表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界生活は魔法少女とともに  作者: 水瀬みずき
第2章:なんちゃって新米冒険者編
19/49

第18話

 ウルグリア聖王国第二王子――レヴァン=ウルグリアの一日は朝も早いうちから始まる。

 侍女に起こされる前に自然に目を覚ますと、動きやすい服に自ら着替える。王族は侍女に着替えをさせるのが仕来りだったが、レヴァンは気にはしない。仕事着やパーティ着であればともかく、朝の日課である鍛錬に使用する服だ。そんなものにまで他人の手が入ったら息が詰りそうだ。

 城を出るといろいろとうるさいので、本来であれば城に詰める騎士や兵士が使う訓練所の周りを周回しするようにランニングで眠っていた体を徐々に起こしていく。

 ランニングが終われば父である国王から賜った愛用を握り、素振りから戦闘を想定した動きまで、王族とは思えないほどのキレの良い動きで剣を振るう。騎士たちに稽古を頼みたいところだが、彼らはこぞって遠慮した。

 それは仕方のないことだとレヴァンも思っている。間違ってレヴァンに傷を付けようものならば、要らぬ罪を着せられかねない。そうでなくても王族相手に剣を振るうなど、恐れ多くて出来ないのだ。

 レヴァンとしては面白くないが、我が侭を通したところであまりいい結果にはならないだろう。我が侭を通し続けてきた――認めたくはないが――兄を見て育っただけに、彼には我が侭を言うことを良しとしなかった。

 日課の鍛錬を終え、自室に戻ると、自分付きの侍従長がタオルと着替えを持って待ち構えていた。


「殿下、まずは湯浴みをお済ませください。お食事はその後です」

「わかったわかった」


 毎日のように繰り返されてきた会話です。生まれた瞬間から両親に代わり育ててくれた侍従長である。

 どんなに自分の身分のほうが上でも、幼い頃からの恥ずかしいエピソードもすべて知られている相手には頭が上がらない。他の人間に見られれば瞠目モノのお小言も、レヴァンにとっては挨拶のようなものである。

 自室を追い出され汗を拭きながら湯浴み場を目指す。風呂の文化はウルグリアにはまだまだ浸透していない。学生時代にアマテラスに留学をした経験のあるレヴァンは、すっかり風呂の魅力に取り付かれた。

 それまでは「時間の無駄遣い」とまで思い浄化魔術で済ませていたレヴァンだったが、同室の同級生に風呂に無理矢理連れて行かれて以来、移動の道中以外の毎日風呂に入ることを欠かさないほど好きになった。

 今まで「風呂に入るなど時間の無駄」と言っていたが、今では「風呂に入らないのは人生を無駄にしている」とまで思っている。

 実家である王宮に大浴場を造らせたのは、数少ないレヴァンの我が侭だった。


「あら?兄さん、おはようございます」

「おお、ミルか。お前も朝が早いな」

「ローレイ様へのお祈りがございますから。兄さんも運動した後なのでしょう?お風呂気持ちよい温度でしたわ」


 人前では「お兄様」「ミルフィリア」と呼び合うような二人も、人目がなければ存外に気安く呼ぶ仲だった。王位継承を端から放棄しているミルフィリアは、兄に対してライバルという意識はない。

 少なくともすぐ上の兄であるレヴァンや妹や弟たちとは比較的仲は良好だ。一番上の兄や第三王女とはどこまでもウマが合わないが、レヴァンからしてみれば問題があるのは相手のほうで、ミルフィリアに問題はない。

 一番上の兄はどうしようもないクズ同然の我が侭息子で、第三王女は二人の姉を事あるごとにライバル視をして突っかかってくる。そして出し抜くためには陰湿な手段にまで打って出る。

 国王の息子娘の中で兄弟を亡き者にしようとしたのはこの二人だけだ。だからこの二人はミルフィリアだけではなくほかの兄弟からも嫌われていた。そして嫌われている二人もお互いを毛嫌いしているという有様だ。

 更に滑稽なのは二人ともが「自分こそが王(女王)に相応しい」と本気で信じており、自分に王位が継承されることが当然だと思っていることだ。国民を同じ人間とも思わない二人が民から支持されるはずもないのだが、二人は民に慕われていると思っているのだから始末に終えない。

