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異世界生活は魔法少女とともに  作者: 水瀬みずき
第1章:異世界旅立ち編
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第4話

「だ、誰だ!?」

「通りすがりの一般人さ」


 虎の子の城壁結界が容易く破壊されたと思ったら、中に入ってきた男はやる気なさそうにそう惚けた。

 この辺りでは珍しい黒髪黒瞳の少年で、見慣れない顔立ち以上に見慣れない服装に目が行く。

 黒を基調とした部分はまあいい。宮廷のいけ好かない魔術師どもはこぞって黒いローブを羽織り、自分の存在感をアピールしており見飽きている。

「黒」という色は魔術師たちの象徴であるからなのか、それ以外の人間たちにはあまり好まれない。

 そしてその職業によって様々な色の縄張りがある。騎士たちが好んで使う「白銀」もそのひとつだろう。

 魔術師というには貧弱すぎる魔力――というか魔力をまったく感じない少年は、逆説的に魔術師ではないことは見て取れる。

 自分を「一般人」と言ってのける程度には確かに何の脅威も感じない。

 結界を破ったのは別の存在で、彼は偶然この場に居合わせた一般市民。そう言われたほうが確かに納得できる風体だった。

 結界が消えてからこそわかる、ここより少し離れた場所から尋常でないクラスの魔力の持ち主が控えていることから、彼はその丁稚かなにかと推測した。

 彼女は一人頷き少年を改めて見返した。


「私はウルグリア聖王国蒼龍騎士団所属シリス=フラウだ。状況を知りたい。外はどうなっている?」

「俺はさっきも言ったとおり通りすがりの一般人。名乗るほどの名前でもなければ、誇るほどの地位もない唯の旅人Aだ。外の状況を知りたければ外に出て自分の目で確かめてみるといい。初対面の人間に聴くよりも遥かに現実を見ることができるだろうよ」


 少年は真面目に答える気がないのか、平坦な口調でそれだけ口にすると、自分たちに興味を失ったかのように、無防備に背を向けその場を離れる。

 あれほど魔力を持たない男が気軽に外を出歩けるくらいだ。危険は去ったと見ていいだろう。

 外を護衛していた仲間の騎士たちの気配がまったく感じられないことに、最悪の予感を感じながらも、シリスは自分の傍らで何も知らずに眠る忠誠を誓った主のことを想い、意を決して外に出る。もちろん少女に自分が出来得る限りの防御結界を何十にも施しながら。


「な、何だというのだ……最強と知られた蒼龍騎士団の精鋭たちが全滅だと?そんなバカな」


 外は文字通り地獄絵図だった。生き残っているものは自分と主、そして目の前で遠くに向かって何やら合図をしている旅人A(名前を名乗らなかったので仕方なくそう記す)。

 真っ赤な人間の血と、生き物のものとは思えない緑の魔族血が交じり合うようにして大草原を彩っている。

 そして二つの血の池に混じる二種族の無残な死体たち。人間も魔族も等しく殺され尽くした光景に、シリスは呆然とするしか出来なかった。


「団長……先輩……ダルキアン……リクト……」


 見知った顔――それでも顔が判別できるだけマシだった。中にはトマトのように潰れて首から上が喪失している死体もある――を見つけるたびに、信じられないと勝手に声が出る。

 誰からも慕われた団長。それを支える先輩たる副団長。同期の男。女である自分にも慕ってくれた後輩。

 その一人一人が、否、全員が死んでいた。

 それを理解した瞬間に涙が一筋流れる。

 一度流れてしまえばもう止められない。二度三度と頬を伝え落ち、


「あああああああああああああああああああぁぁっっっ!!!!」


 それだけでは到底足りないとばかりに咆哮する。もしかしたらその声が呼び水となり、新たな魔族が寄って来るかもしれない。

 そうは思っても堪えることなどで気やしなかった。シリスはただただ嗚咽した。

 そんな彼女を合図を追えた少年は一瞥し、その場を離れようと背を向ける。

 彼女の気持ちなど「知ったことか」と見切りを付けたような、温度を感じさせない眼差しだった。


「ま、待ってくれ!少し話がある!」


 シリスは咄嗟に少年を呼び止める。

 中からは何もわからなかったが、外から来た少年は少なくとも自分たちよりも仲間たちの最期を知っているはずだ。

 流石にそれを訊かずして彼を逃すのは得策ではない。

 それに、仲間たちがこうなってしまった以上、主を守る戦力は自分しかいない。

 ならばどれだけ役に立たなかろうとも、人手は必要だ。

 得体の知れない少年を引き入れるのは賭けではあったが、このままでは全滅は必至である。ならば少しでも勝算の高い選択肢を選ぶべきだ。それが例え0から一パーセントに変わっただけだとしてもだ。


