砂上楼閣
果たしていつの時代か、いつの王の御世か。
クアストゥール──『寄せ集め』と呼ばれる大陸群に、一人の冒険者がいた。
彼の名は歴史の何処にも残されていない。しかし、遥か後世にまでその足跡を語り継がれる事になる人物である。
その詳細な出自こそ謎に包まれているが、彼はいくつもの大地が連なるクアストゥールの全てを踏破し、そしてそこで様々な物語を残した。
これは、その無数とも言える物語の一つである──。
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砂の都ガンルルーサ──。
クアストゥールの内、南西方向に広がる大陸に存在する四方を砂漠に囲まれた都である。
広大な砂漠の只中に在りながらも他に誇る繁栄を続けていられるのは、砂漠を経由する街道筋にあって唯一、年中枯れる事無く湧き続けるオアシスが存在する為だ。
その結果、給水を目的とするキャラバン達は必ず立ち寄るようになり、自ずと砂漠の南北・東西を結ぶ交易路の中心となった。
だが、このオアシス。
数百年前までは存在しておらず、ガンルルーサという都の代わりに、名もなき小さな貧しい村が存在しているのみだったという。
そう──ある男がその地に『砂の城』を築くまでは。
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「『砂の城』?」
イエゾが首を傾げると、男は楽しげに頷いた。
宵闇の迫る、夕刻。
方々の家から夕餉を煮炊きする匂いが漂い、人々の空腹感を呼び覚ます。そんな中、彼等は道端に無造作に積まれた木箱に腰掛けて向かい合っていた。
「この辺りに一大栄華を極めた商人がいたという昔語りをここからもう少し北方にある村で聞いてな。その城の壁は白砂を固めた煉瓦で出来ていて、回廊は赤砂、それ以外には玉虫色の砂利を敷き詰めた、砂ばかりで出来たものだったそうだ」
「……そんな話、聞いた事もないよ」
きらきらと黒い瞳を輝かせて語る男の言葉にイエゾは不信感をあらわに水を差す。
「見ればわかるだろ、ここにあるのは砂ばっかりだ。たまに降る雨と、ここから半日かけて歩いた場所にあるオアシスの水だけが頼りの、貧しい場所だよ。……こんな所でどうやればそんな城を建てられるって言うのさ」
だがイエゾのそんな反論は予想していたのだろう。男は大して気にした様子もなく、軽く肩を竦めて見せる。
「何事も、最初から可能性を否定しては何一つ成し遂げられないぞ?」
薄く笑いながら言うその様子に何故か無性に腹が立つ。
それは彼よりも長く生き、彼よりも広い世界の見聞を持つが故の余裕であり、決して彼を小馬鹿にしている訳ではないとわかってはいても。
それは彼が旅の途中でこの村に一時的に立ち寄っただけの人間で、ここでの生活がどんなに貧しく惨めなものか知らないからこその態度に見えたからかもしれない。
そう、彼はその内ここからまた旅立って行く。そしてイエゾはそれを見送るのだろう。
彼のように外の世界を旅してみたいと思いながらも、結局この村から出る勇気を持てないまま──だからきっと腹が立つのだ。
「第一、本当に金持ちだったって言うんなら、何もわざわざ砂で城を作る必要なんかないだろ? ……信じられないよ。そんなものがこの辺にあったなんてさ」
もしそれが本当に実在していたのなら、この目で見てみたいという気持ちは確かにある。けれど本当か嘘かもわからない昔語りを頭から信じられる程、イエゾはもう子供ではない。
そんなイエゾの気持ちがわかったのだろうか、男は小さく笑うと、思いがけない事を口にしたのだった。
「確かにイエゾの言う事にも一理あるが……、金持ちだったからこそ、砂の城だったのかもしれないだろ?」
「え?」
まるで謎かけのような言葉に理解が追い付かず目を丸くすると、男は座っていた木箱から腰を上げ、西の空を少しずつ昇る月を見上げて一つ伸びをする。
──旅立つのだ。
直感的に感じ取り、イエゾもまた男につられるように立ち上がる。そしてその背に向かって、何かに急きたてられるように声をかけた。
「あ、あのさっ!」
「ん?」
男が振り返り、視線で何事かと尋ねてくる。
しかしイエゾも何故男を引き留めたいと思うのか、自分でも理由がわからなかった。わからないまま──しどろもどろに言葉を紡ぐ。
「……い、行っちゃうのか?」
「ああ。可能なら夜の内に砂漠を渡って次の村へ行きたいからな。……ここから半日かかるんだろう?」
「うん……」
男の言い分はもっともだった。この村から水を汲む為に出かける者だって、照りつける陽射しを避け、星を道標にする為に陽が沈んでから旅立つ。これ以上引きとめれば、一日待たねばならなくなるだろう。
それは理解出来る。出来るが──それでもやはり淋しさが募った。
実の所、男と出会って一日も経っていない。昼間に余所から来たという男に興味を持ってイエゾから近付いて、半日いろんな話を聞いただけだ。その半日でも男の人となりを知るには十分だった。
