第12話
料理屋兼宿屋の《新緑の双葉亭》は知る人ぞ知る名店だ。
非常においしい料理がお手軽な値段で食べられ、宿泊施設としても価格に比べて設備が整っている。最上階には「大部屋」と言われるこの宿にしては釣り合わないほどの高級な部屋があるらしいが、ここの常連では勇気のいる価格のため、使用した人はほとんどいないらしい。
従業員はシャンテ一家三名とパートタイマー四名名の計七名。
店主兼料理人であるミクリアの父親と受付やベッドメイキングなど給仕全般を行うミクリアとそれに加えて会計事務も兼任する母親。
そしてランチ終了時にシャンテ一家と仕事を交代し、ディナーまで働いていくパートタイマーたちだ。料理担当と給仕担当がそれぞれ二人居り、家業でありながらミクリアたちもそれなりの休憩を取ることが出来る。
同年代の似た境遇の友人などは「休みがない!」とよく嘆いているので、そういう意味では自分の家は福利厚生がそれなりにしっかりしているのだろうと思う。
今日も忙しいランチタイムが落ち着きパートタイマーの近所の主婦であるフェロンと交代すると夕食までの数時間、ミクリアは自由時間となる。いつもであれば露店を冷やかしに行ったり教会にお祈りに行ったり、近くのカフェで友人と過ごすのが常なのだが、今日はそれよりも興味をそそられることがあった。
「はあ……」
年齢に似合わないアンニュイな表情で窓際の席に座る少女である。
三十分以上前に頼んだ紅茶は既になくなっており、ランチで頼まれた生野菜のサンドウィッチもきれいに平らげられている。
食器を回収しに行こうとしたフェロンをジェスチャーで止めると、ミクリアはポットに新しい紅茶を淹れ、自分の分のカップと一緒に少女に近づいた。
「シーナちゃん、おかわりはいかが?」
「え?」
無防備な背中に声を掛けると、案の定気付いていなかったのか、驚いた声を上げて少女――シーナは驚く。
シーナ=アサギリ。昨日からキキョウ=コーサカという冒険者の少年と一緒に宿泊している少女だ。とはいえどちらも昨日なりたてのド新人ではあるが、初日から置いてけぼりを食らったのが面白くないのか、朝からずっとこの席を占拠して日向ぼっこをしていた。
なんか近所のおばあちゃんのような行動だ。この年齢の子供であれば広場や学校で遊び・学ぶのが主な仕事である。少なくともこんな枯れていていいわけがない。
ミクリア自身、商売人の家に生まれたものの宿命として日曜学校に通い、読み書きや計算を覚えた。それを習得しないと商売以前の問題だからだ。
難しい授業を数年間習ったおかげで周りの大人よりも賢い自覚はあったし、同年代の多くの友人も出来た。今でもよく遊ぶ友人は幼馴染を除けばほぼ日曜学校でできた友人である。彼女たちも似たような境遇なので、学校に来ては家業の手伝いや丁稚奉公に出た商店などでの愚痴をお互い吐き出してリセットをしたものである。
卒業してからはお互いの仕事が忙しくなって毎週簡単に会えるようなことはなくなったが、ふとしたきっかけで仕事上で再開するというのも密かな楽しみだった。
だからこそこんな年齢のうちから時間を浪費するのは彼女としては見過ごせない。友人から「世話焼きお節介魔人」とまで揶揄されたミクリアならではの悪い癖である。
「こんなところでボケーと待ってても、キキョウくんはそう簡単に帰ってこないわよ?いくら最低ランクの依頼でも、数時間はザラに掛かるものだしね」
返事を待たずに紅茶をシーナの空のカップに注ぎ、続けて自分のカップにも注ぐ。
「あ、お代は」
「いいのいいの、子供がそんな心配しないのっ」
慌ててポケットから硬貨を出そうとしたシーナを手を振って遠慮し、問答無用で彼女の向かいの席に座る。
本来であれば紅茶は一杯三十クロルで、おかわりはその半額だ。しかし今回は自分の分のついでだったし、そもそもこんな少女からお代をいただくのは忍びない。父親に見つかったらあとでお小言をもらうだろうが、母親だったら「よくやった」とほめてくれるはずである。
「ありがとうございます」
「気にしなくてもいいよ。私が飲みたかっただけだから」
そう笑って紅茶をストレートで一口――うん、今日もいい味だ。
ミクリアは料理こそまだまだだが、お茶に関しては父親にも認められて客に出すことを許可されている。
お金をもらう価値のある料理と言うのは存外難しく、それを知っているだけに初めて許しが出たときは感動のあまり泣いてしまったほどだ。
目の前の少女はそんなミクリアとは違い、砂糖とミルクをたっぷり入れたあとカップを両手で包むように持つと、フーフーと息を吹きかけてからコクリと飲む。
(何このかわいい生き物!?)