「まだ何か?俺たちは先を急いでいる。少なくとも明らかに厄介ごとだとわかるアンタたちにかかわっていられない程度にはね」

「グ……」


 皮肉というスパイスがたっぷりと効いた少年の台詞に、シリスは思わず顔を顰めるが、それでも耐える。自分のプライドなど今は何の役にも立たない。

 それに


(俺「たち」と確かに言った。つまりあの魔力の持ち主は、予想通りヤツの仲間だ。その人がこちらに付いてくれるならば、勝算は更にあがる!)


 大賢者クラスの聖王の側近の魔術師を遥かに凌ぐ魔力量。上位魔族に匹敵する力の持ち主が味方になれば、勝率どころか成功が見えてくる。

 少年にどんなに疎まれようとも、それだけは看過してはいけなことだった。


「少しだけでいいんだ!この通りだ、頼む!」


 聖王国の騎士が一般市民に頭を下げるなど、前代未聞のことである。ここに第三者がいれば「そこまでお前はプライドがないのか?」と彼女を貶すだろう。

 地面が死に塗れているため地に伏して頼むことは出来なかったが、相手にとってみれば断りきれないほどショッキングな出来事のはずだ。

 ……はずだった。


「何度も言わせるな。俺たちは自分の命が大事で、それが今現在も脅かされている。見知らぬ誰かの助けをするほどの余裕はあっても、それを実行するほどの善意は持ち合わせていない」


 対する少年はあくまで冷ややかだった。

 もう話すことはないとばかりに、一度止めていた足を再び動かし、この地を去ろうとする。

 その言葉と態度に嘘偽りは一切なく、本当にシリスを――ひいては主を見殺しにするつもりなのだ。

 そうとわかった瞬間、しおらしく頭を下げている自分が滑稽に映ってしまった。そしてあってはいけない思考に入ってしまう。


(私がこんなに頭を下げているのに、何故この男はそれを平気で無碍にしようとするのだ!?この男には血も涙もないのか!?)


 つまりは「被害妄想」。

 自分の思い通りに行かず、更に自分が極限状態にいると、原因を自分以外に求めてしまうアレだ。

 確かに彼の振る舞いは一見すると冷たく映ることだろう。

 しかし、シリスたちは二十を超える魔族と争いが起きるような存在なのである。そんな人間たちと一緒にいることは「お前が身代わりとなれ」と言われていることに等しい。

 ただでさえシリス――正しくはその連れの主――と少年とでは明らかに身分の違いが存在する。

 それ故にシリスのお願いは強制の響きがあり、明らかに上からの言葉だったのである。

 それに気分を害しない人はいない。少年は殊更にそれが顕著だった。

 彼女は気付いていない。

 少年はこの状況を見て、それでも自分たちの馬車を気にしてくれるくらいには心があった。

 それをここまで下げてしまったのは、自分の行動が原因であることに。

 彼女の思惑は全て透けていたのだ。

「騎士団の自分が言えば逆らえないだろう」という自分勝手な思いが、言葉や行動の端々に現れていた。

 彼が泣いている彼女に対して距離を置こうとしたのは、いきなり立場を名乗られたことに辟易していたこともあるが、それよりも彼女のことを慮ってのことだった。自分の泣いている姿など、他人には見られたくないと思って。

