第5話
「私はウルグリア聖王国蒼龍騎士団所属の騎士だ。そして彼女は聖王国第三王位継承者でもあらせられる、ミルフィリア=セイリス=ウルグリア様だ」
「お前バカだろ」
「なっ!?」
場が整ったところで改めてシリスが自己紹介をしようとしたら、桔梗があからさまな溜息をついて嘆息した。
その目は明らかに呆れていた。
「お前は俺たち――お嬢を簡単に信用しすぎだ。俺たちが実はお前らの敵国の間者とかだったらどうするんだよ。次の瞬間、お前もお姫様も死んでるぞ」
「ぬ、ぬぅ」
「つーか、お前困ったらすぐそうやって唸るのな。何も考えていない証拠だよ」
「ま、まあまあ……」
桔梗の言葉は、十歳である椎菜にもストンと落ちるような説得力があったため、彼女も強くは言えなかったが、それでも止めた。
シリスもまさか自分の一言が主を危険に晒すなど思ってもいなかったらしく、反論すら忘れて自分の迂闊さに衝撃を受けていた。
「助ける」と言った椎菜の考えには従っているものの、桔梗はあくまで桔梗である。シリスに対するスタンスはきっと変わっていない。
ふぅ……ともう一度だけ溜息をついて、彼はそれ以上を不問とした。
「俺は紅坂桔梗。こちらの国の場合は名前が先か?」
「ああ、そうだ」
「そうか。となれば、桔梗=紅坂というのが正しいな」
「私は椎菜=亜沙桐です」
「ふむ。シーナ殿にコーサカか。これからよろしく頼む」
きっちりと椎菜を名前で、桔梗を苗字で呼んだ。更に椎菜にはサラッと敬称が付いている。きっと本人は無自覚だろうが、こういった言葉の端々に彼に対する評価が見て取れる。
もっとも桔梗はそんなことでへそを曲げる性格でもなければ、女性に名前で呼ばれて一喜一憂するような性格でもない。
「それでシリスさんたちはこれからどうするんですか?」
今回の魔族の奇襲で多くの仲間たちが志半ばにして倒れてしまった。
今ミルフィリアの純粋な護衛はシリスだけになっている。これから何をするにしてもまずは戦力の建て直しをしないと前にも後ろにも進めないだろう。
「とりあえず俺たちはアリウの街をとやらを目指しているから、そこまでは同行できる。だが、正直これ以上となると、一体どれくらい付き合わされるかわかったもんじゃないからな。契約期間はきっちりと決めておきたい」
「アリウ?お前たちはアリウで一体に名をする気なのだ?」
「それは街についてから考える。俺たちはどうしようもないほどのど田舎から、一攫千金を求めて旅してきたためか、この国の常識に疎い。だからとりあえず情報収集をしてからこれからのことを決めるつもりだ」
「ふぅむ……。お前はこの国についてどれほど知っている?」
「正直に言うとこれっぽっちも。何かのトラップに引っかかったのか、まったく別の場所から飛ばされてきてね。右も左もわからんから、とにかく街を目指すことにしたわけだ」
「転移系のトラップ!?超古代遺産クラスの代物じゃないか!!一体どんな旅をしてたらそんなものに行き着くのだ……」
桔梗の言葉に嘘はない。不要な情報を敢えて伏せているだけである。
とくにいきなり「自分たちは実は異世界人なんです」とか白状した日には、一体どんなことになるかは流石の桔梗にも想像が付かない。
先ほど彼自身がシリスに警告したとおり、見ず知らずの人間をいきなり信頼するほど彼は無謀ではない。それがどんなに「こいつは善人だろう」と頭が判断しても、彼は時が経つまでは言う気はなかった。
そしてそのことは最初の夜に二人で決めたこと故に、椎菜も訂正する気はない。
彼女とて魔法師世界の住人だ。師の付き合いで権謀術数が蔓延る現場を人事ながら多く見てきたために、迂闊な発言をすることの危険性は十分に心得ている。
だからこそ口が達者な桔梗に交渉を任せているのだ。例えどんなにシリスが彼女に話を振っても、彼が基本受け答えをする。
何も知らないシリスからすれば非情に戸惑いを隠せない。
主を差し置いて丁稚が交渉のテーブルについているのだ。もしかしたら丁稚ではなく、執事のようなそれなりの立場を与えられているのかもしれない、と桔梗の印象を少しだけ上方修正をする。
「さてね。本当に今回のは事故レベルの災難としか言いようがない。お嬢も俺もいい迷惑だ」
やれやれ、と肩をすくめる桔梗に「本当に困っているのか?」と半信半疑なシリス。正直桔梗の言葉はすべてに於いて胡散臭かった。
だが、問い質したとしてもこの男はのらりくらりと躱すだろうと、ある意味逆の信頼すら感じている。
だからそれ以上の問答は彼女もする気がなかった。
