第7話
「ここがアリウの街か」
聳え立つ防壁を見上げながら、桔梗はそんな当たり前のようなことを口にした。
あれから二日間の間、様々なことが起こった。
椎菜の魔法技術の高度さにミルフィリアが驚くこともあれば、桔梗の物理戦闘力の凄まじさに、シリスが彼に対する印象を少し改めたりと、いろいろあった。
二日間という道のりは短いようで長かった。
それというのも、桔梗が飛翔の魔法を使うことを禁じたからだ。
シリスの反応で既に椎菜が持つ魔術技術は――この世界では魔法ではなく魔術というらしい――この世界に於いて驚嘆すべきレベルであることは既に見抜いていた。どうやらこの世界は現代魔法に比べて凄まじく遅れているらしい。魔力を使えるものが生活補助魔法程度で驚くなど、その最たるものだ。
だから飛翔魔法は見せられなかった。既に見せてしまった魔法は仕方ないので開き直ることにしたが、空を飛べると理解した瞬間、自分たちが余計な流れに巻き込まれる未来を、高い精度で予感したからだ。
そしてそれは正しい。
この世界で「空を飛ぶ」という行為は、人間には許されていない。翼を持つ動物や亜人、魔族、魔物だけが空を飛び、人間はそれを大地から羨ましそうに見上げるだけだった。
垂れ流すしか出来ないこの世界の魔術では、ロケットのように飛ぶことは出来ても、その後の制御が出来ない。そのため、高位魔術師ほど高高度まで超速で飛んでいき、そのまま地面に激突して命を落とすなど、過去にはそんなコントのような事故が多発していたのだ。
その教訓があって今では「跳躍力を高める」といった使い方が一般的だった。あくまで難なく着地できる程度でしか跳ぶことが出来なかったのである。
なので飛翔魔法なんて見た瞬間に、シリスとミルフィリアは有無も言わずに城まで連行していたかもしれない。
もちろんそんなことができるほどの実力は彼女たちには無いのだが、それでも黙って手を離すには惜しすぎる才能なのである。
それが普及するだけで、魔術革命が起きるといっても過言ではないほどの超技術なのだ。
彼女は魔術が使えるという二人に簡単な魔力操作の手ほどきはしたが、それ以上のことは出来なかった。
彼女が意外にも感覚派の魔法師であったことも原因のひとつではあったが、この世界にとって余所者である自分たちが、積極的にこの世界に関わることを躊躇ったからだ。
「後はこの街の入り口の兵士に金を渡して中に入ればいいわけだな」
予めシリスから報酬としてもらっていた幾許かの通貨を確認する。
どうやら貨幣経済も現代より随分遅れているようだ。
まず紙幣が無い。すべて金銀銅貨による硬貨経済のようだった。
それでも金銀が惜しげもなく使われている時点で、物的価値はこちらに軍配が上がっているのだが、とにかく硬貨しかないので持ち歩くとなると非常に重い。
ゼフィーリアのお金の単位は「クロル」。これは人間の街では基本どの大陸のどの国でも変わらない。両替が不要というのは地味にありがたい。
まず銅貨は最小単位だ。つまり「一クロル=銅貨一枚」という計算だ。どんなに安くとも「銅貨一枚」が最低価格となる。それ以下の価値のものはタダになるか「○個で銅貨一枚」とまとめ売りされるのが通常だ。
その銅貨十枚で大銅貨一枚、それが十枚で銀貨、と十枚単位で価値が上がってくる。
その後大銀貨、金貨、大金貨と続き、最後に白金貨までがあるが、これはもう他に比べると非常に硬貨で、大金貨千枚で白金貨一枚という価値である。一億クロルもあれば十分一生遊んで暮らせるレベルである。
白金貨レベルでの取引となると、それこそ国家レベルや大商人の取引に使用されるくらいにしか用途が無い。
逆に白金貨のを敢えて使用することで、取引相手に「信用」を与える道具となることもある。
物価を見るに銅貨一枚が十円くらいの価値のようなので、白金貨は十億円の価値があることになるのだからそれも已む無し、といったところである。
それはさておき。
彼らはミルフィリアとシリスの二人をそれなりに快適な旅路にて無事アリウの街に送り届けた報酬として、金貨十枚の報酬を受け取った。
日本円にして百万円という計算である。二日間で稼いだにしては随分な額だが、王族を助けた代償としては正直それほど高くない。