猫舌なのか「アツッ……」と消え入るような声で舌をチョコンと出す仕種をしたシーナに、ミクリアの乙女メーターはグングンと上がっていく。
果たして自分が十歳のとき、こんな可愛げがあっただろうか?記憶を思い返せば酔っ払い客に絡まれて泣いた光景を思い出す。
うん、これは何か違う。
「どう?昨日はよく眠れた?」
「あ、はい……あと今朝はご迷惑をお掛け致しました」
「あはは、気にしないでいいのに」
今朝のことを思い出したのか、シーナは少し頬を染め、頭を下げる。
寝起きの無防備な姿をキキョウに見られて悲鳴を上げてしまったのだ。気持ちがわかるだけに苦笑しが出来ない。
階下の宿泊客などがその悲鳴の大きさに驚いて武器を持って部屋を飛び出してきたくらいだ。お客さんはみんな気のいい人たちなので、事情を説明したら微笑ましく笑う人はいても、睡眠を妨害されたと怒る人は皆無だった。
もしかしたらシーナを「最上階を借りられる身分の人」と勘違いしたのかもしれない。
「そうそう、昨日から聞きたいことがあったんだけどいい?」
「はい?なんでしょうか?」
「シーナちゃんとキキョウくんって何で冒険者になろうと思ったの?」
別に冒険者というのは特別な職業ではない。この街を歩けば簡単に見かけるほど冒険者は街に溢れている。出入りは激しいが、それでも恐らく千人単位の冒険者がこの街に滞在していることだろう。
ただ、基本冒険者になるのは自分の街である。アリウで冒険者になる人は大部分がアリウの街で育った人間であり、余所の人間は自分の街にないから近くのギルドのある街に行く程度だ。
しかしこのアリウを含め、近くの街は聖王都と防衛都市であり、すべての街に冒険者ギルドは存在する。少し離れた場所にある街にもギルドがあると言うから、わざわざ遠く離れたアリウの街にわざわざ来る必要がないのだ。
しかしこの二人はその「必要がないことをした人間」である。
アリウ――ウルグリアではまずいない黒髪黒瞳であることから、別の大陸の出身だろう。噂では東の大陸にある大国アマテラスに似たような容姿のものがいるらしいことを考えると、彼らはわざわざ海を渡ってまでウルグリアまで来て冒険者登録を済ませたことになる。
そもそも兄妹でもない歳の離れた男女が一緒に旅をしていること自体が謎なのだが、商売柄特殊な事情を抱えた人間と多く接してきたミクリアは直接聞くのを躊躇った。藪を突いて暗い過去を話されでもしたら始末に終えないからだ。
「えーっと」
対するシーナはやはり困り顔で思案していた。
きっとしゃべりにくいことなのだろう。已むに已まれぬ事情などは得てしてそんなものだ。家出ならまだ可愛いほうで、口減らしで家を出されることや、両親が死んで行く宛てがなくなる事だってこの世界にはよくあることだ。ポンと金貨三枚を払えるキキョウがいる限り、お金にはそれほど困っていないと思うので、金銭的な事情ではなさそうだが。
「言いにくいなら無理して言わなくてもいいわ。ごめんね?」
「いえ、決してそういうわけではなく……何と言っていいのか、聞いても信じられないような事情なんですよ」
「なにそれ!?私そういうの大好き!!」
どうやらシーナたちの事情はそれほど深刻なものではないらしい。それを知ってミクリアのテンションは上がる。
いきなりテーブルに乗り出して迫ってくるミクリアにシーナは少々引くものの、それでも話すこと自体に忌避感はなかったのか、それとも暇を潰せるなら何でもよかったのか、言葉を選んで話し始めた。
「実は私たち余所から転移してきたんですよ」
いきなり荒唐無稽な話だった。
「は?」
