107 避難その1
「さてどうしよう」
第三ダンジョン卿からの使者を目の前に、オーミー男爵はオロオロと狼狽えている。
「お言葉ですが、急いで避難の用意をされるのが、よろしいかと」
二人組の使者のうち、年嵩の方が言う。
「だがね。急に土地を捨てて、5層に逃げるなんて言って、領民がハイ、そうですか、と従うとは思えないよ」
オロオロと狼狽え、爪を噛んで落ち着かない様子を見せているが、オーミー男爵は言うべき事は言うタイプのようだ。
20代前半の若い領主ながら、一筋縄ではいかない人物と見える。
「2層が攻めて来るというのは、本当なんだろうね?」
「もう、攻めて来ています。トリモールは2層の兵だらけです」
「第二ダンジョン卿は、3層を攻めてどうする気なんだろう」
オーミー男爵が呟く。
「それは、我々にはなんとも」
使者の若い方は、そう言って苦笑したが、年嵩の方は、鋭い視線で男爵を見た。
「伯爵と第二ダンジョン卿を秤にかけるおつもりで?」
「そりゃあね」
男爵はニコリと笑った。
「5層に逃げる話とここで新たな支配を受ける話、どっちが有利か考えるのは、当たり前だろう?」
そこで男爵は振り返って、そこに控えている自分の家臣たちを見た。
5人いる家臣たちは、特に表情を表していない。
「とはいえ、材料が少な過ぎて、過去の信用で動くしかないか」
男爵は立ち上がった。
「何処へ?」
「とりあえず領民に話してみるよ。ホントに困ったなぁ」
領民に対する説明は、散々なものだった。
特に年配の領民は土地に対する執着が強く、なおかつ若い領主に対して遠慮がない。
罵声とまではいかないが、それに近い言葉が飛び交った。
「この土地を捨てて、どうしろと言うんじゃ!」
「ご支配が変わったと言って、生活が悪くなると限ったもんじゃなかろう」
「そもそも、そこで盾になるのが、ご領主様では」
「そうじゃ!そうじゃ!!」
若い領民たちや2層の噂を知っている者は、不安気にしていたが、年配者に押し切られる形となった。
「3層の気風が仇となりましたね」
不思議とオーミー男爵は、落ち着きを見せている。
「3層の気風ですか?」
年嵩の使者が疲れた様子で、聞き返す。彼は、先程の集会で、ふざけた話をもたらした者として、吊るし上げを喰っていた。
「良くも悪くも、貴族と領民に仲間意識がある。2層に比べて、まだ魔物が出るので、協力してあたる事が多いからでしょうね」
さて、とオーミー男爵は立ち上がった。
「2層の兵は、どれくらいの人数で動くと思います?」
「1隊以下という事はないと思いますが」
「最低11人ですか」
自分の家臣たちを見やる。
「貧乏くじを引かせる事になるな。すまない」
一番体格のいい、有り体に言えば肥っている男が破顔して答える。
「この肉も脂も、男爵家の給金で育ったものです。何か事あればお返しするのは、当然の事です。お気になさるな」
「返されても困るような物だがな」
家臣中唯一の女性がまぜっ返し、一同が笑った。
「男爵閣下?」
使者の若い方は、一連のやりとりの意味がわからなかったのだろう。
「2層の兵が我が領に来た場合は、私と家臣たちが盾となる。申し訳ないが、使者どのたちは、我が領民を引き連れ、逃げてはくれまいか」
「男爵閣下!」
「領民たち、特に年寄りたちは、そうでもなければ動くまい。お手数ですが、お頼み申す」
オーミー男爵が頭を下げ、家臣たちが続く。
「男爵閣下、頭をお上げください」
年嵩の使者も立ち上がる。
「もとより、我々はそのために参ったのです。ですが、改めて我が剣に誓いましょう」
使者は鞘ごと剣を抜き、それを立てるようにして捧げ持つと、剣を僅かに抜き、音を立てて納めた。
「我が命と名誉にかけて、オーミー男爵領の領民を、5層に避難させましょう」
「かたじけない」
それから2日、男爵たちと領民のうち不安感を抱いている者たちで、可能な限りの避難準備を整えた。
荷車は、全て修理を施し、食糧や水避難先での必需品を積み込む。
その準備に文句を言う者もいたが、何事もなければ、また戻すのだからと宥めすかして、やり過ごした。
そして、その日が来た。