31:エピローグ → プロローグ2
「よかった……人だぁ……はぁ……」
僕はもう耐えきれずにドアを背にへたりこんだ。ここまで歩いてきた疲れもあったし、突然痴漢扱いされるし。まぁ僕が悪かった部分もあるけど、ちょっと酷いよね。
「あの……何か飲み物……ありませんか……夜中ずっと歩いてきて……」
僕は息を整えながらその少女に尋ねた。でも少女は僕の言葉を否定するようにぶんぶんと顔を振り、目をゴシゴシ腕で拭くと僕の方をじっと見つめてくる。その瞳は透き通るようなブルーをしていて、ボサツンって感じのロングな黒髪によく目立つ。ただその輝きは鋭くて、僕の全てを貫き通すように見ていた。飲み物、無いのかな……あるとしても得体の知れない僕にあげるのをためらってるんだと思う。
「……その格好で、夜中っていうか、ここまでずっと歩いてきた、の?」
女の子は少し口をパクパクさせた後にそう言った。彼女はなんていうかこう、ちょっと人との関わりが苦手なのかなと思った。だからより一層怖がらせないように敬語で答える。
「あ、はい……目が覚めたらこの森にいて……ここがどこかわからないし、歩いていたら線路を見つけて、ずっと辿って来たらここに……だから喉カラカラで、お腹も減ってきちゃって……」
女の子はそういった僕の顔をじーっと見つめていて、それがちょっぴり怖かったけど、でもきれいな瞳だから少し照れて僕の方が目を逸らしてしまった。十二か三歳くらいの背丈っぽいんだけど理知的に見えるから十五くらいかな。子供なのに、彼女の親御さんはここにはいないみたいだ。
すると女の子は手近に置いてあったバッグをゴソゴソとあさって、パッケージに入った豪華そうなプリンを一つと、ペットボトルみたいな容器に入った水を出してくれた。こんな森にプリンとは、よっぽど好きなのかな。そもそもこの子は何しにここへ来て、どうしてここで寝てたんだろう、電車に間に合わなかったのかな。
僕は控えめな声で「はい」と差し出されたそれらを受け取って、僕はがーっと水を飲んだ後にプリンの蓋を剥がした。ガラスみたいな瓶に入っていて、ビニールとは違う素材で蓋がされてる。きっと凄いプリンだ。
「ありがとう。ごめんね、高そうなのに……」
フルーツが載って、クリームがたっぷり、スプーンの入り方だけで美味しいことがわかる適度な弾力感。高級プリンでしかありえないと思う……コンビニで四百円のプリンを食べたことがある僕の感性がそう告げている。
「いいよ、いっぱいくすね……貰ってきたものだから」
プリンを貰ったということは森に親戚でもいるのかもしれない、なんて考えつつ、とろけるほど美味しい果物の載ったプリンを食べる。
「あ~~……」
それはもう、自然と声が出るくらい美味しかった。僕の見立て通りプリンは少し固めにしてあって、まるでケーキみたいに果物と一緒に食べられる。ふわふわした白いクリームもふんだんに塗りたくられて、一番下のカラメルソースは果物の甘酸っぱさを引き立たせるようにちょっぴりの苦味を含めてある上に、それがちょうどいいバランスで配慮されていて極上の甘さを生み出して……僕は視界情報を完全にシャットアウトしてその美味しさの世界にのめりこんでいた。生きててよかった! まさにそんな味だよ。
「……私も食べよ」
女の子もごそっとプリンを取り出すと……三つも! ……それをパクパク食べ始めた。ちょうどいい間が生まれたので僕は気になっていることを尋ねた。
「あのう、ここの駅って次の列車はいつ来るのか、わかる?」
彼女は僕の問いかけに体をちょっとだけピクっとして反応した。プリンを食べるのに夢中になってて僕を忘れていたのかも。で、食べながらもぐもぐした口で教えてくれる。
「ん……あと八時間後……かな」
「ぃえ!? そ、そんなに……っ?」
相当田舎なんだなぁ……地理的にはどの辺なんだろうと考えて、それで思い出した、そういえば目覚めてから何も持っていない事を。自宅から持参していたバッグももしかしたら誰かに取られてしまったのかもしれない。バッテリーが危ないスマホはポケットにあるけど、森の中でも駅に入ってからも圏外だ。駅には名前も書かれていないようだけど、隣の駅が知れたとしてもここがどこかわからないと思う、電車ガイドはバッグの中だしね。だから知りたいことを全然知れてない。
「あの、ところで、この辺の人なのかな? ここはどこなんだろう……」
女の子は二個目のプリンを完食しようとスプーンでカップ内のクリームをかき集めながら言う。
「私? 違う……場所は夜天域の森としか……私もこんなところに来るのは想定外だったから……」
それでまず……なんとかの森ということはわかった。いやわかってたんだけども、森を歩いてまだ森にいるんだからそりゃここは森だよね。それ以外は全然わからなかった。だから何もわかってない。想定外でこんなところに来るって、どんな状況? あ、それは僕もか。もしかして彼女も僕みたいによくわからない理由でここに放り出されたのかな。
「私も聞きたいんだけど、あなたは何者? なんで”今”ここに? 名前は?」