 しかし、彼女の口から出てきたのは有無を言わせないような口調だった。

 まずそれで助ける気が失せた。

 少し皮肉を交えて立場を明確にしたつもりだったが――それにしては随分な台詞ではあったが――それでも彼女は理解していなかった。

 まるで頭を下げることが「特別」であるかのような言動。正しく彼女はその通りだったのだが、少年はそんな彼女の立場や事情など斟酌する義理はない。

「助けてください」ではなく「助けろ」と言外に言われた側の身としては面白いわけがなく、結果的に彼女たちを見捨てる選択をしたのだ。


「貴様っ!!」


 思わず激情するシリスに対しても、少年は何の反応も見せなかった。

 今度は足を止めることなく去ろうとする。

 力ずくで止めようとしたシリスの後ろで


「コーサカさん?一体どうしたんですか?」


 何かを耐えるように辛そうな、それでも気丈に振舞う年端もいかぬ少女の声だった。



 その本性を現した少年――桔梗の戦闘力は圧倒的だった。

 魔力を使用しないその戦い方は、お世辞にも華があるとは言えない。多くの魔法師は彼の戦いを見て「野蛮な」と卑下することだろう。魔法師にとって魔法が使えない人間というのは、唯それだけで自分より下に見る。

 幸いというか椎菜の師は魔法師世界の中で見ても相当に異端だったらしく、そういった価値観は存在しなかったため、彼女も捻くれることはなかった。

 桔梗を前にするのであればそれが正解だったと本能が告げる。そして自分は運が良かったとも。

 もし自分が地球で彼を傷つけるつもりで魔法を使用していたら、発動前に潰されていたかもしれない。近接戦に於いて彼は無類の強さを見せ、そして何より彼は躊躇いがなかった。現代日本の中でもっとも禁忌とされる罪である「命を奪う」ということを、例えそれが人間ではなかったとしても初見の相手に躊躇も見せなかった。

 その事実が何よりも恐ろしい。

 ついさっきまで近所のお兄さん程度だった人――もちろん彼が最悪の運び屋《亡霊》であることは承知しているが――が、いきなり実は指名手配犯だったと知らされるようなものだ。

 思い出してみれば異世界に飛ばされた初日に彼は食材を調達してきた。その時に大きな肉があった。肉は家庭の食卓にも普通に並ぶし、スーパーにも当然のようにブロック肉が陳列されているがために不思議に思わなかったが、桔梗はそのときすでに肉となる何かを殺めていたのだ。

 怖い。

 恐い。

 (こわ)い。

 (こわ)い。

 今この瞬間にも彼は死をバラ撒き続けている。敵である異形の攻撃を悉く躱し、そのお返しと言わんばかりに殺す。

 まるでそれは時代激の殺劇のように予め決められたような滑稽さが或る。そう、異形の死はすでに確定事項なのだ。ただ殺されるために彼に殺到し、追われるために逃げようとする。

 予定調和の如く死んで逝く異形たちには思わず憐憫を感じてしまうほどに。

 とはいえ、だ。

 その光景を見つめるのは唯十歳の少女である。

 魔法師として一年ばかりの研鑽を積み、それでも天才と言われるだけの才覚を見せた少女。しかしどんなに彼女の成長速度が周りの同年代の子達に比べて速くとも、それでも生れ落ちてからの年月は変わらない。