しかしとるものとりあえず王都へ出立した彼女たちには、先立つものが無い。城に帰ればそれこそこの何倍の報酬も支払えるだろうが、それにはまだ時間が掛かる。
それに最初から野宿――というには豪華すぎる宿泊施設だが――も辞さず、この街に入れて冒険者ギルドに登録する金さえもらえれば、桔梗もそれでよかった。
欲が無いのではなく、負い目を背負いたくなかっただけだ。だから最初は断ったのだが、ミルフィリアにやんわりと押し切られ、手には金貨が五枚握られている。ちなみにもう五枚は椎菜に渡した。すごい慌てふためいてはいたが、今度は逆に桔梗が強引に渡した。
「はい。この街の滞在料は御一人五百クロルです。さらに冒険者ギルドの登録料は御一人千クロル。これはどの街の冒険者ギルドでも変わりません」
「つーことは、やっぱ全部で大銀貨銀貨三枚で事足りるじゃないか。金貨十枚は明らかに貰いすぎだ」
「いいえ、決してそのようなことはありません。私の価値は金銭では計り知れません。なので、金貨十枚でも少ないくらいですわ」
「ほんといい趣味してるな」
「ふふっ、それほどでもありません」
街に入ろうとする旅人たちに混ざって順番待ちをしながら、世間話に花を咲かせる。
本来ミルフィリアの立場であれば顔パスすら出来る立場なのだが、どこに敵がいるかわかったものではないので、今回はお忍びということで一緒に並んでいる。
聞けば首都である王都はアリウの街から非常に近く、馬車で1日と行ったところにあるらしい。
というのも、王都《リューン》は計六つの街に守られるように配置された都市だからである。そしてこのアリウもその防衛都市のひとつということだ。
そのため王都と六つの都市は非常に近いため、自然に交流が盛んになり、人の出入りも激しい。だからこそ入場許可証を持たない旅人の審査は非常に厳しく、住人にとっては安心できる環境になっている。
滞在費を支払い、許可証さえ手に入れてしまえば、後は許可証を見せるだけで別の入り口から入れるということである。
「お、そろそろか?」
話しているうちにいつのまにか進んだのであろう、前には後数人を残すところまできていた。
四人は話をやめ、きっちりと並び直す。
最初はシリスのミルフィリアの番である。
シリスは身分がばれないように蒼龍騎士団と一目でわかる鎧を荷物の中に仕舞い――何やら外見と容量と一致しない魔道具らしき鞄に詰め込んだ――冒険者風の出で立ちに変えている。
「次の方どうぞ」
と兵士に呼ばれ、二人は詰め所の中に入っていく。
ややあって今度は桔梗と椎菜が呼ばれた。どうやら二人は問題なくは入れたらしい。
「今回の滞在はどのような理由で?」
そう尋ねてきたのは人の良さそうな顔をした四十過ぎの男だった。とは言え街を守る兵士の一人だからか相当に鍛えられている。
詰め所は内部をカウンターである机で分断され、その四隅にそれぞれ兵士が配置されている。これによりどんな問題にも対処が出来るようにだ。
「田舎暮らしが嫌になってね。コイツと二人で故郷を逃げ出したんだ。それで旅をしていたらほとんど路銀がなくなってしまって。そんなとき俺たちの前にいたお姉さんたちにこの国の素晴らしさを教えられてね。だから旅しながら連れてきてもらったのさ」
「へえ、確かにここらではあまり見ない服装だね。故郷は?」
「ニホンってところ。お姉さんたちも知らなかったみたいだから、かなりど田舎だと思うよ」
「確かに聞き覚えが無い国だな……まあ、嘘を言っている感じもしないし、滞在を許可します」
「ありがとう、おっちゃん」
「ははは、どういたしまして。この街は王都からも近いだけあってとても賑やかでいいところだよ。楽しんで行ってね」
「ああ」
悪びれるまでも無くでっち上げた理由を述べ、二人分の金銭を支払い、街中に入る。
すぐそこにシリスとミルフィリアの姿があった。
「何だ。待っていたのか?もう契約は終わったのだから、とっとと去るものかと思っていたが」
「……誰もがお前のように薄情ではないということだ」
「まあ、シリスったらひどいわね」
「姫様、あまりからかわないでください……」
がっくりと肩を落とす部下にミルフィリアはただ楽しそうに笑う。
思えば命懸けの旅をした直後なのだ。というよりミルフィリア自身は呪いで長期間意識すら取り戻せなかったのである。
自分のフィールドに戻ってきたことで安心したのだろう。傍から見ても幾分テンションが高いように見える。
