第2話
「異世界?」
「ああ、どうやらそうらしい。空を見上げただけで俺たちの住む地球との違いを理解できてしまうくらいにね」
椎菜の呆然とした呟きに、少年は律儀に答える。
空を見上げる少年に釣られて自分も見上げてみれば。太陽が二つあった。しかも白いのと赤いのが。
うん。意味がわからない。
「幸か不幸か俺たちは無事最初の難関である『即死』イベントを華麗に回避したみたいだ。空気はあるし、環境は穏やかだし、そして周囲に外敵になるような生物は見当たらない。『異世界に飛ばされた』という凶運に目を瞑ることができれば、俺たちは比較的ツイているみたいだね」
椎菜の驚きを無視して――敢えて気付かない振りをして――少年は続ける。そこには台詞に入るべき感情はなく、ただただ事実確認をするかのように平らだ。
「……貴方は驚かないんですね?」
「残念ながらキミよりは考える時間があったからね。キミが目を覚ますまでの間に、今キミに起こっていることは経験した。――それに、歳上の男が幼い少女の前で狼狽していたら格好悪いだろう?詰まり、ただの痩せ我慢だと思ってくれていいよ」
もしかしたら彼がすべて仕組んだのではないだろうか?
一瞬そういう邪推をしてしまったが、そうではないらしい。
よくよく考えてみれば彼には自分をハメる理由などないし、そもそも自分も一緒に付いてくる必要性は皆無だ。もっと言えば彼の手元には原因と思われる《神器》の姿がなかった。
「ああ、《神器》?あれならたぶん地球のあの場所に転がってると思うよ。もしくは今回のことを仕組んだヤツが回収したかだね。――そういや今回の件で初めて依頼に穴を開けたな。いい報酬の仕事だっただけに残念だ」
「仕組んだって……これは事故ではなく事件なんですか!?」
サラッと出てくる新事実に、椎菜の許容量はすでにいっぱいいっぱいである。
《神器》の暴走だと決め付けていただけに、ショックは大きかった。
「たぶんね。キミは飛ばされる瞬間に誰かの声を聞かなかったかい?」
「……あ」
心当たりが合った。
聞こえた、というよりも頭に直接入り込んできたような声。少しだけ楽しそうに苦笑したような声。男性なのか女性なのか、今では思い出せない。
(思い出せ。あのときアレは何て言ってたっけ?)
おぼろげな記憶ではあったが、頭に刻まれた言葉は思いのほかすんなりと出てきた。
「「まぁ、あれだ。向こうもそれなりに刺激的だぞ?楽しんでこい――」」
期せずして二人の言葉が重なる。
しかしその最後の言葉だけが思い出せない。あの最後の言葉こそ、一番重要な筈だったのだ。
やきもきする重いとは裏腹に、手がかりすらつかめない。ここまではあっさりと思い出せたのに!
「お嬢ちゃんもここまでしか思い出せないか。アレはたぶん俺たちのどちらか――もしくは二人にあてた呼びかけだったと思うんだが」
見れば少年も同じところで台詞が止まっていた。どうやら少年も思い出せないらしい。
たっぷりと体感時間で数分押し黙っていたが、やがて
「まあ、思い出せないものはしょうがない。いつか思い出せる日を待って今しなければいけないことをしようか、お嬢ちゃん」
「それはそうですが……、その『お嬢ちゃん』というのはよしてください。ちょっと、いやかなり恥ずかしいです……」
思えば深夜に相対してたときから少年は椎菜のことを「お嬢ちゃん」と呼んでいた。あのときは状況が状況だったので気にしていなかったが、冷静に考えるとかなり恥ずかしい。今までそんな呼ばれ方をされたことがなかったため余計に。
「そう?それはかまわないが、そうとなると自己紹介からはじめるか」
そう言われて椎菜は相手の少年の名前をまだ知らないことに気付く。ずっと《亡霊》《亡霊》と心の中で呼んでいた自分も大概であった。
「俺の名前は紅坂桔梗。十八歳の高校三年生だな。夜は運び屋として小銭を稼いでいる、所謂『裏世界の小物』だな」
どの口が言うか。
