いやぁ……壮絶な女の子だな、カンラって子……病んでるって言うか」
自分は関わり合いにならなかったことで高みの見物をしていた気分のセイが茶化すようにマリナに囁き声でそう言った。
「うん……クトリクって兄ちゃんの事が本気で好きなのはわかるけど、流石にやりすぎだ。クトリク氏の方はなんていうか、介護でもしてるような心境みたいだし」
「黙ってれば美人なのにな……」
セイの付け加えた一言にマリナは目を細めて睨みつけた。「なんだよ、怖いな」
それから食べ終わったマリナとセイは席を立つ。同じくらいに食べ終わった熟年夫婦の旦那の方も席を立ち、同じくらいにラウンジ車に入った。奥さんの方はまだ一人でゆっくりとケーキを堪能しているのを横目に見たマリナは一人、奥さんに"僅かな同情心を浮かべつつ"も見ないようにしてセイについていく。
「いやー、あの子やばいっすね!」
ラウンジ車へ一緒に入った熟年夫婦の旦那、アラツは面白いものを見たという感じで「そうだなァ」と突然話しかけたセイに対応した。
「スン……妻の名前だが、スンと私のとこにも実はさっきあの子が訪ねてきてな、あの子なんて言ったと思う?」
アラツは意地悪な笑いを浮かべてセイとマリナに問題を出すように言う。セイは「えー、なんだろ!」と楽しそうに、マリナは首を横にふるだけでわからないことを伝えると、アラツは「くく」と苦笑した後で答えを教える。
「結婚してるんだったら今日の夜に性交渉を持って欲しいなんて言ってきてな。ムードを盛り上げるために壁越しで聞こえるようにやってくれないか、なんて言ってきたんだ。君たちに頼まなかったのはそこのお嬢さんの声であの彼氏さんが興奮したら許せないから、とかなんとか。くく」
「マジかよ! キまっちゃってんなあの人!」
マリナは機嫌を損ねたような表情で目線をそらして聞いてないふりをしている。こういう話は大の苦手で愛想笑いも出来なかった。
「私もそれなりに長く生きてるけど初めて見る人種だよ。四泊のんびり過ごしたかったが、これじゃ暇しなさそうだなァ、ははは」
あくまで他人事、という感じでアラツは部屋に戻っていく。
「なぁマリナ、ということは今日の夜もしかして……イッデぇ!」
セイがその言葉を全て言い切る前にマリナはセイを蹴りつけ、下衆野郎を見下すような冷淡な目でセイを黙らせた。