気さくで、話し上手で──懐が深い。
男は今まで実にいろんな場所を旅したらしく、この砂漠の村しかしらないイエゾには、聞く話のどれもが楽しく素晴らしい物語のように聞こえた。
実際にはきっと語られていない所で様々な困難に出会っただろうに、イエゾが興味を持つであろう、愉快な事や奇妙な事だけを話して聞かせてくれたのだという事はイエゾにだってわかる。
日除けのマントから覗く腕には古いものから新しいものまでいくつもの傷痕があったし、深い瞳は幸福と不幸、そのどちらも見てきた重みが常にあったのだから……。
「──なあ、どうして旅をしているんだ?」
ふと思い浮かんだ疑問を口にすると、男は初めてその口元に苦い笑みを浮かべた。
「世界の全てを見る為だ」
ぽつりと、男はイエゾの意図とは微妙にずれた答えを口にする。その瞳は真っ直ぐにイエゾに向けられていながら、同時にそこにはない何かを見ているようでもあった。
「このクアストゥールのあらゆる場所、あらゆる人々、そして良いもの悪いもの。伝承、迷信、そして……現実。それを見る為に俺は旅をしている」
「見て──どうするんだ?」
「……そうだな、特に意味はない。ただそうしたいからそうしているだけさ」
はぐらかすように男は笑い──そしてふと思い出したようにイエゾに尋ねた。
「どうして『砂の城』の主が財を得たか、知りたいか?」
「へ? ……う、うん」
思いがけない所で話が戻り、釈然としないながらもイエゾは頷く。すると、男は先程までの何処か暗い表情から、まるで悪戯でも思いついた子供のような表情になった。
「その男は水商人だったそうだ。この砂に囲まれた土地では金にも匹敵する貴重品だろう?」
「『水』だって?」
確かにこの砂漠地帯では水はとても貴重なものだ。だが、それを商売にするなんて聞いた事もないし、一体どうやればそんな商売が出来るのかも想像出来なかった。
「どうやってそんなの売るんだよ? ここの人間だって、自分の分を確保するのが精一杯なのに」
「だからこそ、さ」
「だからこそ?」
「そう──ここでは考えられない事かもしれないが、今でも水商人自体はまったく存在しない訳じゃない。……周りは砂ばかり、水の一滴も貴重なこの場所でそれを売れば、皆それを買おうとするだろう?」
「それはそうだけど、でも──」
そうするには、他人に売っても余りある水を自分が持っていなければ不可能なはずだ。その位はイエゾにも想像出来る。
だが、一人二人の人間の力で村全体の分の水など運べるはずもないし、明らかに重労働とわかる作業を手伝う人間もいないだろう。
なかなか納得の出来ないイエゾを面白そうに眺めて、男は実に気軽にその答えを口にした。
「つまり、商人は自分だけの水源を持っていたのさ」
「な!?」
ずるい。
まず浮かんだのはそんな感想だった。そんな事、先刻『砂の城』の話をしていた時はは言わなかったのに。
「じゃあ、そいつはオアシスを一人占めしてたって事かよ!?」
苛立ち紛れにそう言うと、男は飄々とした様子で頷いた。
「まあ、そういう事だな」
「そんなの……、そんなの卑怯じゃないか! みんな水がなくて苦しんでいるのに、そいつは自分だけ水を確保して、しかもみんなから金を取って儲けて……? そんなのずるいよ!」
どんなに小さくてもいい、オアシスがあれば──。
それはこの砂漠に生きる人々の切望。そう願うのはイエゾとて例外ではない。
たとえそれが架空の話でも、人々が渇望する水を売って財を成すなどとても許せなかった。その気持ちが伝わったのだろう、男はふと表情を改める。
「そうだな。だから──その商人は一大栄華を極めたものの、肝心のオアシスの水がある時突然失われ、結局一代で絶えた。その頃には周囲の人間の恨みも相当なものだったんだろう。それはそれは無残な最後を遂げた、と昔語りでも伝わっている」
「……」
因果応報──そんな言葉が脳裏を過った。
「なあ、これは確かに昔語りでしかない。でも、こういう可能性があるとは思わないか?」
言いながら男はその踵で軽く足元の砂を蹴った。
「──もし、その水脈がこの下に今も眠っていたとしたら?」
「え……?」
「昔あったはずのオアシス──そこに通じる水源や水脈がこの砂の何処かに眠っているかもしれない。……信じるか信じないかは自由だがな。だがこの昔語りが真実なら、可能性は無ではないと思わないか?」
「それは……」
言われてみて思い出す。そもそも、何故男がこんな話をイエゾにする事になったのか。切っ掛けはイエゾが旅の話を聞きたくて、彼に一日分ぎりぎりながらも水を分けてあげた事だった。
この砂漠において水は何よりも貴重品である事を知っている男は、イエゾの厚意に対して今まで渡り歩いた場所の語をしてくれた。
そう──礼代わりに。
『何事も最初から可能性を否定しては何一つ成し遂げられない』
それは先程男がイエゾに言った事だ。
だが、ただの昔語りだと思っていたものが、実際はそれだけではなかったなどと、どうして予想が出来るだろう?