女の子は相変わらず視線が鋭い。小さい割にしっかりしてるんだろうなぁと思った。
「えっと、ちょっと理解されないかもしれないんだけど……洋ドラの”シェリング”シーズン2の試写会に当たったんだ、知ってる? ベンディ・カンバーが主役をやってる……イギリスの俳優なんだけど知らないよね」
まだ小さいし、洋ドラを見る年じゃないような気がしてそう言うと、案の定少女は顔をしかめて理解しかねる様子だった。
「本物のシェリングに会えるらしいから電車で試写会場に向かったんだけど、そこでなんか……こう……」
あの時のことはよく説明できないけど……フラッシュみたいなのを浴びて、すごい音と衝撃を受けたような気がして……僕は記憶を手繰り寄せて、それに連動するように腕を動かしながら、でも上手く説明できなくて軽く省略しながら今日の出来事を順を追って話した。
「とにかく、それで気づいたらここにいたんだ。はぁ……自分でもよくわからなくて」
女の子はまるで僕に興味津々という感じでじっと僕の目を見つめてくる。年下といえどキレイな顔をしているし本当にちょっと照れてくる。それから女の子は澄んだ声で覗き込むように聞いてくる。
「で、あなた名前は?」
この子、もしかしたら僕の思っているよりも年上なのかもしれない。こういう彼女のハッキリとした発言を聞くと子供の持つふわふわとした感じが無くて、僕は直感的に十七か十八歳だけど背が小さいだけの子かも、と考えた。
「僕? ……僕はクスノ マサキ。君は?」
彼女に尋ね返した僕に彼女はすごく深刻な、まるで親の仇でも前にしたかのような表情とまでは言い過ぎかもしれないけど、とにかくすごく険しい表情で僕を睨んで、それから僕の質問に答えないで更に質問を重ねる少女。片腕が洋服&タオル布団の中でもぞもぞと動いたのが見えて、その動きについて僕は、きっとポケットの中かどこかから何かを探したのかなと思った。携帯かなにかを出したいのかな。
「……お前、どこから来た?」
「えっ?」
女の子の口調があからさまに強くなって僕は少し真面目に答えることにした。なんでかはわからないけど、そうした方がいいような気がして。
「どこからって……埼玉だよ、さいたま市の……ん? なにそれ?」
僕が細かく言おうとしたところで彼女は片腕を布団代わりにしていた洋服タオルの……もう布団でいいか。布団の中から手を僕の方へ伸ばすように出してきて、それから立ち上がって僕から距離を取った。何かリング状のモノを握りしめているけど、あれは一体なんだろう? 金色のリングで、そこから丸いキーホルダーみたいなのが二つぶら下がってる。
リングの中央に筒みたいなのがあって、その筒の下には更にリングがくっついてるみたいに見える。指でひっかけて遊ぶものかもしれないけど、それを僕に向けて下がっていくっていう行動はよくわからなくて、僕は「何してんだろう?」と首をかしげて見せた。でもその筒のようになってるところを見ると、変な形の銃みたいにも見える。まぁ形から言っておもちゃなんだろうけど。
「誰だお前……! 何故あいつと同じ事を言ってる!?」
女の子は必死な形相で僕を怒鳴りつけてるんだけど何のことを言っているのかさっぱりわからない。でも意味を汲み取るべきだと直感した。そうしないと僕は何か取り返しのつかない事になってしまいそうだと。
「あいつ? おんなじ? な、なんだろう……」
この子が何をこんなに興奮しているのかがわからない。とにかく落ち着いてほしいけど、何をすれば良いのかがわからない。どうすればいいのか考え倦ねている間に彼女はひとりで戸惑った表情ながら落ち着きを見せ始め、それからこう呟いた。
「ば……ばいく……」
「え?」
もしかして近くを通ったのかな? それならエンジン音がするだろうしこんな暗い道で見えるとしたらこの女の子は相当の視力だ。僕は全く気付かなかったけど彼女の向いている方向、つまり僕の後ろの窓に見えるどこかを通ったのかなと思って僕も振り向いて道の向こうを確認するけど、風に揺れる木々とキレイな月しか見えない。
木のある場所はバイクだと危ないと思うし、走るとしたら線路の上だろうかと、線路の続く道をあっちから向こうまでぐぐーっと目を凝らすんだけど……だめだ、見えない。もし通ったんだとしたら残念極まりない。八時間も釘付けになってしまう。と言ってもバイクじゃ誰も帰れないか。
僕は線路を見ながらため息を一つついて彼女に向き直った。そうするとその少女は今度は表情をびっくりした感じに口をぽっかり開けて僕を見ていた。
「ちょ、ちょっと待って、考えさせて……」
僕は何も言ってないのにその少女は唇の辺りに人差し指の付け根を持っていってキスするように地面の一点を見つめてる。僕の感じた緊張感は消え去ったし、今のうちにプリンの残りを食べてしまおう。パクパク、美味しい。
それから女の子は小さめの声でこう聞いてきた。
「セイイチ・オカヤスという人を知ってる?」
僕はプリンの容器の中のクリームをかき集めながら首を横に振って「さぁ?」と答えた。なんでアメリカ的な名前の言い方?
