14:犯人考察
まずたった今騒ぎ立てた熟年夫婦だが、その様子を見るに事件には関わっていないだろうと見た。アラツは光の魔法を使い、スンは風の魔法を使うため電気は絡まない。
それにアラツの言動は既に殺されてしまったカンラのことなどどうでもよく、自分の安全が第一であるという発言から今回のように器用な殺人ができるタイプでは無いだろうと考えられる。
彼がもしも人を殺すとしたら、人目も気にせずカッとなった勢いでやりすぎてしまうというもので、その後に「殺させた相手が悪い」と自分を正当化するところまでマリナには手に取るようにわかった。
スンはアラツの様子が恥ずかしかったのか、終始呆れたように黙って俯いていたことからアラツを止められる力関係に無いというよりは、他の場所でもこのような発言をしていた可能性が高く、その度にスンは彼に失望しながらも共に時間を過ごしてきたのだと、マリナは概ね正しい見方をしている。
同時に昨日クインの話した『レストラン車で見たかもしれない影』について、この二人は違うだろうと推測した。アラツはわかりやすい性格なため、殺人の兆候などマリナなら高熱で寝込んでいようとも見抜ける。何かをするという可能性はむしろスンの方が高いだろう。
だが昨晩の事件時、アラツによると二人共部屋の外に出ること無く、スンについて「イビキをうるさくして寝ていた」と笑いながら語っていた。本人の目の前でだ。スンは「なんでそんなこと言うの?」と怒ったように食って掛かっていたがアラツは悪びれること無く「うるさくて俺が眠れなかった」とまで言い出してスンは黙ってしまう。
マリナにしてみれば非常にわかりやすいやりとりであったが、いつもならそれが真実であると見抜けるところをこの列車の妙な効果で”多分真実”となる。
そして次にマリナが考えるのはクトリクだ。後悔や緊張などからうつむきがちだった昨日と打って変わって前を向いて話を聞いている。氷の魔法を使う彼にはもちろん電気魔法の痕を残すことは出来ない。氷でやけどに似た痕は残せるかもしれないが、それは火と同じく毛細血管を焦げ付かせるような事はできないだろう。
彼に対してマリナが昨日から気になっていたことが一つある。それはブロウドに説明している中で一言も発言をしなかったことだ。普通自分の恋人を殺したかもしれない相手だったらもっと疑ったり怒ったりするのではないだろうか。
マリナにしてみれば「真犯人を知っていたから黙っていたのでは」と考えてしまうもので、それを本人に直接聞くと後悔の念で「自分が殺したようなものだ」とクトリクは言う。それはもちろん「この列車に連れてこなければ彼女が死ぬことはなかった」という意味であって、人の持ちうる妥当な後悔の形であり、マリナの読心魔法を以てしても殺人を犯したとは思えなかった。
もちろん、この列車の中にあればそれも”八割方していない”というところではあるのだが。
それにクトリクが犯人じゃない根拠として、凶器となった包丁への血の飛び散り方から言って犯人は手に一杯の血を浴びていたはずにもかかわらず、手を血で染めていたのはクインのみ。クトリクに血を洗い流すタイミングは無かったはずなのだ。
カンラから流れていた血痕は見つけた時点で凝固が始まっており、発見された時が刺された直後というわけではなかった。セイは遺体を見つけ次第すぐにマリナを呼んだという話をあわせて考えれば、マリナが到着する二十分くらい前にはもう殺されていたと考えることができる。そこに合わせてクトリクとクインが最後にカンラと話したタイミングを加味すれば、キッチンの説明で残ったクインがカンラと別れた直ぐ後で別の誰かに殺されたという考えが一番しっくりと来るのだ。
そこに一番当てはめやすいのはやはりブロウドであるが、マリナの読心魔法がそれを否定している。
ただそうなるともうひとつ問題として「あのスコーンは誰が作ったのか」という話が出てくるのだ。今一度スコーンを思い出すと、炒められてカリカリになったベーコンがしっかりと手作りの生地に練り込まれた軽食向けのスコーンだった。
生地を練って焼くだけの簡単なスコーンなら五分で生地を作って焼けばいいが、あのスコーンではそうはいかない。しっかりとベーコンを切って焼いて、多分クトリクの好みの味に材料を混ぜ込んで作ってある。この辺が少しおかしいのだ。
一人で使い慣れないキッチンを使ったら十分以上はかかる作業をこなした後に焼きに入らなければならいはずなのに、それだと血液凝固の時間と合わない。つまりカンラは血を流しながら生地を混ぜ、死んだ後で生地を焼いたことになってしまうことになる。
