第9話
冒険者ギルドにて一通りの説明を受けた後、二人は「騒ぎになるから」という理由で裏口から外に送り出された。
ちなみに実技試験は免除された。さもありなん。聖王国最強のラファイルが死を覚悟するほどの戦闘力の持ち主である。強さに異論を唱えるのは愚かというものだろう。
椎菜もシリスやミルフィリアが驚いたレベルの魔法を差し障りない程度で行使したら一発で合格をもらえた。ついでにこの世界「ゼフィーリア」の魔法技術について教えられた。
どうやら椎菜たちの世界ではいの一番で教わる魔力制御――如何に効率的に魔力を運用するかの技術――がこの世界には概念自体がないらしい。基本垂れ流し、という贅沢極まりない使い方故に消費も激しいため、この世界の魔法師は魔法を数発撃っただけで使い物にならなくなるのが一般のようだ。
それでも尚魔法師が幅を利かせているのは、ほんの一握りの一流と呼ばれる魔法師たちが、感覚的に魔力制御を習得し、威力の向上と消費の削減に成功したからという偶然の産物によるものだったりする。
だからこそこの技術は書物に書かれることもなければ口伝にて伝えきれるものではないため、「個人の資質」として片付けられてしまう。
いざというときのためにとラファイルとシャリッテは魔力制御の教えを請い――シャリッテは強制的にだが――後日教えることを約束して建物を出た。
「なんだかんだでもう夕方だな」
「そうですねぇ」
太陽は西と東にそれぞれ傾き、今にも落ちようとオレンジ色に輝いている。
一年、一ヶ月、一週間、一日のサイクルはほぼ日本と一緒だったため、そこらへんの感覚には違和感がなかった。
予備として持っていたという桔梗殻譲り受けた腕時計を《隠蔽》の魔法で隠し身に着けている左手首に目を向けると、時刻は十七時時半を示していた。
大通りの商店街も今は食材や料理を買い求める人たちで賑わっており、逆に武具屋や道具屋など冒険に必要とされる店は閑古鳥が鳴いているとまでは行かないものの、それでも人の出入りは少ない。
気の早い者たちは酒屋や宿屋の食堂で酒盛りをはじめ、冒険者たちも各々のねぐらへの帰路に付こうという時間だった。
ちなみに地球のような技術力はないので、基本街が寝静まるのは早い。一般人は治安の問題もあって二十二時以降は外に出歩かない。
「とりあえず冒険者として必要だと思うものは後日買い揃えるとして、今日はもう宿に行くか。久しぶりにちゃんと調理された飯を食いたいし、ふかふかのベッドで寝たい」
桔梗が大きく伸びをしながら語りかける。背骨や肩甲骨辺りから骨のなる音が聞こえる。そうとう窮屈な思いをしていたようだ。
「私もそれで大丈夫です。今後の方針も決めなきゃですね」
「ああ」
椎菜も正直クタクタだった。
体はともかく精神的にだ。右も左もわからないまま旅をしている分には不安はあれども、それほど逼迫はしなかった。
しかし人社会に無事辿り着き、現状をそれなりに正しく理解してからは「これからどうしようか……」という具体的な悩みが次々と飛び出し、考えるだけで疲れた。
「シャーリーさんに教えてもらった宿は確か――」
「《新緑の双葉亭》だ。まさにファンタジーそのものなネーミングセンスだな。地球でこんな屋号出したらネットでの晒し者か厨二病だ」
「……チュウニビョウ?」
「よくあるネットスラングさ。お嬢も四年後に体験することになるかも知れん。もっとも、お嬢の場合は病ではなく現実そのものなので判断に困るところだが」
桔梗からよくわからない説明をされるが、大半が理解できない。ただし、褒め言葉ではないのだろう。どちらかというとバカにするような響きがあった。
「それなりに有名な宿らしいから、そこらへんの人に聞いて回ればすぐに見つけられるだろう」
言うが早いか桔梗は主婦らしき女性に話しかける。
人見知り大国の日本では珍しいほどの積極性である。基本面倒くさがりだが、自分たちで宿を探すほうが面倒だと判断した結果なのだろう。
人の良さそうな顔をして様々な交渉テクを動員し、主婦との会話に華を咲かせている。
ややあって戻ってきた桔梗の手にはりんごらしき果物が二個握られていた。
「それどうしたんですか?」
「もらった」
事も無げに言ってのけ、彼は《新緑の双葉亭》への道程を説明しながら歩いていく。
十分も歩けば宿屋は見えていた。看板には緑色の植物の双葉のマークと、その下に《新緑の双葉亭》と異世界言語で書かれている。
「いらっしゃい!」
ドアを開ければ料理の載った皿を両手で何枚も持っていた少女が元気よく笑顔で振り向いた。
どうやら宿の一階部分は食堂になっているらしく、この時間だというのにすでに座席の半分は埋まっている。その客層も様々である。