「悪いやつの名前なんだけど……」そう説明を重ねる女の子。僕はなんとなく最近ネットや家族との会話で覚えた言葉を言った。
「犯人はヤス的な?」
コメントが流れる動画サイトで何かしらの特徴を持った人物が出てくる度にそんな言葉が流れてくるのを思い出す僕。
「え、どういう意味?」
女の子はますます意味がわからないという感じで首を傾げている。
でも僕にもちゃんと説明できない。確か何かのゲームで出てくる主人公の探偵役の相棒で、実は犯人だったみたいな……身も蓋もないネタバレワードだった気がするけど、僕は妹に聞いただけであって言葉でしか知らないから「スラング?」と疑問系で返すと、女の子は頭を抱えている。
「あなたのいるサイタマというところでは、ヤスとは犯人の事なの?」
「ネット上のネタの話だけど……埼玉っていうか、日本全体で多少は定着してるんじゃないかな」
「ニホン? それはニッポンとは別のもの?」
この子は何を言い出しているんだろう。そのこだわりは一体。
「日本もニッポンも同じでしょ?」
女の子はあからさまに頭に「?」を浮かべているんだけど、それはこっちもだ。ちょっと面倒くさい子なのかもしれないと思い始めてきた。
「ちょっと纏めさせて。あなたはニホンのサイタマというところから来たクスノ……クスノマ」
「仰々しいね……」
マサキって名前を忘れたみたい。ちょっと悩んでからクスノマで纏めちゃってる。そんな覚えにくい名前じゃないと思うけどなぁ……。
「まさか異世界から来た……そう言うつもりじゃない……?」
何の話をしているかわからないけど、とりあえず発言は汲んであげるつもりだ。
「ライトノベルかなんかの話? 僕あんまり知らないけど……」
そこで女の子は息を呑んだみたい。なんでそんなにびっくりするんだろう。ラノベ好きで話せる人が来て嬉しいとかそういう事? だったら僕はディープな話は出来ないと予防線を張っておかないと。
「僕アニメよりドラマ派で……」
もし僕の考え通りなら妹と気が合うかなと思った。そういうの大好きだから。
「魔法は?」
少女は僕の言葉をかき消すように、その単語を発した。魔法って言った? 僕はよく聞こえなかったけじゃないんだけど、唐突な質問に「え?」と聞き直すと、少女は腕をゆっくり下に降ろしながらもう一度、今度は丁寧に説明を入れつつ話してくれた。
「魔法を使うことは出来る? 種や仕掛けがある、手品とかそういうものじゃない、純粋な魔法を使える? 手から火や水、電気を起こしたり、周囲を明るく照らすことは出来る?」
「ちょっと何を言ってるかわからないんだけど?」
本当にちょっと何を言ってるかわからなかったからそのまんまの言葉が出ていった。そんなものあるなら是非見てみたいし、というかこんな駅の休憩室で僕はどんな会話をしてるんだ?
すると女の子は目を丸くして「本物……?」と呟いた。それから畳み掛けるように変な話を始める。
「……いい? この世界にニホンやサイタマという地名はない。かつての魔王が治めた王域と、人間が栄えさせた国域という地理的な境目はあるけど、その中に多分、サイタマという国は無いと思う。私の住んでいるのはシホ国域の”ビイニツ”という街。聞いたことある?」
僕は自分でも反応に困ったという表情を浮かべているのがわかる。この子は一体何を言っているんだ状態だ。でも女の子は僕が相当困っていることを察してくれたのか、話題をすぐに変えてくれた。
「……そのサイタマってところからここに来るまでに、誰かと話した? ニホンがどうとかって話を、誰かにした?」
これにはすぐ答えられるぞ。僕は少し安心しながら首を横に振る。
「ううん、君が初めてだよ。ずっと一人で森を歩いていたんだってば」
女の子はもう一度指を口元に持っていき、今度は僕を見極めるように上から下までジロジロ見てから言った。
「……明日の列車がついたら、私の家まで案内する。そこで少し話を聞きたい。あとこの世界には魔法がある」