 自分たちにできることは二人の我が侭の被害を拡大させず、回りに迷惑を掛けないことだろう。


「ミルも風呂に入ってきたのか。相変わらずいい趣味だ」

「兄さんに素晴らしさを教えてもらいましたからね。特に朝に入るお風呂は格別ですわ」


 特に生まれた順番が近く、考え方や趣味が似ているレヴァンとミルフィリアは親密な関係だった。母親が違うため容姿はあまり似ていないことから、知らない人が見れば恋人か新婚夫婦と見間違えることだろう。

 それから二、三言会話を交わした後、汗が冷えて不快さが増したことを思い出し、ミルフィリアと分かれる。王族専用の大浴場はすぐそこである。

 自分だけではなく、家族が入れるように男女両方の浴場をレヴァンは造った。もちろん混浴という選択肢もアマテラスであればあるのだが――というよりもそもそも家族風呂は性別ごとに別れていない――流石に初心者には難易度が高すぎる。

 男性用の脱衣場に入ると運動着をさっと脱ぎ、タオル片手に浴室に入る。湯船から漂ってくる湯気がもう気持ちいい。

 レヴァンは髪と体を洗うと湯船に体を預ける。


「ふぅ……」


 ただただ気持ちいい。心が洗われると言うのはこういうことを指すのだろう。

 たっぷり二十分ほど湯に浸かったレヴァンは風の魔術で髪を乾かしながら自室に戻ると、ちょうど侍女たちが食事の用意を終えたところだった。相変わらず侍従長の勘は鋭く、風呂に要した時間や寄り道した時間などを完璧に読んでタイミングを合わせてくる。

 そのプロの仕事に心の内で賛辞を送りながら、食事を始める。

 この国は豊穣の神を讃えるだけあって食糧事情に困らない。今日も朝から贅を尽くしたメニューである。運動後だった故に特にボリュームのある朝食も、彼はスルスルと胃に入れてしまう。

 アマテラスも農業は盛んだったが質素倹約を旨とするお国柄だったためか、お祝い事を除くと素朴な料理が並んでいた。レヴァンはそういった素材の味を生かすような調理方法も舌に合ったが、恐らくこの国の貴族どもは「残飯」「貧民の食事」など心無いことを平気で思うかもしれない。


「殿下。本日のご予定はいかがされますか?」


 食事にひと段落着いたところですかさず侍従長が声を掛けてくる。嫌味にならないタイミングなのが地味に素晴らしい。


「ん?――おおそうか、今日は休養日であったか」

「御意に。やはり忘れておいででしたか。何となくそんな風な気がしてました」

ばあは相変わらずオレの心を読むのがうまいな」


 普段であれば食事の後は父である王の補佐として政務に携わっている。

 本来は自分以上に携わらなくてはならない兄である第一王子は、後ろ盾の大貴族の別荘まで遊びに行って帰ってくる気配すらない。

 というかそもそも王族らしいことなど何一つしたこともない兄に彼は何の期待をしていない。寧ろそんな暗愚な兄が政治に興味を持ってしまうほうが万倍厄介である。このまま何も知らずに死んでくれないか?そんな黒い思いを抱いたことも一度や二度ではなかった。

 しかし、今日は週に一度の休養日だった。根を詰めすぎるレヴァンを親兄弟や有能な家臣たちが彼を慮って無理矢理作らせたのだ。

 レヴァンからしてみれば政務を覚えるのが非常に楽しく、苦に思ったことなど一度もなかったのだが、弟妹や世話になっている――と彼は思っている――忠臣たちの涙ながらの懇願に遂には折れ、一日仕事は何もしない休養日を作った。というより作らされた。

 最初のうちは不貞腐れて部屋に篭っていたものの、ある遊びを思いついて実行してからは、今に至るまでその遊びにハマってしまっていた。


「今日もいつもどおりだ。この紅茶を飲み終わったら動くとしよう。夜には帰る」

「御意。それでしたら皆様にもいつもどおりに対応させていただきます」

「頼んだ」

「いえいえ。それが私たち殿下付きの侍従の役目ですから」


 侍従長がゆっくりと頭を下げると、壁に待機していた他の侍女たちも同感といったように揃って頭を下げる。事実、彼女たちはレヴァンの元で働けることを光栄に思っている。

 顔がいいとか王族だとか、そんな絶対的なステータス以前に、人として素晴らしいレヴァンを心から心酔し切っている。

 だから本来であれば諌めなければいけない主人の遊びにも、彼女たちは進んで協力をしていた。





「さて今日はどうするか」


 いつものように|誰にも言わずに城を抜け出した《・・・・・・・・・・・・・・》レヴァンは、リューンの街並みを眺めながら今日の行動を決めていた。

 毎日来ているような豪奢な服ではなく、周りを行き交う一般市民とそう大差ない格好である。よく見れば見た目だけで、生地や縫製技術などは豪華なものがふんだんに使われてはいたものの、それを見破れるものはそれこそ一流の商人クラスの者くらいだろう。