「冗談と思うかもしれませんが、本当なんです」
確かにシーナの顔は冗談を言っているようには見えない。彼女自身いきなり信じてもらえるとは思っていなかったのだろう。ミクリアの反応は失礼なものではあったが、彼女は気分を害した風もなく、話を続ける。
「コーサカさんの話では転移系の《神器》だそうです。それが発動時に偶然その場に居合わせてしまった私たちは、縁もゆかりもないこの地に飛んできてしまったんですよ」
「《神器》ねぇ……確かにそういう存在はあるみたいだけど、荒唐無稽な話よね。特に転移系魔術なんて聞いたこともないわ」
「はい、それくらいレアだってことは私も知っています。転移系の魔法なんて、それこそ大魔法師ですら不可能と言われた領域ですから」
転移系とはそれすなわち空間を跳躍する技術体系のことを言うのだろう。そんなものが存在するのであれば、便利であり、そして脅威極まりない。
移動や運搬にコストが掛からなくなる反面、いつ侵略されるかの恐怖との戦いになる。国から国へなんの前触れもなく戦力の移動が出来るならば、各国は疑心暗鬼になって眠れぬ夜を過ごすだろう。朝起きたら他国に占拠されていました、なんて笑えない話だ。
それに個人でも盗みがし放題である。鍵の掛かった場所に忍び込んだりも楽に出来てしまう。そんな恐ろしいことは考えたくもない。
しかしそんな技術など夢のまた夢なのも事実だ。
世の魔術師は不可能に挑戦し続け、あらゆる事象を可能にしてきた。しかし未だに不可能なこともある。
その代表格が「蘇生」と「飛翔」だ。
死んだ人は生き返らせられない。空は飛べない。
後者は大跳躍という形で飛ぶことはできたが、そのあとの話は笑い話のような悪夢である。
「だよねー。それでシーナちゃんたちはどこから来たの?やっぱアマテラス?」
「いえ、私たちはニホンという国からきました。恐らくこの地では誰も聞いたことがないと思います。それくらいこことは離れているので」
「う~ん……うちにも別の大陸のお客さんとかも来るけど、確かに聞いたことはないなぁ」
ニホン。
不思議な響きである。
きっとシーナやキキョウが自分たちの発音とは少しだけ違う発音で名前を言うのと関係があるのかもしれない。イントネーションが自分たちとは違い独特なのだ。
「それまでは地元で普通に暮らしていたんですけど、知らない土地に来てしまったことで仕方なく元のセカ――国に帰るためにもお金が必要になって」
「世知辛い話だねぇ」
「この街に向かう最中に出会った人に『身分証も何もないなら冒険者になるのが一番だ』ってアドバイスをされたので、とりあえずなろうってことで登録したんですよ」
「へぇ」
シーナの説明には筋が通っている。
ところどころというか大本が冗談みたいな話だが、長年接客業をしてきたミクリアの観察眼では、彼女が嘘をついている形跡はない。
つまりは真実なのだろう。
思い出してみれば彼女たちは手荷物をほとんど持っていなかったし、防具も身につけていなかった。とても旅をする格好ではなかったのだ。
なるほど、とミクリアは納得し、日用品や着替えを買い揃えるよう言って出かけたキキョウの言葉にも頷けた。
となるとだ。
「シーナちゃんも今日依頼を受けに行くの?」
「?いえ、今日はコーサカさんの言うとおり、買い物でもしようかと――」
「じゃあ、私が街を案内してあげる!」
残りの時間は彼女のために使おうと、お節介焼きのミクリアはいい笑顔で立ち上がるのだった。
「ここがネクタル大霊峰か」
裏技を使い、馬車で四日という距離を時間を掛けずに踏破した桔梗は、大霊峰の麓の森の入り口から山頂を見上げた。
