第一章①
「行ってきます」
一応声を掛けて、かなり形の変形した鞄を肩に提げると俺は家を出た。
俺の名前は薬橋真価。桂高等学校の二年生だ。両親と、中学校に通う妹が一人いる。私立の学校に通える程、あまり裕福な家庭ではないが一応、人並みの生活は出来ている。
駅に着いた。家から学校まで電車に一本乗らなくてはならない。定期券で改札を通ると、エスカレーターでホームに上がった。丁度、いつも乗る電車が来た所だった。
電車の中は多くの通勤通学の人間でごった返しており、どこも開いている座席などない。
仕方ないな。
「お嬢さん」
座席に座って本を読んでいた中学生の女の子に声を掛けた。
「あっ…」
女の子は俺の着ている制服を見た途端ビクリとその華奢な身体を震わせた。そして、読んでいた本を鞄に放り込むと、そばに立て掛けていた松葉杖を持ってぎこちなく立ち上がるとそれを支えにし、他の車両へと消えていった。
まだ温もりのあるその席に座ると、英語の単語帳を取り出した。今日は豆テストがあるのだ。勉強だけは幼い頃から得意としており誰にも負けない自身がある。その証拠に、いつも全国模試では五十位以内をキープしている。もちろん成績も学年トップクラスだ。
「薬橋君」
単語帳を読んでいた視界がいきなり暗くなった。見ると、小田切澄子が目の前に立っていた。小田切は俺と同じ桂高校の二年生。一年生の時同じクラスだった。成績はいいが、男女問わず多くの者から好かれているのが、俺はいけ好かなかった。
小田切は軽蔑の眼差しを俺に向けていた。
「あなたの目には、あの娘が松葉杖を突いていたのが見えてなかったの?」
ケッ…朝っぱらから説教かよ…まぁいい。適当にあしらっておくか…
「見えていたさ。だが、あの松葉杖は誰かの置き忘れだったかもしれないだろ?それに第一、俺はあの娘に「どけ」なんて一言も言ってないぜ」
「あなたって人は…」
「まもなく…桂…桂…」
ナイスタイミング!電車のアナウンスが小田切の言葉を遮った。
「それじゃあ、お嬢さん」
単語帳を鞄にしまって立ち上がった時、大きな揺れが俺を襲った。
電車やバスに乗っている際に起こる慣性の法則…それが頭に浮かんできた時にはもう俺は床にスッ転んでいた。
小田切は俺の頭の位置まで膝を曲げた。
「お客様。電車が完全に止まってから席をお立ち下さい…」
笑顔でそう言うと、小田切は立ち上がって一足早く電車から出て行った。