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三十と一夜の短篇

物語、火刑(三十と一夜の短篇第26回)

作者: 実茂 譲

 魔女の処刑を盛大に行うために王国は国債を刷った。

 おかげで処刑当日、閲兵広場の中央に松材の立派な処刑台が組まれ、松脂とナフサをたっぷり塗った薪が山と積むことができた。

 うんざりするような真夏の熱い風が裏通りで発酵した馬糞の臭いをもたらしたにもかかわらず、広場には物見高い群衆が押しかけ、抜け目のない行商人が温いレモネードを売った。赤い前立てを帽子につけた近衛擲弾兵が処刑台をぐるっと囲っていて、不用意に前に押し出された見物人をマスケット銃の台尻でどやしつけたので、群衆は火刑台から十メートルの位置までしか近づけなかった。広場のまわりに立つアパルトメントの部屋は火刑見物のために一日だけ貸しに出され、最初は銀貨二十枚で貸されたバルコニー付きの部屋は複数の投機師の取引を得て、金貨二十枚に値上がりしていた。それでもいいからと借りたのは新興貴族や商人の奥方たちで、帽子の飾りの最新流行だった果物の模型は火刑台のミニチュアに王座をゆずっていた。

 紫のビロードをかけられた特設の見物台には国王と王妃、王子たちは大臣や司教たちと一緒に紋章付きの背の高い椅子に座っていて、そばに控える枢機卿は何か反啓蒙主義的な気の利いた文句を一つ演説に混ぜてみようと考えていた。

 見物人たちは魔女の登場を今か今かと心待ちにしていた。死刑人助手が手綱を持つ荷馬車が広場にあらわれたのは午後二時のことだった。麻布を頭に巻き、薄汚れた寝間着のような服を一枚着ただけの裸足の女が粗末な腰掛に座っていた。馬車のまわりを銃剣をつけた兵士が囲みながらゆっくり歩いていた。群衆は魔女に罵声を浴びせ、腐った卵や野菜くずを投げつけた。火刑台の高い杭に縛りつけられた魔女の前に頭の剥げた教誨師が現れ、異端を悔い改め、良き信者として更生するかをたずねた。それに対し、魔女は笑ったが、群衆はその笑い方が気に食わなかった。こういうとき、魔女は相手を馬鹿にするような高笑いをすると相場は決まっているし、そうやって馬鹿にされるために教誨師はいるのだ。ところが、魔女の笑いは全てを赦そうとする殉教者の微笑み、あるいは事情の分かっていない白痴のだれた笑いのようなものをちらりと見せるだけだった。まるでこうして焼かれることはもう何年も前から分かっていて、覚悟をする時間は十二分にあったのだとでも言うようで、その落ち着いた態度も群衆の気に入らなかった。彼らは正義の執行を求めて、暑い日差しを我慢しているのだ。他にもいろいろ気に入らないことはある。魔女のくせに大きないぼのある鷲鼻をしていないし、脂っ気のあるごわごわした髪をしていないし、その体だって猫背どころか十二時を指す時計の針にすっと背筋を伸ばしている。だが、一番気に入らないのは魔女の放った言葉だった。

「あなたたちがしているのは焚書。あなたたちが焼こうとしているのは魔女ではなく、一つの物語なの。世界中の女の子を魅了するはずだった物語」

 ある人はあの魔女はもう気がふれてしまったらしいといい、事情通を自称する化粧男はこの謎めいた文句に魔女の秘密の呪詛が隠れていると断言した。

 悔い改めることがないとわかると、枢機卿が立ち上がり、紫のビロードの見物台から魔女を教会の恩寵から外し、世俗の腕にゆだねると宣告した。そして、世俗の代表者たる国王が厳かに火刑を命じた。女性の火あぶりでは首に縄を巻きつけ、火をつけると同時に縄を引っぱって絞め殺す温情が図られるものだが、魔女に対してはそれもなく、火が皮膚を焼き、肺を煤で満たし、足の骨が崩れるのを生きながらに味わうこととなった。死刑執行人が手に持っていた松明を放り投げると、薪の山が燃え上がり、魔女は瞬く間に炎に包まれた。魔女は断末魔や呪詛の言葉を投げつけることもなく、黙ったまま焼かれた。ぴくりとも動かないので、とある紳士がもう死んでしまったのかもしれないとつぶやくと、火柱のなかの首がゆっくりそちらを向き、紳士を驚かせた。魔女を火刑に処すのは五十年ぶりのことだったので、人が生きながら焼かれると、どれだけひどい臭いがするか、人々は思い知らされた。国王はそんなことでひるんだりしないよう威厳を取り繕っていたが、まだ八歳の王子はすっかり恐ろしくなってしまい、手で両目を必死になっておおっていた。死刑人たちは手持ちの薪をどんどんくべたので、火は衰えることなく燃え続け、ついに燃やすものがなくなったころ、魔女の立っていたところには塩のように白い灰がこんもりと盛り上がっていた。

 警備隊の士官が二人の死刑人に命じて、灰をかき集め、町はずれの塵芥場ごみすてばに捨てるように命じると、二人の死刑人は小さなスコップで魔女の灰を桶に入れ、魔女を運んだ荷馬車に桶を乗せ、途中で転がったりしないように縛って固定した。集まった人々は思ったよりも火刑が淡々と進んだので、まあ、こんなものかと思い、みなめいめい、よき家庭人となるべくそれぞれの家路についていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] いつも楽しく拝読しております。楽しいにも各種ございますね。なんてカタルシスのカの字もないお話なんだー(すげえ)突き放し。あと一押し、この方向でも押してくれたら赤い涙を流して……悲しむとか憤慨…
[良い点]  流行りのアクセサリー、処刑が見世物で、火刑の時の悔い改めがあれば先に首を絞めてくれたとか(どっちにしても苦痛は苦痛なんですが)、流石は実茂さん、細部にくすぐる仕掛けが沢山。  魔女裁判で…
[一言] 灰かぶり娘が灰を拭われることなく灰になってしまわれた……恐ろしい( ゜д゜)!! 死刑を娯楽としてとらえる時代があったと思うと、たとえソシャゲ廃人やパチ沼を生み出そうと現代に生きていてよか…
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