長距離を短時間で移動したにもかかわらず、呼吸ひとつ乱れていなければ、汗ひとつかいてもいない異常さである。
見上げる山は高く、明らかに富士山程度の標高はあった。
そしてその霊峰に足を踏み入れるために、まずは樹海の如き森を突破する必要がある。
騎士団が通ると言われている道も、ここ数年は使われておらず、雑草が鬱蒼と茂り見る影もない。森の奥からは不気味な気配や鳴き声を感じ取ることができ、まともな人間であれば即座に回れ右をして帰る以外の選択肢しか存在しない場所であった。
「辛気臭い場所だな」
と間違っても不満そうに足を踏み入れるところではない。
案の定「バカな獲物がノコノコと迷い込んできた」とほくそ笑むように枝葉を伸ばし始めたイビルトレントを、何一つ警戒することなく切断する。
イビルトレントの一匹が為す術もなく倒れ、枯れ逝く光景に、仲間たちはざわついた。
見れば無防備だと確信していた桔梗の右手には斧が握られている。刀身から柄までがのすべてが漆黒の刃渡り五十センチほどの斧である。柄は二メートルを超していることから「戦斧」に近いかもしれない。
どこからともなく取り出されたその斧こそが、仲間のイビルトレントを亡き者にした獲物であった。
イビルトレントとは森の番人たるトレントがふとしたきっかけで魔に堕ちた存在である。森を維持するための防衛機構としての役割から、生物を食らうために魔の森を形成する存在に成り代わる。
トレントは『意思を持った樹』であるため、普通の樹に擬態されると、普通は気付けない。
その油断を誘い枝葉で獲物を拘束し、身動きをできなくしてから養分を吸い取る。吸い取られた結果絶命した生き物はそのまま土に還り森の肥料となり、一片も残らず食い尽くされることとなる。
そしてトレントは普通の木々をも眷族とし操ることができる精霊である。それは魔に身を堕としても変わらない。
故にイビルトレントが存在する森は、その全体が彼らの作った結界内と言って過言ではないほどのテリトリーを誇る。だからこそイビルトレントの住まう森は、彼らより強い種族でない限りは住み着かない。養分にされることが丸わかりのため、近づかないのである。
この地に根を下ろし三百と余年。数年に一度忌々しい聖水を撒きながら森を抜ける人間の集団は居れど、それでも彼らの脅威となるものは存在しなかった。大霊峰は別の魔物が住み着き、山頂になれば山の主が住処としているのでおいそれと近づくことはなかったが、だからこそ麓の森は彼らの庭だったのだ。
この森を我が物顔で闊歩するのは二通りの存在しかいない。
即ち「絶対強者」か「蒙昧無知な愚者」かだ。
人間が何の準備もしないで一人で森に足を踏み入れたときは、明らかに後者と哄笑したものだが、唯の一合で考えが変わった。変わらざるを得なかった。
「ん?魔物か?」
問答無用で切り伏せた後に、初めて気付いたような声。
それもそのはず。桔梗はそれが何か確認をすることなく反撃を行っただけだ。例えそれが人であろうが魔物であろうが無機物であろうが何も変わらない。
自分に対する害意を察知すれば、条件反射の如く反撃する。それが長い間地獄のような環境に身を置いてきた桔梗の処世術である。迫る脅威を認識してから動いていてはすべてが遅すぎると「自分以外が敵」と最初から想定した、現代日本からすると考えられない生き方である。
もちろん、彼にも気を許せるような友人は何人もいる。しかし、その中の誰かが気が触れて凶行に及ぶことがあれば、彼は容赦もしないだろう。
急速に枯れ逝く魔物に驚きながらも観察し、シャリッテの説明を思い出す。そしてこの魔物がイビルトレントという名前であるところまで行き着く。
