17:更なる犠牲者
クインは現場になった展望車の下にある自身のスタッフルームから氷を入れた袋を氷嚢として持ち出した後、それを自分の頭にあてて少しよろけながらも全員を再びラウンジに集めるために全員に先程の件を伝えに行く。一人では危険だとマリナは言うのだが「流石にもう油断しませんよ」とクインは行ってしまう。
その間マリナは展望車の長椅子に寝かされたセイの隣で座って彼が起きるのを待っていた。膝枕でもすれば可愛いものだがマリナにそんな発想はなく、「大丈夫か?」と痛そうに呻くセイを人差し指でツンツクと触るだけだ。
クインは十分程度で全員をラウンジ車に集めたと一仕事終えたようにマリナに報告をしに戻って、セイも一応歩けるほどに回復すると三人でラウンジ車へ向かう。
先程解散を言い渡してから一時間もかからない再びの集合にアラツはグチグチと文句を垂れ流していた。セイは背中をさすりながらであることを除けば普段どおりに振る舞って今回の件について話している。
初めからあからさまに不機嫌そうであったアラツだが話は真面目に聞いており、しきりに質問を投げかけている。それに対してマリナは頷いたり首を振ったり、あとはセイとクインにだけ聞こえるような声で何かを言うとそれをセイが全員に聞こえるように伝える。そしてまたアラツから質問が出る、という流れで、他の人はほとんど質問に参加せずに聞くだけだった。
「じゃあすべての犯人はあのブロウドってヤツなんだな? それでどこに隠れてるんだ? 列車なんて限られた空間ならすぐに見つかるんだろう?」
「多分そうでしょうけど……いちち……怖いし、全員で探すことにしましょう」
セイは背中を大事に擦りながら顔を歪めつつ冷静にそう提案した。だがセイが殴られた場所を痛がっている様子にクインが提案する。
「あの、セイさんはちゃんと手当したほうがいいと思います……。スンさん、私の部屋に医療キットが備えられているので手伝ってもらってもいいですか?」
クインは心から心配するように言いながらセイの方へ寄っていって手か肩を貸そうとしており、セイの方は鼻の下を伸ばさないようにクインの手を取っているがニンマリと口角が上がるのを隠せないでいる。立ち上がってラウンジ車を出ていく二人を追うようにスンも立ち上がる。
スンから提出された乗客プロフィールの中で、医療の心得についてチェックされていたのをクインは覚えていたようだ。
班が分かれることになるため、クインは更に分担することを提案する。
「それじゃあそうですね……まずはラウンジとレストランからしらみつぶしに調べましょうか。私達もすぐに合流するので、先に始めててもらってもいいですか?」
アスルがわかりましたと、彼が立ち上がるとキワも一緒に立ち上がった。
アラツは未だに不機嫌そうではあったが、スンとクインが背中を痛そうに擦るセイを連れて行くのを見送るとブスッとした様子で席を立ち、他の人達とラウンジ車の一番奥から捜索を始めた。一応テーブルの一つ一つに足まで隠れるテーブルクロスが敷かれているし、ワイナリーにも陰はある。それを一つ一つ見ていくのだ。
マリナは特に指示を受けておらず、セイが心配だったことと、戦力的に考えれば自分は女性陣のチームにつくべきだと自然とセイの後ろからついていく。もしブロウドがどこかに隠れていたとしても、このラウンジ車に残るチームは男性が三人、こちらは手負いのセイが一人。マリナの読心魔法はもちろん、セイも負傷で頼りにならないため強さで言えば圧倒的に後方車両に向かったチームが劣っているのだから、ストレンジャーを持っているマリナがそちらにつこうと考えるのは当然だったし、セイもそれを望んだようで動く際に「マリナも行こ」と誘っていた。
後方展望車の階段脇からクインのスタッフルームの扉が開き、マリナたちが入室する。