「まだ何か用でも?」
「いえ、最後に改めて御礼を、と待っていたのですよ」
「礼はすでに報酬という形でいただいているから気にする必要は無いさ」
「ふふふ。二人で予想したとおりのお答えをいただきましたね、シリス?」
「……まったくです、姫様」
一人は楽しそうに、一人は憮然と目を合わせると、椎菜と桔梗の前で姿勢を正す。
そして頭を下げた。
今度はシリスも主が頭を下げていることを咎めもせず、一緒に頭を深く下げる。
「コーサカ殿、アサギリ殿。この度は私とシリスをお救いいただきましたこと、御礼申し上げます。御二方のご助力なければ、私たちはあの平原できっと命を落としていたことでしょう」
「シーナ殿、コーサカ、世話になった。この恩は決して忘れない」
「もしこのウルグリアで困ったことがございましたら、ご遠慮なく王城まで足をお運びください。必ずや御恩をお返しさせていただきましょう」
「え、え、え?」
「…………」
こういう形式ばったやり取りは流石に経験に無いのだろう。
椎菜は歳上の女性二人が自分自身に対して仰々しく頭を下げられ、逆に落ち着かずに目線が泳いでいる。
その隣では桔梗は相変わらず興味なさそうに――否、少しだけ相好を崩して二人を見ていた。
「頭を上げてくれ」
『…………』
彼の言葉に二人はやっと姿勢を元に戻す。
その瞳には力が漲っているようにすら見える。
「ま、こちらも一度契約したからにはアフターケアは万全に行きたい。もし、そっちもまた面倒なことになったらこちらに連絡してもいい。気が向いたら追加報酬次第で手を貸すさ」
「フン、減らず口を」
言い合うシリスも笑っていた。
「それでは私たちはこれにて失礼致しますわ。お互いに幸あらんことを」
「ああ」
「あの、こちらこそありがとうございました!また会いましょうね!」
「それではな!」
全員が全員めいめいに手を振り、別れの言葉を口にする。
そして今度こそ二人は背を向けて去っていく。
呼び止めるような真似はしない。確かに二日間とはいえ椎菜たちにとって見ればこの異世界で初めて出来た現地の知り合いである。
特に椎菜は二人に対してそれなりの愛着を持っていた。故に離れ難い気持ちも持っている。
しかし彼女たちはこの地の要人であり、自分たちは唯の異邦人だ。
決して交わることの無かった四人が今回偶然一緒になってしまっただけである。それだけでは土台引き止める理由にはなりはしない。
椎菜は寂しさを感じながらも二人を見送った。
「付いていきたかったか?」
二人の背中が雑踏の中に紛れ見えなくなり、そしてそれでも見送っていた椎菜に、桔梗は声を掛ける。
彼女の表情には隠すことが出来ない寂しさが見て取れた。
「別にアイツらに付いていってもいいんだぞ。地球の帰還方法は俺が調べてくるから――」
「いえ、私も行きます。きっと転移装置なんてものがあったとしたら、そこに魔法知識は必須だと思いますから」
「俺も魔術が使えないだけで、知識はあるつもりなんだけどね……」
桔梗の言うことは真実である。
勝手ではあるが幼い少女を危険とわかる旅に連れ出すのはどうかと思うし、当初の予定より安全な方策が取れるのであれば、とりあえずそちらを選んでもいいと思う。
この世界には人類にとっての脅威があることも知った。自分の身はそれこそどうにでもなるが、椎菜は別だ。無理して危険な旅に出る必要も無ければ、ミルフィリアに付いて行った方が恐らく安全である。もちろん、政争に巻き込まれる可能性は十分有り得るが、まあ、それでもマシだろう。
そもそもミルフィリアたちと桔梗では性別が違う。同姓と異性とであれば、迷わず同姓を選ぶべきなのだ。
しかし、椎菜はかたくなに断った。
理由はきっと桔梗にはわからない。わかったとしても納得は出来そうにない。
だから内心でだけ溜息をひとつだけ吐いて
「じゃ、冒険者ギルドとやらに行ってみるか」
「はい!」
とりあえず冒険者ギルドを目指すのだった。
アリウの街は王都に近い防衛都市というだけあって、非常に大きな街である。
そもそも街の外には広大な農園が広がっており、それらを含めると途方も無い広さだ。流石豊穣と慈愛を司る神を信仰しているだけあって、第一次産業が活発なようである。
