30:異世界はあるか
「さて、じゃあここまでだな、マリナ」
小さすぎる駅のホームで停車したセプテントリオン号のラウンジ車から繋がる降車用のドアの上から、セイがこれから始まるゲームを待ちきれないといった、まるで希望に満ち溢れた別れをするような口調で言った。対してマリナは列車を降りた先で振り返らずに、短く返事をする。
「あぁ」
つれないナァと小さく笑うセイに、後ろで見ているクインが嫉妬してマリナとセイを睨みつけている。それからセイは最後の確認を取った。
「言った通りに頼むよ。厄介な手違いがあったら相応の対価が支払われるからな」
この列車が疑われないように、謎の殺人者を仕立てる打ち合わせも済ませている。マリナはそれに乗る他無かった。
「わかってるよ。おいセイ、彼らはこれからも無事に過ごせるんだろう?」
これもマリナにとっての最終確認である。
「何も無ければな。俺の仲間はどこにでもいるから暫くは監視させて貰うけどさ」
マリナは真実と読み取った。アンフェアではあるがセイが求めている物が”刺激”であることを理解しているマリナは約束さえ破らなければ彼らは安全であることを認識し、その確認を最後に夜天に冷える森の駅の休憩室へ進んでいきながらポケットに手を入れる。もう何も言うことはないと、振り返ることもなく進もうとしていたマリナをセイが呼び止める。
「なぁマリナ。俺の名前だけど」
その話……つまり犯罪王の本名についての話は出来ないと思っていたマリナにとってその言葉は興味深く、半身を振り返らせて聞き返す。
「本名を教えてくれるの?」
「そんなわけないだろ。でも別の事を教えてやるよ」
セイはここで、いたずらにククと笑う。マリナはそれだけでこれから話すことが恐らく真実であろうことを見抜く。
「別の事?」
「俺の名前は、つまりセイイチ・オカヤスという名前は俺がそれっぽく適当につけた名前じゃない。これは確かに、異世界のニッポンという国に存在しうる名前だ」
マリナは言葉の意味を理解しかね、それにまた”異世界”という嫌な話を始めるので露骨に表情で拒否感を表した。同時、心臓がドクリと鼓動する。何故ならその言葉から読み取れるセイの反応が”真実”であるからだ。
「……何?」
セイは今度はもう少し大きな声で笑った。マリナの反応が余程面白かったのだろう、彼は読心の魔法という領域ではないにしろ、他人の考えを読む力が犯罪王と呼ばれるほどには備わっている。だからマリナが地で表した表情が可愛くて仕方がない。これからどう壊してやろうか、今から楽しみという気持ちを抑え切れないのだ。
「あるんだよ、異世界は、本当に。どうだ、嘘に聞こえるか?」
「……」
苦々しい表情を浮かべながら、高鳴る鼓動を止められないマリナに、セイは更に追い打ちをかけるように言った。
「俺の知識は伝聞のようだと言ったな。その通りだ。全て聞いた話をそのまま垂れ流していた。言いたいのは……異世界人は確かにいるということだ。どうやら異世界は本当にあるらしい」
こんなところで遊ばれてたまるか、最後に笑いものにして立ち去る気だとマリナは鼓動を抑えながら否定する。
「お前にっ、そ、の知識を与えたものがいるとしてっ、ほ、本当の事を言っている証拠が無い」
言葉につまりながらではあったが。その反論に、セイは証明手段を持ち合わせていなかった。自分に異世界を教えてくれた人間がここにはいないし、嘘を平然とつく自分ではマリナに証明しきれない。だが証明し切る必要も無い。マリナの”読心の魔法”は証明を飛ばして真実を知ることに長けているからこそ魔法として周りに認識されてきたのだ。だからセイは短いやり取りの中でこのやり取りを終わらせてしまえばいい。マリナが何を信じるかはマリナに任せてしまえば良いのだ。
「君にそう言われちゃあな。でもま、世の中何があるかわからないってさ。じゃあなマリナ。楽しかったよ」
セイはそう言ってダンスパーティで踊ってくれた相手のエスコートを終える時のように小洒落たお辞儀をして見せると、それに合わせて発車した電車の移動と共に少しずつドアが閉まっていく。
そのドアが閉まる直前にマリナはストレンジャーを再び取り出して銃口をセイに向けるが、セイとマリナが楽しそうに会話していることが許せなかったのだろうクインが勢いよくドアを閉めたことでガラス越しになってしまい射撃はしなかった。この小さな銃弾では厚いガラスを通せば威力も弾道も狙い通りにはならない。ガラスを抜けたところでもうセイを殺すことは出来ないだろう。マリナは悔しさに顔を歪め、腕を下して地面を強く踏みつけて「くそ!」と一人で叫ぶのだった。
それから周辺を見渡し、夜天の下に伸びる長い線路を見やる。もう今日は他の列車が来ることは無いし、乗客だって来ることはない。ちなみに歩いて次の駅へ向かうとリアルに半日はかかる程の距離がある。マリナの体力ではたどり着くことすら難しいだろう。
ここは奥地に棲むモンスターを狩る狩人などが利用するための線であるが、狩りが必要なモンスターなどもうほとんど存在していない。全く存在していないわけではないが、マリナの持つ一発のストレンジャーでも当たりさえすれば十分対処出来るだろう。
マリナは駅から森を見渡し、少し寒気を感じながら駅の休憩室に入って扉を閉め、蓄電された電気の魔法を使うタイプの電灯を点す。中は案外広くなっており少し古い座布団なんかが長椅子の上にいくつも置かれている。タオルもいくつかかかってはいたが、やや使い古されたようになっていて自分の体に巻き付けるようなことは出来ずそのまま置いておくことにした。
座布団を外に持っていってパンパンと埃を落としつつ、駅に乗客がいることを知らせる札を構内に出しておいた。これで次の列車は確実に停まってくれる。
休憩室正面の長椅子に座布団を重ねて置いて簡単なベッドにすると、その上から自分の持参したタオルや衣服で工夫して更なる清潔さを確保し、その上に寝転がり、セプテントリオン号のスイートにあったふかふかのベッドを思い出しながら強がりを一つ。
「うん、悪くない」
寝て起きたら列車に乗って帰るだけ。マリナはガラスの向こうの暗月の森に再び身を震わせながら自分の体を隠すように衣類で出来た布団を深く被り、眠くなるまで持参した本を読んで、やがて眠りについた。
その夜……ここはいつでも夜ではあるが、時間的には深夜という時間で、マリナは「パタン!」という音に目を覚ます。
眼前には肩を揺らしてまで荒げた呼吸をし、妙な格好でマリナを見るなり嬉しそうな顔をした若い男が一人。疲れているのかその顔は歪んでおり、それがマリナにはとてつもない恐怖感を煽り、起き抜けでこう叫ばせた。
「ひゃだ! 痴漢!!!」
これがマリナと異世界の、真の出会いの始まりであったのだ。