 彼はしばらく街の入り口で入ってくる者と出て行く者を眺めていたが、


「ん?」


 入ってきた一人の人間に違和感を持った。

 特に特徴のない男である。顔は整っているし、肉体もだらしないところはない。服だって特におかしいところはないが、それでも何故か印象が薄い。事実、彼を気にするような人はレヴァンしかいなかった。他の人たちは彼の存在に気付いていないかのように無視しているように見える。


(ああ……あの表情が原因か?)


 よくよく見てみれば男の顔にはやる気というか覇気というか、そんなプラスの感情がまったく感じられない。だからと言って陰気な気配も感じない。そう、何も感じない。

 およそ「面倒くさい」というような感情が前面に押し出されている、そんなダメ人間みたいな風体だったのだ。

 しかし、それだけでレヴァンが気にするようなことはない。ああいう人種はどこにでも沸いて出るものだ。

 勤勉なレヴァンは「仕事をしたくない」「勉強をしたくない」と思ったことがないので理解できない理屈だが、そういう人種はどんな集団であろうと一定数は存在するのだ。働き蜂の理論というものを昔家庭教師から聞いて「そんなものか」と漠然と感じたものだ。

 ならば何故自分はあんな自分とは正反対の人間が気になるのか。それをじっと考えてみる。無駄のような気がしたが、気になったことは結論を出したい彼の性格が止めることを阻んだ。


「あ」


 そして気付いてしまった。


(あの男、魔力が一切感じられない……)


 どんな才能のない人間であっても、魔力がないなんてことは有り得ない。

 何故ならば生きるうえで、人は無意識に極々少量の魔力を消費して体を動かしているのである。逆説的に言えば、魔力がまったくない人間は生命維持ができず、死ぬことしか出来ないのだ。

 だから魔力が一切ない人間が目の前で動いているという不気味さに、彼は少しだけ緊張する。

 あの男はもしかしたら魔族など人間にとっての敵なのかもしれない。そんな最悪の事態も想定する。

 誰かに言ったら「気にしすぎですよ」と笑われるかもしれないが、国を束ねる王族に身を置いている以上、「気付きませんでした」は論外だし「気付いたけど放置しました」はもっと最悪だ。

 彼は出来る限りの対策を脳内で立てては否定していると、男もこちらを見ているのに気付く。

 流石に遠くからとはいえ、じっと見ているのは拙かったか。

 レヴァンは背中に冷や汗をかきながらも、表情は努めて普通を装った。

 今すぐに目をそらすのは不自然だ。そう思い偶然目が合ったことを演出するように、軽く会釈をしてみる。

 そうすると相手も「どーも」というかのように頭を軽く下げる。どうやら向こうもこちらを見ているので間違いはないようだった。

 一秒に満たない時間ながら存分に脳をフル回転させた結果、彼は男に近づくことを決めた。

 ここまで怪しい人間(?)を首都で放置するほうが拙いと思ったのである。


「どこかで会いましたっけ?」


 十分な距離まで近づいたとき、最初に言葉を発したのは男のほうだった。

 この大陸では珍しい黒髪黒瞳の少年だ。年齢は妹のミルフィリアよりも少し上、といったところか。相変わらずやる気のなさそうな顔ながら、何かを思い出そうとするように首を捻っている。

 どうやら自分のことを知っているわけではないらしい。一応変装をしているから当然だが、バレてはいないようだった。


「いや、初対面のはずだ。先ほどからこの街に入ってから呆然と立ち尽くしていた君が少しだけ心配になってね。お節介かとは思ったが、見守ってしまった」

「はあ、そうでしたか。それは本当にお節介ですね」


 バッサリと失礼なことを言う男である。

 もちろん最初に不躾な視線で目線で見つめてしまったのはレヴァンのほうだ。どちらかというとレヴァンのほうに否はある。

 しかし、自分が王族と知らないとはいえ、ここまで無礼な口を聞かされたのは生まれて初めてのことだ。もちろん家族に言われた経験は数え切れないほどあるものの――特に兄――他人から言われた経験はまったくない。

