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たった一秒で世界は変わる

 立花芳子たちばなよしこ。ラジクラのパーソナリティーであり、元D大学の生徒。顔は見たことが無かったが、声だけはいつも聞いていた。こう言ってはなんだが、ラジオを聞いていた時に思い浮かべていたイメージ通りの見た目で、助手席に座る姿も背筋がピンと伸ばされ、背もたれに身を預けずに前方を見つめる様は、清楚、というよりも、奥ゆかしく怯えを誤魔化そうとする猫のようだった。


 トラックを走らせながら、そのラジオ、俺も聞いていたんだよと言うべきか迷った。名前を聞いたすぐ後になにかアクションを起こしていればこんなに迷う必要は無かったのだろうが、立花さんが名乗ったのに対して俺は間の抜けた相槌を打って、トラックのアクセルを踏んでしまっている。完全に、話を合わせるタイミングを逃がしてしまった。今更話を蒸し返しても、胡散臭く聞こえてしまうだろう。


「……あの」


 ふと、沈黙に耐えかねたかのように口を開く立花さん。「ん」と、緊張なんてしていませんよと主張するために簡単な返事をすると、立花さんがラジオのチューナーを指差した。


「……あ」


 立花さんが何か言ったわけではなく、そういえばラジオが着きっ放しだったのだと気付く。立花さんはラジオが放つノイズを恐れるように、


「音楽、止まってますよ」


 そう言った。流石に趣味でノイズを聞いているんだと思われずには済んだらしい。他人を乗せたままだというのにノイズのラジオを着けたままにしておくなんて、不注意にも程がある。怯えられて然るべきだろう。


「そ、そうだね」


 慌ててラジオから音楽プレイヤーに切り替えようとした丁度その時だ。あるいは動揺のし過ぎか、自分のトラックでありながらどのボタンを押せば切り替えが出来るか解らなくなり、切り替えるまでに数秒を要してしまったせいかもしれない。ノイズばかりだったラジオがノイズを弱くし、あの声を吐き出した。


 えーっと、すみません、いつもより五分も遅くなってしまいました。でも、聞いてる人なんて居ないんだろうなぁ。でもやらないといけないから、やっぱりやります。聞いてる人居ないけど。絶対居ないけど。……居ないよね?


 思わず頬が緩んだ。この声は、さくらは、いつもこの調子で始めていた。変に謙虚というか、事実ここに聞いている人間が居るというのにそんな事は露も知らず、夜中になりかけの誰も居ない高速道路で一台のトラックが立てる虚しい駆動音に似た、どこか頼りない声で慎重に言葉を選ぶのだ。その様子が微笑ましくて笑いかけたのだが、助手席から小さな悲鳴が聞こえた。見てみると、シートベルトで固定されているはずの立花さんが、さっきまでは背もたれを使っていなかったはずの立花さんが、目一杯に背もたれを頼り、身を埋めて、ラジオから離れようとしている。その声から遠のこうとしている。


 どうしたのだろう、と見入りそうになったが、今が運転中だった事を思い出す。前方不注意なんて冗談にならない。俺はすぐに前へ向き直り、それから聞いた。


「このラジオが、怖いの?」


 その問いに、隣からの返答は無かった。ミラー越しに表情を確認しようとするが、如何せん立花さんが隅っこで丸まってしまっているため、ミラーから外れてしまっている。ここからでは足しか見えない。ラジオは続きの言葉を紡ぐ。ついに今日です。皆さん聞いてますか? いやでも聞いてないんですよねぇ……なにやってんだろ私。でも聞いてる人が居たら、S県D市のあすなろ公園に来て下さい。絶対です。絶対に来て下さい。聞いちゃったなら来て下さい。あ、えっと、今日の午前零時です。待ってます。


 天然の混じった、しかし四年前の勢いを無くしているさくらの台詞。やっぱり微笑ましい。恐怖を抱くような要素がどこにあるのだろうか。それとも、関係者にしか解らない意味がここにはあるのだろうか。無関係な俺には読み取れない、召集の合図以外のメッセージも、この中に隠れているというのだろうか。


 ラジオが終わり、再びノイズに戻った。けれど立花さんは黙って震えている。このままじゃ立花さんに悪いと気付き、ラジオを音楽に切り替える。今度はちゃんと、切り替えのボタンがすぐに見つかった。流れ出す曲はロックバンドACIDMANのアルバムだ。女性とのドライブには相応しくないかもしれないが、他のハードロックやヒップホップよりはマシだろう。ランダム再生されるそれが最初に弾き出したのは、緩やかでありながらどこか鋭いリフでメロディーを刻む、エコーが特徴的な楽曲。


