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約束

「これでおっけーだぜ。……のはず」


 そう言って、桜子はテーブルの上に置かれた機械と、パソコンと、散らばったコードとマイクを順番に確認しました。それから何かの説明書らしきものを見て、もう一度、うんおーけー、と言い直します。


 季節は春。私と桜子が出会って、秋が終わり冬も過ぎて、もう数ヶ月が経過していました。いつしか「ラジオやりたい」とはしゃいでから結構な日々が過ぎましたが、なにやら色々と準備が必要だったそうです。ラジオのやり方は勿論、使われなくなったチャンネルを調べたり、大学のサークルとして部屋を借りるため、大学へのサークル申請が必要だったり。


 公的なお手伝いは私もしましたが、ラジオそのものについては殆ど、桜子がやっていました。


「ここまでの道のり、大変だったぜぇ」


 と、椅子に深く溜息を吐く桜子。機械やパソコンやコードが散乱して他のものが置けなくなったテーブルの隙間に肘を置いて、疲れた疲れたと何度も言いながら、それでも置かれた肘から先は風に揺れる旗みたいにぱたぱたと動き続けます。


「ねぇ、本当にやるの?」


 ここまで準備したのだから本当にやるとは思うのですが、それでも私は確認しました。多分、今更になって怖く感じたのでしょう。桜子は旗みたいな手を止めて、破顔はがんしてから言います。


「本当にやれば本当になるし、やらなければ嘘になる、って感じかな。私は嘘つきだから、どっちでも大丈夫だけど?」


 その言葉に、私は返答を迷いました。つまりあとは、私が決める、ということでしょう。


 今まで友達と言える友達の居なかった私に構ってくれた桜子。このラジオをやろうという話題が出て、そして準備を始めた秋の日から、桜子は他のどの友達よりも優先して、私と居てくれました。私が他人を怖がる事に気を遣って、私と会う時は二人きりになってくれたりもしました。


 勿論、桜子に悪いな、とは思います。けれど、その罪悪感はいつも恐怖に負けて、桜子の気遣いに甘えてしまうのです。


 なら、せめて今は、桜子がやりたいと言ったこのラジオだけは、ちゃんとやり遂げなければ誠実じゃない。


 そこまで解っていながら、私は何も言えずに居ました。


 惨めな自分が嫌になって下を向くと、ふと桜子の乾いた笑い声が耳に触れます。


「私さぁ、思うんだよね」


 その言葉に顔を上げると、桜子はいつものように笑っています。楽しそうに口元を歪めさせて、まるでレストランでおいかけっこをするお茶目な子供みたいな表情でした。


「口数の少ない人ほど、頭の中ではいっぱい考えてるんじゃないかって。言葉にしない分だけ思いが溜まってるっていうか、喋らない分だけ考える時間がいっぱいあるっていうか。まぁ言い方は沢山あるけどさ、ともかく、心ってやつを閉じ込めちゃってるんじゃないかって」


 それは、その言葉は、私の今までと、心臓を鷲掴みにする言葉でした。掴まれた分だけ息苦しくなって、胸が痛いのに、不快じゃない、不思議な心地。


 桜子は続けます。


「怖いから喋らないとか、めんどうだから話さないとか、気遣って言葉にしないとか、空気を読んで黙ってるとか、理由は山ほどあると思うよ。でもさ、もったいないって私は思うのね? 誰かと話しても楽しくないっていう人も居るかもしれないけど、それだってもったいない。嫌いな理由を探すのは簡単だし、人が何かを嫌いになるっていうのは、ラクなんだよね」