以前前方の運転スタッフの部屋の事を聞いた通り、すごく短い廊下を正面に通って霞ガラスが小さく取り付けられたおしゃれな扉を開けて中央室となる部屋にある椅子に座ったセイ。スンに上着をめくられて背中を見られており、マリナは横目にチラチラとその様子を見たり見なかったりしている。死んでいる人間の裸ならともかく、生きている男性の裸体というものにはとんと縁がなく、セイの体育会系でも無い、かといって怠けてもいない体つきは珍しかったのだろう。
「ちょっと腫れてるけど脊髄からは外れてるし大丈夫そうね。息苦しさとかはない?」
スンは患部を診ながら全く問題なさそうにそう言っている。
「最初はあったけど今は楽になってます」
自分の寝室から医療キットの箱を持ち出してきたクインから預かった湿布と包帯で背中の右上の方の腫れを手当するスンは誰が見ても手慣れていることがわかった。
「大丈夫そうですか?」
クインがひどく心配した様子で医療キットを閉じながら訊いた言葉に、セイは「大丈夫」と伝えたのだが、スンは「背中打つのは怖いから列車から降りたら一応病院に行ったほうがいいからね」と伝える。マリナはポケットに手を突っ込んだままテーブルにちょこんと腰掛けて、クインが恋人の心配でもしているような表情でスンの話を聞いている様子を見つつ、足をぶらぶらさせて家の近くにある病院がどこにあったっけな、と頭に浮かべていた。
手当が終わって一息つくセイの呼吸が一瞬乱れた。「やっぱりちょっと苦しいかも」そう言ったセイの背中をスンが優しく擦った。マリナはその所作からスンはきっと良い母なのだろうなと考えながら、自分が小さな頃に死んでしまった母親を想い、落ち込む心を振り払うように今度はスタッフルームの内装に目をやる。
便宜的にリビングと呼ぶ今いる部屋からまっすぐ前へ進むと運転席に出るようだ。その反対側にある、自分たちが入ってきた短い廊下には二つ扉があって、一方がシャワールーム兼トイレ、もう一方が寝室になっているらしい。
そう考えるとここもスイートそのものというか、むしろスイート一室よりも広いというもので、クインは悠々と過ごせていることだろう。リビングにはキッチンも付いているし、大きな冷蔵庫もある。マリナは礼儀知らずに遠慮なく冷蔵庫を開けると、そこには確かに数日分にもなりそうな食材が詰め込まれている。プリンもあって美味しそう、食べていいかなとリビングの方に目をやると、さっきまでマッサージをされていたセイの隣にはクインが立っていた。
「クインさん、おトイレ借りても良いですか」
「良いですよぉ。廊下出てすぐあるので、どうぞぅ」
クインはためらいもなくトイレを許可しているのがマリナには少し信じられない。男の使ったトイレだなんてちょっと嫌じゃないかと考えながらも、もしかして自分は考え過ぎで世間一般ではそれくらい普通なのかと自問している。
「マリナ、ちっとしっこ行ってくる!」
「勝手に! ……」
セイはマリナにとって不要な報告の後ソソソと廊下の扉を開けてリビングから出ていった。
「じゃあセイさんが戻ってきたら私達も捜索を開始しないとですね……でもブロウドさんが逃げたんだとしたらやっぱり犯人は……、どうしてカンラさんを殺したりなんかしたのかな……」
クインは暗い表情で今の状況について、手に持った小さな氷嚢を頭部のたんこぶに押しあてがいながら発言した。スンも無言でその話を聞いている。
「それについてはまだわからない……、というかブロウドの反応はあまりにも”無実”じみている。でも逃げた上でセイをぶん殴って、クインさんもドガってやったんだったら、それは許せないと思う……」
先程話した際も逃げるような素振りは一切見せなかったし、そういう計画を立てていたのならマリナはきっと何かを嗅ぎつけていたはずだ。しかし何も出なかった。そもそも無実を主張していた彼がこんな事をするだろうか。本当は真っ黒で機を見て逃げ出したのか? マリナは自分の持つ読心魔法に対する自信はどんどん揺らいでいる。
二分ほど待つとセイがトイレを流す音を立ててリビングに戻り、全員揃っている様子を見て「あれ?」と不思議そうな顔をした。
「どうしたんだ?」
セイの様子が気になったマリナは彼が手を洗っているときに声を掛けると、セイは首を横に振りながら「大したことじゃないんだけど」という言葉からこう続けた。
