プロローグ
プロローグ
世の中に沢山の異世界モノという物語はあれど、まさか僕が本当にそういう世界の住人になるとは思わなかった。
僕は日本人で、埼玉の大して面白くもない地域に住んでいて、これと言った取り柄もなく平穏な日々を過ごすだけの毎日を送っているザ・一般ピーポー、それが僕を一言で表す最も適した説明だと思う。
趣味が海外ドラマ視聴ってところだって一般的だよね。さて、そんな僕がどうして異世界に行くことになったのか。ここから話を始めないと。
まず、その海外ドラマの事ですごい嬉しいことがあって、なんと大好きな推理モノの新シーズン第一話試写会への招待券が当たったんだ。そのドラマの主演俳優と吹き替え声優陣も登壇予定とあって、僕としては試写会の一週間以上前からウキウキして、何度も公開済みシーズンを見返したりしてその日に備えてたんだ。
試写会の開催場所は東京。僕の住んでいる地域から電車の乗り継ぎ二回で大体一時間、そこから二十分くらい歩けば着くかなって距離。
その移動中に大きな光に飲まれて、衝撃を受けたような覚えがあって、僕自身多分これがきっかけなんだろうなとしか思えないんだけど、端的に言えばそうやって異世界に流れ着いたんだ。
もしかして電車に撥ねられて死んだって? 違う。東京に降りて試写会場までの道で起こったことだったし、あまりにも一瞬の事でよく覚えてないけど、多分大型車か何かが迫ってきたんだと思う。
そうして僕は何もわからないまま、気づいたら暗い森の中で倒れてた。記憶は連続しているのに目を閉じて、次に開けたら全く別の場所にいるって体験は僕の平凡な人生の中では体験しようもない話で、最初は状況を飲み込むので精一杯だった。
それでこう、ひとつずつ考えていった。その時の僕は何も確定できる考えを持っていなかったものだから、最初に考えたのはもしかしてここは死後の世界なのかなってことだった。
でも多分違う(とその時考えたことを覚えてる)。だって頬をつねったら痛いし、頭の上に輪っかも浮いてないし、案内人みたいな人もいない。もしそんな状況だったら背中に羽が生えていたり、頭から角を生やしていたりした人が一人くらいいてもいいと思うけど、そんな人はちっとも見当たらない。
それから僕はその森の中を歩き始めて、もしかして死体遺棄的な事をされたのかな? みたいにも考えた。でも不思議なことに体はばっちり健康体、死体遺棄をされるような状態にはなくて、それはそれはすこぶる調子が良かった。
自分の状況はすぐに理解できたけど、僕の周りの状況は木が高くて森が深いし、見上げても夜。この怖さは半端じゃない。脇の木陰から血に飢えた狂犬が迫ってくるかもしれないし、ゾンビアポカリプスばりに物音を聞いたゾンビがのそのそ歩いているかも知れないなんて嫌な妄想が止まらなくなる。
じっとしているのが泣きたくなるくらい心細くて、背中をブルブル震わせながらも早い内にここを抜けようと思ってポケットに入っていた携帯のライトを使って歩いて行くと、やがて線路が見えてきた。歩き始めて何十分も木だけで先が見えてこなかった僕の心境をわかってほしいんだけど、ここで人工物に出会えた感動ったらもう言辞に表せないというヤツだよ。
で、その線路に沿ってまた歩く歩く。バッテリーが少ないので携帯はしまって、線路だけを頼りに歩くことにした。このときの僕はもしかしたら自分は本当に死んでいるのかもとか思っていたから、これがなにかの試練なのかなとか思いながらずーっとただただ歩き続けた。
線路に葉っぱが積もってるみたいな事もなかったからちゃんと使われてる線路のはずだって思うことは出来たけど、それにしてはこの歩き続けた三時間だか四時間、一度も列車は通らなかった。
体は快調だったけど、こう歩き続けてると喉は渇いてくる。でも川みたいなのは無いし、見回す限り木々しか見えないわけで。
線路の上を歩いているから道に迷うことはなかったけど、人工の光がないってだけで夜がここまで怖いものだって知らなかった、本当に一寸先は闇ってもんで、何も見えなくなっている前を見るより空を見上げて星を見ながら歩いたほうが怖くないってくらいに本物の宵闇ってものを体験した。
自分が住んでいた場所も田んぼや空き地が多くってど田舎だと思ってたけど、あっちには民家があって人の耕した田んぼがあって、誰かが車を止める駐車場があって、そのどこにも人がいなくても”人の痕跡がある”というだけで安心感はあるんだろうなって再確認した。そういう場所と比べればここの自然だけという状態と暗さから生まれる怖さは比じゃない。
線路に沿って歩きながらずっと首を上げているのが疲れてきて、ため息と一緒に線路に目線を落とした時、僕はそこでやっと光を一つだけ見た。線路の先にぽつんと見える光。
駅だ!