と椎菜は思わずツッコミそうになった。
彼が小物のはずがない。確かに魔法使いの中で《亡霊》に身体的な意味で物理的被害を受けたものはいない。しかし、財産的な意味での物理的被害は甚大である。
いくつもの魔法具や魔力触媒、果てには《神器》までも奪われた。彼の名誉のために言うのであれば、これらは別に彼が法を犯して盗み出されたものではない。
誰かから依頼を受けた彼がどこからともなく採集・発掘し、運ぶのである。
多くの魔法使いが血眼になって生涯を捧げながら、それでも見つけることは叶わなかったような聖遺物まであっさりと。
そりゃあ逆恨みもされるものである。
では、と今度は彼にわたりをつけて依頼した人物も中に入るのだが、それでも願いが叶った魔法使いはいない。彼の受ける依頼の基準がわからず、皆一様に断られているのだ。
彼の依頼達成率の非常識さが「難しい依頼は受けない」という軟弱な思考からきていないことは、先の通りだ。
噂では「ただの気まぐれ」とのことらしいが、真実は彼にしかわからないだろう。
それはさておき。
「亜沙桐椎菜、十歳です。私立優稜学院付属小学校四年生です。気付いているとは思いますが、これでも魔法師です」
魔法使いだからではなく、私立の小学校だったからこそ習っていた礼儀正しさを持って彼女も名乗る。
少年――桔梗のくちから「優稜?マジかよ近所じゃねーか」と一人ごとも聞こえてきたが、聞こえない振りをする。というか、近所なのか。
「それで、紅坂さんはどういう魔法を使われるんですか?」
『魔法』と言葉で言うと漢字二文字に過ぎないが、その分類は非常に多岐にわたる。先代魔法ならばそれこそ星の数ほどの分岐があったそうだが、それでも昔も今も大きく分けると五つである。
それすなわち
攻撃
防御
妨害
支援
唯一
「攻撃」は呼んで字の如くだ。そして魔法として一番イメージしやすいだろう。火の玉を飛ばす。雷を落とす。風で斬る。対象物を傷つけ、破壊するための魔法。超一流の魔術師であったり、複数人で実行される大規模魔法は、街を一撃で廃墟にする攻撃力もあるのだとか。
「防御」は逆に物理的な脅威から対象物を守るための魔法である。アタッシェケースが爆裂した際に、椎菜が自分のみを守るために用いた魔法がそれだ。属性を持たぬが故に万能の防御を見せる魔法ではあったが、同じ量の魔力でも<ファイアーウォール>など属性を持たせると、相克の関係が発生し、一方の属性からは通常より強固な反面、逆属性からは弱点となるなど、バリエーションも存在する。
「妨害」は物理的なダメージを与えずに、対象のステータスを低くするために使用される魔法の総称である。桔梗相手に放とうとした「束縛」や、相手の思考を「混乱」させてかき回すなどがある。一言で言うなら「呪い」がわかりやすいだろう。
逆に「支援」は対象を高めるための魔法の総称である。力や速さを通常の数倍にする「増幅」や「飛行」を可能にしたりするのがそれだ。そして何よりも「回復魔法」がその際たるものだろう。怪我を治療し、病気を治す。ゲームのように「蘇生」は不可能といわれているが、それでもこれがあるとないのとでは、魔法使いとしての実力には天と地ほどの差が存在する。
基本はこの四魔法の中のどれかを習得し伸ばしていく。基礎から中級魔法まではあれば便利なので基本全員が覚えるが、それ以降は好みと相性で決まることが多い。簡単に言えばイケイケの性格をした魔法使いは「攻撃」に特化し、慎重な人間は「防御」や「妨害」などを伸ばしていく。もちろん全員が全員そういうわけでもないのだが。
そして椎菜はあろうことかこの四魔法をすべて高い部分まで習得していた。若く感受性が強い時期に魔法に触れたことと、本人の持つ素質がそれを成し遂げた。普通であれば「どっちつかずの中途半端」と評価される三種持ち、四種持ちの中でもその一つ一つが特化型魔法師と肩を並べられるレベルにある椎菜もまた魔法社会の中では異端である。