「なるほど。では、報酬の前払いと言うわけではないが、この国におけるある程度お説明をしたらいいか?」
「ああ、ソレは願ってもないことだ。ちなみに呆れるくらい基礎知識からお願いしたい。そうだな………………例えば『俺たちが異世界から転移してきた』くらいにこの世界について何も知らない前提で説明してくれると助かる」
「ちょ!」
「うむ?なんだそれは。冗談にしてはおもしろくないぞ」
「いや、それくらい俺たちは無知なんだよ。恐らく俺たちの出身地を聞いても誰も知らないくらいの無名な国の出身だぜ?」
「ほぉ……一体どこ出身だ?」
「日本」
「ニホン?確かに聞いたこともないない国だな」
「だろ?知っているのはこっちの言葉がわかるくらいさ」
「はわわ……」
びっくりするくらいストレートに切り込んでくる桔梗に、聞いている椎菜は気が気ではない。
まさか正直に話しているのに怪しまれないレベルで会話を進めるとは思っても見なかった。きっと椎菜では思いつきすらしないような行動である。
シリスも冗談と受け取っているのか、訝しんではいるものの、嘘とは思っていないだろう。流石に異世界云々は信じていない様子だが。
「そうか。ではこの世界の話から聞かせてやろう」
「頼む」
「……お願いします」
今更シリスの上からの物言いには桔梗も何も言わない。あきらめていると言う部分もあるだろうが、今彼は教授される側だ。であればシリスの言動は間違っていない。
そしてシリスの口から彼らにとっての異世界――ゼフィーリアの歴史が紡がれる。
「ゼフィーリア。これが私たちの住まう世界の名だ。
天地開闢以来、多くの神々によって運営される世界。
とは言っても当然神々はそう簡単に我らの前に顔を出すわけではない。遥か昔には一緒に生活すらしていたと言う記述もあるようだが、今はそんなことはない。
今は人と亜人と魔族によってこの地は支配されている」
「うん?神々が運営してるんじゃないのか?」
「まあ、それは言葉のあやと言うか何と言うか……確かに神々は居られるが、この世界とは異なる次元の世界で暮らしているらしく、私たちの暮らしている世界とは位相が違うんだ。
だからこの地には基本さっき言った三種族が生活しており、神々は別の空間からこちらにいる世界を見守って――いや、監視している」
「なるほど。こちらの政治には基本無関心だが、自分たちにとって不利益なことが起きたり、有益なことをするためにちょっかいを出してくるパターンか」
「なるほど、言いえて妙だな。その通りだ。世界には大小様々な信仰があり、その数だけ神は存在していると言われる。
まあ、高位の司祭になると神と交信できるのだから、神は実際にいる。
ミルフィリア様も王女であると同時に我が国教の姫巫女様でもあらせられるからな。神――ローレイ様とも会話しているところは私たちも見たことがある」
「ふ~ん。何気にこの姫様は思った以上にやんごとないお方だったわけか」
「……何か納得いかない言い方だな。……まあいい。
世界は大きく分けて四つの大陸に分かれていて、そのうち三つの大陸に人と亜人が暮らし、残りのひとつの大陸に魔族が暮らしている。
人と亜人は姿や考え方にそれほどの違いはなかった故に共存は可能だった。
だが、魔族は違った。魔族とは相容れなかった。
ヤツらは純粋なまでに最悪の存在だった。
神々を信仰する我々とは違い、ヤツらは魔神を信仰する。
一説には魔神を信仰したからこそ、魔族に成り果てたという説もあるくらいだ」
「神と魔神の違いは?」
「そこもか?……簡単に言えば神は私たちに豊かさを与えてくれるが、魔神は破滅を呼ぶ存在だ。
魔神は魔族を率い、我々のテリトリーに侵攻し、多くの命を奪っていった。
魔族の多くは理性や思考というものを持たずに、ただひたすらに暴虐の限りを尽くす。長い歴史の中で一体どれほどの国が滅んだか……」
「なあ、魔族とそこらへんの魔物との違いは何なんだ?」
「……正直それほど明確な違いはない」
「おい」
「いや、本当なんだ。魔族も長い歴史の中でいろいろと変化をしてきたらしく、我々も詳細を把握しているわけではないのだ。
魔物は『魔族が使役している家畜』だったり『魔族の成れの果て』だったり『通常の獣が魔族になりかかっている状態』とも言われているが、真偽のほどは誰にもわからん」
「なるほどね。確かにそういうことなら納得できる点はある」
「話を戻すぞ?大陸は東西南北と中央にある」
「……おい。色々と待て。さっき大陸は四つって言ったよな?何で五つあるんだよ」