 魔法師になる前の九年間、普通の女の子として生きてきた彼女に、これほどの血みどろの戦闘は想像の埒外だった。

 しかし異世界基準と現行の行動指針を照らし合わせると、桔梗の行動はそう間違ってはいなかったりする。

 椎菜と桔梗の最終目的は「生きて地球に帰る」こと。

 故にこんなスタート地点で死ぬようなことがあってはならない。

 地球上での関係はどうであれ、現在二人は共生関係にある。どちらが欠けただけで、生存確率は著しく下がる。

 そのとき不利なのは椎菜自身である。圧倒的な人生経験の差と生きるための生き汚さ。それが桔梗に数段劣ることは聡い彼女は気付いていた。

 そしてそんな足枷にもなり得る自分を慮ってくれている桔梗にも。

 だからこそ彼は動いたのだ。

 何かあったときに「いつかはお前もやらなきゃいけないときが来る」と教えるように。「死なないために殺さなきゃいけないこともある」と忠告するかのように。

 これを彼の優しさととるか厳しさととるかは正直判断に困るだろう。

 十歳の少女に教えていい類のことではない。それでも知らなければ、そのときになって何も出来ないまま死ぬこともある。

 その可能性を少しでも減らすために彼は殺す。自分の評価を地に叩き落としてでも二人の生存確率を上げる。

 感情は二の次で実利を取り続ける彼は、一貫してやはり出会ったときのままの彼だった。

 そう思えば、少し楽になった。

 胃の中のものを出し尽くしたのも大きい。少しだけすっきりした。本当に少しだけ。


「ガラガラガラ……ペッ」


 携帯していた水筒――桔梗に借りた――で何度かうがいをして口をゆすぐと、気を取り直して彼女は現実を直視しようとした。

 ここは異世界。日本じゃない。

 日本の常識はここにはなく、日本の非常識こそここに存在する。

 まずは自分の常識を捨てた感覚で今を見ろ。その上で自分の判断を信じろ。


「すごい」


 そして常識という色眼鏡を捨て去って初めて見た光景を前に、椎菜は唯一言だけ呟いた。

 言葉もない。圧巻である。

 彼はただ淡々とこなしながらも、油断も隙も見せることはなかった。先ほど「殺陣のような」と表現したが、それもすべて桔梗がその場を支配し誘導している賜物だ。

 異形たちは何もわからぬまま、自分の意思で殺されに行っている。最期までそれが敵による誘導とは知らないまま、形だけは勇敢に。

 勢い任せの行き当たりばったりに見せかけて、その実詰め将棋のように確実に歩を進めていく。

 その結果彼は必要最小限の動きで、敵を殺し尽くした。

 敵の総数は二十八体。これを多いというか少ないというかは人の価値観によって決まる。

 だが少なくとも、人間の集団をほぼ無傷で殺戮した集団が五分と掛からずに、敵に一矢報いることすら叶わず全滅するほどの桔梗の手練の業は、最早神懸かっているといってもいい。

 平和ボケした国と世界に評価されている日本でここまでの個人戦闘力を有する人間はまずもっていない。

 銃火器などを持たせれば、もしかしたら結果は変わるかもしれないが、この戦闘を目の前にしたらそれも叶わぬだろう。殺すことへの忌避感が圧倒的に薄い桔梗は、対峙する者から見たら尋常ではないほどの恐怖を駆り立てる。