そしてその特徴を思い出し、
「とりあえず根こそぎ狩るか?」
と何の気負いもなく口に出したその台詞に、イビルトレントたちは思わず後ずさった。
冗談のような台詞が、まったく冗談に感じなかったのだ。
なまじトレント種は知性が飛び抜けて高いことが幸いした。そこらの獣など何もわからないまま襲い掛かり、そして向かい撃たれて死ぬだけだ。知性が高かったからこそこの危険性に気付けたのだ。
彼らにとっての誤算は唯一つ。
「よいしょーっ」
目の前の男が自分たちの知る何者よりも規格外であり、容赦がなかったということだ。
振り下ろされた斧は寸分たがわず仲間の一人を穿ち、その命を無駄に散らす。強大な生命力を持つイビルトレントと言えども、一撃の下に根こそぎ刈り取られれば流石に命はない。
しかしそんなことができる出鱈目な強さを持つものはこの付近にはいてもちょっかいを出してくることはなかった故に安心していたが、まさか餌にしかならないはずの人間がこんな暴力を持ちえるなど、誰が想像できようか。
いくら急いで撤退しようとしても、そこは根を大地に張り巡らすトレントである。枝葉の動きは俊敏でも、本体の移動はままならない。
対する桔梗は神速もかくやというスピードの持ち主だ。それが追いきれないわけがない。
彼は一体どんな方法を持って挑んでいるのかはわからないが、正確にイビルトレントだけを討伐する。彼らに操られた普通の植物には見向きもしないし、反撃すらしない。ただただ作業の如くイビルトレントだけを殺す。
何も知らない人が見たら桔梗のことを「腕のいいきこり」くらいにしか思わなかったかもしれない。それほど一方的な虐殺だった。
「ま、こんなもんかな」
途中から逃げ切ることは不可能と確信したイビルトレントたちは、無駄と知りながらも桔梗に特攻し、そして玉砕して言った。
その結果森からはイビルトレントが駆逐され、数少ない純粋なトレントたちだけが残った。どれもイビルトレントから身を隠すように暮らしてきた固体である。数百年に及ぶ忍耐の日々は、唐突に幕を下ろした。
トレントは仇敵ないなくなったことを喜びながらも、自らの本来の役割を思い出し、実行し始める。
森は新たにざわつき始めるものの、そこに害意がないことを直感的に理解した桔梗は特に何をするでもなく、彼もまた大霊峰に足を向け始める。
《ありがとう――》
木々のざわめきに紛れて彼の耳に届いた声は、間違いなくトレントのものだった。
見れば目の前に立ち塞がるように突如若木が現れる。その若木は身を折るようにして上部の枝を桔梗の前にたらし
《これはお礼。よければもらって》
と実を五つ落とした。その実は金色に輝いており、非常に美しい。
彼は何の警戒もせずにその実を拾うと、ポケットに無造作に突っ込んだ。
「まあ、お前たちのためを思ってやったわけじゃないから恩に感じることはないと思うが……こっちこそ気を遣わせちまったようだな」
《気にしないで。こっちも勝手に恩義を感じているだけだから》
「さよか。というか、感情豊かだね、おたく」
《そんな貴方はあまり人間ぽくないね――》
「――――」
《ゴメン。気に障った?》
「いや?」
桔梗は苦笑しながら首を横に振る。
「自覚はあるから心配するな」
《――そう。貴方はこれからどうするの?》
「ん?ああ、大霊峰の山頂にいって幻スミレの蜜とやらを採集してくる予定だ。ついでにバジリスクも殺す」
