23:無能な探偵
マリナはラウンジの全員に向けて今回の列車で起こった事件についてを話し始めた。オープンしている窓の向こうの景色はかつてのドワーフ族が隆盛した鉱山を遠くに映し出し、近くには美しい沼地が広がる。オレンジ色の光が沼に反射して淡く輝いている。それから景色の遠くにはこれから侵入する、空が常時夜を保つ夜天域が見えている。
「まずこの列車だが……この列車の乗客は全員が動機を持つ”狼”と何も知らずに乗り込んだ”羊”に分かれた。言わずもがな、羊は被害者ね」
「あぁ、わかってる」
全員が既にわかっている話として頷いている。先程全員、マリナに指摘されたばかりで白状しているというような心境だ。
「でも考えてご覧。それぞれの羊が死ぬ時、動機を持つ狼は何をしていたか。狼は必ず誰かと一緒にいて、アリバイを完璧に作っていたんだ。これで動機からの殺人は何か違うように見えてくる。でも各グループがすべて同じ狼と羊という状況にあったなら、何が出来ると思う?」
「協力していたって話か? それは俺がさっき思いついた話と同じじゃないか」
セイはなんだか自分の推理が取られたような気分になった。
「そうだけど、少し違う。まぁちゃんと説明するよ。クトリク、アスル、キワ、スン、君たちは犯人で、最初からこうなることを知っていたね」
マリナの問いかけにそれぞれが目を合わせている。腑に落ちないセイが問いかけを遮るように発言した。
「いやちょっと待てマリナ、それならアリバイ工作も自在に出来るけど、さっきも言ったけど魔法は? それにそもそも彼らは事前に面識があったのか? というかそれならなんで俺たちもこの列車に乗ってるんだ……?」
「私もそれは考えた。多分、私をここに呼び寄せた人物はこの事件を私に解決してほしかったんだ。セイの持っていたくじ引きのチケット……あれがもう最初から仕組まれていたんだよ」
マリナの披露したその推理に、セイは途端に現実感を無くしてプッと噴き出した。
「そんなわけあるか! だって俺、ただ買い物をしてくじ引き券を貰って……っていうかあのチケットでツアー当てたのはマリナだぞ!?」
セイがたまたま入手したチケットで、嫌々でくじを引いたマリナがたまたま当たったこのツアーが最初から仕組まれていた、と言い出したマリナに対して”そんなバカな”という表情を向けるのは無理もないだろう。
「まぁ、私が引くのを待ってたんだろうね……そうだろ、クインさん。だいぶ雰囲気が変わっててちゃんと思い出すまで気が付かなかったけど、あの時私のくじ引きを担当してくれたの、あなただよね?」
クインは結んでいる口をピクっと動かし、興奮したように口と鼻から空気を取り込んでから「はい」と小さく答えた。
セイは困惑する。信じられない話の流れであるのに、クインが”仕込み”の側にいたのは真実だった。
「つまりクインは意図的に当選者を決定できたんだよ。そうすれば事前にアリバイの工作をする打ち合わせも出来る」
そのマリナの推理に対し、セイは顔を歪ませて手をブンと振って反論した。クインが犯人であってほしくない、という気持ちが全面に出ている訴えだ。
「待て待て待て! 全て突拍子がなさすぎるぞマリナ! じゃあつまり犯人のクインさんはマリナがたまたまくじ引きに来るのを待って、ツアーの運営をしながらその辺にいる人の中から殺意を持つ人と持たれる人の関係を見抜いてこの列車に誘って、それで他の人らと協力してアリバイ工作を事前に行っていたってことか?! もっとちゃんと筋道を立てて推理してくれ! それに『解決してほしかった』って……全然筋が通らない! そんなのまるで異常者じゃないか!」
「異常者なんだろ、多分」
マリナはあっけらかんと言ったとそう言うと、セイはぽかんとした後に抗議の表情を浮かべた。
「多分って……もっとちゃんと推理してくれよ! 俺は全然納得できないっ……」
セイが髪をむしゃくしゃにかきあげて言うと、マリナもため息混じりで言い返した。
「じゃあセイ、君ももっと推理をしてよ。最初の事件から行こうか。カンラが死んだね。この時セイとクインがクトリクのアリバイを証明した……間違いないでしょ?」
マリナは淡々と事実を確認するようでいる。
「あぁ! クインさんもずっと一緒にいた! そりゃっ、最初の数分はクインさんはいなかったけど……そんな時間で殺害出来るわけ無い! だってほら、おやつだって大体出来てたんだろう?!」
「そうだね、あのスコーンを作るのは普通に生地練って入れるのとはわけが違う。ベーコンを切って焼いて、味をつけてそれから生地を練って、下ごしらえから焼きまでに十分程度。慣れていないキッチンを使って、完全に一人で作るとなればその倍の時間は見ても良い。それから焼きに二十分弱で完成すると思う」
料理に詳しいのか、マリナは得意気に時間配分を計算している。
「焼きは途中で止められていたけど、それなりに焼けていたから十五分くらいは経ってたはず。クインが最初の数分の空白の時間で殺害していたなら、スコーンの出来はそこまで到達しないね。それにセイがトイレに立ってから私が呼ばれるまでの時間は大体三十分程度だった。なのに飛び散った血痕はほとんどが乾いていたことを考えれば時間は二十分以上は経っているわけだ」
マリナが言いたいのは、つまり全体で時間の辻褄が合わないということである。