そして最後に記すのが「唯一」。他にも「独自」とも「覚醒」とも言われる。
はっきりと言ってしまえばこれは「才能と運」である。覚えようと思って覚えられるものでもなければ、特に何をしたわけでもないのに習得していた、など、ある日突然天啓が降りるか、持って生まれてくるかの二択らしい。
他四種の魔法の理を完全に無視したオリジナル魔法。そしてそれは例外なく最低頭ひとつは頭抜けた性能を持つといわれている。唯一魔法師は魔法使い人口の中でも0.00001%を余裕で切るという。はっきりというと今現存しているのは六人らしい。オリジナル魔法を持っているだけで周囲から憧憬の念を持って勝手に崇められてしまうほどの、貴重さと出鱈目さを有するのが唯一魔法である。
これら五種の魔法を使えるものを、人は魔法使いと呼ぶのである。
ちなみに「魔法使い」という単語は何ともファンシー過ぎる響きがあるとかで、魔法使いたちは基本「魔法師」と名乗るそうな。
「ん?そもそも俺は魔術師じゃないぜ?」
一体何を言っているんだ?と言わんばかりの桔梗の返答に、椎菜は困った。そして確かに出会ってから一度も魔法の素振りすらしていない事実に気付き、納得した。
そして同時に魔法師ですらないのに魔法師たちを出し抜ける事実に改めて驚く。
「もっとも、魔法使いの知り合いはそれなりにいるがね」
確かにそれならば有り得るだろう。優秀な魔法師のブレーンがいるのであれば、桔梗は実行部隊として動くだけでいい。なるほど、《神器》を探し出すなんて、超一流の魔法師がバックにいるのだろうと椎菜は想像した。
魔法を習い始めて1年と少しばかりではあるが、師が優秀すぎたおかげで、魔法師を取り巻く社会情勢に関しても、ある程度知っている。
気ままな根無し草が好きな師はどちらかというと異端であり、魔法師は基本何かしらの組織に所属している。
遥か昔は血統こそが魔法にとって大事だったということもあり、魔法の技術は一子相伝であり、周りには隠匿されてきた。自分の研究結果が他人に漏れるということは、魔法師としては致命的な損失でしかない。
しかし、現代魔法は血統に左右されない。本人の持つ素質が大きく関係している。また、血統に左右されないため、素質があれば誰にでも覚えられる。
もちろん、優秀な魔法師の子供は比較的優秀な素質を持って生まれてくるのは昔と変わらないが、一般家庭からポンと大賢者クラスの素質の持ち主が生まれてくることも稀にある。
そのため現代魔法師の力とは「集団戦力」であった。どれだけ自分の組織に素質のある魔法師を取り込み、自軍の戦力とするかが盟主の力量とされた。優秀な魔法師が多くいれば、その分争いになったときに勝率は高くなる。そして素質のある一般人を放置していれば、別の組織の戦力になる恐れがある。
そんな葛藤があったりなかったりで、魔法師の人口は表社会に出ることはなかったが、それなりに精力的に増加して言ったのである。
「俺は『才能がねぇ』と逆太鼓判押されてしまったし、魔力自体を持っていないらしい。そんなわけで喧嘩そのものにはそれなりに自信はあるけど、魔術合戦とかのルールになったら手も足もでねぇぞ。まあ、魔術なんて使えなくても別に不都合はなかったんで、あまり気にはしていなかったけど」
魔法師の住む世界で生きているにはあっけらかんと言う桔梗に気負いはない。本当にそう思っているのである。
確かに現代社会は科学が発展しすぎて、魔法で再現できないことはほぼ有り得ないとまでに進化を遂げた。魔法の中でも回復魔法が別格とされるのは、現代医療でもあそこまでのスピードで治癒ができないためである。
「だからすまないが、お嬢にお願いしたい」
「お嬢……」
自己紹介を終えたら『ちゃん』が抜けていた。
基準が全く分からないが、どうやらそれが彼の妥協点らしかった。
「ん?もしかしてこれも気に入らない?」
「いえ、もうそれでいいです」
椎菜は諦める。