「……あんたは? あんたはそれを信じているのか?」
尋ねると、男はさてねと肩を竦める。
「信じても、すぐに旅立つ俺にはそれを証明する時間はないからな。ただ……、長い事旅をして、色々な話を聞いてきたからこれだけは言える」
「何?」
「──どんな途方もない話でも、長く語り継がれている話にはそれなりの根拠があるって事さ。時を重ねる事で原型を留めていなくても、何処か一部に真実が隠されているものだ」
「真実……」
その昔語りが、一体どの位信憑性のあるものだかわからない。恐らくそれが真実である可能性は限りなく無に等しいに違いないのだ。
それでも──一度肯定して信じてみない限り、完全な否定も出来ない。もしかしたら、その中に一欠片の真実が隠されているかもしれないのだ。
この砂の大地の何処かに、水脈が眠っているかもしれない。
そしてどうだろう、今イエゾは確かにそんな夢物語が真実であればいいと思い描いている。頭ごなしに否定出来ない程、その想像は心躍らせる。
イエゾの顔に苦笑が浮かんだ。
「あんたって、詐欺師の才能があるんじゃない?」
「失礼な」
心外だと言わんばかりの言葉を吐き出しながら、それでも男は笑っている。
「俺はただの旅人だよ。村から村、街から街、国から国──大陸から大陸を渡る、目的地を持たない旅人さ」
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男はまだ見ぬ大地を求めて旅立ち、少年はそれを見送った。
少年が男から聞いた昔語りを、一つの実話として耳にするのはそれから十年近くも後、一人前の男になり北方へ仕事の修行に出た先でのこと。
それは実話であると同時に、一つの教訓話としてその地方に伝わる物語。
偶然見つけたオアシスの水を売って一財産を成した商人は、日々儲けながら一つの野望を夢に描いた。
すなわち、一国一城の主となる事を。
しかし、夢の源となったオアシスの水が枯れた事で、結局命までも失ってしまう。
商人が築いたという全て砂で作られた城。一見美しく感じられるそれも、所詮は砂──実際はとても脆く崩れやすい。
男の夢は、砂に潰えた。
故に──実現不可能な夢を思い描く事を、その地方では『砂の城を築く』と表現する……。
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砂の都ガンルルーサ──クアストゥールの内、南西方向に広がる大陸に存在する、四方を砂漠に囲まれた都。
そこを潤すオアシスは一人の男が生涯かけて描いた夢の結果である、と後世の人々は語る。
その男の名はイエゾ・ティザ・ガンルルーサ。
井戸掘りを生業とし、その生涯にいくつもの水脈を見つけだした。その最たるものが、ガンルルーサのオアシスである。
彼は故郷であるそこに水脈があると信じ続け、何度も失敗と挫折を繰り返しながら、砂の大地を堀り続けたと言う。
そしてついに彼は思い描いた通りに地下深くに眠っていた水脈を見つけ出し、水の恵みを齎した者として地名と歴史に名を刻み付けた。
彼の言葉が今もガンルルーサに遺されている。
──『砂の城も、信じ続けている内に本物になる事だってあるのさ』
こちらは拙作『永遠の旅人』(http://ncode.syosetu.com/n8855l/)、『幻のキノコ』(http://ncode.syosetu.com/n6187di/)と同一世界の物語となっています。
特に読まなければならない繋がりはありませんが、興味のある方はそちらもどうぞ。