 今のようにお忍びで城下に遊んでいるときも、気安い人たちは大勢いたが、彼のような人はいなかった。

 しかし、何故自分はそんなに不快に感じないのか。

 そんな自分に驚くものの、すぐに気付く。


(婆に似ているんだな、この男は)


 この男の言葉には、失礼な台詞に当然のように含まれているはずの「厭らしさ」というものが一切ないのだ。

 侍従長からは「親愛の情」が含まれているから不快に思うどころか、苦言を呈してくれてありがたいとすら思う。

 目の前の男はそういった感情はもちろんないが、思ったことを素直に言っているだけなのだ。そこにレヴァンを否定しようという意思はない。

 それに気付いた瞬間に、この男に俄然興味を持ってしまう自分を止められなかった。


「まあ、そう言うな。お節介ついでに何故立ち止まってたのか教えてくれないか?自慢じゃないがオレはずっとこの地で生まれ育ってきたんで、この街には詳しいぜ。助けになれるかもしれない」

「いや、本当にくだらないことなんで気にしなくていいっすよ。それに俺、初対面の人間を信用するほど他人を信じていないんで」

「うむ、それはいい心掛けだな。性善説など現実を直視できない頭の悪い人間が口にする言葉よ」

「いや、それに関しては完全に同意しますけどね。じゃあ、アンタを突き放したい俺の気持ちも察してくださいよ」


 心底嫌そうな顔をする男にレヴァンは悪乗りをしている自覚はありながらも、しつこく聞いてしまった。もうそこには最初の思惑である「怪しい者の調査」というお題目は消し飛んでしまっていた。

 普段目にすることのないタイプの同年代の男に、彼は本人ですらよくわからない親しみを感じていた。

 それからやや不毛なやり取りがありながらも、最終的に男が折れた。どうやらここで押し問答をしているほうが無駄だと悟ったようだ。


「本当にくだらないですよ?この街に拠点を置こうかと思ったんで、不動産を見に来たんです」


 確かに男が口に出したことは、珍しくもなんともない、寧ろ普通のことだった。

 リューンはウルグリアの首都なだけあって広大な面積を持ち、国内で一番栄えている街だ。

 国の中心部だけあって周りの防衛都市と違って畑なども防壁内にすべて配置してある。面積で言えば防衛都市全ての面積を足したとしてもリューンには届かないほどの大都会である。

 そんな首都に住みたいと思うのは、この国に住むものにとっては当然の憧れであるし、おかしいことでもなんでもない。


「ほう、となると君は移民かい?」

「いえ、冒険者です。――なりたてですけど」


 そう言って掲げるのは確かに冒険者ギルドで発行されているギルド証だ。何の躊躇いもなく提示できるあたり、後ろ暗いことはしていないはずだ。何故ならそういうことをすると問答無用で称号として残ってしまうからだ。

 レヴァンは納得と頷く。

 冒険者はそれなりに長く滞在するならば宿に止まらずに家を借りる。そっちのほうが最終的に安上がりになるからだ。

 もちろん宿もそれなりの金を払うだけあって、基本何もしなくていいというメリットはある。しかし冒険者は野宿も珍しくない職業ゆえに、家事スキルを習得しているものも多い。中にはその修行として家を借りる冒険者もいるほどである。

