21:調査 スン
やがてスンがその部屋に入ってきた。マリナはクトリクに対して行ったのと同じように真っ先に質問を投げかける。
「この列車で誰かを殺したか?」
「……いえ、誰も」
二人のやり取りをセイが眉をひそめてマリナの顔を窺うのだが妙に納得したような表情でいるのみで、スンの言った言葉が本当か嘘かどちらなのかがわからない。
「今はどんな気分?」
「……」
スンは答えず、表情も変えること無く口をムと絞っている。ただ視線だけは下に落ちた。
「思ってたより、スッキリしてないんだろ」
スッキリというのはもちろん、アラツの死に係った言葉だ。内心で願っていたことが達成できたはずだろう? とマリナは問いかけている。
スンが返すのはただ沈黙のみ。次の一手を考える中で、事態についていけてないセイがごねるように言った。
「マリナ、頼む、俺にもわかるように進めてくれ。スンさんはアラツさんを殺したのか? でも、これだって不可能だろう!? アラツさんが刺されたであろう瞬間にマリナはスンさんと一緒にいたじゃないか!」
それに対し、マリナはそれが当然であるかのように返す。
「そうだ、彼女の完璧なアリバイを私が作った。この列車で起こる事件ってのはそういう風に出来てるんだろうね」
「出来てるってそれは一体どういうことなんだ……?」
マリナは一体何に気付いたのか。セイの質問も「あとでな」とはぐらかし、マリナは事実確認を続けている。
「スンさん、あなたの動機は……こんなメモ見るまでもない。あの人の日常的な暴力に嫌気が差したってところか。さぞ幼稚な旦那だったんだろうね」
スンは「本当にね……」と恨み節を垂れる口調で、憎しみを込めて。
「せいせいしてるの。やっと解放されたんだって。子供が独り立ちするまで、私は心を殺して妻を演じてきた。でももう限界。あの人の幼稚な言動にも、あの人の性格を作り上げた義母の面倒を看るのも嫌。ふぅ……」
これまでスンが喋っていた様子を思い返しても、これほど軽快な口調は誰の印象にも無かっただろう。気分が高揚しているらしいことはマリナでなくても手に取るようにわかる。
「でも……マリナが今言ったけど、あんまり嬉しそうに見えないじゃないですか……ひょっとして後悔してるんじゃ……」
その言葉に対して、スンは反論をしようという気持ちにはなった。だが言葉を紡ぐことが出来ずに口を閉じ、代わりにマリナが弁を立てる。
「セイ。家庭内の暴力ってのがなかなか世に出ない理由はそこにあるんだよ。スンさんはきっと信じてたんだろう、いつかは”わかってくれる”って。一度は好きになった相手なわけだし、憎くても愛憎一体ってな。でもお互いにプライドが高いはずだから、絶対に譲りあいにはならない。日常は冷え切っているのみで夫婦関係に大した交流はなかったはずだ」
「プライドが高い? なんで冷え切ってたってわかるんだよ?」
「明らかだよ、服装の違いもそうだし、別行動が当たり前みたいになっていただろ。どちらも相手に合わせようというつもりが一切なかった。”従え”って男と”わかって”って女じゃ歩幅が合うのは最初の一歩までなんだ。その結果は良くて離婚なんだろうね。ついでにスンさんのプロフィールを見せてもらった時に今は専業主婦のようだったからな……鮮やかな服を着られない心境、夫婦間で違う経済状況、自由な時間も意思も奪われている証拠」
マリナはそれだけ喋ったあと、「恋愛の本に書いてあった話だけどな」とポツリと呟いている。
「俺目線では気のいいおっさんって感じだったのに……」
セイはアラツについて”絶対に俺に従え”タイプのオラついた人間という印象が持てていなかったらしく、解せないようにそう言うと、スンは下を向いたままではあったものの閉じていた口をほんの少し開かせた。何かをいいかけたのだろうが、反論は再びマリナがさらりと行う。