冒険者らしき人が大半だが、中には兵士や一般人らしい人も大勢いる。変わらないのはみんなが楽しそうにしていることだ。立場や職業が違っていても、みんな一様に仲がいい。見れば向こうではどう見てもヤクザのような男性と、サラリーマンっぽい男性が互いのグラスを打ち鳴らしてお酒を飲んでいる。
「食事っ?それとも泊まりっ?」
器用に各テーブルに料理の更を届けた後、少女はこちらに戻ってきて接客を始める。
年齢は桔梗と同年代だろう。給仕、というよりはウェイトレスという印象が近い。宿の制服なのか、新婚のようなフリルの付いたエプロンを恥ずかしげもなく身につけている。
椎菜の第一印象は「笑顔の素敵なお姉さん」である。
「宿泊だが料理も食いたい」
「毎度あり!二人部屋なら一泊千クロル、一人部屋なら一部屋で七百五十クロルだよ。どっちも朝食と夕食付きだよ」
「二部屋頼む」
「ありゃりゃ。一応義務だから説明したけど、兄妹なら同じ部屋のほうがいいんじゃない?妹さんはまだ幼いんだし」
「え、えーと」
少女の誤解をどう解こうか椎菜は悩むが、そこは交渉ごとに長けた桔梗である。あっさりと臆面もなく説明する。
「心配はありがたいが、俺たちは同郷であっても兄妹ではないんだ。だから同じ部屋だと逆に心配されそうだから予めセーフティを敷いている」
「……あ~~なるほどね。そりゃ確かに血の繋がっていない男女――しかも片方は幼いとくりゃ、邪推されても仕方ないか」
「???」
「だろ?これ以上厄介ごとは勘弁なのよ」
同情の目で桔梗を見つめる少女だが、椎菜はまったく話についていけない。
どうやら二人は認識を共有しているようだが、自分ひとりが仲間はずれである。異世界を旅していて痛感するのが、この知識量の差だ。
人間どう足掻いても、自身の人生経験はひっくり返せない。もちろん何をしたかで知識としては逆転をするかもしれないが、生きてきた年月は変わらないのである。
とくに九歳までは普通の小学生として暮らしてきた椎菜は、所謂「大人の会話」というものをあまり正しく理解できない。直接的な性的な言葉を言われれば流石にわかるが、魔法師にしては純粋すぎたのである。これについては「お師匠グッジョブ!」と言わざるを得ない。
「りょーかい!じゃあ、お兄さんの良識に免じて二部屋で千二百クロルに負けちゃうよ!」
「いいのか、勝手なことして?」
「だいじょーぶだいじょーぶ!この宿私の家だから。こういう裁量は受付である私やお母さんに任されてるの」
「サンキュ」
「そのかわりご贔屓にね!」
「ああ。シャーリーさんのオススメだからね。家を買うことになるまでは、きっとここに寝泊りすることになるよ」
「シャーリー?って冒険者ギルドの?」
「うん。今日アリウについて冒険者登録を済ませてきたんだ」
そう言って桔梗はジャケットの内ポケットに仕舞っていたギルド証を彼女に提示した。
「ああ!ということはさっきお姉ちゃんから連絡があった冒険者というのはキミたちか!」
差し出されたギルド証を興味深げに見て名前を確かめると、彼女は笑みを更に深くして頷いた。
「お姉ちゃん」とは言っているが、彼女の耳は人間の耳だ。恐らく「近所のお姉ちゃん」ということなんだろう、とあたりをつける。
「連絡?俺たちもギルドを出てから真っ直ぐここまで来たのに、いやに早いな」
「何言ってんの?交信魔術を使用したら一発じゃない」
「……ああ、確かに。俺魔力がないから忘れてたよ」
「へえ、魔力ないって珍しいね。生まれつき?」
「いや、事故。二年前にいきなり失った。とはいっても一がゼロになったくらいでほとんど変化はないんだけど」
「そりゃ災難だったね」
自分の失言を華麗に回避し、桔梗は何でもないように会話を続ける。
事故で魔力を失った、というのは椎菜も初耳だった。もちろんその場を凌ぐ冗談の可能性も高いが、素直に驚いた。
地球にも魔法実験の失敗や受けた魔法の後遺症などで、魔法を使えなくなる人は多くいる。魔力を完全に失うことはないが、魔力を魔法として構築することが出来なくなるのだ。水はあるのにパイプが途中で途切れているため、蛇口を捻っても水が出てこない水道というとわかりやすいか。
だから少しだけ同情してしまった。
本人は今でこそあっけらかんとしているが、きっと当時は酷いショックを受けたに違いない。魔法師にとって魔法を使用できなるということは、手足を失う以上の喪失感があるという。逆に言えば手足を失っても魔法があれば不自由なく生活できるという魔法の万能性を表した言葉である。
「お姉ちゃんからは『よろしく頼む』って言われてるから、大部屋を一泊千クロルでいいよ。大部屋と言っても中で更に部屋が仕切られているから、問題ないでしょ」
「おいおいいいのかよ。スイートルームを通常料金で貸しちゃって」