「俺がトイレに入ってる間に誰か外に出たのかなって。トイレの上って多分階段だよな? 上り下りする音が聞こえたような気がしてさ」
「誰も出て……いや、誰かが来た……?」
他の全員はラウンジかレストラン車で捜索をしているはずで、視界の開けた展望車は捜索の必要がない。
マリナは考えるより動いたほうがいいのかもしれないと、リビング内にいる全員に声をかけて外へ出る。セイは「待ってー!」と手を洗った水をピッピと切って手拭きを探しているようだったが、マリナは無視してスタッフ室を出て階段を登り、そこで見開いた目のまま表情を固めた。
「どうなってる!?!」
あまりにも理解が追いつかない。展望車の一番奥、今度はアラツが服を血に染めて壁にもたれかかっていたのだ。スンは「ひぃ!」と声を上げてマリナたちから距離を取る。アラツの出血は首から。もう助からない量の血液が流れていることをマリナは見抜いたが、なんとアラツはまだ生きていた。首を裂かれてからまだ一分と経っていないのだろう、アラツは最期に死力を振り絞り、腕を持ち上げようとしていた。それがきっとダイイングメッセージになるのだろうとマリナは「何?!」と、彼の残そうとしているメッセージ、挙動すべてを一つ残らず記憶するためにまばたきもせず彼の行動を見守る。
そして持ち上げられた腕、伸びる指、何かを指し示すつもりだ。直接の犯人を? その指先が示したのはマリナの額。まさにマリナを示した……ように見える。
「……どういうこと!? なんで私なの!?」
マリナは駆け寄ってアラツの手を取るのだが、もうアラツは瞳から光を失い絶命していた。
「あ、違う、私じゃなくて後ろっ!? いるぞ! まだ犯人が近くにいる!!」
スンとクインが振り返り、スイートの方を向く。何かが見えるわけではないがその寒気に二人共背中を震わせた。そしてその視界にある階段からひょこひょこと遅れてセイが上がってくる。結局ズボンで手の水を拭いた彼はその車両の様子に言葉を失っている。
「今すぐクトリクたちと合流しよう。スンさんには辛いかもしれないけど、できる限りの攻撃魔法の準備をしながら進んで欲しい。クインさんもお願い」
スンは風の魔法を手に備えた。出来ることと言ってもせいぜい一瞬のかぜおこしで怯ませる程度だろうし、クインだって水魔法だ。大気から生成した水玉を少し投げつけて終わるだろう。
マリナは再びポケット内でストレンジャーを構え先導してレストラン車で捜索を続けるクトリクらと合流した。
「おい! アラツが死んだぞ! 何か知っているやつはいるか!」
マリナは再び魔法の臨戦態勢を迎え、扉を開け放つなりそう言う。
「死んだ……」
アスルが聞き返すのだが、その反応にあったのは驚きではなく確認。その次にキワが小さく手を上げながら言った。
「あの、さっき、スンさんに用があるって自分から出ていきましたけど……」
「突然?」
マリナの確認に頷くキワ、クトリクとアスルも同様に頷いている。
「なんなんだ……いや待て、みんなここにいたんだよな? ということは下手人はこの車両にまでは来ていない……後方スイートのどこかにいる……!」
みんな来てくれとマリナらは再びスイート車へ戻ると、アスルとキワをレストラン車に続く扉の前に、スンとクトリクを反対側の後方展望車へ続く扉の前に立っていてもらうことにして、クインがマスターキーを使って一部屋ずつ開けていく。セイはどこからか持ってきた棒状のモノを握りしめ、後方のマリナとその後ろのクインの二人を守るために先に部屋に突入する役目を買って出た。
「誰かいるか!?」
まずはアスルとブロウドの部屋。誰もいない。続いてキワの部屋。着替えが出しっぱなしになっていたがセイは努めて意識しないようにして部屋を探るが何の痕跡もない。
そしてブロウドが軟禁されていた部屋。マリナがさっき見たときには誰もいなかったし、クインが閉めたのであろう外カギと内カギで二重に掛けられていた扉を開けて入ると、そこには椅子に座っているブロウドの姿がとうとう確認できた。