「まあ、話を聞け。
私たち三種族が住むのは東西南北の四つの大陸だ。
しかしその中央に四大陸に比べれば遥かに小さいが、そこにはもうひとつの大陸があるとされている。
なぜ断定ではないのかと言うと、誰もその大陸に渡れた者が、ここ数百年の間一人もいないのだ。
だが、どの種族の過去の文献にも「確かに存在する」とだけは書かれている。
この世の楽園、と言うことだが、まあ、誰も見たこともないのだからわからん」
「何で行けないんだ?」
「中央大陸のみ、神々の力で封印されているのだ。行こうとしても不可視の力で拒まれる。それを誰も突破できない。数年おきに愚かどもが現れて突破を図るようだが、毎回返り討ちにあって魚や水生生物の餌になっている」
「なるほどねぇ……」
「ここウルグリア聖王国は西の大陸の南に位置する大国だ。面積で言うと大陸の約三分の一を領土としている。
ここまでの大陸となると北の大陸の「フォーディン公国」と「グリガンド帝国」、そして東の大陸の「アマテラス」くらいだ」
「微妙にすごいのかどうか測りかねる説明だな。ただこの大陸では一番の領土を持っていることは理解したよ」
「うむ。ウルグリアは豊穣と慈愛の神であらせられるローレイ様を主神と仰ぎし「ローレイ聖教」を国教とする国家だ。
ローレイ様の恩恵によりここ百年は飢饉も起きず、国庫は潤い、民の生活も安定している。
王家であるウルグリア家の支持基盤も磐石とされており、国内は今が隆盛とばかりに咲き乱れている。
それ故に常時騎士団による大軍隊を維持することも容易く、周りの小国や小国群を挟んで北にある中規模国家パルシも迂闊には手を出せないと言う状況だ」
「なるほど。……つまりは内政か?」
今までの説明を遮るかのようにポツリと漏らす桔梗。
「…………そうだ」
それに、シリスは苦々しく肯定した。両手で包むようにして持ったいたカップが振るえ、水面に波紋が出来る。
「え?」
しかし椎菜には彼らのやり取りの内容が理解できなかった。
桔梗とシリスのほうを視線が行ったり来たりして内容の把握に努めようとするが、それも叶わない。彼女にはまだ実感の少ない話であるから。
そんな椎菜に桔梗は苦笑しながらも親切に説明した。
「お嬢。人っていうのはね、敵を作りたがる生き物なのさ。どれほど友好を示されても、どれほどの友誼を結んでも、人は決定的に他人を盲信することは出来ない。
周りに敵はいない。つまりそうなると人は『ならば敵は身内にいる』という妄想をはじめるのさ」
「そんなバカな……」
それは少女にとっては当たり前の反応だったのかもしれない。
彼女にとって小学校の同級生の友達は、掛けがえのない存在だった。彼女たちを疑ったことなど一度もない。
もちろん考えが違えば言い合いもするし、ケンカになったことだってある。でもそれは親愛の裏返しであり、そのまま絶交することなど決してないし、どんなに長引いても次の日にはしっかりと仲直りをしてきた。
そんな少女にとって彼の説明は青天の霹靂というよりは絵に書いた餅のような話だ。
つまり、有り得ない。
「シーナ殿。信じられないかもしれないが、コーサカの言っていることは正しい。
人は成長し、知識を得れば得るほどに愚かになっていく生き物だ。国の行政を司る宰相や貴族どもは日夜同僚を欺き、謀り、疑心暗鬼の巣窟だ」
だが、もう一人のシリスは重々しく桔梗の考えを肯定した。
宰相や貴族――宰相がどんなモノなのかは椎菜にはわからなかったが――たちのことを思い出したのか、吐き捨てるような口調だった。
「現にミルフィリア様はお忍びでの説法の最中に政敵に狙われた!!そして今も尚目を覚まされない!!このことを命じたのが実の兄である第一王子だということが、この国が腐っている何よりの証拠だ!!」
そして怒りが頂点に達したかのように、ついに手に持っていたカップが握り潰された。
女性とは言え騎士である。そこらへんの成人男性よりは遥かに膂力は強い。破壊されたカップは床に落ち、中にあったお茶は零れ出す。
「あ……すまない」
そしてその事実に気付き、いつの間にか立ち上がってしまったシリスはばつが悪そうな顔で、俯いた。
「いえ、大丈夫ですよ」
椎菜は魔法を発動し、カップは床と同化させ、お茶は出現させた水と一緒に混ぜた後、熱で蒸発させる。
魔法が使えない人間からすれば横着極まりない対応方法ではあったが、魔法を扱えるものにとっては一々衝撃的な光景だった。
(あんな細かい制御まで可能なのか!?)