 武力はともかく、精神面では同じ舞台に上がるためにはとりあえず無実の同胞を何人か殺す必要があるだろう。

 とにかく彼はどこまでも異質と言っても差し支えない。


「あれ?」


 戦闘に勝利した桔梗はそのまま少しだけ考える素振りを見せると、地獄の中を闊歩した。

 返り血は出来る限り回避したため、上半身こそ目立たないが、最初からおぞましい大地を踏み締めていたため、膝より下は見るに耐えないほど汚れている。穢れている。

 あとで汚れ自体は浄化の魔法でどうにでもなるが、気持ちのいいものではないだろう。

 そして初めて気付いた。

 そこには馬車が在った。

 何の変哲もない普通の馬車。

 もちろん椎菜は実物を見たことがないので、アニメや漫画の知識ではあったが、少なくともそれは「馬車」だった。

 しかし気になる点もある。

 非情に脆弱だが、魔法の痕跡があったのだ。

 意識してみるとそれは結界魔法であることがわかるだろう。

 結界とはすなわち阻み、拒むための魔法だ。

 とはいえあの程度の魔力では、それほど大した力を防ぐことも出来ない。


「あ」


 現に目の前――距離は離れてはいるが――であっさりと物理で破壊される。

 あまりというにはあまりの光景だが、今までの彼の戦闘力を目の当たりにした椎菜にとって、それは驚くほどの価値はなく、寧ろ「当然」とまで思ってしまった。

 やばい、毒されているかも。

 桔梗はドアを開け、立ち入るように中を覗くが、特に目ぼしい発見もなかったのか、一分も経たないうちに馬車から離れた。

 しかし、その後の展開は椎菜を驚かすには十分な威力を持っていた。


「人だ!!」


 馬車から人が出くるのが見える。

 桔梗よりも歳上の女性だ。

 気が強そうな表情の騎士のような鎧を着込んでいる。見れば死んでしまった者たちの鎧と意匠が同じであることが見て取れる。

 絶望的な展開の中でも、生き残っている人がいたのは、彼女にとっては嬉しいことだった。

 そしてあの女性こそが異世界に飛ばされてから初めて見る、人間だった。

 椎菜は心なし笑みを浮かべた。

 しかし、その直後に自分の浅はかさを知ることになる。

 女性は、自分の生を喜ぶことはなかった。

 彼女は馬車の外の光景を見渡し、愕然とし、そして吼えた。

 きっとさっきまでの自分と同じで、現実を脳が理解できていないのだ。拒否してしまったのだ。

 死んでしまった彼らのことをまったく知らない自分がそうだったのだから、きっと親しい仲であったはずの彼女の衝撃は計り知れないだろう。

「生き残ってよかった」と思うのは、所詮自分にとって他人事だったからだ。

 椎菜の身に当てはめてみれば、相通事故にあって両親が亡くなってしまったのに、自分は生きていてラッキーと思うことと同義である。

 その不謹慎さは普通はない。あるとすれば時間がたって落ち着いたときだ。

 だから彼女は啼いているのだ。

 遠く離れていても聞こえてくる彼女の咆哮が、その悲しみを如実に語っている。

 椎菜は目を背けそうになったが、先ほどの決意を思い出し、留まった。異世界を生きるということは、きっとこういうことなのだと。

 よく見れば桔梗がこちらに向かって何かしらの合図を送っていた。

 オーバージェスチャーで手を大きく自身の後ろに捲くるように何度も振る。きっと「あちら側に行くぞ」と言っているのだろう。

「こちらに来い」ではなく、「向こうに行くぞ」というのは、椎菜を慮ってのことだ。

 流石に少しは開き直ったとは言え、あの場所に行くのは少々、否、かなり躊躇われた。

 しかし女性のことはどうするのか。

 と思った瞬間、


「え、嘘!?」


 と思わず叫んでしまった。

 桔梗はあろうことか、女性を置いて行った。

 いや、正確には置いて行こうとした。

 椎菜の反応を見て意思が伝わったことを知り、女性に向けて背を見せたのだ。

 一歩二歩と進んだところで、女性に声をかけられたのか、足を止め振り向いた。

 女性は必死に何かを伝えようとしているが、桔梗には伝わらない。ただただ路傍の石を見つめるような眼差しだ。温度がない。

 何度かのやり取りで彼は完全に見限った。

 対する女性は悔しそうに、苛立ちを隠そうとせずに悪鬼の形相で桔梗の背中を睨めつけている。そのまま飛び掛かって手に持った剣で斬りつけてしまいそう……。

 これはただごとではない。

 椎菜は先程とは全く別の意味で心が折れそうになりながらも、彼女のそばに近づいた。

 数百メートルという距離も飛翔の魔法にとってはないに等しい。

 ものの数秒で踏破した椎菜は女性越しに桔梗の背中に声をかけた。


「紅坂さん?一体どうしたんですか?」



「申し訳ない。少々取り乱してしまった」


 ややあって落ち着きを取り戻した女性――シリス=フラウと名乗った――はそう言って軽く頭を下げた。

 落ち着きを取り戻した大半の理由はプライドと恐怖であることを椎菜は知らない。

 まず自分の半分も生きていない少女の前で逆上するのは騎士としてのプライドが許さなかった。

 そして、そんな年端も行かぬ少女が、得体の知れないほどの魔力を有し、「飛行」という古代魔術を何の苦もなく扱っているという事実に戦慄を覚える。

 椎菜は与り知らぬことだが、この世界は剣と魔法のファンタジーの王道を歩んだような世界観を有しており、御多聞にもれずこの世界にとって「魔力」「魔術師」としての才能がその人物の評価に直結するレベルで依存している。

 故に魔力を欠片たりとも持ち合わせていない桔梗は問答無用で軽んじられ、すでに失われて久しい魔術を日常レベルで使用している椎菜の評価は異常なまでに高くなる。

 とはいえ彼女たちは出会って十分もたっていないほどくらい赤の他人であるため、下には見られても上に見るには少々時間が足りなかったが。


「いえ。あんなことがあったことですし、仕方のないことだと思います」


 椎菜は桔梗とシリスの間で起きた不和を努めて知らない振りを決め込みながら恐縮したように胸の前で両手を振る。

 ここは先ほどの現場より数キロは離れた場所である。話すには向かない――特に椎菜にとっては精神衛生上非情によろしくない――ために、飛翔魔術で移動した。

 余談ではあるがいきなり空中浮遊の恩恵を受けたシリスは年甲斐もなく慌てふためき、彼女にとってそれなりに心の傷を負ったのだが、当の椎菜は「やっぱりこれが普通の反応だよね?」と桔梗の状況適応能力に改めて舌を巻く結果となった。