 ラク。


 それはずっと、私が享受(きょうじゅ)してきた感覚。


 誰かと話したいとは思うけれど、話せるようになるまでの恐怖を味わうくらいなら、誰とも話せないままでも構わないと、そう思って行動に移せなかった私そのものでした。


「ピーマンが嫌い。だから食べない。それは不幸を回避する便利な手段だけどさ、もしも、ならどうすればピーマンを好きになれるかって考えられたら、それは幸せになる手段になると思うのさ。微塵切りにして苦味を消してチャーハンに入れたら食べられるって子供は沢山居るけど、それもすっごく良いことだけど、そうじゃなくて、例えば焼き鳥に挟んで甘いタレ着けてお肉との按配あんばいにして、ピーマンの苦味の楽しみ方っていうのを覚えたら、そりゃ、そこまでの道のりで苦労はするだろうけどさ、辿り着いた先は、きっとひとつの幸せなんだと思うのさ」


 気付けば、桜子は両手を広げて、高らかに、その理想的な奇麗事のような言葉を紡ぎます。


「嫌いや苦手を好きになるのは大変だけど、それでも、それは絶対的に明確な、ひとつの幸せ。私は、そう思うんだよねん」


 広げていた両手で勢いをつけて、桜子は両手を鳴らしました。そして、これで終わり、と解るように、よりゆっくりとした口調で、けれど力強く語るのです。


「芳子ちゃんが人と話すのを怖がらなくなるっていうのは、嫌いじゃなくなったり苦手じゃなくなるのは、ひとつの幸せなんだよ」


 私の幸せ。諦めていた、人と話すこと。友達を作る事。言ってしまえば、桜子が話してくれるから、桜子さえ居れば良いとさえ思いかけていた私に、桜子は「人と話せるようになろうぜ」と提案しているのです。


「それで、ラジオ、なの?」


 桜子は頷きもせずに笑いました。よりいっそう笑みを強めました。


「なんたってラジオは顔が見えないからね。聞いてる人の顔も、こっちの顔も見えない。芳子ちゃんは私と二人で話してるみたいなノリでやってくれたら良いよ。視聴者さん達は芳子ちゃんのリハビリ材料って感じかな。それにほら、どうせ芸名使うから、緊張も半減するでしょ?」


 確かに、そう思うと気が楽になります。でもリハビリという言い方は少し嫌でした。その不満を伝えようか伝えまいか迷って唇が尖ります。するとその表情から察してくれたらしい桜子は、笑顔を消して、いくらかわざとらしく驚いて見せます。


「おお、芳子ちゃんのそういう表情、初めて見たかもだぜっ」


 どうやら、私の不快感は喜ばれてしまったようです。それもまた嫌で顔を横に向けると、またも楽しそうな調子に戻った声音で桜子が言いました。


「いいじゃんいいじゃん。それでいいんだって。表情とか言葉は、相手に伝えるためにあるんだからね。思った事を顔に出す。言葉にする。そうじゃなきゃ勿体ないってね! なにせ私達には、顔と言葉があるんだから。ちゃんと喋れるんだからさ」


 妙に説得力のあるその言い分に、今度は悔しくなって、もう開き直ってしまおうと思いました。それで桜子のほうを見て、覚悟を決めます。


 なによりこのラジオは、桜子が私のために、私が人と話せるようになるために用意した場所なのです。私がいつまでももたついていては、桜子が報われない。私のためにこんな大規模な大きなお世話を焼いた桜子。私は彼女に、少しでも報いたい。


 出来るだろうか。


 ああ、でもやっぱり怖い。決めたはずの覚悟がしゅんと萎んで、反動で視線が泳ぎます。壁を見たり天井を見たり、桜子を見たりパソコンを見たり。


「ねぇ、桜子。私のためにここまでしてくれたのは嬉しいけど、私はやっぱり、難しいと思う。その……今まで殆ど人と話さないでいたし……」


 震えた声で漏らした弱音。安定せずに右往左往する視界は、たまにしか桜子を写しません。それでも彼女は、変わらず笑っていました。


「できたじゃん」


 彼女の返答を待っていたはずなのに、彼女の言葉は私の不意を突きました。


「ちゃんと感情、言えたじゃん」


 柔らかく笑って、桜子は身を乗り出します。テーブルを挟んでいるのでそれほど近くはありませんが、反射的に身を逸らしてしまいました。すると、桜子の右手の人差し指が、私の鼻先に触れました。