「そういう評価を作るのが上手いんだよ、そう振る舞うのは特定の標的に対してのみだからね。その上で信じられないような事を言ったりやったりする。まさかあの人が、って言葉は現場でよく聞かされるしな」
スンはマリナの言葉に、マリナでしか見えない程度の同意を表した。スンの中にはアラツに対してたくさんの”信じられない事”の思い出が甦る。
例えば妻に対して「殺してやる」という怒声を上げたことを憲衛に通報され強く注意された時には「言わせたのはスンだ」と主張して憲衛の言葉に全く耳を傾けなかったこと。まだ小さな娘を散歩に連れて行ったアラツが自分が風邪気味であることに気づき、流行り病の患者が多数いる内科の待合室に元気な子供を置いて自分は診察を受けて結局なんとも無いと話した時にスンは気絶するような思いを味わったこともある。
どんなに愛そうとしても裏切られ、そんなスンを嘲るような扱いをしてきたアラツの死を前にしても尚、高らかにざまぁ見ろと笑ってやれないことだけはスン自身でも不思議ではあったが、それはマリナの言った通り愛憎が表裏にあったからなのだろう。
「ありがとうスンさん。おかげでいくつかわかったことがある。先にラウンジ車で待っていて欲しい。あとで行くから」
マリナがそう伝えると、スンはハッと回想をかき消し、まるで処刑を待つ囚人であるかのような心境を持ちながらラウンジ車へ戻っていく。
そうしてその倉庫で二人になったマリナとセイ。読心の魔法を持たないセイは乗客らの様子を見るだけでは事件の推論を組み立てようにもパーツが全く足らず、隠し部屋に転がっている食べかけのスイーツのカップを見ながら乗客以外の犯人を想定するしか無い状況だった。
「やっぱりこの部屋には自室を持たない誰かが居たってことだよな……それにこれだけの資料を集めて……義憤にかられて殺人を起こした……?」
セイはどこかで見た探偵のポーズを真似しているのか、人差し指と親指だけを立てて、谷になった部分を顎にあてながらそう言った。それに対してマリナはあっさりと首を振る。
「違う。そんな人はいない。でもいいよ、もっと考えてセイ。だが義憤という言葉を使えばだけどね、私のお口に入らないで常温にさらされて悲しいことになってる残りのスイーツのためにも解決しなければということだよ」
車内は快適に過ごせるくらいの気温だし、生クリームが使われているスイーツは果たしてまだ食べられるのだろうかという思考で箱に入ったままのスイーツを目にしているマリナ。
「真面目に頼むよマリナ。犯人は一体誰なんだ? 俺が考えるに、グループごとに一人ずつ殺意を抱かれる人物がいたってのはキーになると思う。だからさ、もしかしてだけど……こうすれば筋が通らないか? 標的が一人になった時、一番動機を持つ者が別のグループの人と一緒にいてアリバイを証明する。その上で別のグループの人が対象を殺害する……それをグループが交代でやるんだ!」
セイは思いつきで話している間にその推理に自分で納得が行ったのか、最後の口調は少し明るくなっていた。だがマリナはあっさりと首を横に振る。
「惜しいけど、それだと説明がつかないことが多いだろう。少なくても電気魔法と水魔法の痕跡はあって、その中に誰も電気と水の魔法の使い手がいないんだから」
「水の魔法の使い手って……クインさんしかいないじゃないか……で、でも違うんだろ? そんなわかりやすく魔法を犯罪に使うなんて、見つけてくださいって言っているようなものじゃないか。きっと何かのトリックがあって水魔法を使ったように見せてるんだよな……?」
セイの不安そうな問いかけに、マリナは一切答えず、目も合わせないでラウンジ車へ進みだす。
「戻ろう。そろそろ幕引きだ」
マリナが何を考えているのか、読心の魔法を持たないセイにはわかるはずもなくただ前を歩く少女の背を、戸惑いながら追いかけるしか無かった。