 更に事も無げに住居を魔術で構築した。中流階級の市民レベルの快適性を持つ移動式住居を即座に作り上げたのである。

 当然のように「そんな魔術はこの世界に存在しない」。否、やろうと思えば出来る魔術師は多いが、そもそもそんな便利屋のように魔術を使用するなどという考えは、プライドの高い魔術師たちにとって許されざる屈辱である。だからやらないし、だから存在しない。

 しかし、魔術の基礎や中級レベルで止まっている冒険者や商人など、街間の移動を前提とする生業をしている人種にとっては、これほどありがたい存在もないだろうが。


「それで、何故あのようなことになったのか、詳しい事情を――」

「お嬢、余計な詮索は無駄に自分の精神と寿命を縮めるだけだ。俺たちには目的があり、彼女たちにも別の目的がある。今回は偶然目的が一致したためにこうして顔を突き合わせているが、このあとは別行動だ。聞いた分だけ同情やら何やらしてしまって、気にするだけ損する結果となるぞ」


 椎菜の台詞を遮るようにして我関せずとしていた桔梗が口を挟む。

 その言葉はどこまでも辛辣だった。

 日本人からしてみれば「血も涙もない」という評価とともに、見てみぬ振りをする事なかれ主義の体言とも言える。まあ、彼からしてみれば本当にかかわりたくないのは明らかだ。

 だって「本当に厄介そうな人種」を抱えているからだ。


「…………」


 少女はまだ目が覚めない。

 馬車にシリスと一緒に乗っていた少女は眠ったままシリスに抱えられて一緒に移動した。

 彼女は土と石でできたベッドに敷かれた馬車から桔梗が持ってきた寝具の上で静かに眠っている。

 まるで白雪姫みたいだ、と椎菜は不謹慎にも思ってしまった。

 年齢こそ桔梗よりひとつふたつ年下といった感じだが、流石にあんな光景を目にしたら、きっと椎菜以上のリアクションをされるだろう。

 それほどまでに一目でわかるほど少女は「高貴」だった。

 旅をしているとは思えないほどの華やかなドレスに身を包み、蝶よ華よと愛情を注がれたであろう血色の良い肌にはシミひとつありはしない。

 茶髪というと日本人は染髪した若者の姿を思い浮かべるだろうが、天然モノの茶色い髪は、下品どころか非情に美しい。特に陽の光を透過させたときなどは溜息が漏れてしまうほどである。

 きっとどこぞの上級貴族どころのレベルではなく、王女や姫と呼ばれる人種であろうことは桔梗はすぐに察した。


(でなければ「宮廷騎士団」なんてのが二桁単位で護衛に付くはずがない)


 しかもそんなお姫様が身を隠しての旅など沙汰の限りではない。

 助けて恩に着せることが出来ればそれなりに見返りはあるだろうが、シリスの言動を見ていればそれも不可能だと思い直す。

 きっと「よくやった。姫様の助けになれたことを光栄に思うが良い」とか、まったくありがたくないお言葉を頂戴する羽目になるだろう。なんでこっちが感謝せねばならんのだと、桔梗は心の中で鼻を鳴らした。


「でも、シリスさんたちはきっと困っているでしょうし」

「そ、その通りだ!」

「そんなものは見りゃわかる。つーか、見てわからんヤツがいたらそいつはきっと目暗か、空気の読めない阿呆だろ。お嬢、もう一度だけ言うぞ。彼女たちが困っているのは「俺たちの目的」にはまったく関係のないことだ。ここは俺たちの地元とは常識も価値観も違う場所なんだ。考え直せ」