「弱音だって心だぜ? 芳子ちゃんは今、自分の感情をちゃんと言えたんだぜ? これだけのことなんだよ。それだけで良いんだ」


「これ、だけ……?」


 今のが、出来ていた? 保身のために、出来ないかもしれないと(こぼ)しただけの弱音でも、感情を伝えたことになるのでしょうか。私には解りません。でも、桜子は断言します。それだけだ、と、はっきりと言います。


 そして乗り出していた身を引いて、パソコンのキーボードをいくつか打ち込みました。それから沢山調整ネジの着いた機械をいじりながら、思いついたように呟きます。


「私がこうしてるのが嬉しいっていうならさ、まずは友達五人作ろうか」


「え」


 聞き直すと、桜子は最後の準備を終えたのか、機械の電源ボタンに指を置きました。多分、あれを押したら、始まるのでしょう。


「まずは相手の顔が見えないラジオで話せるようになって、次は普通に話せるようになって、そんでゆっくり友達作って、目標は五人」


 右手はスイッチに添えて、左手は指を全て立ててこちらに向けられています。つまり、五。


 桜子はその五を、強く握り締めます。


「約束だぜ」


 よどみない、迷いの無い声で、前へ進もうぜと、踏み出せと、その太陽みたいな表情で告げる桜子。


 私の口は、殆ど勝手に動いていました。


「……うん」


 それは、桜子のそれに反して、弱く震えた、小さな声。


 でも、私にとっては、大きな変化。




 私と桜子の約束。その始まりのスイッチが、勢いよく押されました。




「へいへいへーい始まりましたジャックラジオ、通称【D大ラジオクラブタイム】略して【ラジクラ!】パーソナリティーはこの私、井ノ川桜子(いのかわさくらこ)立花芳子(たちばなよしこ)ちゃんがお送りしちゃうぜー」


 あ、あれ、芸名は……?


「ね、ねぇ桜子さん、それラジオネームじゃなくて本名……」


 言った後で、ラジオネームと芸名を言い間違えている自分に気付きました。でも、時既に遅し。私の頭は空っぽになっているのか、それとも初めての事に力みすぎてテンションが迷子になっているのか、私は身を乗り出していました。


「おうっとやっちまったぜぇい。まぁでも誰も聞いてないから大丈夫っしょ」


「自分で言っちゃ駄目じゃない! せっかく民報のひとつ勝手に使ってラジオっぽいことやってるんだから、ちゃんとそれっぽくしようよ!」


 ちゃんと会話っぽく出来ただろうか。解らない。


 でも言った後で、今の場面は、誰も聞いてないならやる意味が無いのでは、という疑問をツッコミっぽくしたほうが良かったかな、と自責します。ああでも、私、そういう漫才みたいな事は向いてないし……。


「その通りなんだぜ芳子ちゃん!」


「だから本名で呼ばないで!」


 それは素の意見でした。せっかく顔が見えないのに、これでは意味がありません。


「芳子ちゃんの言う通り、この番組は民報のノイズっちゃってる電波をちょっくら拝借して、とある大学のとある大学生ラジオネーム「さくら」と「はなこ」がお送りしちゃう番組なんだぜ!」


「ね、ねぇ、やっぱりこれって犯罪なんじゃ……というか芸名は今更だよ……」


 なにもかも今更な疑問や意見ですが、気付いた途端に怖くなって、頑張って張り上げていたはずの声が萎みます。


 桜子は首をかしげて、当たり前のように言いました。


「犯罪だけど……誰も聞いてないから大丈夫っしょ」


「私やっぱり帰るぅぅぅううう!」




 私と桜子の約束が、こうして、始まりました。

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