野村一樹
「優しい友達だったんだね」
立花さんが黙ったため、そんな感想を俺は言う。もう少し気の利いた言葉があったかもしれないけれど、少なくとも俺の話術ではこれが限界だった。本当は、最初に思いついた感想は、さくらの普段のキャラも、俺の予想通りだったという事だ。しかしそれは言うべきでは無い。
俺がラジクラの視聴者だったのだという事は、最初こそタイミングを逃したために言えなかっただけだが、立花さんから話を聞いていて、ふと思った。多分これは、知らない人だからこそ、全くの無関係な人間にこそ話せる事なのではないかと。となれば俺は、このまま無関係を装ったほうが彼女のためだろう。
「はい。私には勿体ないくらい、とても良い子でした」
でも、と、そこで立花さんは言葉を濁らせる。数秒、数十秒ほど続きを待ったけれど、沈黙は沈黙のまま、暗黙の了解で話の終わりを告げられてしまったようだ。
目的地である高速道路出口が見えてきたところで、ああ、そうかと思い至る。
井ノ川桜子は死んだ、と、立花さんは最初にそう言った。その子はもう居ないのだ。この世界のどこを探しても見つけられない、感謝も謝罪も届かない所へ行ってしまった。いつ、どこで、どうして亡くなったのかを聞いてみようか迷って、しかしそれは立花さんを傷付けてしまう気がして、もどかしさから来る息苦しさに見舞われる。
高速道路を出て、はたと思い出したのは、この付近で立花さんを降ろさなければならないという事だ。約束したのはここまで。だからだろうか、助手席に座る立花さんが、微かに身体を起こした。
「すみません、こんなお話をしてしまって……関係の無い人にして楽しいお話でも無いのに……」
慌てたように両手を振っているのが、横目にちらりと見えた。それでも言葉は早口にならないのだから、俺と違って感情の制御はちゃんと出来るらしい。さっきの話を聞いていたら俺と同類な気がして、密かに共感してしまっていた自分が居た。
だからと言って俺達は同じ人間ではない。必ずどこかが違うのだ。
そのもう少しの違いを知りたいと思ったのは、ひとえに、自らの運命を変えられなかった自分と、井ノ川桜子という人物と出会うことで変わる事が出来た立花さんとの違いを明確にすることで、それが俺の、前に進む理由になってくれるように感じたからだ。
「……もう少し、聞きたいな」
「え?」
なんとか押し出した俺の言葉に、立花さんが驚く。それはそうだろう。いきなりこんな事を言われて、驚くなというほうが無茶だ。
だからと言ってここで引くわけにはいかない。引いてはいけないのだ。
俺はラジクラが好きだった。ファンだった。そして、そのラジクラが、終わりを告げることもなく終わってしまったあのラジオが、それに纏わる出来事がこれからあすなろ公園で起きようとしている。
最初こそ、呼ばれていない俺は、無関係の俺は行くべきではないと自制していた。けれど、今の俺には理由がある。言い訳と表現したほうが近いような浅ましい根拠ではあるけれど、俺とラジクラにはたった今、立花芳子という接点が出来た。立花さんを送っていくという名目で、あすなろ公園まで着いていきたい。
なんて卑しい人間なんだ、という自責は後回しだ。ハンドルを握る手が震える。緊張で敏感になった肌が寒さを主張している。暖かい飲み物が欲しくなってきた。
「良かったら、もう少し、その話を聞かせて欲しいな。午前零時にはまだ結構な時間があるし、暖かい飲み物でも買ってさ」
その提案に、立花さんはしばし黙った。その沈黙の間に流れを決めてしまおうと、斜向かいのコンビ二に目を着けた。あそこで飲み物を買うところまで進んでしまえば、多分、着いていくことは出来る。
意地汚いと思われるだろうが、それは今更だ。俺はもう事の顛末を垣間見てしまった。だから、結末まで見届けたいのだ。単なる我が儘だというのは解っているし、立花さんにも迷惑がられるだろう。けれど、このまま立花さんを置いて一人で帰ったら、俺の人生は何も変わらない。もう一度、あと一回だけでいい、あのラジオに携わることで、自分を変えて欲しい。あのラジオの、あのパーソナリティー達の言葉が無ければ、俺はきっと変われないから。
「それは……迷惑になってしまいます」
立花さんは、一音ずつ区切るような口調でそう言う。予想通りの言葉だ。だから俺は言葉選びに数秒を置いてから答えた。
「全然、迷惑じゃないよ」
数秒考えた結果のこれなのだから、やっぱりどんな場面でも情けない。