行政区を町の中心とし、北が領主をはじめとした貴族や富豪などが住む高級住宅区。
東が工業区。
そして西と南が一般居住区と商業区が入り乱れている。冒険者ギルドや宿屋もこの地区にある。
街の人口は約二十万人。王都が百万人程度と考えると、それなりの規模の街である。
王都を守る六つの防衛都市の中で一番冒険者ギルドの大きい街でもある。つまり、それだけ腕のいい冒険者たちが集うということだ。
「ふわぁ~」
異世界に来てからというもの、桔梗、シリス、ミルフィリアと、クセの強い人間たちしか見てこなかった椎菜にとって、それは久々に見る「日常」だった。
もちろん、ここは異世界であり、周りの人々も到底日本人とはいえない、ファンタジー色の強い色合いの髪や目の色をしている。
寧ろ純日本人である黒髪黒瞳の二人は浮いてしまうほどに、ご同輩が見つからない。
自分たちが入ってきたのは南門だったということもあり、入り口から中央に向かって伸びる大通りは、アリウの名所として有名な場所だ。
その大通りの両脇にはズラリと商店や露店が並ぶ。
その通りを行き交う人も様々だ。だけどみんな一様に明るい。
街に着いたのが昼過ぎということあり、大通りは賑わいを見せていた。
「わわっ」
周りには人間とは少し違った人々の姿も見える。
(なるほど。あれらが亜人か……)
獣のような耳や尻尾の生えた《獣人》。耳の尖った《エルフ》。筋骨粒々で背の低い《ドワーフ》。そしてここにはいないがドラゴンとしての特徴的なパーツを持った《龍族》なども亜人に含まれる。
言ってしまえば「人間でも魔族でもない人っぽい種族の総称」が亜人である。もちろんこれは人間が勝手につけた俗称のようなものであり、彼ら自身は自分たちを亜人として認識していない。というより亜人と呼ばれると嫌悪感すら覚えるほどに不評だったりする。
それは亜人を「人間の出来損ない」として思われていた時代があったためである。亜人のほとんどが人間に比べて高い身体能力を有していたための人間からのやっかみのようなものだ。
もちろんそんな時代はとうの昔に過ぎており、人間も亜人も今は手を取り合って生活をしている。だが、頑なに人間を嫌悪する種族の亜人もいることもまた事実なのである。
とはいえ、
(びっくりするくらいテンプレートな「異世界人」だな)
地球の物語に出てくる「亜人」を漏れなく網羅したような光景である。寧ろ「あれはどんな生き物だ?」と疑問を持たずして答えに行き着いてしまえるのは、中々に業が深いとも言える。一般大衆向けの娯楽レベルの知識も侮れないな、と桔梗は妙に感心した。
「ほぇ~」
そして日本人にとってまったく縁のない店こそが目の前にある「武具屋」だろう。
剣や槍、弓やメイス、そして鎧や兜、盾。ゲームなどでは何の疑問も持たなかったそれらも、普通の街角に鎮座して売られていると非常にシュールだ。
そもそも「命を奪う道具」がここまで無防備に晒されているのも、異世界ならでは、といったところか。
「おぉ……」
「それにしてもお嬢、さっきから面白いな」
「はひゃ!?」
桔梗の隣でしきりに何かを発見しては感心している椎菜に、彼は思わず苦笑してツッコんでしまう。
指摘された椎菜は気が抜けていたらしい。ビクッと肩を震わせると、顔を真っ赤にして振り向いた。どうやら恥ずかしいらしい。
寧ろ小学生としては純粋な反応だと思うのだが、目の前の大人びた少女には羞恥として認識されてしまったらしい。
「はわわ」
「別に慌てんでもいいのに。可愛かったぜ」
「か、かわっ!?」
桔梗としては何でもない一言だった。ただ正直に思ったことを言っただけだ。彼の名誉のために一応言っておくと、別に下心ややましい心があったわけではない。そもそも彼にその趣味は無い。
しかし、言われたほうは所謂「歳上のお兄さんにごにょごにょ」という年頃であり、彼女は更に精神が成熟している。要は彼の発言がクリティカルにヒットしたのである。
これ以上赤くなるか?というレベルで更に頬を赤らめた椎菜は、あわわと口のわななかせ、そして思考がストップした。
「…………」
「おいおい、マジかよ……」
最初の出会いからこの五日間であまり見せなかった年齢相応の彼女の反応に、桔梗は少し安心感を覚える。
そして固まってしまった少女の頭に軽く頭を乗せるのだった。
お読みいただきありがとうございます。