「グゥッ」

「紅坂さん……」


 この3日間の短いながらも濃い三日間の経験で、桔梗は決してただ冷酷な人間というわけでないことは、椎菜も理解していた。

 もちろん、だからといって温情に満ちた人、というわけでも決してないが、彼の言動には必ずと言っていいほど揺るがぬ「芯」というものが存在している。

 これは彼自身も言っていることだが「地球に帰る」という最初にして最終目標を達成することが行動原理だ。

 桔梗に言わせればそれだけでは十分ではなく、「椎菜を無事な状態で地球へ送り届けること」が目的である。決して言わないが。

 だから出来る限り椎菜が危険に遭うような選択肢は排除する。向かってくるなら潰す。それが彼のスタンスだ。

 そして今回のこれは特大の厄介ごとである。

「国難に立ち向かえ」とか言われたらいちもなくその場から遁走するだろう。できないからではなく、やりたくない故に。

 シリスも「頭でっかち」と知り合いに言われる程度には頑固ではあるが、だからと言ってバカではない。寧ろ宮廷騎士になり、姫の護衛と言う任に任ぜられる程度には聡明である。

 だから桔梗の言葉も理解できてしまう。だから逆上すると言う手しか残らなくなってしまうのだ。

 シリスとて立場が逆であれば決して取り合おうとはしない。縁もゆかりもない男女が魔族に襲われていようと、魔族を斬って捨てることはあっても、親身になって助けはしないだろう。精々数日分の食料を渡して「健闘を祈る」とか益体もないことを言うのが関の山だ。

 それくらいに今回彼女たちに与えられた任務は重い。

 もっとも、主が目を覚ましていたら優しい主のことだ。きっと「それは大変でしたね。では一緒に行きましょう」などと、やさしい提案をしてくれることだろうが、シリスはその主の安全こそが最優先である。そんな危険な真似は進んでするはずがない。

 シリスは苦い思いをしながら桔梗の言葉に耐えた。

 考えても見れば今この状況だって望外の待遇である。食料はともかく水には不自由せず、雨風を凌ぐどころか、外敵ですら容易に入ってこれない厳重な見た目だけ住居な要塞。おそらく並の魔術ではこの外壁を傷つけることも叶わぬだろう。

 そしてそれに輪をかけて非常識なのは、椎菜が掛けた結界魔術である。その威容は最早笑うしかない。

 シリスが見込まれた虎の子の結界魔術など、彼女のソレに比べたら紙に等しい。

 宮廷魔術師が魔道具を惜しげもなく使い、束になって施術した王都の結界すら霞んで見える。

 少なくとも彼らにとってこの旅路は危険とはかけ離れたものであることが簡単に予想できる。

 一時とは言え、そんな要塞に守られている今の状況は、奇跡と呼んでも差し支えない。

 だから、


(惜しい。せめてこの少女だけでも何としてでも味方に引き入れねば!)


 性格の悪いだけの少年はまったくもって必要ないが、この目の前の少女は別格だ。

 彼女さえ味方になってくれれば、きっと今回の問題も解決するかもしれない。そんな淡い期待がシリスの中にはあった。

 これはシリスがそとの魔族を倒したのが椎菜と勘違いしているからこそ起きている。魔力のない少年が、宮廷騎士十人が敵わなかった敵に勝てるはずがないと、最初から決め付けていた。

 そしてこの世界にとってそれが常識だった。

 魔力の低いものはただそれだけで立場が弱いのだ。


「でも、私はシリスさんたちを助けたいです。紅坂さんの気持ちはとてもありがたいですが、私は見捨てたくない。きっと後悔するから」

「アサギリ殿っ!」


 結果として椎菜は正義感溢れる少女だった。

 自分が助けられるんであれば助けたい。助けられなくても一緒に悩んであげたい。

 そんな人として当たり前ながら、誰もが目を背けたくなるほどの考えを、椎菜は当たり前のように実行した。

 これは小学生としてはそれなりに健全な言動であり、ある程度大人になってしまった二人には身につまされるような言葉であった。


「…………」


 対して桔梗は何も言わなかった。

 すぐに切り返すのは躊躇われた。いくら彼にとって青い正義感ではあっても、彼女のそれは非情に尊重するべき考えである。

 利己主義が当然のように氾濫している魔術社会にとっては、とてもとても眩しいほどに。


「…………」


 目を閉じる。


「…………」


 ゆっくりと目を開く。

 そして――


「お嬢がちゃんと考えてそう決めたのなら俺は反対しない。俺はお嬢に従おう」


 初めて彼の口から肯定的な言葉が出た。

お読みいただきありがとうございます。

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