この世界の住人にとって、魔術とは常に垂れ流しである。
炎を出す。水を出す。木を生み出す。雷を落とす。大地を隆起させる。
下級・中級・上級・特級・神級と階位が上がっていくにつれ、その威力も比べ物にならないほど上がっていくが、基本的な構造は変わらない。
マッチ程度の炎から火炎放射器、果ては溶鉱炉、といったレベルである。
アルコールランプをガスバーナーに変化させたり、水を氷に替えてるなど、同じ魔力で威力や精度を向上させるような知識は、常識として存在しないのである。
もしそんな理論を実証できないまま発表したところで「気が狂っている」とバカにされるのが関の山だろう。
しかし、シリスの目の前にはそれを難なく可能にする天才がいる。否、天才と評価するにはレベルが高すぎた。この世界の天才は、神級魔術が使えるまでの経緯が短い人間がそう呼ばれる。
そういったこの世界の常識では計り知れない才能を持つ椎菜の存在は、ただただ衝撃である。
そしてそんな人材を有する「ニホン」という国が今まで無名だったということに。
(ニホンが国土を広げようなどと野心を持てば、この世界の勢力図が瞬く間に塗り変わるぞ……)
今はそうならないことを祈るばかりだ。
そして彼女を敵に回さず、あまつさえ味方に引き入れることこそが、シリスにとっての最大の関心ごとといっていい。
恐らく彼女が味方になれば、ミルフィリアに敵はいない。
こういう考え方をするのは嫌っている貴族たちと同じなので業腹だが、その気になれば第一王子と第二王子を蹴落として、ミルフィリアが時期国王になることもそう難しいことではないだろう。
多くの仲間を失って孤軍奮闘という無茶振りをされた瞬間に現れた望外の戦力。それが椎菜である。
「どうぞ」と渡された湿った布――おしぼりで手を拭きながら、シリスは注意深く、椎菜を観察しようとする。
しかし、
「まったく面倒くさい限りだな。自由を求めて生きてみれば、知らない国に放り出されるわ、いきなり政争に巻き込まれるわ。しかも王位継承問題かよ。まったく自分のツキの強さに涙が出そうだよ」
そんなシリスの思いを知ってか知らずか、桔梗がつまらなそうに話の腰をぶった切る。
シリスからしてみればそんな桔梗はそれなりに目障りな存在だったが、彼の不興を買えばその主である椎菜も一歩引いてしまうかもしれない。それだけは避けたい。
もしかしたら桔梗は主である椎菜を守ろうと敢えて悪者に徹している可能性もある。
まあ、そんなのはシリスの勝手な妄想であり、彼の言葉は一言一句本音なのだが、そもそも言葉遊びに長けている桔梗に対し、あたまでっかちなシリスが敵うはずもない。
結局は彼女の空回りなのである。
「とはいえ、当面協力はすると決めたんだ。お嬢?」
「はい?」
「とりあえず姫さんを起こしてくれないか?」
…………。
……………………。
…………………………………………。
「は?」
思い出したかのように簡単に言い放った桔梗の提案に、シリスは呆けた。
それはもう呆けた。
具体的に言うとたっぷりと一分は思考を放棄し、頭が真っ白になった。
だからこそ彼女にはどれだけの間自分が停止していたのかがわからない。
無数に散った思考をそれでも長い時間を掛けて掻き集め、そうして出てきた言葉はただの一語。
気の抜けた言葉だけだった。
「どう見ても姫さんに掛かっているのは呪いの類だ。だから解呪しない限りは目を覚ますことはないし、逆を言えば解呪さえしてしまえばあっさり目を覚ますだろうよ」
「…………できるのか?」
「それはなんとも。でもお嬢の実力を考えたら、こんな粗末な呪いなんて、一振りであっさりと祓えるんじゃないか?」
「う~~ん」
確かに彼女もそんな感じはしていた。
ミルフィリアから漏れ出る負の魔力は、明らかにミルフィリア自身のものではなかった。
その魔力が彼女自身の魔力よりも強く彼女を覆っているため、彼女は目を覚ますことが出来ないのではないかと。
そしてその魔法力は自分と比べたらびっくりするほど貧弱である。駆け出しの魔法師ですら、これくらいであれば簡単に解けるだろう。
しかしそれを指摘するには彼女は幼すぎた。
まず間違いである可能性。
これはシリスがあまりにも深刻だったからだ。故に「そんな簡単なものじゃない」と勝手に思い込んでしまったこと。
そして、桔梗が何も言わなかったために、期待だけさせて結果できませんでした、となると後味が悪いどころか最悪の展開である。
だからそれが怖くて言い出せなかったのである。
だからあっさりと桔梗がそれを口にしたとき、不謹慎ながら「ああ、やっぱり……」と安堵を覚えたのは内緒だ。
そんなこんなで、ウルグリア聖王国第一王女、ミルフィリア=セイリス=ウルグリアは、臣下の予想をあっさりと裏切り、手拍子のひとつで目を覚ましたのである。
お読みいただきありがとうございます。