彼はそういう人なのだ。それに――きっと彼の口から「亜沙桐さん」とか「椎菜ちゃん」とか、そんな風に呼ばれる方が寧ろ恥ずかしい気がする。人間諦めが肝心である。
「それでお願いってなんですか?」
「ああ。空を飛んで近くに街がないか調べてくれないか?」
「あっ」
なるほど、とすぐに納得した。
思春期だ自己紹介だ魔法だとうだうだ考え事が多くなってしまったが、根本の問題「異世界に飛ばされてしまった」ということは、一歩も進んでいなかった。というか、あまりにも桔梗が通常運転過ぎて、椎菜自身も気が抜けてしまったのか、異世界にきていることを忘れてしまっていた。
「わかりました。ちょっと待っててくださいね」
そう言ってロッドを取り出す。
桔梗から見れば忽然と姿を現したように見えるかもしれない。それもそのはず、ロッドの本体は魔力鉱石といわれる宝石のような部分に過ぎない。その魔力鉱石――通称「コア」に自分の魔力を通すことで、柄をはじめとした残りの部分が生成されるのである。
椎菜は魔法少女らしく杖タイプの正統派な形状だが、別にそれに拘る必要はない。昔ならいざ知らず、現代社会で杖は目立つ。故に魔法師の多くは指輪やペンダントなど身につけるものに模したり、中には銃や刀剣など、武器の形状を取ることもある。
魔法自体魔法師の精神状態やイメージに非常に左右されやすいため、自分で一番しっくり来るタイプにすることが多い。ロッドというのは唯の言葉のあやなのである。
「<飛翔>」
とだけ短く呟き、魔法を顕現させる。
足元に魔方陣が浮かび上がり、それが二つに別れ、両の足の裏にそれぞれ半分の大きさになった魔方陣がゆっくりと円環しながら輝きを増す。
あとはジェットのように足元から魔力が迸り、宙に浮いた。そして飛ぶ。
今でこそ人間は飛行機や気球、グライダーやヘリコプターなどで空を飛ぶ術を持つが、やはり身一つで空を飛ぶ感覚は、素晴らしい。そしてその素晴らしさは魔法師しかわからない。
強引に師の下で魔術を学ばされる経緯ではあったが、「空を飛べる」という期待は密かに持っていた。そしてそれが叶ったときの感動は今でも忘れられない。
ぽつぽつと存在する木々よりも高く椎菜は舞い上がる。
高度にして約三百メートルの高さを持って上昇は止まる。中空に静止し、辺りを見渡した。
「ん~~……<千里眼>」
更に魔力で視力を増強し、数キロメートル先であれば人の表情まで見分けられる眼でぐるりと見るが、それらしいものは見つからない。
しかし、収穫はあった。
魔力を操作し、今度は下降する。最初は飛び降りのように名スピードで落ち、残り五十メートルを切ったあたりで制動がかかり、最後には階段を下りる程度のスピードになり、そして地面に降り立つ。ここら辺は飛翔の魔法に最初から組み込まれており、逆に意識してスピードを上げない限り、地面にそのまま激突することはない。たとえ気を失っていても魔法自体が解除されない限りは大丈夫な、思いのほか安全な魔法である。
「見つかったか?」
「いえ、街は見つかりませんでした」
「……そうか」
「でも」
一度言葉を切り、
「街道みたいなモノは見つけました。看板も立っていたので間違いないと思います」
先ほど見かけた看板の方角を指差して続ける。
人っ子一人見つけることはできなかったが、轍のような後も見つけた。つまりは何かがそこを通り抜けている証拠である。見つけたのが桔梗であれば「通ったのが人類とは限らない」と邪推するところだが、そこは十歳の少女である。そこまで考えろというほうが無理があるのだが。
「とりあえずその看板を目指すか」
「そうですね!」
異世界に来てから初めての進展に椎菜は興奮を感じていた。
着の身着のまま異世界に転移させられたが、それでも少しだけ希望が見えたのだ。気分も高揚するというものだ。
そんなわけで足取りも軽く、二人は異世界を歩きだした。
お読みいただきありがとうございます。