「頭が混乱しそうだよマリナ、俺がトイレに行ったときには多分、カンラさんとクインさんがキッチンにいて、俺がトイレから出たときにクトリクさんと合流して、少し話してたんだ。たしかものの五分くらいだったと思う……いや詳しくは六、七分ってところかな……グラスにお茶を注いでそれを一杯飲むくらいは話してるうちに今度はクインさんが来たから……」
セイは必死に当時の事を思い出し、マリナの推理になんとか肉付けしようとしている。
「それから三人で少しの間話して……その間、多分二十分くらい話をした後にクトリクさんがトイレへ数分経って、でも男なら普通の時間だ、三分とか四分で行ってきて……そうだ! それで帰ってきたときにクインさんがそういえばって言ってキッチンに様子を見に行って、その時間がもう話し始めてから三十分弱くらい経ってて、そしたらカンラさんが亡くなってたからマリナを呼んで……」
セイは時計を指差しながら「ええとええと」と時間配分を思い出そうとしている。
「やっぱりそうだ、クインさんにはもちろん、クトリクさんにも犯行の時間は噛み合わない。スコーンの出来から言えばクトリクさんには不可能じゃないかもしれないけど、ほんのトイレに行くような時間で殺害と自分についた血液の処理は出来ないだろう? ほら、凶器にはべっとりと血が付いていたんだし。やっぱり犯人はクインさんの見た謎の人物か、ブロウドさんだったんじゃないか……? 電気魔法の説明もつくし、というかそうじゃなきゃ説明が……」
「いや、ブロウドは誰も殺してない。これは確定事項だよ、私の魔法はそれを見抜いたからね」
マリナは自信満々にそう言った。先程まで不安定だった魔法だが、今はその成果を完全に信じているらしい。その奇妙な自信について、セイは当然のように指摘した。
「でも、この列車ではその魔法がうまく作用しないような事を言ってたじゃないか、もしかしたら違うってことも……」
「それについては後で説明するよ。でも間違いなくブロウドは誰も殺してない。カンラに触れてすらいないはずだよ。クティナって人には本当に何かやましいことをやっているようだったけどね。さぁセイ、他に方法は全く無いと思うか? 探偵の相棒になりたいなら、しっかり考えてみて。クインが犯人としてね」
マリナは試すようにセイにそう問いかける。まるでマリナ自身は他の解を得ているのに、それをあえて伏せて推理を披露しているようだ。セイは試されているのを承知したように頭の回転を速めた。
「ぐ……一つだけ考えられるとしたら……考えたくないけど……クインさんがおやつを一緒に作っていたのなら……下ごしらえの時間は短縮されて、時間に少し余裕が出来るかも……」
「せ、セイさんっ?!」
今まで自分を守ってくれていたような素振りを見せていたセイの推理に、クインは怯えるような声をあげている。その上でマリナはよくやったと感心するように頷き、出来ていた推理を披露する。
「そうだ。最初に当てはめられたクインの行動時間が五分としても、それでも片方がベーコンや味付けの下ごしらえをして、もう片方が生地を練るだけでかかる時間は全く違う。一緒に生地を完成させて、焼きに入れる直前や直後に殺害、生地をオーブンに入れたまま自分もラウンジ車へ合流すれば、これが最も時間の齟齬がなくなる考えになる」
つまりマリナは”クインは最初にセイたちと合流したときに既にカンラを殺害していた”と推理したのだ。だがそれではまだ穴が多く、最も大きな穴をセイが指摘する。
「で、でも、付着したはずの血液は? 電気魔法のことだってあるし」
「彼女の魔法属性を考えてみろ、水は電気を通す。キッチンには電気もあるんだから、そことカンラを水の魔法で繋げば電気の魔法が使われたように見せられるだろ? 血液に関しても簡単だよ、合流したクインの腕に最初から血が付いてたけど、夜の時間で暗くなっている車内だったから君が気が付かなかったんだ」
ここでセイの表情が大きく崩れた。本気で言っているのか? と。
「それにクトリクが共犯だとしたら視界を反らしたりすることも出来ただろうからね。座って話していたんだったらなおさら、テーブルクロスの下に腕を隠してしまえばセイから見えないようにも簡単に出来るはずだ」
マリナはそうなんだろう? とクインを見ているが、当のクインはバレてしまったというような表情ではなく、後ろで聞いているクトリクまで困惑したような表情を浮かべている事にマリナは気付いていない。その推理に最も落胆しているのはセイだろう。
「マリナ……そんなのメチャクチャだよ……俺が見落としてただけ……? 馬鹿な……っ、血だらけの腕を暗さで気づかれない事に賭けるなんて、そんな博打で人を殺すなんて事あるわけが……」
セイは苛立ちすら持ってそう言った。マリナの推理はかなりお粗末だと感じ、自分も何かキーとなるモノを見つけなければと考える。
「でもこの考えが一番しっくり来るんだ」
そういったマリナは他の人には聞こえないように、囁くようにセイに言う。
「……セイは魔法の世界の事件を知らないはずだからね。魔法で何を出来るのか、もっとよく考えればこれくらいわかるようになるよ」
セイが本当に呆れたような表情でうなだれた。これが魔法世界の殺人事件と、そこに住む探偵の解決の仕方なのか、と。こんな場当たり的な推理、絶対間違っている……セイは困惑する乗客らの表情よりも更に複雑な表情でマリナを見守っている。