 月光の無い綺麗な夜。小さな光を売る声。儚くて美しくて狂いそうに綺麗な夜。


 嫌味か、皮肉か何かだったのかもしれない。ランダムとはいえ再生機ももう少しまともな選曲をして欲しいものだ。月はあるが薄い雲でぼやけて、星も殆ど見えない。儚いという点には同意出来るが、綺麗な夜というには、暗すぎた。


「……このバンド」


 ふと、立花さんが呟いた。その反応がこのバンドを知っている、と言外に告げていたため、俺はするまでもない確認をする。


「知ってるの?」


 音楽好き、というか、ロック好きには有名で、しかし一般の人はあまり知らないと思っていた。テレビに出た事も何度かあるメジャーバンドだけれど、心の中では知る人だけが知っている素晴らしいバンド、という位置づけだったのに。それでもちゃんと知っていたらしい立花さんは、ようやく、身体を元に戻した。ミラーで表情が確認できるようになって、それだけで少し安心した。


「高校の時に、好きでした」


「へぇ」


 意外だった。このバンドを知っていることが、というのはもういいとして、このバンドを学生の時に好きだった、というのが意外だったのだ。これもまた勝手な思い込みだが、このバンドは大人のためのものだとばかり思っていた。そして見た目は清楚か奥ゆかしいという言葉がぴったしの立花さんには、少し、似合わないかな、と思った。


 聞き入るような静かな声で立花さんは言う。


「……この曲、ぴったしですね」


 そうだろうか、と、思わず何も答えられなかった。否定するくらいなら黙ったほうがいいと、そう思ったからだ。


 あの星に向かう船に乗り、あの光を探しに君は行く。


 流れる楽曲が紡いだ歌詞に、立花さんは小さな笑声を上げる。楽しそうな笑みではない。自嘲するような、どこか切ない声だ。あまり気分が良いものでは無いらしい。


「変えようか?」


 とはいえ、女性に聞かせられるようなものをトラックに積んでいない。今流れているアルバムは俺が持ち込んだものだが、このトラックは会社からの借り物で、同期達が置き残したものもいくつか残っている。間違えて初音ミクなんかが流れ出したら、恥ずかしくて発狂する自信がある。


「いいえ」


 そう返した立花さんの感情は、もう読み取れない。ミラーで表情を見ようとしたが、瞳は前髪で隠れてしまっている。俺は「そっか」とだけ返し、少しの間だけ運転に集中する。しかしまだ曲も変わらない内に、どうしてもしておきたい話題が見つかった。


「さっき、あすなろ公園に行くって言ってたよね。……会いに、行くの? その、ラジオの人に」


 さくら、と言わなかったのは、俺がその名を知っていたら怖がられるかな、と思ったからだ。俺なりに気を遣ったつもりでいる。


 返事が聞こえなくてミラーを見たタイミングで、俯いた頭が小さく頷くのが見えた。


「でも、ラジオ聞いて、怖がってたみたいだけど」


 どこに言葉の地雷があるか解らないため、慎重に言葉を探す。一言一言区切って、言った後にもさっきの言い方で良かったかを確認をする。差し障りの無い聞き方が出来たと思う。それが功を成したのか、立花さんは浅く深呼吸して、ゆっくりと訪ねてきた。


「怖い話は平気ですか?」


 どういう意味だろうか、と眉根に力が入りかけたが、今は素直に「平気だよ」と答えた。いや、それは素直ではないかもしれない。正直俺は怖い話は苦手だ。さっきも、道路の上を歩いている立花さんを幽霊と勘違いし、通り過ぎようとしたのだから。とはいえ、怖いのが苦手だとここで言ってしまえば会話が途切れてしまう。会話が途切れれば、後は再び気まずい沈黙が二人乗りのトラックの三人目として同乗するだけだ。それを避けるため、ささやかな嘘を吐いた。


 ふと、音楽プレイヤーをなぞる細い指が視界に入った。立花さんが、機械をいじるわけでもなく、輪郭を確かめるようにしてフロントに触れている。もしくは、大切な宝物を愛でるような手付きだったかもしれない。


「さっきのラジオの人は、井ノ川桜子いのかわさくらこと言って、私の知り合いなんですが」


 知っているが、知っているとは言わない。話の腰を折らないように、小さく「へぇ」と続きを促す。しかし立花さんがなかなか次の句を言わないため、そこになんらかの意図をもった間を置いたため、流れている曲の最後のサビがはっきりと聞こえた。


 free star たった一秒で free star 世界は変わる 僅かに残された光


 サビの終わりと入れ替わるようにして、立花さんはこう言った。


「その子はもう、死んでいるんです」

 作中に出てきたのはACIDMANの『free star』という楽曲です。実在していますので、知らない方はよければ聴いてみて下さい。

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