 では金がない冒険者はどうするのかというと、安宿に泊まりながら日銭を稼ぎ、冒険者ランクが上がるのをじっと耐える。拠点もひとつだけに絞り、基本はその町で活動する。

 そしてランクが上がれば自然と報酬も良くなる。それまでは我慢期間と割り切るのである。


「では、心当たりを紹介しよう。何軒かあるがオレの信頼するところから回ろうか」

「え、本当についてくるんすか?」

「言っただろう、お節介だって」

「――――本当に。ウザいって言われません?」

「ああ、親しい人間にはよく言われるな」


 もちろん侍従長のことである。


「はあ、ここで断っても同じ問答の繰り返しが待ってそうなので、もうそれでいいです」

「うむ、そうしたほうがいい」


 諦めたような男の言葉に、レヴァンはしてやったりと満足げに頷くのだった。

 ここらへんの押しの強さが、妹のミルフィリアと似ているのである。


「ほう、キキョウはアリウを拠点としているのか。あそこはあそこでいいところだ。特にギルド長は我が国の超有名人だしな」

「まあ、否定はしません。初めてラフィを見たときは驚きましたよ。見た目にも、種族にも、性格にも」

「ラフィに会ったのか!そいつは幸運だな。アヤツは存外に面倒くさがりなんで、表にはあまり出てこないんだよ」

「そういう口振りだとレーヴェさんもラフィとは知り合いですか?ということはレーヴェさんも結構有名人だったりします?」

「っ!!いや、そんなことはないぞ。オレも偶然居合わせて話が出来た程度の仲だ。彼女はああいう性格だから結構気さくに話しかけてくれるし、実際気安いしな」


 不動産屋までの道中、男――キキョウにラファイルとの関係を聞かれ、慌てて否定をした。相手がラフィと気安く呼んでいたので、レヴァンもついうっかり普段の感覚でしゃべってしまった。

 ウルグリア聖王国第二王子のレヴァン=ウルグリアと、ウルグリアの守り神であるラファイル=クララクルは、当然ながら知り合いである。レヴァンにとっては何代にも渡って王家を見守ってきてくれた、後見人のような人物である。それでいて龍人族であるため、一度戦になれば勝利に導いてくれる心強い味方でもある。

 しかし普通の人間、特に冒険者でもなんでもない人間がそう簡単に会えるほど彼女は暇でもない。会うことがないのが普通なのである。

 あまりにも自然にラフィという愛称がキキョウの口から飛び出してきたので、釣られてしまった。あぶないあぶない。

 ちなみに「レーヴェ」とは彼の愛称である。そのまま本名を名乗るのは流石に躊躇われたのだが、実際は王族にあやかって王族の名前を付ける国民は多い。一種の験かつぎのようなものだ。それ故に「レヴァン」という名前はそれほど珍しくはないのだ。レヴァン自身、自分のご先祖様から譲り受けた名前だ。


「でもいいところ、というのは同意しますよ。冒険者ギルドは見ず知らずの俺たちにも変わらない態度で接してくれるし、紹介された宿屋は住みやすいし、街の住民も皆一様に明るい。もちろん暗がりに身を転じれば、それなりにキナ臭いものも見えてくるんでしょうけど」

「……それは『仕方ない』では済ませたくないことだな。オレはそういった彼らにもできれば手を差し出したい。しかしオレの手はそれこそ有限だ。どんなにオレが有能だったとしても、それでもこぼれてしまう……」

「――志は立派ですけど、あんまり無駄なこと考えるとハゲますよ」

「ハ、ハゲ!?」

「ええ、ストレスは大敵と言いますし」

「いや――確かにそうなったら由々しき事態だが、『無駄なこと』と断じなくてもいいだろう?」


 自分が常日頃から思っている夢――と言うよりは野望を、キキョウは呆気なく一蹴した。

 あまりに見事な否定に、レヴァンは咄嗟に関係ないところに反応してしまったほどだ。確かに自分の髪が抜け落ちたら大事だが、今気にするところはそんなところではない。

 思わずキキョウの顔を凝視してしまったが、見られた当人は焦ることもなく、ただ頷く。

 彼はレヴァンをバカにしているような思惑はまったくない。ただ純粋にそう思っているだけなのだ。


「そりゃそうでしょう。無駄ですよ無駄。この国の総人口は何人ですか?」

「…………正確な数は知らないが、約一千五百万程度と言われているな」

「――――一千五百万。大陸で一番の大国でこれということは、世界の総人口は一億に届けばいいぐらいか?」

「ん?どうした、小声でブツブツと」

「気にしないでください。人の多さに目が眩んだだけです。話を戻しますと、あなたの手は現実何本ありますか?」

「そりゃ二本だ」

「でしょ?二本で一千五百万の人間をどうにかしようだなんて妄想家の妄言ですよ。まだ『オレはこの国の王になる』と言うほうが幾分現実的だ」

「ブフッ!?」


 キキョウのたとえ話に、過剰に反応する。

 彼は知らないこととはいえ、次期王を目指しているレヴァンにとって、それこそ現実的な野望である。しかも継承権第一位があの盆暗なのだから、あとは推して知るべし、といった塩梅である。