ともかくトラックはコンビニの駐車場へと入った。白線から半分以上乗り出した車体。普通の時間にやってしまうと迷惑行為になるが、夜も更け始めたこの時間では大した被害にはならない。今もそのコンビニには一台のバイクが停まっているだけだ。
「飲み物、買ってくるけど、えっと、何がいい?」
言いながらトラックから降りると、
「あ、いえ、その、自分で」
と、立花さんもトラックから降りた。奢るつもりだったけれど、そうされる気は彼女には無いらしい。こういう時に男らしく「いや、それでも奢るよ」と言い切れたのなら格好が着いたかもしれないが、そういう振る舞いが出来ないから彼女作りにも大苦戦したのだ。今回も例外ではなく、コンビニの前に立ったところで立花さんは俺の斜め後ろに居た。
店の入り口を開けようとして、しかしその手は空を掴む。扉が勝手に開いたのだ。自動扉だったのかと、手元から前へと視線を戻した。そこには、鋭い目つきの、真面目そうな、しかしどこか威圧感のある青年が居た。彼が扉を開けたようだ。
「あ」
右手にコンビニ袋を持った青年は、俺のほうを見て歩を止めて、呆然と呟く。俺の記憶には無いが、知り合いだろうか、と思い首を傾げたところではたと気付く。そう、俺は今、一人ではないのだ。
「……はなこ?」
そう、立花芳子。彼女が俺の後ろに居る。
振り向くと、立花さんは目を見開いて、こう呟く。
「…………一樹くん」
その名前には覚えがあった。
野村一樹。ラジクラにてきっきーと呼ばれていた人だ。しかしだとしたら、偶然というにはあまりに運命的過ぎる再会。そう思った瞬間に気付く。これは偶然なんかでは無いはずだ、と。
「お前、住んでんのこの辺だっけ?」
と、野村は訪ねるが、立花さんは首を横に振った。
「一樹くんこそ、県外だよね……?」
その言葉に、野村は「まぁ、な」と歯切れ悪く答えた。
そして沈黙するかと思いきや、野村が「くはっ」と小さく笑った。途端にさっきまで感じていた威圧感が消える。笑うと、若者らしい可愛らしさが滲み出る。
「あすなろ公園か」
コンビニ袋をぶら下げたままの手で立花さんを指差し、にやりと笑う。対して立花さんは、無表情のまま頷くだけだった。
「世の中不思議なこともあるもんだわな。いや、世の中っつーか、あいつが不思議なだけか。つっても、あいつならなんかのトリック使って、これくらいのことはやってのけそうだけど」
快活に話す野村を見ていると、立花さんと反りが合いそうには見えない。だが、少しだけ目を伏せてみる。
「……トリック?」
慎重な口調で確認する立花さんに対して、野村はどこか仰々しい調子で、それこそ歌舞伎の語りでもしているかのような様子でこう続けるのだ。
「そう、トリック。なんちゅーかよ、あいつ悪戯とか好きだろ? やから、せやな、例えば予め録音しておいたテープを、親御さんかなんかに頼んで今、流してもらってるとかな」
「……そっか、そういうのもある……のかな」
「へ。こうじゃないとしたらなんかあるか?」
「私は、その、てっきり幽霊かと」
「……いや、あいつが成仏せんで残ってるってところが俺には想像出来んがなぁ」
「……かな」
こういうふうに目を閉じて聞いていると、まるで昔に戻ったような気分になってくる。俺が視聴者で、ラジクラのメンバーが好き勝手に話している、あの時の様。ラジオだから光景が蘇えるようだ、という比喩は不適切かもしれないが、それでも、頭の中で勝手に、ラジオ特有な少し音質の悪いあの補正が掛かって、二人の会話が耳に入ってきた。
「立花さんは話してるといいよ。飲み物を買ってくる」
俺が言って店内へ入ろうとすると、野村に袖を掴まれた。
「聞き忘れてた。あんた……あ、いや、俺より年上か。なんつーんすか、立花の知り合いで?」
投げやりな敬語だが、その快活さが不快感を起こさせない。そんな喋り方。
「偶然、高速道路で歩いてる立花さんを見つけたんだ。……えっと、逆ヒッチハイクというか……」
「おお、『譲ちゃん、乗ってくかい?』ちゅー感じの、アレか」
何故か上機嫌そうに掌の太鼓を叩き、次から次へと「トラックでナンパとか渋いなぁ」「それで立花レベルの女引っ掛けるとかあんさんやるなぁ」といった感想を述べてくる。褒められているはずなのだが、聞いていると居た堪れなくなるのは何故だろう。
「あれ、そいやヒッチハイクって……立花、免許持ってなかったか?」