「スイートルーム?いい響きだね!今度からそう言おう。何か高級感溢れる感じがする!……ああ、別に構わないよ。大部屋――スイートルームは料金が高くて作ったはいいけどほとんど使用されないんだ。貴族や商人もここを借りるくらいなら、高級旅館で部屋を借りたほうが安全だしね」
「何故作ったし」
「目玉になると思ったかららしいよ?失敗しちゃってるけど」
「…………」
これには椎菜も笑うしかない。
「まあ、ともあれ家って言うのは使わないと劣化するのも早いというし、人助けと思って利用してね!」
「あ、ありがとうございます!」
椎菜も桔梗と同じ部屋で寝泊りするのは流石に気恥ずかしかったが、やはり異世界で一人で寝るのは少々不安だった。
旅路でも魔法で作った住居は中で間仕切りされている一軒家タイプだった。ここでもそういう暮らし方が出来るのは非常に精神的に大きい助けだ。
「じゃあ、とりあえず一か月分頼む」
「わお、太っ腹!」
「こんな好条件だとズルズル行きそうだが、ここを拠点とするとなると、家を借りたほうがいい気がするから、これ以上は泊まらないとは思う」
「まあね、残念だけど今後の出費のことを考えるとそっちのほうがいいのは確かだよ。明日知り合いの不動産屋を紹介するね」
「何から何までスマン」
「気にしないで!好きでやってることだから」
金貨を三枚取り出し、少女に渡す。
彼女は受け取るとカウンターまで戻って記帳する。
「名前はキキョウ=コーサカと……」
「あ。椎菜=亜沙桐です」
「ほいほい。シーナ=アサギリね」
さらさらと淀みのないペースで記帳していく少女。
シャリッテに聞いていた話だとこの世界の識字率はそれほど高くないとのことだが、接客業を家業とするからには必須なのだろう。自分で記帳させずに、少女が書いているのも、客が字を書けるとは限らないためだ。
しかし字が読み書きできなくてもそこまで恥ずかしいことではないらしく、書けない人も普通に申告する。義務教育という制度がある日本では考えられない感覚だが、これは地球上でもそれほど珍しいケースではない。
要は言葉を話すことが出来ればそれほど困らない世界では、あまり重要視されていないのである。
「じゃあ、これが鍵ね。失くすと容赦なく弁償させるからそのつもりでいてね。部屋は最上階をすべてだから。夕食は午後の鐘五つから九つまでの間に食堂に降りてくれば用意するよ。それ以降は私たちも寝るから無理。朝食は冒険者もいるから午前の鐘五つから九つまでの間と朝早くやってるから安心してね。どっちも鐘五つから九つって覚えておくとわかりやすい」
少女の説明にある「鐘」は現在時刻を知らせるための魔道具である。一時間に一度その時刻を表す鐘が鳴る。単純に五回なったら鐘五つ、という塩梅だ。午前と午後で一から十二ずつというのは地球と変わらない一日のサイクルだが、夜九つが鳴った後は朝四つが鳴るまでは鐘は鳴らないようにできている。もちろんこれは住人に配慮してのことであり、設定次第で変えることは可能らしい。
「ああ、そうそう。最後になっちゃったけど私はミクリア=シャンテ。ミクって呼んでね」
「よろしく、ミク」
「ミクさん。よろしくです」
「はいはい、よろしく!」
ミクリアは手を振って階段を上る椎菜たちを見送ると、そのまま忙しそうに厨房の中に入っていく。一家三人で切り盛りしているだけあって、夕食の時間は彼女たちにとって戦場なのである。
両親に大部屋を貸したことを伝え、店主兼料理人である父親にお小言を言われるが、撤回されるほどではなかった。
実際今回の交信魔術は確かにシャリッテの口から伝えられたが、彼女はあくまで伝言を伝えただけである。直接伝言を聞いたのは店主だけだったが、ギルドリーダーであるラファイルの頼みだった故に、彼に断るという選択肢はない。
これは別に脅されているからではなく、ラファイルの人徳のなせるものである、見た目子供のラファイルではあったが、自分が生まれる遥か昔からアリウの街――ひいてはウルグリアを守り続けてきた彼女に、彼だけではなく国民全員が深い感謝をしているのだ。
彼女自身は恥ずかしくて隠してはいるが、彼女の称号に《ウルグリアの守り神》《ウルグリアの聖母》というものがあったりする。
女神ローレイが目に見えない神であるならば、ラファイルは身近な神なのだ。もちろんラファイルは神と比べれば赤子同然の力しか持たないが、この地に住まうものにとってはそれほど違いはない。
最近男はおっさん以上か子供くらいとしかまともに相手をしていなかったので、同年代の少年と出会って話をするのは、ミクリアにとっても新鮮だった。
幼い少女を連れた少年の旅はきっといろいろとワケありなんだろうと邪推をしながら、彼女はこれから何かが変わるかもしれないという期待に胸を膨らませながら、看板娘としての仕事に戻るのだった。
お読みいただきありがとうございます。