「あなた自身が神であるか、若しくは神の寵愛を受けているのであれば話は別だが、そうではないでしょう?だったら人独りができることなんて高が知れています」

「…………ではそんな妄言を現実にしたいとき、オレは一体どうすればいい」


 思わず言葉に力が篭ってしまった。

 言った後にすぐ「やりすぎたか?」と後悔する。何で自分は初対面の男の言葉に、ここまでムキになっているんだと自問する。しかし答えは出てこない。

 自分が物心ついて国を取り巻く状況を理解してから今に至るまでずっと他人には漏らさなかった決意だ。それをこんな簡単に口を突いて出てくるとは何事だ。そうは思うも、逆に何も知らない赤の他人にだからこそ言えるような気もする。

 普段の彼であれば「いや許せ、冗談だ」と言って会話を打ち切ったことだろう。

 軽い後悔に頭を悩ませているが、そんなことを知ってか知らずか、キキョウはあっさりと言ってのけた。


「簡単なことですよ。あなたの想いに共感する者を五百万人ばかし作るといい。彼らがいっせいに手を差し伸べれば、少なくとも一千万人はその手を握れるんだ。隻腕とかじゃなければの話ですが」

「いや、お前はどれほど無茶なことを言っているかわかっているのか?」

「そうですか?少なくとも一人で一千五百万人もの数を抱えようとするよりは五百万倍楽ですが」

「むぅ……」


 確かにキキョウの言うことは非現実的だが、それでも自分がやろうとしていることはそれ以上に困難な道だ。否、最初から道が断たれているといっていい。それこそキキョウがいうように自分が神という規格外な存在でない限りは、到底不可能な話である。


「それに――」


 追い討ちを掛けるように話を続けようとするキキョウに、これ以上否定されては敵わんと、心持ち構えるレヴァン。

 しかし彼の一言はそんな防御などまったく苦にすることなく彼の奥底まで突き刺さる。


「他人頼ろうとせず、自分独りで事を成そうとする男の手に縋ってしまうほど、この国の民は弱いんですか?」

「あ」


 魂が震えた。

 そんな錯覚すら感じるほどの衝撃だった。

 そうだ。その通りだ。

 自分自身が何とかしてやろうと躍起になってはいたものの、誰かの手を借りようだなんて考えてもいなかった。最初からこんなことを言っても誰も本気にしないと諦め、誰も見ていないところでせっせと力を付けていた。

 そして現実を知るごとに心折れそうになりながらも、いつかは、と、夢見て人知れず努力をしてきたのだ。

 しかしそれが何だと言うのだ。


(そんなヤツをオレ自身は信用できるのか?)


 裏でこそこそ動いて誰にも本心を語ろうともしない。そんな人間が「助けに来たぞ」と手を差し出したところで、相手は「助かった」と握り返してくれるものだろうか?

 答えは簡単だ。そんなわけがない。

 甘い言葉で自分を騙そうとする詐欺師のように映ることだろう。

 そんな手は払われて終了だ。結局自分は誰一人助けられない。


「でも五百万の人に慕われている人が手を差し伸べれば、効果は絶大だ。胡散臭い新興宗教の教主じゃない限りは、あなたの手はそれこそ神の救いに見えることでしょうよ」

「――う、うむ。その通りだな。これが目から鱗が落ちると言うものか。こうも見事に論破されるとは思わなんだ」


 一体オレの十年以上に渡る苦悩とはなんだったのだ。出会って数十分の人間が解決できる程度のものだったのか。

 オレは一体どれほどの遠回りをしてきたんだ。

 そんな情けない思いが鎌首をもたげる。


「そんなことはないですよ。十数年という間、曇りがなかったあなたのその意思は高潔だ。それがなければあなたという人は成長しなかったと思う。そんなあなたが目指す道だから、あなたの周りの人々は共感し、賞賛するでしょう。少なくとも俺はその想いを尊敬しますよ」


 俺にはそんな想いを抱くことすら許されなかったから。

 そう自嘲するキキョウは何を想うのか。それは年下の少年とは思えないほどの諦観であった。

「今からでも遅くない」なんて無責任な発言など許されないような空気がある。

 しかし迂闊にもレヴァンはそれに気付けなかった。

 彼とて今自分の価値観が新しく生まれ変わろうとしている瀬戸際である。そんな状況で自分以外を気に掛ける余裕がないのは無理からぬことだった。

 だが、少なくともレヴァンは変わろうとしていた。

 そしてそれは近い未来で花開くのである。


 ただそれはまだ先の話――

お読みいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