その質問を聞いて、そういえば、と思い至った。年齢的には免許を持っているのが一般的だろう。不思議に思い立花さんのほうを見ると、彼女は恥ずかしそうに苦笑していた。
「大学出てすぐに事故起こしちゃって、車が怖くなっちゃったの」
だからそれ以来は車も持ってない、とのこと。トラックの運転などという仕事をしていると、事故を起こすという感覚が解らなくなる。免許を取ってすぐの頃はあれほどまでにビクビクと怯えながら運転していたのが、今ではどういう道をどういう風に警戒しながら進めばより安全なのか、というのもはっきりと解る。
そういえば上司が言っていたが、俺も一応は運送のプロ。車の運転に関しては、一般の人よりも上手くなければおかしいのか。
そこまで考えてはたと、あすなろ公園へ行こうとしているラジクラのメンバーと合流したのなら、自分はお役御免になるのではないかと気付いた。立花さんの事を考えれば、それが一番気楽なのかもしれないけれど、こちらにも事情がある。事情というにはあまりにも利己的で、自己中心的な我が儘でしかないけれど、俺はなんとしても、行きたいのだ。
行かなければ先に進めない。そう思っていた。
「しっかしヒッチハイクかぁ。あんた……えっと、失礼、名前は? ちなみに俺は野村一樹」
ただそれだけの問いにも慎重になってしまって、答えるのに数秒を要した。そしてなんとか振り絞った言葉は、
「服部正也。よろしく」
差し障りの無い、単純で差し障りの無い返答だ、と思ったのは一瞬だけで、すぐに失態に気付いた。今の場面でよろしくが必要だったとは思えない。こちらとしてはあと数時間は付き合うつもりだが、向こうにそのつもりがあるかもまだ解らないのだ。だというのによろしくは、尚早だった。
そんな自責は今更だ。けれど、そもそもその必要が無かったらしい。野村は無邪気に笑った。
「おいっす、よろしくですわ」
とても単純かもしれないが、これこそ浅ましい感想なのかもしれないが、野村のその笑顔と俺が指導している新入社員の引き攣ったような笑顔を思い浮かべて重ねて、途端に罪悪感が心臓に触れた。こんなによく出来た好青年と比較しては彼等が可哀相だ、というのも勿論あるが、なにより俺自身、彼に人間性が勝っているとは思えない。
今、目の前に居るこの青年は、本当に、よく出来た子なのだろうと、そう感じた。
「服部さんは、立花を公園まで送ってってくれんのか?」
それは俺に対する問いなのかとも思ったが、視線が俺に向けられていなかった。まだ俺の後ろに居る立花さんへと向けられている。振り向いた先の立花さんは「えっと」と俯き、視線を泳がせた。きっと、自分でそうだと言うことを、厚かましいとでも思っているのだろう。
「そうだよ。送っていく予定、なんだけど」
代わりに俺が答えて、そして同時に駐車場を見回す。野村が乗ってきたであろう車を探したのだが、見当たらないのだ。そこで、隅に停めてあるバイクに目が行った。
「そりゃ助かりますわ。最後まで面倒見て貰うのは申し訳ねぇとも思ったんすけど、俺ってばバイクなんすよね。メットも予備があるっちゃあるけど、立花の格好で今の時期にバイク乗せたら、風邪は免れんっしょ」
そこで苦笑する野村。なるほど確かに、立花の格好はアウトドア風の動き易い格好とはいえ厚着では無い。長時間歩く事を見越してか、軽さを重視したのだと思う。そんな軽装で、バイクの寒風を凌げるとは到底思えない。
俺が首肯と微笑だけで返答をすると、野村は「あざっす」とさらに破顔した。
「おっと、コンビニで買い物だったっけ。行ってきな行ってきな。俺、こっからはトラックの後を着いてくんで」
前半はともかく後半の提案が奇妙に感じて首を傾げると、野村は表情や仕草から相手の考えを読むのが得意らしく、袋から缶コーヒーを取り出しながら続けた。
「俺もさみぃんすわ。だから、トラック風除けに使う」
成る程、合理的だ。
「頭良いんだな」
「回転だけはね。学校の成績は落ちこぼれちまったけど」
ジークだぜ、と言外に告げるようなおどけた口調がおかしっくて俺が笑うと、後ろで立花さんもくすりと声を出した。
「じゃぁ、ちょっと待ってて」
そう言って店内に入ると、
「私、少しお手洗いに」
と、立花さんは入店早々迂回する。俺はそんな彼女にちゃんと届くように
「じゃあ買っとくよ。ホッとティーでいい?」
と訪ねた。立花さんは振り返り、少し驚いたような表情から一変、最初にトラックへ乗り込んできた時とは打って変わった明るい表情で、
「ありがとうございます」
そう答えた。