《…………何と言うか驚きの連続だ。人によって魔に堕ちた嘗ての同胞たちが滅びる瞬間を目の当たりにするかと思えば、一人で山の主の住処まで行き、山の貴婦人を手折りに行こうなんて。それに比べれば石トカゲの相手なんて赤子の手を捻るようなものだろうね》
木の葉を揺らし笑いを表現するトレント。
今の時期は山の主が眠りから覚めている頃だ。数年に一度足を運ぶ人間たちはいつも休眠期を見計らってきていた。何故このときを選んで大霊峰に立ち入ろうとしているのかは謎だが、案外この人間であれば簡単にこなしてしまうかもしれない。
それほどまでに桔梗の強さは群を抜いていた。
《山の入り口までの道はこちらが作ってあげる。その先は力を貸せないから気をつけてね》
トレントはそう伝えると、桔梗の前方の草木が道を開けるように移動し始める。そしてその後には一本の道ができていた。遮るものが何もない道である。
「サンクス」
彼はトレントに一言だけ言うと、危なげない足取りで出来たばかりの道を進む。
若木はそれをしばらく見届けると、仲間の下に戻るべく移動を始めた。
《人にも面白い存在がいるものだ》
と関心をしながら。
余談ではあるが、トレントも立派な魔物である。森に不用意に立ち入る外敵から森を守るために攻撃を加え、時には養分として殺す性質を持つ。イビルトレントとは行動原理は違えど、やることはあまり変わらないのである。
トレントを魔物としない種族は、ともに森を守り森で暮らすエルフくらいのものだろう。ドワーフに至っては「質のいい素材」程度の認識でしかない。
故にトレントであろうがイビルトレントであろうが人間にとっては等しく魔物であり「害意を持っていないから敵対をしない」という極めて単純で爽快な判断基準を持つ桔梗は、トレントにとって面白い存在だった。
だからこそ興味が沸いてしまい、エルフたちにとっては至宝とも呼べる果実《黄金の実》を与えてみたが、面白いほど反応がなかった。
エルフであれば半狂乱になって喜びを表現し、価値のわからない人間でも、その輝きの前に呆気に取られるだろう。
しかしあの男は違った。何の感慨も示さずに自分の言葉通り「礼」程度のものにしか捉えていなかった。
これが愉快ではなくなんだと言うのだ。
三百余年鬱屈としながら生きてきた開放感に加え、面白い人間と出会ったことを、トレントのこれからも続く長い樹生の中でも一期は異彩を放つ記憶として一族に語り継がれることとなるのはまた別の話である。
刈り取る。
狩り取る。
狩り獲る。
シャリッテから事前に聞いていた「バジリスクの好物」を見せびらかすように山道を登っていたら、思った以上にバジリスクが沸いて出た。
何かの肉のようだが――その正体を知らない桔梗は単純に「バジリスクホイホイ」と単純明快な呼称をつけていた――寄ってきて示威行為をしてくるバジリスクを問答無用でマチェット形のナイフで器用に討伐していく。毒とか何だとかを撒き散らす前に唯殺されていくバジリスクは、国民的アクションゲームの一番最初に登場する、踏まれるためだけに存在する哀れなモンスターのようですらあった。
討伐の証拠としてバジリスクの舌――毒を噴霧する器官があるとのこと――を持ち帰る必要があるのだが、バジリスク自体にも価値があるため、特に舌だけを取り除くことはせずに、殺した端から袋に詰めていく。RPGなどに存在する容量が見た目と一致していない魔法の収納袋で、異空間と接続することにより、ほぼ無限の容量を持つ桔梗の秘密道具の一つである。
これにより見た目ほぼ手ぶらにもかかわらず、多種多様な道具を持ち運ぶことが可能なのだ。時折桔梗が取り出す地球の便利道具も、予め入っていた道具を取り出しているに過ぎなかったりする。