念の為確認するが、包丁は背中から刺されており、カンラが自害した可能性は殆ど無い。カンラも電気魔法の使い手であるという事実から状況は整ってはいるが、カンラの手はほとんど血に汚れてはいなかった。自殺ではないはず、とマリナは見ている。
次にアスルとキワはどうだろう。魔法属性は二人共聖火院というだけあって火属性を持っている。
彼らに関して、昨日まではマリナは特に怪しいとは思わなかった。アスルは(過去に似たようなことがあったのだろう)単純にブロウドを疑っており、キワはアスルのことが気になっているだけの女子院生というイメージだ。
だが今日、ラウンジ車にはいってきた二人が少し妙な挙動を見せたことだけ、マリナの頭には残っている。というのも、アスルとキワは揃って一番最後にラウンジ車に集まったのだが、そこでアスルもキワも一種の緊張を見せた。
何に対して緊張したのかはマリナにもわからなかったが、殺人の行われた列車内における緊張よりは少し大きく、例えばアラツなんかは「もう悪いやつは逮捕された」と思って緊張の中でも安心感が垣間見えるものだが、アスルもキワも「まだ油断出来ない」というベクトルでの緊張感を、このラウンジ車内に持ち込んだようにマリナには見えた。
ただ彼らに関しては「ブロウドがそんな事するわけない」と信じていれば「犯人は別にいるのかも」となるかもしれないが、アスルに関しては少なくてもブロウドを悪者扱いしていたのだからこれは当てはまらないだろう。
だったら何故他の驚異を考えるような素振りを見せているのか。
次にセイの隣にいるクインはどうだろうかとマリナは視線を向けた。
彼女は水属性の魔法を使うらしく、実際にマリナとセイは見せてもらっている。もちろんこれだと電気の魔法痕は残せない。手だけはそれなりに血を付けていたが、それは刺されたカンラを揺り起こそうとした時についたものだと本人は言っている。
普段ならそれが本当か嘘かわかるマリナだが、やはりこの列車に入ってから読心の魔法がうまく作用せず、やはり「もしかしたらそう」程度でしか信じられない。クインが本当に殺人をしていたら、もっと動揺したり興奮したりするはずなのだがそんな様子は見せていなかった。殺された直後の遺体の近くに一緒にいたのだ。そういった動揺や感情の動きがあれば、マリナは絶対に見抜くはずなのだ。
でも仮にクインが刺していたとしたら? 左利きだという推理だって犯人がそれが知られると見越して左手に凶器を持てばいいだけだし不可能ではないように思える。でもそれでもタイミングがおかしい。クインがキッチンにカンラと共に残った時間は最初の五、六分程度だと言う。それはセイとクトリクの二人が証言しているところで、もしもそのタイミングで殺してしまっていたら合流したセイとクトリクがクインに血がついていることに気付いたはずだ。
特にセイはクインをよく見ている以上、手にべったりと付いた血を見逃すわけがない。洗い流すにしてもこびりついた血はなかなか落ちにくく、最初の一分で殺害して残りの五分程度でしっかり洗わなければならなくなる。そうなると次はスコーンが完成しない。
それから魔法について足りていない話がもう一つ。
それはマリナとセイの事だが、マリナはこの列車に乗る際のプロフィールで魔法属性を「無属性」としてある。それはこの特殊な読心魔法というものが属性を持たないためである。そしてセイも登録用紙には「無」と記載した。本人は「魔法!? そんなもん持ってるわけねーじゃん!」とマリナと共に記入したわけだが、受け手は間違いなく無属性だと認識するだろう。無属性は稀に現れ、百人から二百人に一人程度は持つ属性である。
事件に必要なピースがまだ足りていないのかも知れない……そう考えて犯人像を考察することを一旦保留にしたマリナの思考の外で喋るクインは、ツアーという体裁は保つがお互いにお互いを助け合って冷静に過ごしてツアーの終了を待ちましょうと提案していた。
マリナはその話を聞く乗客らを見回して、もしかしたらこの列車にはクインが昨晩マリナに話した通りに電気魔法を持つ「招かれざる客」が乗車しているのではないかとも考えた。
クインの話を聞きながら自分が狼であるという優越感を表す者も、何かを知っていてやましさを覚える者も、人を殺した罪悪感に溺れる者もいない。例えるなら羊。全員がまるで怯える羊のようにこの列車に揺られるのみだ。ここに犯人に見える人間がいない。
マリナは軽く自分の頬を叩く。慣れない外泊で疲れているだけなのだろうと思って魔法がうまく機能しない事を気にしないように努めた。