それを認識したとき、運動会が終わった後みたいな疲れが僕の身にドッと襲ってきた。でもまだここで膝をつくわけには行かない。とにかく人に会おう、とにかくもう水だけでもいい、何か貰おう。僕は気持ち先行でその駅を目指して、やっと辿り着いた。
売店の一つでもあればよかったんだけど、辿り着いたそこは今どき見ないくらい小さな無人の駅だった。改札は無くてきっぷは自分で置いてある紙にはんこみたいなのを押すようになっていて、そこで味わった落胆を僕の実体験から話すと、クリスマスにおもちゃを頼んでいたサンタさんからおもちゃを片付ける箱をもらって「入れるものがねぇよ!」ってなった時の数倍落ち込んだ。こんなところじゃ食べ物や飲み物なんてありゃしない。
でも幸い、扉がある休憩所があった。これで夜風をしのげるし、光はその休憩所から溢れている。今日はここで休んで、明日の列車を待つことにして扉を開く。列車の人には訳を話してなんとか乗せてもらうことにしよう……で、ガラガラと横に開く扉をあけて……その視線の先に、長座椅子の上でタオルや衣服を布団のつもりなのか自分の体に何個も乗っけている先客がいた。
そこに寝そべっている人は後ろ向きで顔は見えないけど、ちょっとツンツンした感じの黒髪が座椅子の下の方へ流れていっているし、もぞもぞっと動く体も小さいから多分女の子だろうなと予想出来た。頭の方には座椅子に置かれていた座布団がいくつかその少女の近くに置かれて、その上に女の子の寝巻きっぽい柔らかそうな服が載せられて枕みたいにしたり、毛布の代わりにしたりするように洋服をかけて眠っている。起こしちゃ悪いから静かに、静かに。
しかし凄く久しぶりに人を見た気がする。その安心感から疲れがドッと出たのか、力の加減もうまく出来ないで後ろ手に締めるドアの音が休憩室の中によく響いてしまった。
「……うっ?」
ピクッと動いたその子は声を上げ、眠気まなこをこすりながら僕の方をゆっくりと見ると、目を丸くして座椅子の背もたれに背をつけた。その様子から警戒されているんだろうなってのはわかる。こんなに夜だし、辺りにはなにもないし、それによくよく考えてみれば、長い時間歩いてきたせいで僕の息は切れている。肩を揺らしてハァハァハァと、(水や食料に)飢えた男が入ってきたのがわかったらそりゃ警戒すると思う。
でも本当に、何か食べるものか飲み物が欲しい。せめて飲み物、ペットボトルのキャップほどでも良いから、一口分けてくれないかな。僕は品定めするように彼女のモノらしき旅行かばんをじっと見てから、もう一度その少女を見て、ちゃんと喋って説明しようと自分の乾いた唇をぺろっと舐めた後で喉を「ゴクリ」と鳴らす。そんな僕の様子を観察した女の子は表情をみるみる青ざめさせていくと、自分に載せていたタオルとか服をキュッと体の前に持ってきてから言った。
「ひゃだぁ! 痴漢!!!」
言われると思った! 僕は脊髄反射で両手を相手に向けて叫ぶ。
「違う!!」
これが僕と彼女の出会いだった。ここから僕はこの信じられない世界、魔法の存在する異世界で奇妙な体験をすることになったんだ。