袋の中身もわかりやすくゲームっぽい設定を施しているため、色々なものを注ぎ込んでも混ざることもなければ汚れることもない。それゆえ食料や薬なども入っている袋にバジリスクの屍骸をいくら注ぎ込んでも問題ないのである。
ちなみに彼の持つこの道具の機能は神の力――所謂《神器》に相当――によるものだが、地球の魔術師たちにも似たような魔術を完成させていたりする。異空間ではなく別の場所に容量のでかい倉庫を作り、それを手に持った容器と空間をつなげるのである。
有機物を入れることは現状不可能なため、生体転移として使用することは叶わないし、倉庫の容量は有限であるためにいくらでも入れる、と言うこともできないし、整理なども人力でやる他ない。しかしそれでも便利なのは事実である。
しかし所詮は人の力と言うべきか、異次元を突破するほどの強い魔力が使用されているということもなく、椎菜は鞄に入れていたものを取り出すことはできず、鞄もただの鞄になってしまった。しかも中身は空である。女の子の必須道具を仕舞っていた椎菜は涙目だったのは言うまでもない。
トレントの言うとおりバジリスク自体にそれほどの脅威は感じない。
見た目がキモいのがネックだが、致死性の毒とやらも出す前に封じてしまえばいいだけだ。そもそも大半の冒険者にとってそれがまず無理難題なのだが、桔梗はそれに気付いていない。
バジリスクの毒は噴霧する寸前に各器官に貯蔵さている体液を混合して作り出される。故にそれをしっかり取り除けばバジリスクの肉に毒はないため、知る人ぞ知る珍味として存在している。高値が付くのはそのためだ。
「しっかしキリがないな」
ワラワラと絶えず群がってくるバジリスクを、速度を落とすことなく移動しながら屠り続ける。
彼の武器は特別製なのでどんなに斬ったところで切れ味が落ちることはないが、少々煩わしい。バジリスクホイホイを持っているのだから単純に自業自得なのであるが、寄ってくるうちは駆除し続ける。バジリスクに限って言えば倒しただけ実入りが増えるのだから当然だ。
しかし意外にも桔梗はそれ以外の魔物も積極的に狩って回っていた。
トレントのような知性も無ければ獣としての危険察知も発達していない獣以下の存在だ。彼我の戦力差を測ることもせずにただただ襲いかかりそして死ぬ。その光景を見ても怯むどころか物量で押そうとした。そして死ぬ。
とりあえず何が売れるのかわからない桔梗は丁寧に殺し、袋に詰める。その繰り返しである。
これはシャリッテに個人的に頼まれたものだ。桔梗にとっては何の痛痒も感じない魔物たちだが、一般市民にとってはその限りではない。依然脅威なのだ。
そのため無理に探せとは言わないまでも――してしまうと越権行為となるか、報酬を上乗せしなければならない――出会う魔物は出来るだけ排除してほしいという願いを素直に聞き入れた。
彼にしてみれば行きがけの駄賃だ。いくら面倒くさがりの桔梗でも出会う魔物から逃げるよりは討伐したほうが後腐れないことがわかっているので、彼としても異論はないし、もしかしたら高値で売れるかもしれないという打算もある。
もちろんそっちのほうが掛かる労力が少ないというのも多分にある。そんな理由で殺される魔物たちも不憫ではあったが、誰も人は同情しないだろう。害獣とは得てしてそんなものである。
未来の商品をなるべく傷つけることなく一工程で命を奪うことにしばし専念し、山頂を目指して歩いていく。走ればもっと短縮できるが目的が違うため急ぐことはしない。
やっとのことで山頂に着いたとき、既にあたりは夜に包まれていた。
お読みいただきありがとうございます。